「・・・ん・・・」
「よっ、目が覚めたか、あゆ」
「ゆう・・いち・・・くん?」
あゆがベッドから身を起こす。
まだ自分の状態がよくわかっていないのか、ぼーっと辺りを見回している。「ここ・・は?」
「病院だぞ。おまえにとっては懐かしいかもな」
「あ・・・ボクがいた病室・・・」
「たまたま同じ部屋が空いてたそうだ」
「・・・・・・・・・・・・・っ! そうだ! 炎君は!?」
紫苑―SHION―
~Kanon the next story~
第五十章 心の抱くもの
すみれです。
「・・・・・」
今、目の前には鬼部炎が眠っている。
本当ならもう、死んでいたはずの男が、静かに寝息を立てていた。
他には誰もいない。「・・・・・鬼」
誰もいないことはもちろん、鏡がないことも幸いだった。
自分が今どんな目でこの男を見下ろしているのか知らずに済むから。この男が紫苑様を父親の仇と言うのなら、私にとってこの男は、両親の仇の息子ということになる。
それは特に思うところもないけれど、やはり十二年前、こいつを取り逃がしたのは私達“影”の落ち度だ。
あの時殺せていれば、今になって紫苑様の心を煩わすこともなかったのに。「・・・いっそ、今からでも殺してあげましょうか? この私が」
「・・・・・ぐ・・・」
「お目覚めですか」
「ここは・・・?」
「病院ですよ。もちろん、東雲の管轄下にある、ね」
「・・・・・」
私の顔を見てか、それとも東雲の名前に反応してか、鬼部炎は押し黙る。
誰かを捜すように病室内を見回している。「紫苑様ならいませんよ。当然ですね。自分を殺そうとした、さらには自分が殺そうとした相手の見舞いになど、来たりはしないでしょう」
「・・・・・」
「どうしました? 自分が生きているのが不思議ですか」
「・・・何故だ? 何故情けなどかけた・・・?」
睨みつけてくる。
よほど悔しいようですね。
まぁ、まったく歯が立たず、しかも殺されもせず、さらには憎むべき相手の庇護下にあるのだから。「勘違いをなさらないでください」
「何?」
「紫苑様も東雲も、あなたに情けをかけるような真似はしません。あなたを助けたのは、別の人ですよ」
「どういうことだ?」
「そんなことは後でご本人に確認なさればいいですよ」
「・・・・・」
「それより、今後また紫苑様のお命を狙うつもりですか?」
「当たり前だ。生き延びたからには・・・、俺の命がある限り東雲紫苑への恨みが消えることはない!」
「そうですか」
チャキッ
「・・・俺を殺すか」
私は銃口を鬼部炎のこめかみに突きつける。
そう、これが私の仕事。不穏分子は、消す。「今のあなたなら、私でも容易に殺せますから」
「チッ・・・」
紫苑様との戦いで受けたダメージ、それに自分の限界を超えた鬼の力を使ったことによる反動で、今は体を動かすのも辛いはず。本来の力の十分の一も出せない状態ですからね。
「先ほども言ったように、ここは東雲の管轄下です。人が一人や二人死んだとて、何の問題もありません」
「・・・・・」
「・・・私に対しては何も感じないみたいですね」
「なんだと?」
「憎しみの対象は、紫苑様だけですか?」
「何が言いたい」
「なら、いいことを教えてあげましょう。私は十二年前、一度あなたに会っているんですよ」
「?」
「力強い目をしていましたね。あなたを川に突き落とした女性は」
「・・・っ!!」
「あの方も今のあなた同様、抵抗することなく自分の死を受け入れていました。死に顔も、安らかでしたよ」
「・・・貴様・・・!」
「今あなたを撃ったら、同じような死に顔が見れるでしょうか」
「・・・・・くっ・・・!」
「もう一ついいことを教えてあげます。私の両親はね、あなたの父親に殺されたんですよ」
「な・・・に?」
「私だけじゃない。私の知り合いの多くが、あなたの父親に、あの忌まわしい鬼に知人友人親族を殺されていた」
「・・・・・」
「自分だけが被害者だと思ってた? まぁ、私にとっては誰が死んだって関係ないんだけど、これだけは言っておくわ。紫苑は誰よりも、人の痛みをわかることの出来る子よ。それを冷酷と罵ることは許さない。それは東雲の当主としてのあるべき姿であり、別に誰がそう思おうが、だからどうした、ってところだけど。でも、私の心は許さない」
「・・・・・」
「・・・・・」
静寂。
どちらも言葉を発しない。・・・・・・・・・・・・・・
それが破られたのは、物凄い勢いで扉を開いて入ってきた人の声だった。
「炎君っ!!」
私は素早く銃を仕舞って振り返る。
「あら、あゆさん。丁度今目が覚めたところですよ」
メイドぱわー全開。
人前で決して己の醜態を晒さぬこと。
例外はありますが。「それでは、私はこれで失礼いたします。後はごゆっくり。・・・そうそう鬼部様。命の恩人なのですから、あゆさんに感謝しなくてはいけませんよ」
とびっきりの笑顔を、皮肉たっぷりに鬼部炎に向けて病室を後にする。
あゆだよ。
すみれさん、出てっちゃった。
これって、今病室にはボクと炎君の二人だけってことだよね。
うぐぅ、なんか緊張するよ・・・。「えっと・・・炎君?」
「・・・なんだよ?」
うぐぅ、なんか不機嫌だよ。
「その・・・怪我、大丈夫?」
「・・・傷の痛みなんか、当の昔に忘れたよ。なんで助けた?」
「え? その・・・迷惑だった・・・?」
「あのままあの女が俺のことを殺していたら、たとえばおまえはあの女のことをどう思ったんだ?」
「それは・・・・・」
そんなこと聞かれたって、わかんないよ。
紫苑さんは友達だし、炎君とも、友達だと思ってるし。
・・・でも、あの時の紫苑さんは、正直怖かった。
自分でもよく逃げ出さなかったと思う。「・・・・・」
「・・・・・すまん」
「・・・え?」
「おまえに当たっても仕方ないんだよな。悪い、苛々してるんだ。不甲斐無い自分にな・・・」
「炎君・・・」
炎君、さっきからこっち見ない。
ボクから顔を背けてる。「・・・あの・・・えっと・・・、ボク馬鹿だからうまく言えないけど・・・炎君が紫苑さんを憎む気持ち、少しはわかると思うけど・・・・・、でもやっぱり、人を憎むだけで生きていくのって、悲しいよ・・・」
「・・・・・あいつと同じこと言いやがる」
「え?」
「なんでもねぇよ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「こんなところにいたんですか」
栞です。
あの日から会ってなかった紫苑さんを、ようやく見付けました。
家にも帰ってなかったみたいで、どこに行ったのかと思いきや、私にとっては馴染み深いあの公園で発見しました。「・・・・・」
相変わらず、ぱっと見では何を考えているのかさっぱりわからない無表情な顔をして草の上に座っています。
「隣り、いいですか?」
「・・・・・」
いいとも悪いとも言いませんけど、返事をもらわないうちから座ってしまう。
別に文句を言うわけでもない。「・・・・・」
「・・・・・」
互いに何も話さずに、十分くらいが過ぎました。
「・・・何か用?」
珍しく、先に問い掛けてきたのは紫苑さんの方でした。
「用と言うほどのこともありませんけど・・・」
そう、別に紫苑さんじゃなくてもよかった。
だけど、他に話せる人がいるわけでもないし。
特に祐一さんとお姉ちゃんには変な心配かけたくない。「ちょっと、自己嫌悪に陥ってるだけですから・・・」
「?」
「この間、紫苑さんとあゆさんとで、一人の命と大勢の命がどうって言い合いしてたじゃないですか」
「・・・・・」
「すごく、重い話でしたよね・・・」
「・・・そうでもないわ。結局は東雲の、あたしの身勝手。どんなに理由をつけても、人が人を殺めることの言い訳にはならないわ」
「でも、私なんてもっとひどいです。あの時私がどんなことを思ったと思いますか? 命がけで鬼部さんを庇ったあゆさんを見て、あゆさんあの人のこと好きなのかなぁ、なんて思いました」
「・・・・・」
「一瞬でしたけど、確かにそう思ったんです。最近、名雪さんは斎藤さんと仲いいみたいだし、綾香さんは鮫島さんと満更でもなさそうだし、これであゆさんもいなくなれば、残るライバルは紫苑さん一人でしょう」
「・・・・・」
はぁ、言っててますます惨めになる。
命のやり取りに関わることが目の前で起こっていたのに、端で見ていた自分はこんなくだらないことを考えていたなんて。「・・・最低ですね」
「栞、あたしはあなたが思っているほど綺麗な人間じゃないわ」
「・・・?」
「あたしは鬼を斬るためなら、あゆもろとも斬ることさえしたかもしれない。だけど・・・、もしあの時あたしの邪魔をしたのが祐一だったら・・・・・斬れると断言出来ない」
「・・・・・」
「東雲の作る秩序を守るなんて偉そうなことを言っても、相手が祐一だったら、ひっくり返るかもしれない」
「紫苑さん・・・」
「・・・結局、人は個人の思いが最優先されるのよ。あゆとのことだって、人の命云々の話をしたと言っても、お互い思っていたのは、東雲の秩序か、炎の命かを守るというだけのこと。それは、自分にとっての優先事項だったということよ」
「自分にとっての・・・」
「人のために、ってよく言うけど、それだって、誰かのために何かをしたいと思っている自分のため、なのよ」
「そういうのって、偽善みたいですね」
「嘘もホントもないわ。全ての思い、真実は自分の中にしかない。世界は自分が中心よ」
「・・・・・」
わかったような、よくわからないような。
言っている紫苑さんも実はよくわかっていないのかもしれない。それから後は何も話さず、しばらくしてから別れた。
でも、話すことで少しだけ気が楽になりました。これも自分勝手ですね。
もっとも、さっきの紫苑さんの話からすると、それでいいということになりますけど。いいか悪いか、正しいか間違っているか、最終的に決めるのは自分自身、ということですね。
ですけど、その結果生まれてしまった対立は、どうすればいいんでしょう?
朱鷺よん。
どうにも家が広く感じるのよねぇ。
夏の間もそうだったけど、普段は存在感ないくせに、いないと物足りないわ。
本当に、あの子を空気って表現するのはぴったりね。「なんだか綾香も元気ないし。しかも休日だっていうのにいないし」
あれから一週間。
あの日以来紫苑は家に戻ってきていない。
あゆちゃんと炎っていう子は病院で眠ったまま。もっともこっちはさっき祐一ちゃんから電話があって、二人とも意識が戻ったらしい。とりあえずよかった。問題はいつまでも帰ってこない紫苑だけど、どうしたものやら。
ガチャ・・・
あら?綾香かしら。
「・・・って、紫苑!」
なんとまぁ、噂をすれば影。
帰ってきたのは紫苑だった。「おっかえりー、紫苑」
ここで私まで暗くなっちゃいけない。
つとめて明るく・・・。「まったく、どこほっつき歩いてたのよ、この子は・・・・・って」
ぽふ
「・・・紫苑?」
私の下まで歩いてきた紫苑は、そのまま顔を私の胸の辺りに埋めて体を預けてくる。
しがみ付いてくるってわけではなく、ただ頭を乗せている感じ。
それでも、私が知る限り紫苑がはじめて取る行動だった。「紫苑?」
泣いているわけではない。
ていうか私は紫苑が泣いたところなど一度だって見たことはなかったけど。
いつもと同じ表情のまま、しかし体重だけは私に預けている。「・・・・・あたしは、自分が間違ってると思ったことは一度もない」
そのうち、ぽつりと紫苑が話し出した。
「うん」
「鬼は斬るべきだった。その考えを変えるつもりはまったくない」
「うん」
「それで人に恨まれたとしても、それは別に仕方のないことだから、構わない」
「・・・・・」
「でも・・・」
そこではじめて、少しだけ紫苑が言いよどむ。
「・・・あゆには、ひどいことをしたかも」
「・・・・・」
「・・・仕方ないとは思うけど、嫌われたら、ちょっといやだな・・・」
「・・・紫苑・・・」
私はそっと紫苑の背中に腕をまわす。
片手は妹の頭の上に乗せて撫でる。
紫苑は特に反応しない。
相変わらずの無反応だ。「・・・・・ん~~~」
「・・・なに?」
「いや、ごめん。真剣に話してるところ悪いけど、今私すごく嬉しい」
「・・・?」
「だって、紫苑がこんな風に甘えてくれるのって、はじめてじゃない。悩んでるところ不謹慎だけど、嬉しいわ」
「・・・別に悩んでるわけじゃないけど」
「うんうん」
姉妹だというのに、はじめて会ったのは私が五才で、この子が四才の時だった。
しかもその時はまだ多くを語り合うこともなかった。
はじめて心から言葉を交わしたのは、紫苑が家を出ることを勧めてくれた時。
思えばその時から、一度だって姉らしかったことがないような気がする。
でも今、間違いなく私は紫苑のお姉さんしてる。「おおいに悩め悩め。んでもって、もっともっとおねーさんに甘えちゃいなさい」
「・・・・・」
「・・・なんか、二人だけの世界でずるいです」
「って、綾香」
「・・・朱鷺が放してくれないのよ」
「そっちから抱きついてきたくせにぃ」
「・・・抱きついてはいないわ」
「私だって! ・・・姉さんのこと、心配してたんですから・・・」
「・・・・・」
ちょいちょい
紫苑が私の腕の隙間から綾香に手招きしている。
近付いてきた綾香の体を、私と紫苑の腕が抱き寄せる。「わっ・・・」
「はーい、これで姉妹一緒」
「は、恥ずかしいですよ・・・」
「いいじゃないの、他に誰もいないし。姉妹水入らずよ」
「ぅぅ~」
「・・・・・」
二人の妹を抱き寄せて、いつまでもその頭を撫でている。
ちょっと二人は苦しそうだったけど、こんな機会滅多にないんだから、たっぷりを抱擁させてもらうわよん。ああ、幸せ・・・。
今日は夜まで放さないわぁ~。
なんてことを冗談で言ったら、綾香には逃げられてしまった。
それを機に紫苑も離れて、それからはいつも通りの日常。でも、暗かった空気はそれで元に戻った。
とりあえずは、めでたしめでたし、ってところね。