「むぅ・・・・・・」
いかんな。
俺は決して自分を頭の悪い男とは思っていないつもりだが、学校の勉強というのはどうも苦手だ。
名雪はぼーっとしているようでいてわりとできる。
香里は言わずもがなだ。「・・・もしかして、俺は馬鹿なのか?」
なんてことを考えて現実逃避をしてみたい今日この頃。
っていうかさ、俺って一応この話の主人公なんじゃないのか?
いや、主人公はたぶん紫苑なんだろうけど、男主人公?ってのは俺のはずだろ。
なのに何なんだ、最近のこの話の中での影の薄さは。
最初から? いや、そんなことはないだろう。・・・・・・はぁ。
なんてくだらないことを考えてる場合じゃないな。
とりあえずは、勉強勉強・・・。と。
「祐一さん、お電話ですよ」
「はい?」
俺に電話。
しかもこんな時間に。
ちなみに9時だ。
別におかしくはないか。下へ降りて受話器を手にする。
「もしもし?」
電話の相手は、意外な奴だった。
紫苑―SHION―
〜Kanon the next story〜
最終章 無限螺旋 その二
「すみません、突然呼び出したりして」
「いやまぁ、驚いたと言えば驚いたけどな」
いきなり、助けてほしいことがある、なんていう電話をかけてきたのは、桔梗だった。
電話越しじゃ何だということで、近くの公園までやってきた。
桔梗の姿を確認してから、俺は周囲をきょろきょろと見回す。「あいつらはどうした? 一緒じゃないのか?」
「・・・ええ、先に捜してもらってます」
「捜す?」
何のことだ、と思ってすぐにわかった。
わざわざ俺なんかを呼び出したのは、どうやら捜しものの手伝いをしてほしいってことと見た。「捜しものか?」
「はい。捜し人・・・といった方がいいですね。もっと人数をかけたいのですけど、東雲の方達の監視がきつくて、動けるのは私とアベルとエンくらいなんです。けどそれでも、捜す範囲が広すぎて」
「範囲って、どれくらいなんだ?」
「この街であることに間違いはないと思うんです」
「・・・確かに、微妙な広さだな」
大都会って場所じゃない。
けど、田舎の村でもないから、人一人を捜し出すのは骨が折れるだろう。
しかもこいつらが捜してるってことは、たぶんまっとうな奴じゃないんだろうから、普通に捜したんじゃそうそう見付からない。
人手がいるわな、そりゃ。「それで、俺か?」
「この街で知り合いと言えば、祐一達しかいませんし・・・本当は巻き込みたくはないんです。けど、時間がないから」
事は急を要するのか。
「話を聞いてくれそうなのは祐一だけだと思って。できれば、祐一の方から他のみなさんにも頼んでほしいんです。これ、彼女の写真です」
そう言って桔梗は一枚の写真を手渡してくる。
モノクロのかなり古いものみたいだけど、写っている人物像ははっきりしている。
女の子、だな。
どことなく、紫苑や桔梗の持つ雰囲気に通じるものがある美少女だ。
つまり、そういう類の人間、ってことか。「度々厄介ごとを持ち込んでしまって、申し訳ありません」
「気にするなよ。困った時はお互い様だ。それに、こんだけ目立つ奴、10人くらいかけて捜せばすぐ見付かるだろ。明日は日曜だし、一日かけて捜せば・・・」
「いいえ、たぶんそれは無意味です」
「?」
「彼女はたぶん、夜しか出歩きません」
「夜しかって・・・吸血鬼かよ・・・」
「・・・・・・」
沈黙。
っていうかちょっと待て、こういう場合の沈黙ってのは、肯定を意味することが多い。
まさかとは思うが・・・。「・・・ビンゴ?」
「・・・はっきりとはわかりません。けれど、彼女に関する記述を読む限り、そういう予測は立てられます」
「記述に予測って・・・」
「そもそも、彼女が生まれたのは、記述のとおりなら1756年です。そして、その写真が撮られたのは、1900年頃ということです」
「・・・・・・あ、そう」
まぁ、今さら吸血鬼の一人や二人出てきても驚かないけどさ。
まさか吸血鬼探しを手伝うことになるなんて、思いもよらなかったよ。
けど、他でもない桔梗の頼みだし。
どうやら天敵らしい東雲家のご当主、紫苑がいるこの街にわざわざやってきて、その紫苑と関わりの深い俺に頼んでまで捜そうとしてるんだから、そうとう切羽詰ってるってことなんだろう。
ここで断るのは非人情ってもんだ。「わかった。手伝うよ。毎日毎晩机に向かってて気が滅入ってたところだしな。今夜から手伝う」
「・・・ありがとう」
にこっと笑って頭を下げる桔梗。
やれやれ、紫苑にもこいつの十分の一くらい愛想があればいいものを。
栞の方は最近毒舌に磨きがかかってきて・・・。「惜しいな」
「はい?」
「桔梗がフリーだったら放っておかないな」
「ふふ、お世辞が上手くなったんじゃありませんか、祐一。そういう言葉は、他に言ってあげるべき方がいらっしゃるのでしょう」
「どうだろうな?」
この話は細かく追求すると危険な気がするんで、やめにしておこう。
とにかく、手がかりは写真だけだが、何とか捜してみましょう。
さてさて、栞です。
こうして会ったのも何かの縁ということで、私は公園でミリィさんと話しこんでいます。
どことなくお嬢様、というかお姫様とでも言えるような雰囲気漂うミリィさんですが、話しやすい人です。
考えてみれば、紫苑さんとか佐祐理さんとかもお嬢様なんですよね。
私の周りにはお嬢様らしいお嬢様がいません。「へぇ〜、栞は絵を描くのが好きなんだ」
「そうなんですよ。でもですね、お姉ちゃんも祐一さんも、なんだかんだと理由をつけてモデルになるのを嫌がるんですよ。まったく失礼しちゃいます! この間だって私の描いた絵を見て、マゼラン星雲か、とか聞いてくるし」
「くすくす」
「む、なんですか、その含みのある笑い方は」
なんか、すごく居心地が悪いんですけど、なんて膨れながら言ってみる。
私は真面目な話をしてるのに。「ううん。ただね、栞はそのお姉さんと、祐一さんっていう人がすごく好きなんだな、って思って」
「っ!!」
かぁ、と顔が赤くなる。
そんなに露骨に顔とか声に出てたんでしょうか?
初対面の相手にいきなりそこまで言われるなんて・・・。「わ、わかります?」
「ええ。だってさっきから、何かというと引き合いに出すんだもの。普通わかるよ?」
「う・・・そうでしたか・・・・・・」
どうやら、無意識のうちにやってしまっているようです。
別に恥ずかしいことじゃないんだけど、やっぱり恥ずかしい。「祐一さん、っていうのは、彼氏なの?」
「彼氏です!・・・・・・ってはっきり言えたらいいんですけどね」
「違うんだ」
「はっきりしてくれないんですよ、祐一さんの方が。結局のところ誰が好きなのか全然言わないし」
「つまり、ライバルがいるんだ」
むぅ、ミリィさんは鋭いです。
こっちがちょっと何かを言うだけで裏の裏まで読まれているみたいで。「しかも、そのライバルの子も、あなたは好きなんじゃない?」
「・・・・・・どうしてそこまでわかるんですかぁ・・・」
鋭すぎます。
ええ、ええ、そうですよ。
私は紫苑さんのことも嫌いになんてなれませんよーだ。「前はもっといっぱいライバルがいたんですけど、祐一さんの優柔不断さに飽き飽きして、他の男に走ったんですよ」
これは厳密には間違いだと思う。
名雪さんも、あゆさんも、綾香さんも、今でも祐一さんのことが好きだと思うから。
ただあの三人は、少しずつ気付いてしまった。
祐一さんが、決して彼女達には振り向かないことを。「・・・・・・」
いつか、私と紫苑さんのどちらかが、同じ思いをすることになるのかな。
罪な人です、祐一さんは。
いっそはっきりしてくれればいいのに。
ぽん、とミリィさんの手が私の頭に乗せられる。
撫でられると、子ども扱いされてるみたいですけど、でも気持ちいいです。「羨ましいな」
「? 何がですか?」
「わたしは、そういう悩みを持つことがなかったから」
「それって別に・・・・・・あ」
悩みがない。
ただそれだけならいいことだけれど、もしそこに、もう一つの意味が込められていたら。
つまり、悩む原因すらない、悪いことも、いいこともないということだったら。
それはきっと退屈で、寂しい日々だと思う。「ミリィさん・・・」
「ふふ、そんな顔しないで。わたしはね、そういう楽しいことがしたくて、こうして出てきたの」
「出てきた?」
「うん。籠の中の鳥でいるのは、もう飽きちゃったから」
やっぱり、そういうことなんだ。
家からずっと出られなかったのかもしれない、この人は。
それはある意味、病気でずっと外に出られなかった昔の私と似ている。
外には楽しいことが溢れているのに、そこへ行くことを許されない身・・・。「大丈夫です!」
「え?」
「一度外に出ちゃえば、楽しいことなんてすぐに見つけられます! もうこれでもかってくらい楽しくて、逆に愛しさ余って肉さ百倍になるくらいいいことありますから!」
思わず、拳を握り締めて叫んでしまう。
そんな私をぽかんとして見ていたミリィさんは、不意に視線を逸らす。「ミリィさん?」
「な、なんでもないっ、なんでも・・・・・・・・・! 栞、伏せて!」
「はい?」
反応するよりも早く、ミリィさんに頭を下げさせられる。
突然のことでムチ打ちになるかと思いました・・・。「な、なんなんですか?」
ヒュッ、と風切り音がして、何かが頭上を通過する。
「へ?」
な、何が?
顔を上げると、ミリィさんが真剣な、少し怒ったような表情をしていた。
その視線を追うと、時計の上に誰かが立っていました。「捜しましたよ、ミリアリア」
「・・・・・・」
時計の上の人がミリィさんに話しかける。
その手には、ボウガンらしきものがありました。
どうやら今さっき頭上を通過したのは、あれから放たれた矢だったみたいです。
・・・・・・って納得してる場合じゃありません!「あ、危ないじゃないですか!」
「そうね。わたしならともかく、彼女に当たったらどうするつもりだったの?」
ミリィさんが私を庇うようにして時計の上の人を睨みつける。
その視線を、冷ややかに受け流す時計の上の人。
というか、その人の格好は色々な意味で破天荒です。
牧師さんの法衣をアレンジしたような黒い服で、手にはボウガン。
しかも、ひょいなんて軽い調子で時計の上から降りてくる。「あなたと接触した時点で、彼女も排除すべき対象になる可能性がありますから」
「わたしはそんなことはしないわ」
「そうでしょうか? 先ほどのあなたは、渇きを感じているようでしたけど?」
「・・・・・・」
「あ、あの、何の話をしてるんですか?」
さっぱり状況がわかりません。
ただ一つだけわかるのは、黒服の人が、危険だということです。「まぁ、そんな些細なことはどうでもいいです。私は早々に任務を全うするだけですから」
そう言って新しい矢を装填したボウガンをこっちに向ける。
って、冗談じゃありませんよ、洒落になりません!「栞、逃げて」
「何言ってるんですか! 逃げるのはミリィさんもでしょう!」
一人だけ逃げろなんて冗談じゃありません。
何がなんだかさっぱりわかりませんけど、ここでミリィさんを置いていったら一生後悔します。「一般人を巻き込むつもりはありませんが、不慮の事故ならば仕方ありませんね」
「な!? ふざけないでっ」
「あなたが逃げ出したりしなければこんなことにはならなかったのですよ。責任は全てあなたにあります」
「勝手な言い分を!」
「問答無用です」
躊躇いもなく、黒服の人はボウガンの引き金を引く。
私の体を引き寄せて、ミリィさんは横に転がる。
さらに間髪いれず、次の矢が飛んできます。
これじゃ切りがない。「滅びなさい、異端の者よ」
「待ってくださいっ! これは、紫苑さんも知ってることなんですか!?」
ピクッ、と黒服の人の眉が僅かに動いて、ボウガンを放とうとしていた手が止まる。
咄嗟に出た言葉でしたけど、効果ありです。「紫苑・・・・・・東雲紫苑を、あなたは知っているのですか?」
「ええ、友達ですよ。今、異端がどうとか言ってましたけど、この辺りでその手の話は紫苑さんの管轄なんですよね。紫苑さんは、このことを知ってるんですか?」
「・・・・・・」
襲撃者は黙ってしまいました。
詳しい話は知りませんけど、今までの事件で断片的に知り得た情報をもとに私なりに思ったことを口にしていましたが、効果はあったようですね。
これで退いてくれるかどうかは、賭けですけど。「栞・・・」
「しっ、ここは私に任せてください」
何とか口八丁で追い返して、その上で紫苑さんのところに改めて駆け込めば、きっと何とかなるはずです。
「・・・ちっ、いいでしょう。ミリアリア、今夜のところは見逃してあげます。けれど、このままで済むと思わないことですよ」
そう言って、黒服の人は出てきた時同様、音も立てずに去っていく。
どうやら、助かったみたいですね・・・。「ふぅ・・・・・・」
「だ、大丈夫、栞?」
「冷や汗掻きました。あれで退いてくれなかったらどうしようかと・・・」
「え? じゃあ、さっきのは・・・」
「いえ、言ったことは全部本当です。紫苑さんとは友達ですよ」
「東雲紫苑・・・・・・名前だけは聞いたことあるけど・・・」
「やっぱり、ミリィさんもそっち方面の人なんですか」
「・・・・・・うん」
「あ、気にしないでください。私の周り、結構そういう人いますから」
あゆさんとか舞さんとか。
それに桔梗さん達ともそれなりに知り合いですからね。「ともかく、さっきの人がまた来る前に移動しちゃいましょう。紫苑さんのところに行けば、きっと力になってくれるはずですから」