「・・・・・暑いです・・・」
し、栞です・・・。
暑いです。
徹底的に暑いです。
もう何がなんだかわからないくらい暑いです。「に、入院時代が懐かしいですぅ・・・」
あそこは涼しくてよかったです。
どうして・・・。
どうして・・・。「どうしてうちのクーラーは壊れてるんですかっ!!」
死にます。
ええ、死にますよ。
一度死に掛けた人間が断言します。
この暑さは殺人的です!「暑すぎて絵まで歪んでます・・・」
「それは元々でしょ」
扇風機の風で長い髪をなびかせながらテーブルで勉強しているお姉ちゃんにつっこまれました。
「というか、お姉ちゃんは暑くないんですか?」
「暑いわよ」
しれっとした顔で言ってくれます。
確かに表情は変わりませんが、よく見ると顔中汗だくですね。「この暑いのによく勉強なんてしてられますね・・・」
「・・・・・」
ぎゅうぅぅ
「い、痛いんですけど・・・お姉ちゃん・・・」
「人が暑いの我慢して受験勉強に勤しんでるっていうのに、横でがたがたがたがたうるさいのよ」
お、お姉ちゃんの目が据わってます。
涼しい顔して実は物凄く暑いんですね。
いらいらしているのが手に取るようにわかります。「そ、そうだ!私、祐一さんのところに涼みにいきま~す」
怖いので退散しようとすると、お姉ちゃんの手ががっしり私を掴んで放しません。
「あ、あの~」
「あたしも行くわ」
「はい?」
「名雪のところで勉強するのは悪くないって事よ」
紫苑―SHION―
~Kanon the next story~
第三十四章 思い出の海・・・その一
・・・・・なんなんだ?この状況は・・・。
「暑いよ~」
「溶けちゃいそうだお~」
「暑いですぅ」
「そうね・・・」
「あははー、暑いですねー」
「・・・・・暑い」
「いやぁー、盛大に暑いわね」
「・・・はい・・・」
「・・・・・」
何故こいつらはここにいるんだ。
いや、理由は大体察しがつくんだが、何故うちなんだ。
正確には秋子さんの家だが・・・。「暑い~」
「暑い~」
「暑いですぅ」
「暑いわね」
「暑いですね~」
「・・・暑い」
「暑い暑い」
「暑いです・・・」
「・・・・・」
「でぇい!!おまえら暑い暑いうるさいわっ!!」
うっとうしい事この上ない。
だからどうしてこんなに集まってるんだ!?「うちのクーラー壊れてるんですよ」
とは栞。
隣りで香里も頷いている。「クーラー代も馬鹿になりませんからねー」
これは佐祐理さんの言。
舞も同意見。「右に同じ~。暖房だけで金尽きたから~」
そして先輩。
綾香はすまなそうに隅っこにいる。「だからって何も水瀬家のクーラーが故障中に来る事はないだろ・・・」
そうなのだ。
水瀬家のクーラーも現在一部を除いて故障中。
壊れてないのはどういうわけか秋子さんの部屋の分だけで、残りは全て動かない。
だがまさか秋子さんの部屋に皆を入れるわけにもいかないので、こうしてリビングに集まっている。
ただでさえ暑いのに、これだけの大人数である。
暑いに決まっていた。「・・・・・」
「・・・おまえはいいよな・・・」
ただ一人涼しげに座っている紫苑に向かって愚痴る。
灼熱の太陽も極寒の雪山もこいつの表情を崩す事は出来なさそうだ。ところで、うちのクーラーが直るまではまだしばらくかかる。
よってここにいたところで何も事態は変わらない。
なのにこいつらは尚もここにいる。「はぁ・・・」
ピンポーン
「?」
こんな時にまた客か?
秋子さんはいないし、あゆは潰れて名雪は溶けてるから、俺が出るしかないんだな。「はいはい」
俺は玄関に向かってドアを開けた。
そこに立っていたやつを見て一言。「・・・ここは町内会の会場じゃないぞ」
「・・・それはどういった意図で仰っているのでしょうか?相沢さん」
「色々だ。それよりまさか、おまえらもか・・・」
「?何のことですか?」
疑問を浮かべる天野に俺は簡潔に今の状況を説明した。
「なるほど、うちのクーラーは壊れてはいませんが、二人が退屈しているもので」
「やっほー、祐一ー」
「おーっす、兄ちゃん」
そういう天野の後ろには、この暑さでも元気な真琴と正司の姿がある。
どこからどう見ても子供だな。「まあ、暑いけど、上がってけ」
「お邪魔します」
水瀬家のリビングはそれなりに広い。
しかし十人以上が詰め掛ければそれなりにスペースは埋まり、結果ますますもって暑くなる。「人が一杯いるという事は、地球温暖化の原因たる二酸化炭素が大量に撒き散らされてるって事よね~。暑くって当然だわ」
汗びっしょりになりながらそれでも笑顔を絶やさない先輩が豆知識を披露している。
「・・・なんていうか・・・、我慢比べみたいになってきたな・・・」
「ラーメンでも食べよっか」
「・・・冷やし中華の方がいい」
「あははー、お邪魔してばかりでは申し訳ないですし、お作りしましょうか?」
「どっちにしろ昼は食うわけだし、頼んでいいかな?」
「はい、それではー」
「あ、私もお手伝いします!」
佐祐理さんに続いて綾香も台所へ向かう。
だが他に動くやつのいる気配はない。「祐一ちゃん、祐一ちゃん」
「ん?」
「これ読んで」
「?・・・あー腹減ったな、誰か俺のために美味い飯作ってくれないかな?」
ギンッ!
先輩が差し出したメモを読み上げた瞬間、今までへばっていた栞、名雪、あゆの目が光り、一瞬にして台所へ消えていった。
そして台所から何やら怒声のようなものが響いていくる。「・・・またかよ」
「あー、そうだ祐一ちゃん」
「今度はなんだ?」
昼食組が台所に行ってから十分ほどして、朱鷺先輩が何かを思い出したように俺に話し掛けてくる。
「ものは相談なんだけどさ、どっか旅行行かない?」
「は?」
「だからさ、教師と生徒の禁断の愛を育む逃避行へ」
どどどどどどどどどっ
「姉さん!」
「なんて事言ってるんですか!」
「先生、極悪人だよ!」
「うぐぅ!」
「みなさ~ん、お鍋が吹いてますよー」
「「「「わぁーーー!!!」」」」
どどどどどどどどどどっ
「・・・騒がしいやつらだ。で、なんだって先輩?」
「だから、愛のとうひ・・・」
「こちとら暑さでいらいらしてんだ。冗談ならまたにしろや」
「祐一ちゃん、怖いわよ。みんなで旅行にでも行かないかって話よ」
「旅行?」
昼食が出来上がって、皆で円になって集まっている。
冷やし中華には材料が足りなかったという事で、ただのそうめんだ。
だがつゆがやたら美味いのは佐祐理さん特製だからだった。「さて、みんないるから丁度いいんだけど、旅行に行かない?」
「先生」
香里さん挙手。
「はい、香里ちゃん」
「一部のものは受験生なのですが」
「息抜きも必要でしょ。それにほら、遅れちゃったけど祐一ちゃんの快復祝いとかさ、色々兼ねて海にでも行かないかなって」
「わぁ、私海ってほとんど行ったことないです!」
真っ先に目を輝かせたのは栞。
ずっと病院に行ってた栞は今まで遠くに旅行に行った経験もないのだろう。「ボクも子供の頃に一度行ったきりだよ」
「あたし行ったことない。行きたい、美汐」
「おいらもおいらも!」
精神年齢の低い連中は既に行きたいモードに入っている。
香里に関しては栞が行きたいならと納得している様子だ。
俺も別に異論を唱える理由はない。「ちなみにこの旅行の発案者は紫苑よ」
「紫苑が?」
「で、計画者が私。車で行く気だから、交通費は私が持つわよ」
これに関して反対者はなく、皆同意で旅行行きを親に申請するという事になった。
一応先輩が引率者という事になるし、秋子さんも行くだろうから、まずこれで決定だろう。
皆そう思っているのか、既にそれぞれに旅行に関して話し合っている。だが俺は、この旅行の発案者が紫苑であると聞いた時に感じた僅かな違和感の正体をずっとつかめずにぼーっとしていた。
数日後。
「おーっし、みんな集まったわね。ほんじゃ、出発しよー!」
「ちょっと待て先輩」
「何?祐一ちゃん」
「・・・これはなんだ?」
俺は目の前に鎮座しているものを指差して尋ねる。
「バスよ」
事も無げに先輩は答える。
そう、確かにそれはどこからどう見てもバスだった。
しかも中は、真ん中にテーブルを囲む形で椅子がついており、スペースが広い。「・・・こんなものをどこから・・・」
「秋子さんに頼んだら用意してくれたわよ」
「さよで・・・」
それ以上追求するな、という事だな。
背後で微笑んでいる人の気配が怖い。「・・・・・ちょっと待て先輩」
「んにゅ?」
「大型免許は持ってるのか?」
「・・・・・」
「・・・おい・・・」
大型なくちゃ運転出来ないだろうが。
「・・・すみれなら持ってるけど、呼ぶ?」
「やめてくれ」
紫苑の携帯を指差しながらの申し出を丁重に却下する。
「私が持ってますから」
「あ、そうですか・・・」
で、結局運転は秋子さんに任せる事になった。
それぞれのバス内での様子を見つつ旅行メンバーの再確認。
「くー・・・」
朝も早くから起こされた名雪は乗るなり爆睡。
お約束だな。「・・・・・」
「・・・・・」
パチッ
パチッ
「う~ん・・・相変わらずやるわね、紫苑・・・」
「・・・・・」
こちらは紫苑と朱鷺先輩。
二人黙々と碁盤に向かっている。
騒ぎ好きの先輩にしては珍しい事だ。「お楽しみタイムはたっぷりあるからね~」
・・・思考を読まれたか。
次は・・・。「「あぅ~ぅ~♪」」
狐どもは流れ行く景色が珍しいのか、窓にへばり付いて離れない。
その横では天野がお茶している。
丁度縁側の・・・。「優雅にティータイムと言ってください」
「いや、それも無理があると思うが・・・」
こいつのこの性格もどうだかな。
「むむむぅ」
「うぐぐぅ」
「えっとぉ」
栞、あゆ、綾香の三人はトランプ。
一番まともな事やってると言うべきか。
まあ、皆それぞれに、らしい事してるけどな。「なぁ、向こう着いたらどうする?」
「別にあなたに言う必要はないでしょ」
北川と香里。
・・・・・。「ふんふふ~ん♪」
運転席では秋子さんが鼻歌を歌っている。
俺は・・・、何もしていない。
みんな楽しそうにしている。
俺ももちろんこの旅行はいいものになると思っている。
なのにどうしてだ?なんでこんなに不安な気持ちが広がってるんだ・・・?