告 白







「今だから言えるけど」

 穏やかな表情でリーマス・ルーピンはそう話し始めた。この食卓で頻繁に過ごされるようになった食後の時間。分厚いガラスのコップに注がれたウォッカと氷を前にして。

「私は君と別れて、家を出ようとしたことがあるんだ」

 その告白をされたシリウス・ブラックは、鼓動と呼吸と瞬きが凍り付いて、「一時停止」をしたように見えた。そしてしばらく無言でいたあと少なくとも表面上は平静を取り戻し、彼はそれで?という風に肩をすくめて続きを促した。

「あの犯罪者がとうとう倒された日に、私はそれを考えた。これからこの世界はどんどん平和になっていくだろう。健全な人々により健全な社会が再建されるだろうと。しかし私をパートナーに選んだ君は、その健全な社会の恩恵に与れるかどうかは疑問だった。どちらかと言えば不当な扱いを受け、君が不愉快な思いをし、憤る確率のほうが随分高いように思えた。それで何となく私は日々算数をするようになったんだ。
私が姿を消して君が当て所ない探索を続け辛い思いをするのが2年?5年?10年?しかしその残りの人生で君は何年幸せに過ごせるだろうかと。決行するなら早いうちがいいな、と私は考え始めた。勿論これは遊びでする事柄ではないから、100%完璧に行われなければならない。君の前から姿を消し、二度と会わないというのは、ハリーや他の愛すべき人々にも二度と会わないという決意が必要だった。彼らがどんな善意を発揮するか、私には予想が付かないからね。しかし当時の私はそれでも構わないという気持ちだった。今よりも思いつめやすい性格をしていたんだろう」

 そこまで話して、ルーピンは「怒らないのかい?」と不思議そうに尋ねた。シリウスは何も答えない。彼が何を考えているのか、予想するのは難しかった。
 
「私は身の回りの品をそれとなく整理し始めた。そしてそれが済んだら夕食のとき君にたくさんワインをすすめて、その日の深夜に家を出るつもりだった。でも脱狼薬……あの市販の丸薬のやつだよ。あれの残量をチェックしようとしたら、棚が割れて何もかもを床にぶちまけてしまった。もちろん脱狼薬は駄目になった。今思えば、あれがけちのつきはじめだったね。あの年はすごい寒波がきて……君は覚えているかな?ほら、水道管が破裂したじゃないか。君ときたら朝に私の部屋に飛び込んできて、どこからか水のざあざあ流れている音がすると言うものだから、2人で名犬よろしく家の周りの配管に見当をつけてうろうろと歩き回った。その騒動と応急処置がやっと済んだと思ったらマグルの水道局から恐ろしい額の請求書を持った使者の到着だ。必要書類の記入で懐かしの勉強会をしたね。あんなにコーヒーをたくさん飲んだのは学生時代以来だったよ。次にはうちの庭の作物の寒波による壊滅的打撃。簡易ビニールハウスの作製にまたもや数日かかった。
でもそうやって毎日へとへとになって倒れるような眠りに付くたび、だんだんバカらしくなってきたんだよ私は。ここでこうやって暮らしている分には、健全な社会とやらと私達には接点がないのでは?と思ったんだね。とりあえず健全な社会は寒波の前では何の役にも立たなかった。不器用な私だが、作物を助ける役には十分立てた筈だ。君がもっと都会で、人と多く交わる生活を送りたいならいざ知らず、いまはどうも、そういう訳でもなさそうだと私は気付いた。
以降、私は片付けた手回り品を以前のようにあちこちに放置し、時にはくだらない衝動買いをし、君の深酒を嗜め、夜はよく眠った。憑き物が落ちたように、もう家を出たいとは思わなくなった。もし不快になったのなら済まない。気の迷いの話だ。今となっては、あのときに家を出なくて良かったと思っている。あの年の寒波に、私は感謝をしているよ」



 ここまで話してしまうと、ルーピンは空になったコップをシリウスのほうへ差し出した。シリウスは慣れ故に完成された動作でそれを受け取り、絞ったレモンと新しい酒で満たしてルーピンへと渡す。



「今だから言えるが」

 シリウスはじっとルーピンの目を見たまま言った。

「それは全部俺がやった。脱狼薬の瓶が落ちて壊れるように戸棚に細工をしておいたのは俺だし、水道管を凍結させて破ったのも俺だ。寒波が来ていたのは偶然だ。あれはこの地域に被害を出すほどのものではなかった。庭の作物に大打撃を与えたのも俺だ。あんなに陰鬱で情けない作業に情熱を燃やしたのは生まれて初めての経験だった。大変な屈辱だったが、俺はその労力を払わずにはいられなかった」

 十数年後にして初めて知る事実に、ルーピンは少なからず驚いたようだった。唇が開き、動作が止まる。シリウスは笑った。

「初めにおかしいと思ったのは我が家のゴミの量だった。ある時期を境に急に増えたように感じられた。どうも観察してみるとお前の私物が大半を占めている。まあ、色々と区切りの付いた年でもあったし、身辺を整理したくなる気分は分からないでもない。俺は特にコメントをしなかった。
次におかしいと思ったのは、お前が少し先の未来の話をしなくなった事だ。来月の約束や半年先の計画、そういった一切に関する返事を濁すようになった。お前は俺に嘘をつかない。そうだな、リーマス。
俺は脱狼薬の置いてある棚に細工をした。果たして、満月はかなり先であるというのに、お前は薬を落としてしまったと愚痴を言った。普段なら必要のない時は見もしない薬じゃないか?一体何の用があって、あの瓶に触れたんだ?と尋ねるのを、俺は100万回我慢した。
それからはお前の知る通り、俺の大活躍が始まった。水道管は壊す、畑は荒らす。必要があれば家に放火だってしただろう、俺は必死だったから。
お前が出ていかなかったことに、俺は今でも心から感謝している。お前の靴には、俺が居所を知る事が出来るように細工がしてあった。連れ戻したお前を前に、俺が正気でいられたとは思えないからな。もしかするとお前は二度と自由には外を出歩けなかったかもしれないし、悪くすると体のどこかを損なっていたかもしれない。有り得なくはない話だ。
もし不快になったのなら済まない。結局お前は家を出なかったし、俺は犯罪者にならずに済んだ。確かに気の迷いの話だな」

 ルーピンは彼にしては珍しいほど長く平静を取り戻せなかったらしく、瞳は小刻みに揺れていた。漸く出てきた言葉は「なんだって?」という質問だった。

「もう一度ゆっくり説明しようか?先生」
「いや……要するに私は寒波ではなく君に感謝をするべきだったという、そういう話なのか?」
「まったくその通り」
「そんな馬鹿な!」
「いや?神やそれに類するものが御親切にも我々の愛を守ってくれたと考えるより、筋が通っているじゃないか」
「君は知っていて……というより今まで黙っていられたと……君が?」
「俺がお前なら」
 そう言ってシリウスは不思議な笑顔を浮かべた。
「この話はあまり深追いせずに置くがな。俺が今までこの話をしなかったのは、確実に自分の感情を制御出来なくなると思ったからだ。あの時は久し振りに目の前が明滅するくらい怒り狂ったよリーマス。お前には愛情というものが分からないのだと思った。永遠に。少なくとも俺の愛情を理解する事はないのだと思った。正直に言えば、俺はあの恐ろしい怒りをどうにか押し込めたのが、俺が一生のうちでお前に示した最大の愛情だったと思っている。それはこんなに時間が経った今でも、切れば血がふき出るような怒りだ。
それでももしお前が望むならこのまま昔話を続けてもいい。しかし平静な話し合いは保障しない。どうかね教授」

 ルーピンはしばらく友人の顔を眺めていたが、やがてぽつりと「この話はもうしないよ」と言った。「でも最後にひとつ言わせてもらうなら、愛情全般には自信がないけれど、今では少なくとも君の愛情についてはそれなりに理解をしているつもりだよ」と小声でそう告げた。

 シリウスは彼の告白を受け入れ、2人は静かに乾杯をした。











ネガティブ系?あとがき
(世間一般のネガティブ判定ラインが分からんので一応)

常に飛び去る気まんまんの鶴女房リーマス・ルーピン。

今回どっちが悪いかと言えば
微妙に先生が悪いように私は思う。
いや、家出を企んだことではなく、
今更告白なんかするのが。
なので怒ったシリウスにガブっと噛まれた。
そんな感じ。
シリウスも怒り方がちょっとキモイけどさ!

もし先生が家を出て、
シリウスに捕まって連れ戻されていたら、
シリウスは先生と一緒に失踪したと思います。
そして地下室付きの家に転居して
鎖で先生をつないで、一生を過ごしたと思います。

シリウスは変わらず先生を愛したけれど
二度と信頼はしなかったでしょう。
先生は潔い人だから、再度逃げようとはしなかった筈。
意志も人権もシリウスに差し出して、
それでも別に不幸ではなかった気がします。

今まで通り、穏やかな会話と、ジョークと、キスのある生活。
変わらない暮らし。
ただ先生が鎖でつながれているだけ。
アダルトですね。
2006/10/05


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