すみれです。
今から十二年前、東雲家は未曾有の危機にさらされた。
管理下にあった鬼部一族の当主、紅蓮が鬼の力を暴走させ、東雲に対して叛旗を翻すこととなった。
東雲の表も裏も、力ある者を総動員して鬼を止めようとしたものの、結局犠牲が増えるだけとなり・・・・・私の両親も、死んだと聞いた。
両親に関しては、物心ついた時には既に“影”として育てられていた私にとって、まったく馴染みのない存在だったので、死んだと聞かされても何も感じることはなかった。
むしろその時気になったのは、鬼を倒したのが私より一つ年下なだけの、将来東雲の当主となる少女であったということ。それから紆余曲折を経て、私はその少女、紫苑様に仕えている。
そして今、十二年前の亡霊が現れた。
紫苑―SHION―
~Kanon the next story~
第四十八章 戦8・過去の思い
街外れの丘陵地帯に車でやってきた。
途中からは舗装された道ではなくなっていた・・・というか通行禁止になっていたのだが、先輩の車で構わず突き進んでいる。「・・・なんか、変じゃありませんか?」
疑問を投げかけたのは栞だった。
言われて俺も気付いたが、以前来た時とは周りの雰囲気が違うように思えた。「景色が微妙に違うような・・・」
「たぶん、結界だと思います」
答えたのは綾香。
先輩は黙ったまま運転に集中している。「結界てのは?」
「色々ありますし、私にはよくわからないんです。ただ、たぶん私達は、このままじゃ姉さんのところへ行けないと思います」
「なら、どうするんだ?」
「きっと出入り口があるはずです。そうした場所は隠されているか、或いは結界の作り主が守っているか・・・」
「どうやら後者みたいよ」
前方を見据えながら先輩が言う。
その視線の先に、見慣れた車と見慣れた人影があった。
すみれさんと彼女の車。それに何故か俺達より早くこの場に来ていた連中がいた。「舞?それに佐祐理さん・・・あゆも」
昨日の残りのメンバーだ。
車を降りて佐祐理さんとあゆのいるところへ駆け寄る。
舞だけは一歩進み出て、すみれさんと対峙していた。「何かご用ですか?」
傍らに車を止めて、行く手を遮るように立っているすみれさんが俺達の方を一瞥して問う。
表情のない目と、冷たい声。明らかに拒絶の意思が込められていた。
その静かな迫力に圧されて、誰もこれ以上進むことが出来ない。「・・・すみれさん、紫苑は?」
辛うじてそう問い掛けることが出来た。
「答える義務はありません」
取り付く島もない。
「この先にいるんだよね、炎君も」
「何度も言わせないでください。取次ぎは一切受け付けません。お引取りを」
さらに喰らい付こうとするあゆに対してもきっぱりと言い放つ。
話し合いでは、どうあっても通してもらえそうにない。
しかしまさか強行突破なんてわけにも・・・。そう思った俺の視線の端に、舞の左手にある物が映った。
俺の目の前で右手に持ち替えたそれは、いつかの西洋剣だ。
ひさしぶりに見た気がする。「・・・通さないなら、通さすようにする」
「力ずくですか。けど、どうあっても通しはしませんよ」
すみれさんがメイド服のスカートを翻すと、両手には鉄製のトンファーが握られていた。
一体どうしてそんな物がそんなところから出てくるのか大いに疑問だったが、そんなことを問う間もなく、二人は臨戦態勢に入っている。「・・・行くっ!」
剣を脇に構えた舞が凄まじい速さで飛び込んでいった。
真っ直ぐに振り下ろされてくる“炎の剣”を村正で受ける。
瞬間的に火炎が大きく膨らむが、村正の結界を撃ち破るには不十分。「チッ」
さっきから似たようなことの繰り返しだった。
炎の攻撃は威力がある反面単調なので読みやすい。
本人もわかっているのか、あたしのガードが崩せないことに苛立っている様子だ。「忌々しい刀だな。それが東雲の・・・俺達を弾圧する秩序とかいうやつの象徴だと思うと尚更なっ」
「・・・俺達・・・・・。それは鬼部一族の事? それとも・・・」
「貴様が知る必要はない!」
あたしの問いかけには答えず、今度は上下左右に変化をつけながら攻撃を仕掛けてくる。
こちらの長い刀は小回りが効きにくいと考えたか、小さな振りと突きを主体に攻め立ててくる。「・・・疑問に思う事があるわ。あなたは今日まで、どうやって生きてきたの?」
「ぬけぬけと言うかっ」
「あたしは紅蓮の事以外、鬼部には関知していない。けれど、東雲は危険と判断した一族を捨て置いたりはしない」
「・・・ああ。ひどいもんだったさ。一族郎党、女子供に至るまで皆殺しにされたんだからな・・・。貴様らに!」
「・・・・・生き残ったのは、あなた一人?」
「俺が知る限りはそうさ。だからこそ、俺は一族全ての無念を背負って、この恨みを晴らしに来た」
話をしている間も攻防は続いている。
「・・・その復讐の後押しをして、今日まであなたを養っていたのは誰?」
「・・・!?」
一瞬動揺が走り、動きの鈍った炎の懐に入り込み、柄尻を腹部に打ち込む。
「ぐっ・・・!」
打たれたお腹を押さえながらよろめいて後退する炎。
追い討ちをかけることも出来たけれど、あたしは今の質問の答えが聞きたい。「貴様・・・」
「今のあなたならともかく、十二年前まだ子供だったあなたをただ逃がすほど、東雲の“影”は甘くないはず」
必ず誰かが炎を匿い、今のこの力を身に付けるまで養ってきた者がいるはず。
そしてそれは、おそらく・・・。「・・・あなたもメシアをいう者の仲間?」
「しつこいぞ。答えることは何もないと言っている!」
否定しない。
あたしの考えが正しいということね。メシア。
以前襲ってきた、ウィザードらが盟主として崇めているらしい存在。
あのウィザードやこの炎を従えているほどの力の持ち主・・・一体何者か。「戦いの最中に考え事か!」
炎の攻撃が再開され、思考は中断される。
考えるのは、後。
今はまず、炎との戦いことを考えるべき。
舞とすみれさんの戦いは、俺達素人が手を出せるようなシロモノでは当然なかった。
目で追いかけるのがやっとなスピードで飛び回り、繰り出される剣とトンファーの動きは既に見えていない。
だが表情を見る限りでは、勝負は互角といったところのようだ。俺も栞も、先輩も綾香も、あゆも佐祐理さんも固唾を飲んで見守るしかなかった。
その二人が一度交差した後、動きを止めて向き合う。
もちろん構えを解くつもりはどちらにもない。「・・・何のつもりですか?」
「・・・・・」
「攻めるべきはそちらのはずでしょう。なのに何故本気を出さないんです?」
あれで本気じゃないのか、舞は。
今の状態で既にはじめて会った時とは比べものにならないほどだって言うのに。「私を説き伏せるつもりなら無駄ですよ。あの方の下へは行かせませんから」
「・・・・・理由」
「?」
「・・・理由が聞きたい。紫苑やすみれが、あの男にこだわる」
そうだ、結局どういう事情があるのか俺達はまったく知らない。
ただ、紫苑にしろすみれさんにしろ、まだまだ知らない部分がたくさんあるから、そういった関係で、昔に何かあった相手くらいに考えていた。
けど確かに、あの紫苑があれほどこだわりを見せる相手というのは珍しい。先輩に軽く目配せしてみるが、首を横に振られた。
姉である先輩も知らないことか。「・・・・・・・・・大したことではありませんよ」
「・・・・・」
「東雲にとっては当たり前のこと。力の使い方を誤った一族を根絶やしにした。それだけのことですよ」
・・・・・・・・・
今、すみれさんはさらっと言ってのけたけど、とんでもないことを言っていたんじゃないか?
一族を根絶やしにした、それはつまり殺したということ・・・。「あの男はその生き残り。東雲に対する恨みを全て紫苑様にぶつけている。まぁ、珍しいというほどの話ではないです。むしろ最近は少なかっただけで」
「・・・まだ何か隠している」
「・・・・・」
「・・・それだけじゃ、紫苑自身がこだわる理由がわからない」
「・・・・・別に・・・、紫苑様はただ、東雲を背負う者として・・・」
「紫苑がやったの?」
「・・・・・」
「あの男、炎は“鬼部紅蓮の子”と言った。その父親を、紫苑が・・・」
「・・・・・」
すみれさんは舞の言葉を否定しない。
代わりに鋭かった視線がさらに細められる。
舞の言葉の意味を理解した瞬間、横にいる綾香が息を呑むのが聞こえた。
俺も、自分が冷静な顔をしていられたか自信がない。「・・・それなら、炎が紫苑個人を恨んでいる理由になる」
「・・・・・だから、何ですか?」
「・・・・・」
「確かにその通りですよ。鬼の力を暴走させた鬼部の当主紅蓮を手にかけたのは紫苑様。そして鬼部一族唯一の生き残りである炎はその敵討ちのために紫苑様に挑んできた。紫苑様がそれを受けると申された以上、何人たりともその邪魔をさせるわけにはいきません」
「・・・紫苑は、炎を殺す?」
「・・・・・」
・・・・・舞、俺と同じことを。
あいつならやるかもしれないとは思っていた。
事情を聞かされた今では、ますますそう思えるようになった。
紫苑は炎を殺す。「紅蓮と同じ過ちを犯すなら、当然そうなりますね」
今までで一番冷たい声。
・・・・・・・・・・・・・・・
俺だけでなく、皆もそうなのか、押し黙っている。
舞も構えは解かないが、それ以上何を言うでもない。「・・・・・・・・そんなのって、悲しいよ」
ただ一人、その中で言葉を発したのはあゆだった。
「なんだか、よくわからないけど、やっぱり殺すとか殺されるとか、おかしいよ。ボクは、そんなの嫌だよ」
・・・そうだな。
「俺もそう思う。止めるべきだろ、この戦いは。どっちに転んだって悲しいだけだ」
あゆや、栞や、秋子さん、真琴も、誰かが死ぬって考えただけでも痛いほど悲しかったのに、本当に誰かが死んだりしたらどんな思いをするのか想像もつかない。
だから、そんな事は絶対に避けなくちゃならないはずだ。「紫苑様はかつて自らの意思で紅蓮を殺し、今炎を迎え撃っているんです。止めることは出来ませんよ」
「止めてもみないで言うなよ。過去にそういう事があったなら、紫苑が負い目を感じるのもわかるけど・・・」
「・・・違う」
「え?」
「?」
「紫苑は強い。過去を振り向いたりしない。炎の思いを受け止めても、自分自身は過去を引きずったりしていない」
舞? 何が言いたいんだ。
「・・・こだわっているのはむしろ、すみれ、あなた」
「な・・・っ!?」
はじめてすみれさんの顔に感情が浮き上がる。
驚愕と、動揺。「・・・昨日見た紫苑は、過去にこだわっている人じゃなかった。紫苑が何を考えているのかはわからないけれど、すみれの考えているのとは違う、と思う」
「・・・・・」
「・・・どうしてすみれがその事にこだわっているのかはわからない。けど、心に溜めているものがあるなら、出してしまった方がいい。すみれは友達だから、話して、頼ってほしい」
「・・・・・れ」
「一人で抱え込んでも・・・」
「黙れっ!」
ガッ!
すみれさんの一撃で舞が倒される。
「頼れですって? 自分の力も制御出来なかったやつが、暴走しかけるような弱い心で、偉そうな口を聞くなっ!」
口調が完全に変わった。
そして俺は、今はじめて本当のすみれさんを見たのだと思えた。倒された舞は、打たれたところを押さえながら起き上がる。
「・・・そう、私は弱い。けど、私は知った。一人じゃないって」
「・・・っ」
「佐祐理がいて・・・祐一がいて。朱鷺、紫苑・・・みんな。友達がたくさんいて。だから私は自分の力を受け入れられた。すみれには、紫苑がいるんじゃないの?」
「・・・紫苑がいたって、話せるものか。紅蓮の事など些細な事であるほどに、東雲の当主として背負うべきものは多い。私は紫苑の影だ。余計な重みを増やすわけにはいかない」
「なら尚更、私に・・・私達に頼って」
「あなた達なんかに闇に生きる者の心がわかりはしない。他人など頼っていられないのよ。あなたには到底わからないでしょう。力も抑えられない、一人ではその力の重圧に耐えることも出来ない臆病者な落ちこぼれなんかには、わかりっこない!」
パァン!
乾いた音が響いた。
それはあまりにも唐突で、誰もが意表をつかれた。
頬を張られたすみれさん本人も、何が起こったのか一瞬わからなかったようだ。
ただ一人、それを実行した佐祐理さんだけが真剣な表情ですみれさんを見据えている。「舞に対する暴言は佐祐理が許しません。舞は臆病者でも、落ちこぼれなんかでもありません。取り消してください」
「・・・・・」
厳しい表情は最初の言葉の時だけだった。
すぐに佐祐理さんの顔は穏やかになる。「すみれさん、佐祐理も、過去に縛られて生きている人間です。かつて自らが犯してしまった罪の意識に囚われたまま、ずっと生きてきました。けど、今は少しずつそれも吹っ切れてきています。舞や、祐一さん、朱鷺さん、紫苑さん、そしてたくさんの素敵なお友達がいたからです」
「・・・・・」
「これ以上は、何も言いません。佐祐理は頭の悪い子ですから、お説教なんかは出来ませんから。でも、思いは舞と一緒です。紫苑さんに頼れないのでしたら、ほんとに頼りないかもしれませんけど、佐祐理に頼ってください。・・・って、ほんとに偉そうですね、あははー」
佐祐理さんが笑う。
それだけで冷め切っていた空気が暖かさを取り戻していくようだった。「佐祐理・・さん・・・」
すみれさんの顔からも険しさが消えている。
その表情に表れているのは、戸惑い。
どう反応すべきか迷っている風だ。
そこへさらに寄っていって頭を小突いている人がいる。「朱鷺、さま?」
「あんたも苦労してんのね。主だったり妹だったりだけど、手のかからない子っていうのも考えものって言うか。よくもまぁ、あの紫苑のメイドなんてやってられるわね、あんた」
何故か朱鷺先輩はすみれさんの頭を撫でたりなどしている。
これにもすみれさんは戸惑っている。「私ってこれでも教師だし、おねーさんだし、悩みがあるなら、この私にどーんと言っちゃいなさい」
「あははーっ、頼るなら佐祐理でどうぞー。ほんとに頼りないですけどー」
「・・・二人ともずるい。私が最初に言い出したのに」
いつしか舞、佐祐理さん、朱鷺先輩の三人に囲まれてもみくちゃにされているすみれさん。
そう言えばこの四人って同い年だったな。同い年だからこそ分かり合える部分とかあるものかな。戸惑っていたすみれさんが三人の輪から抜け出して、止めてある車のところまで逃げていく。
「・・・私は、東雲の人間です。紫苑様を止めることは出来ません」
背中を向けたまま言う。
淡々とした口調に戻っている。「・・・・・ですけど、皆様をお通しすることは出来ます」
振り返った時には、俺達のよく知るいつものすみれさんだった。
俺とあゆを先頭に、丘の中央辺りを目指して走る。
そこに紫苑と炎がいるのは、もう誰の目にも明らかだった。
結界の外からはわからなかったが、二つの力のぶつかり合いによる震動があちこちに反響しているからだ。
近くまで来ると、その余波と思われる光が周囲を照らしている。「紫苑!」
「炎君!」
そして二人はそこにいた。