たとえば・・・。
カードには表と裏がある。
仮に表裏がまったく同じ絵柄だったとしても、やはりどちらかを表と呼ぶなら、もう片方は裏となる。
これは必然。世の全てには対なるものが存在する。
現世はカードのような二面体の世界ではないから、対なるものは一つとは限らないけれど、まったく対のない存在は、仮にあったとしても認知されないだろう。
何故なら、認知された時点で、既に対が存在しているということなのだから。そう、自己以外の全ては対と呼べる存在である。
ただその中でも、絶対的な対なるものも存在している。
たとえば、光と闇のように・・・。
紫苑―SHION―
~Kanon the next story~
第五十一章 光と闇の邂逅
紫苑と鬼部の戦いから十日が経った。
あんなに非常識な世界を垣間見たというのに、俺の周りの日常は普通に過ぎていくんだから、不思議なものだ。
まぁ、現実逃避しても仕方がないから、何も起こらない間は素直に勉強に勤しんでいた。
で、今日は鬼部のやつが退院するとかで、あゆが喜んでいた。「で、どうして俺まで付き合う必要がある?」
「あははー、いいじゃないですか。一応現場に立ち会った者ということで」
退院に際して、あゆの他に俺、栞、舞、佐祐理さんが病院までやってきた。
はっきり言って、俺には鬼部との間に深いつながりが一切ない。
あの場に立ち会ったのだって、たまたまというのが強い。
偶然最初の遭遇時に居合わせなければ、たぶん紫苑は俺達とは関わりを持たず、勝手に片をつけていたはずだ。「紫苑さんは、やっぱり来てませんね」
「そりゃあまぁ、自分が殺そうとした相手の見舞いに来る奴もいないだろう」
栞と俺からすれば他愛ない会話のつもりなのだが、あゆにとってはそうではないらしい。
殺すの殺さないのの話題になると不快な顔をする。
紫苑の名前に対しても過敏に反応している。あれ以来、あゆは紫苑を避けている。
というか、紫苑の方もあまり俺達の周りにやってこない。
最近では暇さえあれば水瀬家にも来ていたんだが。「あ! 炎君!」
病院の前に鬼部の姿を見つけたあゆが声を上げながら駆け寄っていく。
「よぅ・・・・・」
あゆの声に応える鬼部だったが、俺達の姿を見止めると、少し顔をしかめた。
どうやら俺達は、紫苑側の人間として見られているらしい。
間違ってはいないが・・・。よく見ると、鬼部の他にすみれさんと、東雲の親族だという医者―確か葉月―がいた。
「・・・本当にこのまま放逐していいのですね」
葉月医師は少し不満げにすみれさんに問い掛ける。
「さあ、私に訊かれても知りません」
「・・・・・問題があっても、私に累が及ばないようにしてくださいよ。私はただ医者としてすることをしただけですので」
厄介事に巻き込むな、という思いが伝わってくる言い回しだった。
病院にあゆと鬼部を運び込んだ時も、嫌そうな顔をしていたくせにすみれさんの頼みを断れずにいた。
苦手なのか。というか弱みでも握られてるとか。そっちの方がありそうだな。「では私はこれで。あとはそっちで勝手にやっていただきたい」
「あの、葉月先生」
「何かな? 月宮さん」
「ありがとうございました」
ぺこりとあゆは葉月医師に頭を下げる。
前にあゆが入院していた時もこの人が主治医だったらしいからな。
よくよく縁がある。
・・・或いは必然なのかもしれないと、今の俺ならわかるが。「さっきも言ったでしょう。私は医者の務めを果たしただけです。では、お大事に」
最後の“お大事に”は多分に社交辞令っぽかった。
葉月医師が去ると、今度はすみれさんが鬼部に話し掛ける。
「あなたも運がいい方ですよね。東雲を相手に二度も事を起こして無事だったのはたぶんあなたくらいですよ」
口調はいつも通り明るいのだが、内容はかなり物騒だ。
顔は笑っているが、目が笑っていない。
鬼部はすみれさんの方を一瞥しただけで俺達には声もかけずに歩き出す。
少し迷ってからあゆがそれに並びかける。「なんですか、あの態度は」
栞は不機嫌そうに言う。
「あははー、それではお二人の快復を祝して、一緒にお食事でもしましょう」
佐祐理さんは二人のあとを追っていってそんな提案をしている。
この人はどこまでも場を明るくする人だ。というわけで、佐祐理さんのペースのまますみれさんまでも含めて全員で食事をするということに決定し、俺達は商店街へ向かった。
「あ・・・・・」
何という、間の悪い、というか何と言うか・・・。
商店街へやってきた俺達は見事なくらいばったりと東雲姉妹と遭遇した。
奇しくもそこは最初に紫苑と鬼部が遭遇した場所でもあった。
あの時の戦いの痕跡がところどころに見られる。「・・・・・」
「・・・・・」
微妙な距離を取って紫苑と鬼部は向き合っている。
二人の間にはピリピリした緊張感が漂い、傍らではあゆや綾香がはらはらした面持ちをしていた。
出来れば何事もなくあってほしいとは俺も思うが、この二人の関係を見てきた限り、それは難しそうだ。「・・・・・紫苑・・・!」
案の定、鬼部の声にはもう殺気がこもっている。
紫苑は平然とそれを受け止めていたが、すぐに背中を見せて歩き去ろうとする。「待て! 紫苑、逃げるかっ!」
「・・・今日はやり合う気はないわ」
「そ、そうですよ! これから私達はご飯を食べに行くんですっ」
「そうそう、姉妹水入らずの先約が入ってるのよん。そっちの用事はまた今度ね」
「引っ込んでろ!」
鬼部の剣幕に綾香は涙目で朱鷺先輩の後ろに隠れ、その先輩は肩を竦めてみせる。
そして当の紫苑は背中を向けたままだ。「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・拾った命なら、大事にしなさい」
「なん・・だと・・・・・貴様にそんなことを言われる筋合いはない!」
「そうね。けど、二度目はない」
紫苑が肩越しに顔だけを振り向かせる。
この間の戦いの時に比べたら穏やかな表情だが、目は充分に相手を威圧するだけの光を宿していた。「次は本当に、殺すわ。それでいいのなら、来なさい」
少し違和感を感じた。
今紫苑が言った言葉は、たぶん本気だろう。
けれど、今までの紫苑だったら、朱鷺先輩や綾香の前でああした本性を見せることはほとんどなかった。
なのに今は自然にそうしているし、何よりそれに対する二人の反応も違った印象を受ける。
なんとなく、姉妹間の信頼度が上がっている感じだった。いつだってそうだが、紫苑には迷いらしきものが存在しない。
だから、見ていた誰もあいつに勝てるとは思えなかった。しかし、鬼部はあくまでそんな奴と戦うつもりでいる。
「・・・次は殺すだと? それはこっちの台詞だ!」
「炎君、だめ!」
「退いてろっ、あゆ! 俺は復讐を果たす。そうしなければ先へは進めないんだ!」
あゆの制止を振り切り、鬼部は歩を進める。
鋭い眼光に気圧されて、あゆもそれ以上何も言えずその場に立ち竦む。「・・・・・」
あくまで戦う気の鬼部に対し、紫苑も振り向いて正面から向き合う。
軽く手を挙げて先輩と綾香に下がるよう伝える。だが、鬼部と向き合ったのかと思われた紫苑の視線は、まったく違う方向へ向けられている。
「・・・そんなところに隠れていないで出てきたらどう」
紫苑の視線の先、路地の方から誰かが出てくる。
『あ!』
複数の人間の声が重なった。
その中には俺のものも含まれている。現れた男は俺、栞、舞、佐祐理さん、すみれさん、それに紫苑にとっても関わりのある男。
あの、ウィザードと名乗った黒ローブの青年だった。「別段隠れていたつもりはなかったのだがな。それに、用があるのは東雲紫苑、貴様ではない」
「・・・・・」
全員の視線を受けながら、男は鬼部の許へと歩み寄る。
「・・・アベル・・・」
「鬼部、勝手な行動は慎めと散々言っておいたはずだがな」
「おまえに指図される謂れはない。俺が紫苑を倒せば、おまえにとっても得なんじゃないのか」
「そうだな。だから目をつぶってきたが、これ以上は許さん」
「何?」
「今のおまえでは東雲紫苑に勝てん。無駄な戦いでおまえを失うわけにはいかんのでな」
「勝てようが勝てまいが構うものかっ。刺し違えてでも俺はあいつを殺す!」
鬼部はアベルと呼んだ男を追い払うように手を振り、そこに“炎の剣”を生み出す。
それをもって紫苑にかかろうとするが、その手をアベルに掴まれる。「邪魔をするなと言っている!」
掴まれた手から炎を生み出してアベルに向けるが、見えない障壁がそれを阻んだ。
俺達には理解出来ない何かの力が作用しているらしい。「いい加減にしろ。おまえの力では奴と刺し違えることとて出来ん。ここは退け」
「くどい! 貴様の指図など受けんと言ったはずだ!」
「なら、私の“お願い”なら聞いてくれますか? 炎」
『!』
また複数の人間の息を呑む音が重なる。
当然その中には俺のものも含まれていた。新たな声は、ウィザードアベルが現れた時よりもずっと意外で驚くべき人物のものだった。
「桔梗・・・?」
「ふふ、お久しぶりです、祐一」
桔梗は俺に向かって笑いかけると、鬼部の許へと歩み寄った。
顔をしかめているアベルの脇を通り、鬼部の前に立つ。「ね、炎。私のお願い、聞いてくれますか?」
「けど・・・桔梗・・・」
さっきまでの勢いはどこへやら、鬼部は親に叱られる子供のようにバツの悪そうな顔をしている。
年齢的には、姉と弟か。「桔梗! 俺は、あいつを・・・!」
叫びかける鬼部の顔を、桔梗が両手で包み込むして頬に手を当てる。
「だめですよ、炎。もっと自分をよく知らなくては。あなたではあの人に勝てないでしょう。私は、あなたを失いたくはないんです」
静かな声で、宥めるように話す桔梗。
全身まさに炎のようだった鬼部の殺気がどんどん衰えていく。
本当に姉が駄々をこねる弟を宥めている感じだった。「・・・・・わかったよ・・・」
「わかってくれました?」
「ああ・・・、今は、退いてやるよ・・・」
「あはっ、ほらアベル、だから言ったでしょう。私のお願いなら炎は聞いてくれるって」
鬼部を宥めていた聖母のような微笑とは打って変わって、子供のような無邪気な笑顔を見せる。
そういえばああいう奴だったな、桔梗は。
ついこの間別れたばかりだた、久しぶりに会ったような気がする。「でもほんと、こんなにすぐに聞き分けてくれるとは思いませんでした。炎、少し見ない間に丸くなったんじゃありません?」
「・・・知らねえよ。帰るんならとっとと帰るぞ。戦わないのにあの女と顔を合わせてなんていられるかよっ」
はき捨てるように言って、紫苑から顔を背けるようにして踵を返す。
振り返った途端、鬼部とあゆの目が合った。「「あ・・・」」
何故かあゆはどこか複雑な顔をし、鬼部は少し顔を赤くして顔を背ける。
「・・・ふぅん、そういうことですか」
「おいこら桔梗、何勝手に変なこと考えてんだよっ」
「別に何も。あゆさん、私と炎はお姉さんと弟みたいなものですから、心配しなくてもいいですよ」
「え!? いやっ、ボクは、別に、あのその・・・!」
「だからっ、何を勝手に・・・!」
「気にしちゃだめですよ。私にはアベルがいますから」
「「だから!」」
真っ赤になって抗議するあゆと鬼部を無視して勝手にまくし立てる桔梗。
あれほど殺気立っていた空気をあっという間に和ませてしまった。
大した奴だと思う。
たぶんこれは他の誰にも出来なかったろう。
本当に、暗く沈んでいたこの場所に光を運んできたみたいだ。「・・・桔梗様、くだらない話はそれくらいにして、もう帰りますよ」
「まぁ、くだらないとは何ですかっ。さりげない告白でしたのに・・・」
よく見れば桔梗の顔も若干赤い。
前にちらっと話してた桔梗の想い人って、あの男のことだったのか。「そんな話はあとでいいと言っているのです。とにかく早く帰りますよ」
アベルはやたらと桔梗を急かしていた。
だが、桔梗はまったく帰ろうという素振りを見せない。「駄目ですよ、アベル。せっかくここまで来たんですから」
「しかし・・・」
「今更心配しても遅いですよー」
くるっと桔梗は後ろに振り返る。
そうすると、目の前には紫苑がいた。「はじめまして、東雲紫苑さん。桔梗と申します」
「・・・・・」
桔梗と紫苑。
この二人の邂逅がどういう意味を持っているのか、この時の俺はまったく知る由もなかった。
ただ、アベルとすみれさんの二人があまり面白くなさそうな表情をしているのがやけに気にはなった。