赤い・・・。
赤い色が見える。
燃えている?炎が・・・。
その中で飛び散るのは、もう一つの赤い色。
血?
バケツ一杯分を撒き散らしたような、血の跡。
それを挟んで、二つの意識が流れている。
誰?
流れる感情は、憎しみ?悲しみ?怒り?
見ていたくない。
子供?少年・・・?炎の中にうずくまって・・・憎悪の炎を燃やしている君は、誰?
炎が指し示す先、もう一人の子供。
子供・・・?違う・・・。
長い髪。
儚げな雰囲気。
血に染まった中に、三つ目の赤い色。
あれは・・・・・。
紫苑―SHION―
~Kanon the next story~
第四十六章 戦6・赤い夢
「・・・っ!?」
大きく息を呑む。
開いた目に見えるのは、天井。
ここは、自分の部屋だ。「・・・夢・・・?」
夢を見ていた。
どんな、夢だっけ?
ちゃんと憶えていない。
憶えているのは、ただ赤い色と、とても怖くて、悲しい夢だったという思いだけ。赤い色の出てくる夢には、いい思い出がない。
白が赤に染まる時、ボクは大好きな人と離れ離れになってしまった。
ボク自身も、あの人も悲しい思いをした。もう、あんな思いはしたくないし、させたくない。
「あ・・・」
そうだ。
ちょっと思い出した。
夢の最後に出てきた人。
ボクの知ってる人だったような気がする。
でも、誰だっけ?「・・・・・」
ピピッ ピピッ
目覚ましの音でボクの思考が中断される。
もう起きなきゃ。予備校あるし、早く起きないと名雪さんの目覚ましでひどい目にあうんだよ。
夢の事は後で考えよう。月宮あゆ、今日も元気で行くよ。
「おはようございます」
「あら、おはよう、あゆちゃん」
身だしなみを整えて下に降りると、秋子さんに朝の挨拶をする。
ボクは結構早起きしてるつもりだけど、秋子さんには敵わないよ。
あれ?でも・・・。「・・・秋子さんはここにいるよね」
「はい?」
「じゃあ、この包丁の音は?」
台所の方からは包丁を使う音や、朝ごはんの匂いがしてくる。
ボクの知ってる限り、この家で料理をするのは秋子さんだけ。
名雪さんはたまにするけど、朝だけは絶対にしないし、ボクは祐一君から台所立ち入り禁止令というくつじょくてきな事を言われている。いつか必ず見返してやるからっ。
それはともかく、その秋子さんがここにいるのに、どうして台所から音がするの?
はっ、まさか幽霊!?うぐぅ、いやだなぁ・・・。「うふふ、今朝はすみれちゃんに手伝ってもらってるのよ」
「うぐぅ?あ・・・そっか」
確か昨夜は文化祭の打ち上げとかでみんなが集まってたんだ。
そのままの勢いで紫苑さん、朱鷺さん、綾香さんと、すみれさんは家に泊まったんだった。ダイニングに行くと、テーブルには紫苑さんだけがついてた。
「あ・・・!」
「どうしたの?あゆちゃん」
「あ、ううん、なんでもないよ」
ボクは手を左右に振るジェスチャーで誤魔化す。
秋子さんにはあまり変な事で心配かけたくないからね。
台所に秋子さんが行くのを見届けてから、紫苑さんの隣に座る。
すぐに台所から入れ替わるようにすみれさんが出てきた。「おはようございます、あゆさん。どうぞ」
テーブルまで歩いてくると、ボクの前にお茶を置いてくれる。
確か前に一度、朝はミルク、コーヒー、紅茶、日本茶何が好みか、って訊かれたけど、それだけでちゃんとボクが日本茶派だって憶えてたんだね。
メイドさんってすごい。「おはようございます。ありがとう、すみれさん」
「いいえ、当然の事です。あ、紫苑様、おかわりどうです」
「・・・・・ん」
紫苑さんが返事をすると、すみれさんは後ろを回ってお茶を注ぎに行く。
「あのね、紫苑さん。さっき、紫苑さんが夢に出てきたんだよ」
「?」
少し怪訝そうな顔――ほんとによく見てないと全然まったくわからないくらいちょっとした表情の変化だけど――をして紫苑さんがこっちを振り向く。
先を促されているみたいだったから話を続ける。「どんな夢か、あまりはっきりとは憶えてないんだけど、赤い色が印象に残ってるんだ」
「・・・赤?」
「うん、炎の赤と・・・たぶんもう一つは・・・・・血の赤だと思う」
かちっ
小さな音がした。
急須が茶碗に当たった音だった。「失礼しました」
大した事じゃないのに、一瞬すみれさんがものすごく動揺したみたいだった。
「赤い夢・・・」
「うん・・・。ちょっと、嫌な夢だったんだけど、最後に出てきた人は、たぶん紫苑さんだったと思うんだよ」
「・・・・・」
ちょっと沈黙。
それを破ったのは、上から響いてきた大合唱だった。「ひあっ!?」
リビングの方で悲鳴が上がった。
たぶん綾香ちゃんだね。
これは刺激が強いよね。結局それからはいつもよりちょっと賑やかな、でも普通の朝食だった。
夢の話はそれっきりしなかったけど。だけど、それから何度か、似たような夢を見た。
最初の時ほど鮮明ではなかったけれど。
あゆから夢の話を聞いてから数日後。
あたしはすみれと共に病院に来ている。ちなみに、今東雲本家の権限はほとんど宗一郎に預けて、宗家の拠点はこの近くにあるうちの管轄下にある神社に移し、すみれはそこに移り住んでいる。
だから最近はいつでもあたし達の周りにいた。さすがに病院の近くではゆっくりめの運転をするすみれの車から降りて、院内に向かう。
「ちょっと待っててくださいね。すぐに取り次いできますから」
受付でしばらく応対をしてから、戻ってくる。
そのまま目当ての人物の下へ向かう。
「・・・これは、どうも・・・」
尋ねた相手は、露骨に顔をしかめたが、すみれと目を合わせるとバツが悪そうに居住まいを正す。
「ご当主がこんな末端に何の御用です?」
訪問した相手は、葉月淳治。
東雲家の人間で、この病院の医師をやっている。
そしてあゆの主治医でもあった男だ。「ちょっとお聞きしたい事があるんですよ。えーと・・・」
話し出そうとするすみれを制して、あたしは自分で訊く。
「・・・あゆの事で訊きたい事があるわ」
「月宮君ですか?また何を・・・?」
「あゆの“力”の事。わかっている限り」
あゆだよ。
えっと・・・これはきっと、ボクは悪くないはずだよね。
・・・・・たぶん。今、ボクは追われてるんだよ。
って、いきなり勘違いしないでよっ。
確かに今ボクが持ってるのはたいやきの入った袋だけど、これは正真正銘お金を出して買ったものなんだから、食い逃げなんかじゃないよ。
追われてるのとたいやきはまったくの無関係だよ。「待てこのガキ!」
「うぐぅ、待てと言われて待ったりはしないよっ」
それに、君達にガキとか言われたくないもん。
見たところ高校一、二年生だから、ボクより年下じゃないか。そうなんだよ。
ボクはただ、かつあげの現場に居合わせたから注意したんだよ。
そうしたらみんな怒って追いかけてくるんだもん。なんとかして逃げようと思って走ってるんだけど、なんだか段々人気のない方に来ちゃってるよ。
ここで捕まったら、あんなことやこんなこと・・・・・うぐぅ、だめだよ。はじめては祐一君って・・・じゃなくって!「うぐぅ・・・」
とにかく捕まったらピンチなんだよ。
でも、元々男の子と女の子の差があるんだし、ずっと寝たままだったボクは体力がない。
少しずつ追いつかれてきた。
よくここまでもったと思うよ。「ぅぐ・・・はぁ・・・もぅ、だめ・・・」
で、こういう時自分の習性が悲しい。
大事な時だっていうのに、何もないところで転んだ。ずしゃぁー
「うぐぅ・・・痛い」
「・・・大丈夫か?」
「うぐぅ?」
「うぐぅ?」
思い切り地面にぶつけて痛い顔を上に上げると、男の子が不思議そうな顔で覗き込んでいた。
同い年くらいかな。背格好は祐一君よりちょっとだけ大きめで、少し長い髪と切れ長の目が印象的かな。「とりあえず、立てるか?」
「うん、ありがとう」
差し出された手を取ってボクは立ち上がる。
知らない男の子だから、ちょっと警戒する。
優しそうな感じはするけど、それに騙されるとひどい目に合うのは祐一君で証明済みだから。「ところで、後ろから走ってきてる奴ら、おまえの知り合いか?」
「へ?」
180度向きを変える。
男の子の言うとおり、さっきの不良君達が息を切らせて走ってくる。
忘れてたよ。「えっと・・・逃げる」
「逃げなきゃいけない相手なのか?」
「そ、そうなんだよ。ちょっと悪い事してたのを注意しただけなのに、なんか怒っちゃって・・・」
「つまり、連中が悪いんだな」
「うん」
「なら、ここは俺に任せておけ」
「うぐぅ?」
「・・・なぁ、そのうぐぅってのは何だ?」
「うぐぅ・・・男の子は細かい事気にしないんだよっ」
「そうか」
それからは呆気なく片付いちゃった。
何か話してたと思ったら、急に不良君達が殴りかかって、でも男の子はすごく強くって、あっという間に追い返した。「強いんだね、君」
「いや、連中が弱すぎた」
でも、一人で五人も倒しちゃうなんて、やっぱり強いと思うけど。
「あ、そうだ。お礼に、これあげるよ」
ボクは転んだ時も死守したたいやきを一匹男の子にあげる。
「おいしいよ」
「そうか。ならもらう」
自分の分も取り出して、二人してたいやきを頬張る。
そう言えば、祐一君以外の男の子とこんな風にするのってはじめてかもしれない。「ほんほひ、はふはっはほ」
「・・・すまん、何を言ってるのかわからん」
「うぐ・・・ほんとに助かったよ、って言ったんだよ」
「気にすんな。たまたま居合わせただけだ」
「そうだ、自己紹介しなきゃね。ボクは月宮あゆだよ」
「・・・おまえな、唐突に話題が飛ばないか?」
「?そうかな?」
「まぁ、いいけどな。俺は、鬼部炎」
「エン?」
「炎と書いて、エンだ」
「かっこいい名前だね」
「当然だ。親父がつけた名前・・・だからな・・・」
声の調子が落ちた。
表情にも、ちょっとだけど翳りが見えた。
この顔を、ボクは知ってる。「・・・もしかして、嫌な事思い出させちゃったかな?」
「いや、気にするな。俺が勝手に思い出しただけだ」
「ボクもね・・・ボクも、お父さんもお母さんもいないんだ。死んじゃった時、すごく悲しかった」
「ああ・・・わかる。・・・それって、事故とか、病気か?」
「うん、病気だった」
お父さんが先で、二人きりで暮らしてたお母さんも、あの時死んじゃった。
すごく悲しかったのは今でも忘れられない。
祐一君に出会わなかったら、ボクはどうなってたか、想像もつかないし。「病気か・・・。そうやって、親を奪われるもんなんだな・・・」
「炎君?」
「自然の流れだって言われて、それで納得なんか出来るかよ」
「うぐぅ・・・炎君、ちょっと怖いよ」
「あ、すまん・・・。こっちこそ嫌な事思い出させちまったみたいだな」
「ううん、お互い様だよ」
優しそうに見えた炎君が、今ものすごく怖かった。
何かを憎んでいるような、そんな顔。
でもどうしてだろう、この顔に、ボクは見覚えがあった。
つい最近、どこかで見たような・・・。
病院からの帰り道。
商店街にある駐車場に車を止めて下りた。「家までお送りしましたのに」
「・・・いいわ。散歩もしたいし。待ち合わせがあるんでしょ」
「紫苑様の御用時なら何より優先しますけど」
こっちへ来てから、すみれは舞、佐祐理と仲がいい。
舞とは何かと気があるようで、佐祐理の方がなんだかすみれに師事してるらしい。
メイドとして、究極の接待法の伝授がどうとか・・・。
確かにお店をやるという佐祐理には役立つ能力かもしれないけど、すみれの余計な部分までうつりそう。「それにしても、さっきの話、どう思われます?」
「あゆの事?」
「夢に描いたものを現実にする。もし本当だとしたら、とんでもない力ですよ」
「それは最大限に力を発揮した場合に限りよ。夢を基準にした力というなら、それほど珍しいというほどのものじゃないわ」
「それでも、あゆさんは特殊です」
「・・・・・」
特殊、か。
他に例を見ないイレギュラーという事なら、そう言えるわね。「あれは、制御出来なければとんでもない事を引き起こすタイプの力ですよ」
「・・・あゆなら、大丈夫よ」
彼女はああ見えて、結構大人だわ。
あゆだけじゃない、他のみんなも。
祐一の周りにいる子達は人としてしっかり成長している。
間違いを犯したりはしない。
商店街。
もうすっかり馴染みの場所に来ている。
文化祭が終わって、俺達三年は今度こそ受験勉強をまじめにやらなきゃらない時期だ。
だというのみ、俺は何故こんなところにいるんだ?「ほらほら祐一さん、デートにそんな顔はいただけませんよ。スマイルです、スマイル」
これも毎度の事と言うか、栞に引っ張りまわされている。
劇の時の事をまだ怒っているのか、何かとその事を引き合いに出して脅してくる。
はじめて会った頃はこんなにしたたかや奴とは思わなかったんだけどな・・・。「ぼーっとしてないで、行きますよ祐一さん」
「おー」
「あ、祐一君だ!」
む、この声は・・・。
そして俺は背後からの攻撃に備えて構える。
だが何故だかいつまで経っても何も起こらない。「・・・何してるんですか?祐一さん」
「うぐぅ・・・なんかものすごくボクの事馬鹿にしてるみたいに見える」
「・・・・・全然そんな事はないぞ」
ちっ、余計な知恵をつけやがって。あゆあゆのくせに。
「ていうかあゆさん、そちらの方はどなたですか?」
「?」
いつまでもくだらない構えをしていても仕方ないので後ろを振り向くと、あゆと一緒に知らない奴が歩いていた。
「彼氏ですか?」
「ち、違うよっ。さっきちょっと危ないところを助けてもらっただけだよ!」
「食い逃げか?」
「それも違うって言ったのにっ!」
言ったか?
「食い逃げって、まさかさっきのたいやき・・・」
「違うもん!あれはちゃんとお金払ったやつだよっ」
三方に向かって叫び返すあゆ。
忙しい奴だ。・・・このまま順番にからかっていったら、ぐるぐるまわるんじゃないか?
おもしろそうではあるが、やめておこう。「・・・食い逃げはだめ」
「だから違うってば!!」
と、言ってる傍から勝手にあゆはぐるぐるまわっている。
四人目の声がかかったからだ。「なんだ、おまえも唐突に現れるな、舞」
反対側からやってきたのは、舞だった。
学校にいた頃は制服姿しか見た事がなかったが、最近は私服のバリエーションも多い。
大概は活動的な格好をしている事が多いようだ。「で、舞はどうしてこんなところにいるんだ?」
「・・・佐祐理とすみれと待ち合わせ」
「佐祐理さんはともかく、すみれさんと?」
こく、と舞が頷き、続いて接待の心得を伝授してもらうのだと説明した。
なるほど、メイドとウェイトレス。立場は違えど、いわゆる“客”を相手にする点では通じる部分があるという事か。「そういう事か。んで、そっちは誰だ?あゆ」
「うん、炎君って言って、不良君達から助けてもらったんだよ」
「・・・あゆ、いくら金が欲しくても盗む相手は選んだほ・・・ぐぼっ」
「いい加減しつこいよ、祐一君」
フッ、アッパーとは、あゆもなかなかやるな。
「漫才みたいだな」
「あなたもそう思いますか」
栞と、炎とかいう奴が何やら失礼な事を言っている気がする。
「漫才ではない。俺が一方的にあゆをからかっているだけだ」
「うぐぅ、ひどいよ」
「気にするな。俺は相沢祐一、とりあえずよろしく」
「私は美坂栞、祐一さんの恋人です」
「ちょっと待って栞ちゃん!それは聞き捨てならないよ」
「・・・川澄舞」
俺を皮切りに、それぞれ炎に自己紹介をして、右手を差し出す。
「おもしろい奴らだな、こっちこそよろしく。俺は・・・」
握手に応じるべく手を差し出しかけたところで、炎の表情が固まる。
その視線は俺を通り越して、俺の後ろに向けられていた。
後ろを振り返った先にいたのは・・・。「紫苑・・・」
名を呼んだのは、誰だったか・・・。
その瞬間、俺の横を熱を持った風が吹き抜けて、紫苑に向かっていった。