俺は斎藤高志。
どうせ地味だよ悪かったな!
ああ、そうさ。俺は顔も並、勉強も並、運動も並、これといって突出したところも劣ったところもない、これでもかってくらい普通の野郎だよ。
北川みたいに愛嬌があるわけでもなし、久瀬みたいな統率力もない、相沢みたいに馬鹿にもなれない。
いいところも悪いところもありはしない。でもな、そんな俺でも人並みの夢くらいあるんだよ。
劇とか映画とか、そういった事の監督をやるっていう夢がな。
地味でいいじゃないか、表に出るわけじゃなし。だけど確かに自分の存在をアピール出来るポジション。
成功させれば胸を張って、これが俺の作品と言える立場だ。自分にその才能があるか、そんなのはわからない。
けど、俺はまだ自分の限界を見ていないと思っている。
これは最後のチャンスなんだ。文化祭での公演、絶対に成功させてみせる!
紫苑―SHION―
~Kanon the next story~
第四十四章 演劇部初公演?・・その二
「これだ!その演技やよし!合格!」
舞台の真ん前の陣取っている斎藤が叫んでいる。
現在演技をしているのは栞だ。さすがにドラマ通だけあって、押さえるところを押さえているという感がある。
この際劇に出てくれれば誰でもいいのか、俺にも北川にも綾香にも名雪にも合格サインを出している斎藤だが、今回の栞の演技に大手を上げて賞賛を送っている。「祐一さん祐一さん!褒められましたよー」
「あー、よかったなー」
俺はというと、ぼーっとして舞台を眺めている。
今日のオーディションは雰囲気を出すためと言って久瀬から講堂を貸してもらっていた。
もっとも、この広さにこの人数では寂しいもいいところだが。「いいわねぇ、こういうのは」
「先輩は何でもいいんだろうが」
「それはそうだけどさ、アメリカでもこういうのあったなぁ、ってね」
「あったのか?」
「そりゃぁもう、ハリウッドだー、ブロードウェイだー、って言って頑張ってる連中たくさんいたわよ」
いつもながら俺の隣りに唐突に出現していた先輩が昔を思い出すように目を閉じている。
普段は口うるさくて存在感丸出しの存在であるためあまり意識しないのだが、こういう表情をする時の朱鷺先輩は綺麗だと感じる。
歳は一つしか違わないはずなのに、積み重ねてきた経験に大きな差がある事を実感させられる。
この人の綺麗さは見せかけのものじゃなくて、年月の賜物という感じだ。「年の功」
「こらこら、どういう意図で言っているのか知らないけど、私はまだまだまーだまだ若いわよ。そりゃもう、秋子さんなんかより遥かに」
「不要だぞ、その発言は。あの人にはさらなる年の功があるから・・・」
「祐一ちゃん、それ墓穴」
しまった。
まさか聞いてるなんて事はあるはずないが。
とりあえず、話が漏れそうな筋はないな。
名雪は寝ている。「朱鷺先生、相沢君、こっち来てくれる?」
「おー」
「おっけーよ」
香里に呼ばれて俺達は皆斎藤の下に集まる。
机の上には台本とメモの書かれた紙が何枚も散乱していた。
それぞれの名前が見て取れたから、たぶんオーディションに使ったのだろう。
オーディションなんて言うが、結局さっきから“合格”という言葉しか聞いてないから、実際には役決めのためにそれぞれの演技を見ていたのが実際のところらしい。「・・・・・」
しばしの沈黙。
じっと台本を見詰めながら考え込んでいる斎藤。
それをまたじっと見守る俺達。「・・・・・駄目だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーー!!!!」
「わっ」
「きゃぅ」
「はぅ」
「おわっ」
ガツンッ!
斎藤の突然の雄叫びに、台本は飛び、名雪が起き、栞・綾香・北川が驚き、香里の拳骨が落ちた。
「急に大声出すんじゃないわよ。一体何事?」
「いてててて・・・・・。駄目なんだ・・・」
「だから何がだ?」
気になって俺も尋ねてみる。
「それぞれの個性に合わせて役を割り振ってみた。それはそれでいいんだけど・・・どうしても“あの役”に合う素材がない・・・」
“あの役”ときたか。
香里にそっと聞いてみると、主役とは別に出番は少ないが大きな見せ場を持った登場人物がいるらしい。
しかし、神秘的で純粋な気品にあふれる美しき女性、というその項目に当てはまる役者がこの中にはいなかったらしい。
先輩がしきりに無言で自己主張したが、斎藤はあからさまに目をそらして溜息をつき、先輩のヘッドロックを喰らっている。
ま、言っちゃ悪いが先輩は確かに美人だが神秘とか純粋とか気品とかとは違うよな。
むしろそれにぴったりな奴と言えば・・・。「ああ・・・もう時間がないのに・・・」
「仕方ないから、そのシーンはカットで行くしかないんじゃない?」
「見せ場なのに~・・・」
心底悔しそうに斎藤が嘆いている。
涙でも流していそうな表情だ。
一体どんなシーンなんだ?
気になったので、さっき斎藤が雄叫びと共に投げ飛ばした台本を拾いにその場を離れる。「随分飛ばしたな」
その辺りにあるだろうと思った台本は、講堂の半ば辺りまで飛んでいた。
落ちている場所に向かって歩き出そうとしたところで、誰かがその台本を拾い上げた。「・・・・・あ・・・」
「・・・・・」
拾い上げた奴は、無言でその台本に目を落とす。
俺は声をかける事も忘れていた。
そのうち俺がいない事に気付いたらしい先輩がこっちを振り向くと同時に、その存在に気付いた。「紫苑!」
先輩の声に全員が振り返る。
「・・・・・ん」
顔を上げてこちらを見たそいつは、紛れもなく東雲紫苑だった。
帰ってきた。
生まれ育った家に戻った時よりもそう感じるのだから、不思議なものね。
向こうに行って二ヶ月も経ってないし。こっちに着いたのは学校が終わる時間頃だったけど、まだいる様な気がしたからまず学校に来た。
どこにいるかはわからなかったけど、何となく感じられるから、まっすぐ校舎とは別の建物を目指す。
少し開いた扉から中を覗くと、思ったとおり、みんないた。「・・・・・」
舞台の前に集まって何かをしている。
みんな楽しそうね。「・・・・・」
・・・・・・・・・。
・・・困った。
どうやって出て行こう?
遠慮?照れ?あまり今まで縁のなかった感情。
だから自分でもそんな事を考えてるなんて気づいていない。
もっとも本当にそうだったのかはわからないけど。
ただ後で朱鷺に話したらそういう答えが返ってきただけの事だから。
「駄目だーーーーーー!!!!!」
「?」
集まりの中心にから大きな叫び声が上がり、宙を本のようなものが舞った。
声を上げた人は、知らない顔ね。新しい知り合い?丁度投げられた本があたしとみんなの中間辺りに落ちていたので、そこに向かおうと建物の中に入る。
本にしては薄い、手作りっぽい感じのする冊子を拾いあげる。劇の台本?
「紫苑!」
名前を呼ばれたので、台本から顔を上げる。
あたしを呼んだ朱鷺に、綾香、栞、名雪、香里、潤、それに・・・祐一。
全員じゃないけど、みんながいる。「・・・・・ん」
ゆっくりと、みんなのいる方へ歩み寄る。
けどゆっくり過ぎたみたいで、すぐに向こうからみんなの方が駆け寄ってきた。「姉さん!おかりなさいっ」
「うんうん、変わりないみたいね。いい事だわ」
「あーあ、帰って来ちゃったんですか。でも残念ですね。この夏の間私と祐一さんはラヴラヴで・・・」
「うそだよ~、祐一はず~っとわたしと一緒に勉強してたんだよ」
「あんたは寝てただけでしょ」
・・・騒がしい。
祐一がいつものメンバーでいると騒がしいばかりだってよく言ってたけど、それがよくわかる。
でも、不思議とわるい気はしない。
心地よい騒がしさ。「・・・栞は、相変わらずね」
「微妙に引っ掛かりますけど、いつでも元気ですよ」
「・・・名雪と香里は、いつも通り仲がいい」
「うん、親友だもんね」
「もう少しあたしの苦労をわかってくれると尚いいんんだけどね」
前だったら、ひさしぶりに会ったくらいで言葉なんか交わさなかったものだけど。
自然とこんな話をするなんて、あたしも変わったかしら?「・・・朱鷺、綾香」
「はい?」
「・・・・・何?」
あたしの呼びかけに、綾香はすぐに返事をしたけれど、朱鷺の方は少し間があった。
たぶん、何に関する話か察せられたのだろう、表情が硬い。
やっぱり、無理かもしれないわね・・・。「・・・お祖父様の遺言、聞く?」
朱鷺は、あたしの姉は、東雲本家を嫌っている。
その嫌悪は、ついこの間まで東雲の当主だったお祖父様にも向けられていた。
むしろ、幼い頃の朱鷺を本家から追いやったのは祖父の意向だ。
けど・・・。「・・・・・どうして私がくそジジイの言葉なんか聞かなくちゃならないのよ?」
「姉さん・・・」
思ったとおり、不機嫌な声。
あたしや綾香の前では、みんなの前ではいつも笑顔を絶やさない朱鷺も、この事だけは譲れないみたい。
だけど、あたしはお祖父様の本当の気持ちを知っている。
聞くだけは、聞いてもらいたい。「・・・じゃあ、あたしの独り言」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・幸せに、って」
「・・・・・・・・・・・っ」
自分の顔を隠すように、こちらを振り返らないまま、無言で朱鷺は外に出て行く。
誰も後を追わないのは、彼女の性格をよく知っているから。「・・・お祖父様・・・」
綾香は静かにあたしにもたれかかって顔を埋める。
朱鷺と同じ様に、顔は見せなかったけど、その肩は僅かに震えていた。
二人にとって、あの人は家族と呼べる存在ではなかったかもしれない。
血が繋がっているというだけの、他人。それどころか、不倶戴天の敵とさえ思っていた相手と言える。
だけど、あの人にとって朱鷺と綾香は、確かに愛する孫娘だった。
それだけは間違いない。
正しい関係とは言えなかったかもしれないけど、最後にあの人の気持ちが、二人に通じてくれたなら・・・。
「すみません、姉さん。・・・今度、お祖父様のお墓参りに行く時は、連れて行ってください」
顔を上げた綾香の目は、赤く染まっていたけど、表情は晴れ晴れとしていた。
少しだけ、わだかまりは解けたのかな?
こういう事は、苦手だから。「・・・・・」
もう、この事に触れるのはよそう。
朱鷺も綾香も望まない。「・・・・・」
「・・・・・」
ふと、祐一と目が合った。
姉妹の間だけの世界に入っていて、今まで忘れていた。
ちょっとひどいかしら?だけど別に、彼とあたしの間に言葉はいらない。
今も昔も、それは変わりない事。「・・・よっ、おかえり、紫苑」
「・・・・・ん、ただいま」
・・・そう言えば、あれ・・・。
少し思い立って、あたしは懐からあるものを取り出す。
夏の終わり、ここに戻ってくる少し前にある場所で拾った真っ白な羽根。「・・・・・これ」
「ん?何だこれ?羽根・・・?」
「知っているはずよ」
「はて?見覚えはないんだが・・・」
そうね。
祐一は憶えていないでしょうね。
だけど、あなたは一度、この羽根の元の持ち主に命を救われているのよ。
だからこれは・・・。「持っていて」
「俺がか?」
「・・・お守り、みたいなもの」
「そうか」
特に何も聞かずにそれを受け取る祐一。
受け取ったそれをしげしげと見詰めている。
何かを感じているのか、それともただ珍しがっているのか。
彼は結構鈍感だから。
「・・・・・・・・・・・・これだっ!!!!!」
「どわぁっ」
「わ、びっくり」
「いきなり大声出さないでくださいよ!」
「もう一度殴られたいわけ?」
「う・・・怖いよ北川・・・」
「お、俺の後ろに隠れるなよ!み、美坂、落ち着け、な」
「?」
帰ってきた紫苑を取り囲んでなんだかんだやっていると、突然斎藤が叫び声を上げた。
よく叫ぶ奴だな。事情がわかっていない紫苑は?顔だ。「と、とにかく!北川、あの美しい人は一体誰だ!?」
「は?東雲先生の妹だけど・・・」
「俺が求めていたのはこれだ!“あの役”をやるのは彼女しかいない!」
斎藤が講堂全体によく響く大音響で豪語する。
そしてうるさいと言われて香里に蹴られた。「・・・劇って、これの事?」
紫苑が拾った台本を指して聞いてきたのに対して俺は頷く。
「ふぅん、目の付け所はいいけど、この私を差し置いて紫苑を抜擢するとは、いい度胸ねぇ」
「復活はやっ。もう戻ってきたのかよ、先輩」
今さっき出てったばかりなのに。
「これから面白い事になるって言うのに、落ち込んでなんかいられないわ!紫苑、あんたその役受けなさい。そんでもって観客達にぎゃふんと言わせてやるのよ。未来のスターよ!」
「・・・・・?」
よくわかっていないのか、紫苑はしきりに首を捻っている。
その後ろでは綾香が溜息をついていた。
いつもの調子に戻ったな。
さっきはちょっとぎこちない雰囲気だったけど。
紫苑はもちろん、先輩も物事を引き摺るタイプじゃないからな。「・・・それじゃ今夜は、紫苑が帰ってきた祝いと、劇の成功を祈って一騒ぎするか」
「あ!ずるいわ祐一ちゃん!それは私が言おうと思ってたのにぃ」
「ゆ、祐一先輩が姉さんに感化されてるぅ~」
「そんなんじゃないって。どうせそういう展開になるに決まってるんだし」
「じゃあ、他のみなさんも呼ばなくちゃいけませんね」
「場所はうちでいいよね」
当然の事だが、反対者などいない。
今夜は大騒ぎになりそうだな。「・・・祐一」
「ん?」
「・・・桔梗っていう女は?」
「は?なんでおまえが知って・・・」
あ、そうか。すみれさんが来たんだっけ。
なら知っててもおかしくないよな。「あいつなら、昨日家に帰るって言って出てったぞ」
「・・・・・そう」
?
でもなんでそんな事訊いてきたんだ?
やきもちか?
いや、紫苑の態度はそんな事を訊くものではなかった。
何かもっと別の・・・。
よくわからん。
んで、その夜はお約束通りの大騒ぎだった。
何故かすみれさんまで紛れ込んでいたのが気になったが、それに関しては黙秘だと言われてしまった。
紫苑に訊いても、そのうちわかると言って流された。