小さな秘密(A lot of things)


「お帰り。随分早かったんだね」
 そう言って振り返ったルーピンは、にっこりといつも通り笑った。
「ああ、『彼』が不在だった。指示で長旅中かもしれないと思って一旦帰ってきたんだ。どうしても一度会っておきたかったんだが」
 近頃は志を同じくする魔法使い達と連絡を取り合う事が多くなった彼らである。さすがに対外の処理全てをルーピンが執り行う訳にもいかなくなってきて、シリウスが犬の姿で働く機会も増えた。
「……で、何をしているんだ?」
 1階に彼の姿がなかったので2階まで上ってきたシリウスだったが、扉を開けたルーピンの私室兼寝室はかなり異様な状態だった。
 物が散らばっている。しかも尋常でなく。
 様々な本に雑誌に覚書、衣類、毛布、薬草、可愛らしい色をした菓子の類、ルーペに傘に望遠鏡、クレヨンと外国のコイン、大きな地図、何故かカーニバルの仮面や復活祭のタマゴのおもちゃ、どこかの陸橋のミニチュアもある。
 無数のそれらは部屋の中央に座っているルーピンの周りをびっしりと囲み、魔方陣のような様相を呈していた。シリウスは友人に近づく事も適わず、5歩ほど離れたところからの会話を余儀なくされている。
「ええと、荷物の整理をしようとしていたんだけど……」
 少し呆然とした様子で彼は答えた。のろのろと辺りを見回している。
「どうやら収拾がつかなくなってしまったみたいだ」
「荷物というと、お前が持ち歩いていたトランクの?」
「そう、いつもは中を魔法で縮めてある」
 シリウスは「ほとんどゴミじゃないか?」という正直な感想を飲み込んだ。「ゴミ」という表現を大きな愛情をもってして最大限にランクアップさせても、せいぜい「ガラクタ」止まりである。
「煙草……?お前、吸ってたのか?」
 彼は足元に転がっていた煙草の吸殻に目を留めて拾い上げた。それは中途半端に吸って捻られている。
「馬鹿言っちゃいけない。君の吸い残しだよ」
「俺?」
「そう。君とジェームズの。君達ときたら「不味い」と言って草むらに吸殻を投げ捨てるんだからね。あれでは次の週に私物検査をしてくださいと言っているようなものだ」
「ちょっと待て。それは何年前の話なんだ」
 問われてルーピンは首を傾けた。
「20年?もっと前かな」
「捨てろ。馬鹿はお前だ」
「ちゃんと元の場所に置いてくれシリウス。片付くものも片付かなくなる」
 そっけなく命令されて、不承不承それを床に置いたのだが、シリウスの目はまた違うものに釘付けになる。
「この眼鏡!」
「ああ、分かるかい?ジェームズのものだ。ほら、彼が1対15の喧嘩をした『抜けない指輪事件』を覚えているかな。あの時滅茶苦茶に割れて、残ったフレームだけを何となく私が記念に貰ったんだよ」
「うん、覚えてる。あの時のジェームズは気が狂ってた。懐かしいな……」
「それを捨てろとは言わないんだね」
「……言っても捨てられないだろう」
「その通り」
「捨てられない物コレクションだな」
「いいや宝物だよ、おおむねは。でも、さすがにこれだけあると大変だ」
 ルーピンはネクタイを緩め、首元へ手を入れて襟をくつろげた。自然、シリウスの目に首筋が飛び込んでくる。彼の首に触れる時ごく稀に「細いな」とのみ短くコメントをするシリウスであるが、実際は言葉よりはもう少し強く、その部位に関してある種の執着を持っていた。手のひらに、首筋の皮膚の滑らかな触感が蘇ってきてシリウスは慌てて視線を逸らせる。
 男性の首筋を見て劣情を催すのも、その男性が友人である事も、その友人が片付け物の最中である事も、すべてシリウスの持つ常識に照らすと恥ずべき事柄のように思われたからだ。
「そのトレンチコートは?」
 誤魔化すように、彼の後ろにある深い色のコートを指差すと、ルーピンは背後を振り返って小さく笑った。
「ああ、セブルスに借りっぱなしだ。返さないと」
「……捨てろ」
「借りた物を捨てるのは人間として最低だと思うけど。こら、シリウス駄目だ」
 部屋の隅を通って無言でコートを拾い上げたシリウスを、ルーピンは制止する。彼はその下にあった汚い表紙の本を見つけて興味を移したのかコートを放り投げた。
「この本は見覚えがある……。『連立方程式』。ホグワーツ図書館の分類票が貼ってあるぞリーマス?」
「分かった。パッドフット、居間へ行ってお茶にしよう。片付けるどころか元通りにもならなくなりそうだ」
「図書館から本をチョロまかすのは人間として最低ではないと仰る?ルーピン教授」
「返そうとする意志があればね」
 雑多な物品を器用に避けて歩いて、ルーピンはシリウスから本を取り戻した。
「それにしても、お前はこの本が本当に好きだったんだな。在学中はずっと持っていただろう。期限が切れるたびに借り直して。どこが面白いのか聞いてもいいか?」
 取り上げられた本への興味を捨てきれない様子でシリウスはルーピンの隙を窺っている。ルーピンは呆れて溜息をついた。
「そういえば言っていなかった。無事で何よりだよ。シリウス」
 ゆっくりと彼の顔が寄せられ、2人はキスをした。それは申し分ない丁寧なキスだった。シリウスはいつも通りに、長い腕で友人の肩と背を覆うように抱きしめる。ルーピンが少し身を引いた。
 かさり、と音がする。
「何だ?」
「何が」
 聞き間違いでなければ紙の鳴る音だった。
 友人の不思議そうな表情は完璧だったのだが、シリウスは思考よりはむしろ直感に頼って彼のネクタイをはずし、襟に手を入れる。
 出てきたのは一枚の紙。
 ルーピンはまったく表情を変えずに笑っている。その強靭な平常心にシリウスは怒りをおぼえるより先に新たな愛情を感じた。支離滅裂だった。
 最初にシリウスがこの部屋に帰ってきた時に彼は何と言ったか。「お帰り。随分早かったんだね」そう、シリウスの帰宅はルーピンが思っていたよりもずっと早かったのだ。少なくともこの沢山の秘密の宝物を、シリウスに見せるつもりは彼にはなかったのだろう。
 一番見られたくないものを、さりげなく襟元に隠したのだ。
 情けない気分でシリウスが開いた紙には、子供の字でこう書かれていた。

 借 用 書

 私ことシリウス・ブラックはリーマス・ルーピンに無期限無利子で20シックルを貸与する。
 その証拠としてこの借用書を作成し、記名捺印し、保持するものとする。

                      シリウス・ブラック

「君は育ちがいいから借金がどういうものか良く分かっていなかったみたいだね。普通、借用書というのは借りたほうが書くものだ」
 言葉を失って佇んでいたシリウスに、ルーピンは控えめな指摘をした。
「何だこれは」
「だから借用書」
「いつの」
「やっぱり20年か、もっと昔。ハニー・デュークスへ行くのに持ち合わせがなかったんだ確か」
「・・・・・・」
「そろそろ返そうかと思った矢先に君は獄へぶちこまれるし、今や君と私の財政ときたら すっかり混沌としているのだからね。タイミングを逸してしまったよ」
 懐かしい、大真面目な自分の文字を見ながらシリウスは複雑な表情をする。
「まさに馬鹿はお前だ。いや、お前は馬鹿だ。それは確実だ。こんなもの俺はとうに忘れていたのだから、捨てれば良かったんだ……」
「いいじゃないか別に。私の勝手だ」
「借金を踏み倒すのは、人間として最低ではないと仰る?ルーピン教授」
 拗ねたように口を尖らせるシリウスへ、ルーピンは申し訳なさそうに呟いた。
「こういう場合は……」
「ん?」
「こういう場合はあれかな、『身体で払うよ』と言うと丸く収まるんだろうか?」
 人柄に相応しくない冗談を笑顔で言ってのけた友人に、シリウスは吹き出す。
「20シックルなのか?お前は」
「さあ……相場も知らないし……」
「まずは査定をしなければ」
 気を取り直したのか、シリウスは友人のシャツのボタンを指でつついて快活に笑った。ルーピンは仕方なさそうに視線を上げて、もう一度シリウスを見る。その首筋に触れながらシリウスは言った。
「なんならその役目を俺が引き受けてもいいが?」


 日が暮れて肌寒くなってきた室内に少し身を震わせて、ルーピンはそっとベッドを抜け出した。途中ふと気付いて眠っているシリウスを振り返る。長い距離を移動したので疲れたのであろう彼は目覚める気配もなかった。ルーピンは微笑んで、床に放り出されたままの自分の『宝物』に歩み寄る。
 彼が手に取ったのは、先刻シリウスが興味を持った汚い表紙の本だった。白い手がページをめくる。慣れた手つきで 彼はとある箇所を開けた。
 夕闇のせいで、書かれている文字はほとんど見えない。しかしルーピンはそのページに印刷された内容とその余白に書き込まれた文章全てを暗誦できるくらいにはっきりと記憶していた。
 そこには黒いインクでくっきりと3人の少年からルーピンへのメッセージが記されていた。


 ちょっと驚いたけど、僕は平気だから。気にしないでリーマス。僕達はずっと友達だよ。

                           ピーター

 君に対して同情したり、君を哀れんだりするつもりは全くない。ましてや恐れたりなど。
 友人として尊敬しているし、心配している。
 君もよく知っているとは思うけれど、いつだって僕は僕のやりたい事をする。
 何があってもだ。それに対してあれこれ悩むのは無駄だと思わないか?
 つまりは、「これからもよろしく」そういうことだ。
                           ― J ―


 これは絶対嘘じゃない。嘘だったら今ここで俺は死んでもいい。
 お前が望むんなら一生一緒にいてもいいし、全校生徒の前で抱きしめてもいい。
 それくらい俺は友達だと思っている。……ええと、分かるか?
 お前はたぶん嘘とかごまかしとか遠慮とか色々疑うだろう。
 でも本当なんだ。本当だ。
 悪い方へ考えるな。俺はお前が好きだ。

                           シリウス

 昔ルーピンが秘密にしていたとある健康上の事情について、3人の友人は色々な葛藤と行動の末に真相を知った。少年だったルーピンは彼等との友人関係はその時点で解消され、程なく学園を去らなければならないだろうと覚悟した。
 彼の感情は凍りつき、表情は失われ、外界からの情報は何一つ少年の身体の内側には入ってこなくなった。学園での生活はルーピンが自分で思っていたよりも大きな面積を心の裡で占めていたのだろう。彼は自分の精神が負った怪我の程度を理解できず、正常でない自分に戸惑いながら待っていた。教師から沈痛な面持ちで名を呼ばれる瞬間を。友人達から酷い言葉と暴力で辱められる瞬間を。
 そんなある日の授業終了後、目の前に投げ出された本が1冊。
 ルーピンが課題の為に図書館から借りた数学の本だった。真中辺りのページの余白にメッセージが書き込んである。
 これは学校の本である。つまりは公共の物だということだ。にもかかわらず、まるでメモ用紙であるかのように堂々と余白いっぱいに書かれた文字。
 あまりに驚いたので、内容がすとんと心に届いた。
 その瞬間、ルーピン少年の心は突然現実に戻ってきた。
 以前と同じように物が見えるようになり、言葉は音の羅列ではなく意味を伴って聞こえ、体は不出来なブリキの玩具のようではなくなった。表情は精神とつながり、心を声で表現出来るのを思い出した。
 そしてここ数日、3人の友人達が必死で自分に何かを伝えようとしていた事に気付く。
 何度も声を掛けようとしていたピーターのひたむきな目。肩を掴んだシリウスの熱い手のひら。辛抱強く説明を繰り返したジェームズの唇。
 どうして分からなかったのかが不思議だった。
「図書館の本なんだよ?」
 そう言ったあと、ルーピンは大声を上げて泣いた。



「今もこの本を後生大事に持ち歩いていると知られるのは、きまりが悪かったんだよパッドフット」
 隠して済まない、そう呟いてルーピンはそっと本をトランクに戻した。
 そして夜食の準備をするために部屋を出る。
 深く眠っているシリウスの顔を見て、廊下に立つ彼は小さく笑って言った。
「でも昔も思ったんだけどね、君の文章ときたら。あれじゃまるでラブレターだよ」







2002年秋に催したクイズ企画の景品です。

ch32 ちほ様からのリクエストでした。
正解、ダントツ早くていらっしゃった。
ちなみに小さな(chiisana)秘密(hi32)で。
(年号早覚え……?)


A={煙草、眼鏡、ゆるめたネクタイ、無期限無利子の借金、
図書館から借りた本に挟まれた秘密の恋文、キス}

B={トレンチコート、連立方程式、直観、
きつくて抜けなくなった指輪、陸橋、復活祭}


一応A群は必須。B群は可能なら、というお約束の
リクで。全部網羅したもんね(笑)
(卑怯ワザが炸裂しましたが。しかも不自然さを
誤魔化すためにお色気作戦ですが!先生も私も・笑)
私の頭ではこれが限界ですけど、でも他の方が
このお題に挑戦したのが読んでみたいですよ凄く。
あと何通りくらい出来るかな。

もしお時間がおありなら、是非先様へも訪問下さい。
このキーワード群の謎が解ける仕組みです。


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