我が名はアベル。
通り名はウィザードという。生まれは欧州中央部に位置する山奥の山村だ。
地図にも記されていない、名もなき小さな村で、今は存在すらしていない。
何故ならば、滅ぼされたからだ。
神の代行者などと驕りたかぶり、異端狩りと称して罪なき者を虐殺する殺人狂どもの手によってな。私はそこでの唯一の生き残りだ。
望むことは唯一つ、二度と同じ悲劇が繰り返されないことだ。
そのためには、あの殺人狂どもを排除しなければならないが、あの御方はそうした考え方は奴らと同類であると仰られた。
己の言を奇麗事と自ら認めつつ、あの御方は二度と我々魔に属する者達が悲しむことのない世の中のあり方を模索しておられる。
私は、あの御方の盾にも剣にもなろう。今、あの殺人狂どもがあの御方を害そうとしている。
奴らに一人たりとも、同胞の命を散らさせはしない。
紫苑―SHION―
~Kanon the next story~
最終章 無限螺旋 その三
朝の四時。
夜明けまであと一時間ほどという時間に、あたしは起き出して外にいる。
ふと感じた予感の通り、訪問者があった。「紫苑さん」
栞、ともう一人。
誰かは知らないけれど、大体予想はつく。
むしろどうしてそこに栞が一緒なのか、の方が疑問に感じられる。「・・・とりあえず、入りなさい」
「お邪魔します」
家に上げて、二人を居間に通す。
今日は休日だから、朱鷺は昼近くまで起きてこないだろうし、綾香もこの時間じゃまだ起きていない。
台所に入る直前で立ち止まって少し考える。「・・・・・・日本茶と紅茶とコーヒー、どれがいい?」
「私は紅茶でお願いします」
「わたしも、それでお願いします」
やかんを火にかけて、紅茶のカップを三つ並べる。
十分後には、全員居間で一息ついていた。「・・・大体察してるつもりだけど、事情を聞かせてもらえるかしら?」
「どうもこうもありません!」
一落ち着きしたせいか、栞にいつもの調子が戻っている。
来た時は少ししおれ気味だったけれど。多分に私情の絡んだ栞の説明から大事な部分だけを聞き出す。
要するに彼女、ミリアリアという彼女が誰かに追われている、という一文で表せることを栞は三十分もかけて語ってくれた。
昨夜の話と照らし合わせると、追っている側は教会で、彼らがわざわざ日本まで出向いた理由が彼女ということね。
見たところ普通の人間じゃないみたいだけど、栞はそこまでわかってないか。
もっとも知ったところで、栞が一度決めたことを曲げる性格とは思えない。
なら・・・。「というわけで、かくまってください」
「断るわ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい?」
テーブルの上に身を乗り出した栞は、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で固まる。
あたしの答えは予想外だったかしら。「あの、紫苑さん、今、なんて?」
「断る、と言ったわ」
またしばらく固まってから、栞は両手をバンとテーブルに叩きつけて、痛みのあまり伸び上がる。
ほんとに、最近の栞はオーバーアクションで見ていて飽きない。「どういうことですかっ!?」
「どうもこうもないわ。あたしには関わりのないことだから、手は貸さない」
「って、こういうのは紫苑さんの仕事じゃないんですか!?」
「確かにそうだけど、それには管轄というものがあるわ。国外の問題は東雲の管轄外よ」
「けどっ、その、あの・・・・・・そう! 亡命者を受け入れるっていう話があるじゃないですか!」
なるほど、言い得て妙ね。
けれど、事は国の外交じゃない。
教会側が手を出すなと言ってきたことに正面から関わるわけにはいかない。「とにかく、彼女をかくまうつもりはないわ。忘れないで栞、あたしは、彼女を追っている側の人間と同じ側なのよ」
「う・・・」
「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず、って言うし、今日だけは休んでいきなさい。ただし明日になる前に出て行くこと」
「み・・・見損ないましたっ、紫苑さん! そんなに冷たい人だとは知りませんでしたよ!」
「知らなかった? あたしは元々こういう人間よ」
「~~~~~!!!」
「あの・・・」
ここではじめて、ずっと黙っていたミリアリアが口を挟む。
「栞、わたしは構わないわ。紫苑さん、夜には出て行きますから、それまで・・・」
「・・・あたしの部屋を貸すから、そこで休んでいきなさい」
「ありがとうございます」
「う~~~~~!!!」
まだ納得がいかないのか、栞は拳を震わせて唸っている。
「・・・栞も、昨夜は寝てないみたいだから、あたしの部屋を好きに使いなさい」
「~~~・・・・・・電話をお借りします!!」
「どうぞ」
十分ほどして。
「あの・・・姉さん? その、上で、凄い顔した栞さんとすれ違ったんですけど・・・」
知ってるわ。
怒鳴りつけるような栞の挨拶が聞こえたから。「何かあったんですか?」
よほど栞の剣幕が恐ろしかったのか、綾香は涙目になっている。
「あたし達には、関係のないことよ」
「・・・嘘です。最近、姉さんの嘘はわかるようになってきました」
「・・・・・・じゃあ、言っておくわ。しばらく栞とは距離を置いた方がいい」
「どっ、どうして!?」
「もし、栞と一緒に行動するつもりなら、相応の覚悟が必要よ」
「・・・どういう、ことなんですか?」
話すべきか、少し迷う。
けど、この間の鬼部の一件以降、姉妹の間で隠し事は極力無くそうということにしたから、話す。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「・・・・・・それで、姉さんは何を考えているんですか?」
話を聞き終わった綾香は、いつになく真剣な表情で問い返してくる。
「今言ったとおりよ」
「けど、姉さんは栞さんを見捨てるようなことはしません。だったら・・・」
「なーにをしようとしてるのかしらね、紫苑は」
「朱鷺、珍しいわね。日曜のこんな時間に」
まだ七時前だというのに。
「栞ちゃんの大声、私の部屋までしっかり聞こえてたわよ。ふわぁ~~~」
大きなあくびを一つして、朱鷺が向かいのソファに腰掛ける。
それを見て綾香が台所に走り、三人分のお茶を淹れて戻ってくる。
さっきは紅茶を淹れたけど、うちの朝は基本的に日本茶。「んで、あんたは何をする気なの? まさか本当に黙って見てるつもりなんてないんでしょう」
「姉さん・・・」
「・・・・・・あたしに言えるのは、二人には、あたしのことを信じていてほしいということだけよ、姉さん、綾香」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
押し黙る二人。
あたしが茶碗を傾ける間も、あたしから目を離さない。
どんなに問われても、今のあたしはこれ以上を話すつもりはない。「・・・わかったわ」
「朱鷺姉さん!」
「どうせ無茶するなって言ったって無茶するんだから、紫苑は。だったら思いっきり無茶してきなさい! ただし、一つ約束」
「・・・・・・」
「絶対にいなくなったりしないこと。あんたがいなくなったら悲しむ人がたくさんいるって、忘れないでね」
「わかってるわ」
誰も失わず、平穏に事を収める。
難しいけれど、最終的にそうすることが、東雲の当主たるあたしの役目。
そのためには、今私情に流されて栞達をかくまうわけにはいかない。「よっし!」
パン、と朱鷺が手を叩く。
こういう時は、あまりいいことを期待しない方がいい。
現に綾香は、その瞬間に萎縮している。「湿っぽくなったし、今朝は私がご飯作ろう!」
「や、やめてください朱鷺姉さんっ。朝から姉さんの料理は・・・」
「大丈夫よ! 普通の朝食だから」
「ね、姉さんのあれは苦手なんですってば・・・! 朝は私が作るから、ご飯とお味噌汁にしよう?」
「そんなしみったれた食事じゃかえって気が滅入るわ!」
「しみ・・・って、日本の朝食を馬鹿にしちゃいけません!」
「甘いわ! そんなだから日本人はパワーが足りないのよ!」
「パワーだけが人間の全部じゃないでしょう!」
こっちへ来てから、綾香も朱鷺と言い合いができるようになった。
お陰で、東雲家は日に日に賑やかになっていくようだ。
鳥の声を聞きながらの静かな朝もいいけれど、こういうのも悪くない。人は人の中で生きるもの、か。
でもそれなら、人ならざる者は、どこで生きればいいのか・・・・・・。
「ふぃ~・・・疲れたぞ」
一晩中歩き回って、収穫ゼロか。
今は朝の五時。桔梗と一緒に二十四時間営業のファミレスに入っている。
ここで仲間と合流だそうだ。「ごめんなさい、引っ張りまわしてしまって」
「いや、それは構わん。自分で決めたことだからな。それより・・・」
俺は同じだけ動き回ってたおまえが少しも疲れてないように見えることの方が気になるよ。
そう言おうと思ったが、こいつに笑いかけられるとそういう気も失せる。
ほんとに、無愛想紫苑とは正反対に笑顔の眩しい奴だ。「しかし、徹夜で街を走り回るのはさすがに疲れるな」
「そうですね」
なんて、少しも疲れてなさそうな顔で俺に同意されてもなぁ。
「本当にこの街にいるのか、捜してる奴は」
「それは間違いないはずですけど」
「まぁ、この街もこうして歩き回ると広いからな」
しかも探しているのは生きて動いている存在だ。
こちらが動き回っているのと同じように、向こうも動き回っているはずだ。
何しろ聞いた話によると、追われてるっていうからな。「あ、アベル・・・と、あら」
「ん?」
何やらあまり俺的には好ましくない奴が来たみたいだが、その隣にいるのは・・・。
「舞?」
「祐一、どうしてここにいるの?」
「いや、それはこっちの台詞だろう」
「アベル、どうして彼女と?」
「実は・・・」
あちらさんも、直接捜してる対象を見つけることはできなかった模様。
だがその代わり、追っている側とは接触できたらしい。
というか、ぶっちゃけ襲われた、と。
そこに偶然なのか、舞が居合わせた、ということらしい。「簡潔でわかりやすい説明、ありがとさん。で、どうして舞はここまでついてきたんだ?」
「・・・あのまま帰ると、佐祐理に迷惑がかかる」
「なるほど」
これもわかりやすい。
面倒ごとに巻き込まれるのは自分ひとりでいいってことか。
実にこいつらしいな。「不本意だけど、問題が解決するまでこの男を手伝うことにした」
そこはかとなく、というか露骨に、舞からはこいつ、アベルに対する敵意が滲み出ている。
まぁ、初対面の印象が悪いからな、この二人は。
もちろんそれは俺も同じ事で、桔梗つながりでもこいつとはあまり仲良くできそうにない。「それで、祐一はどうして・・・」
「あー! 祐一君だ!」
「・・・・・・」
うーむ・・・なんとなくそうなりそうな気はしていたが、一応セオリーどおりこれは聞いておかねばなるまい。
「あゆ、何故おまえがここにいる?」
これも話は同じようなものだった。
こちらの場合は早朝、秋子さんにはゴミ捨てを頼まれたあゆは、偶然鬼部と出くわし、そこでこれまた敵に襲われた、と。「ついてくるな、つったんだが、うまく言いくるめられた」
「あゆに言いくるめられるとは、おまえも難儀だな」
というか、レベルが低いぞ。
「うるせぇ。おまえは、まさかあの女絡みでここにいるんじゃないだろうな」
「今回は紫苑は関係ないよ。このことは話してない。一応、おまえらは紫苑とは敵同士になるんだろうが」
「一応じゃなくて完璧に、だ。絶対に相容れない仇敵なんだよ」
相変わらず、鬼部は紫苑が嫌いらしい。
だが、前に比べると憎悪というほどの感情は読み取れない。
少しは恨みも薄れたということだろうか。「全員揃いましたね。どうしてだか、人数が倍になっていますけど、私達からすれば好都合ですね」
「だろうな。人手が欲しかったんだろ」
「はい。ほんとは巻き込みたくありませんけど、こうなってはあゆさんも舞さんも無関係ではありませんからね。私達に、協力してもらえますか?」
桔梗が二人の方を見る。
あゆは少しも迷うことなく頷いた。
舞の方も、もう決めたことだ、と言って承諾した。
これにて、まだ正体もよくわからない相手の捜索隊が結成されたわけだ。「では、とりあえず・・・」
「とりあえず?」
全員の視線が桔梗に集中する。
まずは作戦会議か。「朝食にしましょう♪」
満面の笑顔で桔梗はそう宣言した。
まぁ、いいけどさ。
そういえば一つ思ったんだが・・・。
「おい、あゆ」
「ん? 何、祐一君?」
「おまえ、夜平気なのかよ?」
「うぐっ!!」
こいつは怖がりだ。
しかし捜し人は夜でなければ出歩かないという。
つまり捜す側も夜しか行動する意味がないわけだが。「だ、大丈夫だよよよ。エエエ、エン君が守ってくれれれるからら」
思い切りどもっている。
「ね! エン君!」
「お、おう!」
おお、すっかりナイトになってる。
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