「東雲紫苑ッ!!」
道の向こうに見えた祐一の横をすり抜けて、こちらに向かってくる男。
手前で地面を蹴り、高い位置から拳を振り下ろしてくる。
その右手には、赤い炎がまとわりついているように見えた。「・・・・・っ」
振り下ろされた手を、体を開いてかわす。
手は地面に叩きつけられ、レンガが敷き詰められた商店街の道路をたやすく砕く。
かわす際に、炎の余波が僅かに服を焦がした。「はぁっ!!」
打ち付けた拳をそのまま真横に振りぬいてくる。
それを大きく跳んで避けると、次の攻撃に備えて距離を取る。「・・・・・」
距離にして五メートルほど。
この男の技量なら一足飛びでくるだろうけど、充分余裕を持って避けられる距離だ。しかしそれでもお構いなしなのか、男はすぐにまた攻撃を仕掛けてくる。
次々と繰り出される炎をまとった手刀を、体を振って外させる。「逃がしはせんっ!」
「・・・誰?」
攻撃の合間に尋ねる。
一旦動きが止まった。
それは力を大きく溜めるためのものだったのか、僅かに距離が開いた一瞬で男は右手に炎で剣のような形を生み出した。「俺は」
炎の剣を振りかぶって飛び込んでくる。
「鬼部紅蓮の息子、鬼部炎だ!」
「!!」
ドッ!
紫苑―SHION―
〜Kanon the next story〜
第四十七章 戦7・復讐者
「紫苑!」
わけのわからないままに始まった戦い。
その最中、一瞬紫苑の動きが止まり、炎の“炎の剣”がその左肩を貫いた。
“炎の剣”からさらに大きな炎が上がり、紫苑の全身を焼く。「っ・・・!」
さらに炎の膝蹴りを受けて紫苑が大きく後ろに飛ばされる。
それに追い討ちをかけるように“炎の剣”から無数の火球が放たれる。「死ねっ!東雲紫苑!!」
剣を思い切り振りかぶって、こちらに背を向けた炎が飛び上がる。
ぞくっ
それを見ていた俺は一瞬ぞっとするほどの寒気に襲われた。
火の玉の攻撃を受けていた紫苑の顔が持ち上げられて、炎を見据えた。その時ほんの一瞬だけその目を垣間見た。底冷えするほどの視線に込められたいたもの、あれはたぶん、殺気というものなのだろう。
直接向けられたわけでもない俺でさえこの有り様だというのに、炎はまったく怯まずに剣を振り下ろす。ドォンッ!!
「くっ・・・!」
紫苑の足元から竜巻のような風が起こって、くすぶっていた火を全て消し飛ばし、“炎の剣”を振り下ろそうとしていた炎をも弾き返す。
再び二人は距離を取って対峙するが、今度は明らかにさっきとは雰囲気が違う。
さっきはすぐに仕掛けた炎が、まったく動かない。
前に出られないんだ。紫苑の放つ圧倒的な気配に圧されて・・・。「鬼部・・・炎」
血が滴り落ちる左肩を右手で押さえながら立っている紫苑。
一度は掻き消された“炎の剣”をもう一度作って構える炎。
空気がピリピリする中、紫苑の呟きが聞こえる。「・・・紅蓮の子・・・。なら、是非もないわね」
普段は虚ろな紫苑の瞳に、いつになく強い光が宿る。
最近になって知った、あいつのもう一つの面。
いつもの希薄な気配が反転し、場の空気全てを飲み込むほどの存在感を示す、戦闘モードの紫苑。
それが、いつにも増して鋭さを持っている。「大人しく殺される覚悟は出来たか?」
「・・・あなたの思いはわかる。けれど、殺されるわけにはいかない」
「知った風な口を叩くなっ!」
「納得がいかないのならそれでもいいわ。あたしを殺したいと言うのなら・・・」
肩に添えられていた手が下ろされる。
構えらしいものを取るわけではないが、あれはあいつの戦う姿勢だ。「・・・かかってきなさい」
「言われるまでもない!」
言い終わるより早く、炎が飛び掛る。
何度も何度も続けて繰り出される炎の斬撃を、淀みない動きでかわしていく紫苑。
さっき攻撃を受けたのが嘘みたいに簡単に炎の攻撃を回避している。「い、一体何なんですか?あの人・・・」
事態の急変についていけてなかった栞達がようやく声を発する。
結構早くに事態に対処して動きを追っていた俺は大したものだと思う。
もっとも、俺より先に舞が二人の動きを目で追っていたが。「おい、舞。どんな感じなんだ?」
「・・・あの男、強い。けど、紫苑が相手じゃ・・・」
紫苑に及ぶほどじゃないって事か。
でもだとすると、さっきはどうして攻撃を受けたりしたんだ?
炎の名前を聞いた途端、硬直したようにも見えたけど。「二人とも、やめてっ!」
「何!?」
いつの間にか走り出していたあゆが紫苑と炎の間に割ってはいる。
危うく炎の剣があゆに対して振り下ろされるところを、紫苑の手がそれを弾いて事無きを得た。「邪魔をするな!」
「嫌だよっ。どうして炎君と紫苑さんがいきなり戦わなくちゃならないの!?」
「おまえには関係ない。俺はこの女を絶対に許しはしない!」
最初に会った時の雰囲気とは一転して、炎の目は憎悪に満ちているように思えた。
紫苑に対して向けられた、底知れない憎しみと怒り。「・・・あゆ、下がってなさい」
静かな声だが、紫苑からもあゆの介入を拒む声があがる。
「これは、あたしとその男の問題よ」
「そんなの納得出来ないよっ。紫苑さんも炎君もボクの友達だよ。友達同士が戦うなんて、そんなの嫌だよ!」
「退いてろ!あゆ!」
「ダメっ!」
二人は尚も戦う意思を見せているが、あゆが間に留まっているから互いに攻撃出来ずにいる。
と、誰かが俺の横にやってきた。
「祐一様」
「・・・すみれさん?」
見れば、佐祐理さんも一緒で、舞の下に駆け寄っている。
「何事ですか?一体。紫苑様が手傷を負うなんて」
「俺に訊かれても困る。あいつ、炎が突然紫苑に挑みかかっていったんだ。紫苑の傷は、何でか炎の名前を聞いた途端に少し動きが止まった時にやられた」
それ以上の事はわからない。
こっちだって困惑してるんだ。「エン?・・・名前って・・・あの男の名前は?」
「確か・・・鬼部、炎とか」
「・・・・・そう・・ですか」
すみれさんの顔に影が落ちる。
こんな表情を見るのははじめてだった。
紫苑と同じで、この人にもまだまだ知らない面があるみたいだ。硬い表情のまますみれさんはあゆを挟んで対峙している二人の下へ歩いていく。
「紫苑様。それに鬼部の者。ここでは多くの人に迷惑がかかります」
「?」
止めるのかと思いきや、言っている事が少し違う気がした。
「場所を改める事をお勧めします」
「なっ!?すみれさん!それってどういう・・・!」
「よろしいですね」
あゆの抗議を退けて、二人に確認を取る。
有無を言わせぬ迫力があった。「東雲の人間の言う事など信用出来るかっ。決着はこの場で・・・」
「こちらの言う事に従ってもらえれば、紫苑様との戦いに誰一人関与させはしません。しかし、応じないのであれば、東雲の総力をもってあなたを排除させてもらいます」
「・・・すみれ」
「・・・・・いいだろう。だが、約束をたがえたら、容赦はしない」
「結構です。町の北に大きな丘陵地帯があります。明日、そこで」
「わかった。東雲紫苑が一人で来るんだな」
「間違いなく」
誰一人として口を挟む暇を与えず、すみれさんと炎の間で約束が交わされ、炎は去っていった。
後には、妙な気まずさだけが残っている。「・・・・・」
紫苑は、すみれさんに一瞥をくれると、俺達の誰とも顔を合わせようとせずに歩き去る。
どこへ行ったのか、向かった方向はあいつの家の方角じゃなかった。「なぁ、すみれさん。どういう事なんだ?話がさっぱり見えない」
「・・・祐一様、皆様も、何も聞かず、先ほどまでの事は一切見なかった事としてお忘れください」
冷たい、他人行儀な声できっぱり言われてしまった。
それ以上何も聞けそうになかったが、尚も食らい付いたやつもいた。「それで納得しろって言うの?」
あゆだ。
「はい」
「友達が傷付け合ってるんだよっ。殺すとか殺されるとか、おかしいよっ!」
「東雲家の問題です。あゆさん達には、関係ありません」
「関係あるよ!紫苑さんも、炎君も友達だもん!そんな二人が殺し合いをするなんて、おかしいよっ!」
「・・・人間、自分の知らない事、理解出来ない事はいくらでもあるものです」
「話にならないよっ。紫苑さんに直接話して・・・!」
紫苑が立ち去った方向に駆け出そうとしたあゆの腕をすみれさんが掴んで止める。
「放してっ!紫苑さんと・・・・・ひっ!」
そこまでだった。
振り返ったあゆに向けられたすみれさんの視線は、さっき俺が紫苑の視線に感じたのと同じ光を宿していた。
あの目で直視されたら、普通の人間には堪えられないだろう。
押し殺した彼女の声が、駄目押しだった。「今、紫苑様のお心を乱す事は誰であろうと許しません。お引取りを」
誰も反論出来ず、俺達はそれぞれに帰路についた。
――鬼部の力が暴走したと・・・。
――紅蓮め、何という事を。
――もはやあれは災厄以外の何者でもない。消せ。
――秩序を乱す存在は排除するのが東雲の掟。
――鬼の力は絶大だ。
――これほどの力はついぞ見た事がない。
――いや、あやつならこの力を打ち破ろう。
――毒をもって毒を制するか。
――恐るべきはその力・・・。
――鬼をも凌駕する力、しかしそれこそが東雲の主たる者の資格か。
「・・・・・」
今日という日が、来た。
あの日から、いつか訪れるかもしれないとは思っていた事。鬼部の子が、あたしの前に現れた。
かつて、あたしが殺した男の子供が。
このあたしを、殺すために。今でも鮮明に覚えている。
あの日あの時、鬼を、かつて人間であった者を屠った時の感覚を。
どれほど水に流しても落ちる事のなかった、血の臭いを。「・・・炎、か」
目の前に奉納されてある村正の刀を手に取る。
こっちに戻ってくる際、本家から持ってきたものだ。
これこそが東雲の象徴であり、これのある場所こそが東雲宗家のありか。あたしは、炎から父親を奪った。
それは紛れもない事実。
彼があたしを恨むのは当たり前の事。けれど・・・。
あたしには守るべき東雲宗家の法がある。
そしてそれ以上に、すみれ、朱鷺、綾香、舞、佐祐理、栞、みんな・・・・・祐一。
大切な人達が、あたしを大切に思ってくれる人達がいる。
殺されるわけにはいかない。炎、もしもあなたが父と同じ道を歩むと言うのなら、その時は・・・。
あっという間に翌日だ。
何ともなしに、今日が休日でよかったなどと思う。とても勉強に身が入るような気分じゃない。
ちなみに、あゆは俺が起きた時にはもういなかった。
まさか紫苑のところへ行ったのかと心配もしているが、それ以上に俺自身が混乱していて気持ちの整理が出来ていない。今紫苑に会うべきなのか、それともすみれさんの言ったように何も知らずにいれば、何日か後には今までと変わらない日々が戻ってくるのか。
決断出来ないまま、昨日騒ぎのあった辺りまでやってきてしまった。「・・・・・」
商店街の路上に、焦げ跡が残っている。
それが、昨日の出来事が現実にあった事だと物語っている。非現実的な光景に接するのは、舞の夜の校舎事件、夏の前にやって来たあの連中との一件に続いて三度目だが、やはり何度見てもすぐには受け入れられないものだな。
「祐一さん、やっぱりここでしたか」
声をかけられたので振り返ると、走ってきたのか少し息の切れている栞と、その後ろからやってくる朱鷺先輩と綾香がいた。
「ちょっと捜しましたよ」
「どうしたんだ?三人揃って」
「惚けてる場合じゃないでしょ、祐一ちゃん」
先輩はマジモードだ。
普段は妹を信頼してるような事を言ってるくせに、いざとなるとすぐに心配して飛んでくる。
綾香にしても同じ事だ。「話したのか?栞」
「粗方は。ただ、今紫苑さんがどこにいるかは言ってません」
「先輩、姉さんはどこにいるんですか?」
「栞ちゃんが祐一ちゃんに訊けって言うのよ。答えて」
「・・・・・」
ちらっと栞を見る。
栞は何も返してはこない。
俺に決めろと言いたいんだろう。・・・たぶん、このまま行かなければ、何もないだろう。
明日には紫苑は戻ってきて、いつも通り。けど、それで本当にいいのか?
紫苑とあの炎の間にどんな因縁があるのか知らない。ただ、紫苑とすみれさんの態度から、普通の関係でない事はわかる。むしろあの殺気立った感じ・・・・・場合によっては、紫苑は、あの男を・・・。「・・・・・わかった。教える」
「先輩・・・」
「俺も行く。一緒に行こう」
「いいわ。車で行きましょう。その方が早いだろうし」
「私も行きますよ」
俺と栞、朱鷺先輩と綾香は紫苑の下へ向かう。
あいつを、止めるために・・・。
以前ウィザードと名乗る男の一団と戦い、瀕死の祐一を救うために祈りを捧げた丘。
街から離れた自然の多い場所にあって、しかし今は生き物の気配はない。
全て追い払った。ここは戦場になるから。この上なく静かな丘の中央で、左手に東雲神村正の刀を下げて立っている。
雑念はない。ただ向かってくる敵を倒すのみ。「・・・・・」
来た。
遠くから見てもはっきりとわかる、あたしを憎んでいる目。
あたしが殺した男の息子、炎。「・・・今度こそ、決着を付ける!」
およそ十メートルの距離を取って対峙する。
他には何もない、今この世界には、あたしと炎、二人きり。
そう思わせるような感覚。「鬼部一族後継者、炎。仇討ちさせてもらう!」
「・・・東雲神宮宗家、東雲紫苑。受けて立つわ」
もう、言葉はない。
炎が地面を蹴ると同時に、その右手には“炎の剣”が生み出される。
一足飛びで間合いに入ると、昨日の時よりも大きさを増した剣が振り下ろされる。ドンッ!
大きく後方に跳んでかわす。
地面の一部が蒸発したように消し飛ぶ。
まともに喰らえば、ただではすまないという事ね。鞘に納めたままだった村正を抜く。
邪魔な鞘を投げ捨て、右手に刀を下げた状態で次の攻撃を待つ。
十秒もしないうちに仕掛けてくる。“炎の剣”と村正が交差して、空気が震動する。
戦いは、まだ始まったばかり・・・。