「うわー、もーちょっとだったのにー!」
リビングで紅葉が悔しげに叫んでいる。
覗いてみると、紫苑と二人でテレビ画面に向かって最新のレースゲームをやっていた。
何故ゲーム機がこんな場所にあるのか疑問が残ったが、とにかく己の得意部門においても紅葉は紫苑に勝てなかったらしい。改めて、紫苑恐るべし。
と、思ったが、こればっかりは紫苑も全力投球らしい。
やはりこいつは負けず嫌いだ。絶対。「よーし、しー姉、もーひとしょーぶー!」
「・・・・・ん」
「・・・ほどほどにな」
たぶん聞こえてないだろうが、そう言い残して俺はその場を後にした。
ダイニングに入ったところでカレンダーが目に入る。「・・・もう明日は水曜か・・・」
もうどうにでもなってくれ・・・。
紫苑―SHION―
〜Kanon the next story〜
第三十三章 激烈弁当対決
七月二十四日。
天気は快晴。「あははーっ、絶好のピクニック日和ですねー」
「・・・何故佐祐理さんがいる?」
「はぇ・・・、佐祐理がいてはいけませんか?」
ちゃきっ
「佐祐理を除け者にするのは許さない」
笑顔から一瞬で涙目になる佐祐理さんと、俺に剣を突きつけている舞。
もうこんなやり取りにも慣れたが・・・。「いちゃいけない事はないが・・・」
「あははーっ、ですよねー。やっぱりピクニックは大勢の方が楽しいのです」
「はちみつくまさん」
「そうですね」
秋子さんまで賛同するし。
いいけどさ。
しかし俺はこの二人に声をかけた憶えはないのだが。「何言ってるんですかー、祐一さん。お弁当と言えば佐祐理と相場が決まってるじゃないですかー」
「はちみつくまさん」
「何の相場ですか、何の・・・」
「相沢さん、若い人が細かい事を気にしてはいけませんよ」
「おばさんくさいぞ天野。そもそもどうしておまえらまでいるんだ?」
舞&佐祐理さんのみならず、この場には天野・真琴・正司のトリオまでいる。
「たまたまです。お天気がよかったので三人でここに遊びに来ただけですよ。そもそもここを最初に教えて差し上げたのは私のはずですが?」
確かにそうだ。
今俺達が来ているのはものみの丘であり、何故ここかというと、一番近くていい場所と言ったら紫苑が勝手に決めていた上、他に反対者もいなかったからだ。
俺も別に反対する理由はない。
いずれにしろその結果、花見、栞の入院時、俺の入院時に続いて四度目の全員集合と相成った。「大勢だと楽しいですね」
「うむ、まったくだ」
「ほんとほんと」
その上今回は俺の家族まで加わって、実に18人に及ぶ大集団になっていた。
「これこれ小僧、わしを勘定に入れるのを忘れておるぞ」
「あんたまでいるのかよ・・・」
「わしの縄張りに入り込んでおいてよう言うわ」
狐の大将を加えると19人だった。
よくよく考えるとものすごい人数なのではないだろうか。
少し小さな学校の遠足くらい。
実際、遠足と言っても違和感ない連中が若干名いる。「「あぅ〜〜♪」」
「しー姉、あっち行こあっち」
「・・・・・ん」
まぁ、ガキどもの事なんかどうでもいいんだ。
俺をこんなに憂鬱にさせるのは、やたらと気合の入った複数の弁当箱の存在。
そして殺気にも似た空気。「(今日は自信作ですよ。今日こそ正真正銘、将来を誓い合った仲に昇進です)」
「(負けるわけにはいかないんだお。負けるわけにはいかないんだお・・・・・うー、眠い・・・)」
「(ぼ、ボクがんばったもん。ちょこっと・・・ほんとにちょっと・・・それなりに、秋子さんに手伝ってもらったけど・・・)」
「(味付け、大丈夫ですよね・・・、えっと忘れたものはないし・・・)」
そんな状況を明らかに楽しんでいる保護者達。
今日は超強力な胃薬が必要そうだな。「いい天気だな、美坂」
「そうね、ちょっと暑いけど」
・・・こいつらはもう放っておこう。
「そろそろお昼にしましょうか」
それは試合開始のゴングを意味していた。
皆それぞれに遊んでいた状態で少しは緩和された空気に再び緊張が走る。
この計りすましたようなタイミングが上手いのはうちの親の特徴だ。「輪になって、輪になって」
19人もいるわけだから輪になるとかなり広い。
そんな中、中心となって場を仕切っている母さん。「じゃ、順番に作ってきたお弁当を広げていきましょう。順番に関しては、さっき籤で決めたとおりね」
いつの間にそんなものやってたんだか。
「それじゃあ・・・あの、よろしくお願いします・・・」
トップバッターは綾香か。
他の連中の気迫に押されている感はあるが、はっきりと前に出ようとする意思が感じられる。
ピンク色の風呂敷に包んだ小さめの弁当箱を前に置いて、中身を取り出す。「せ・・・せ、せ・・・せっ、先輩のために!一生懸命作りましたっ!」
湯気が立ち昇るほど真っ赤になって蓋を開ける。
『・・・・・・・・・・おお』
しばしの沈黙の後、皆から声が上がると、ますます赤くなった綾香は縮まっていってしまった。
なんというか、綾香の弁当だった。
至って普通の学校の昼に食べるような弁当。それをどこまでも徹底的に追求したような、まさにこれぞお弁当!とでも言うべき一品である。「じゃ、試食た〜いむ!」
その綾香作の普通の弁当が俺の前に差し出される。
試食をするのは俺以外にいるわけがない。と、皆の目が語っている。「・・・・・・・・・・」
ぱくっ
全員の視線が集中する中、俺は卵焼きを口に運んだ。
じっくりとそれを咀嚼する。ごっくん
飲み込み終わると、皆の注目がさらに増していく。
・・・・・もうどうとでもなれだ。
俺は完全に開き直って、いつも通りに振舞うことにした。「腕上げたな、綾香。美味いぞ」
「は、はぅ〜〜〜〜〜」
ぷしゅーーー
全身から煙を立ち昇らせた綾香は、そのまま卒倒してしまった。
朱鷺先輩が冷静に介抱している。「ふ〜ん、最初から強力なのが来たわね。じゃ、次見てみようか」
続いての出番はあゆ。
直前がパワーアップしていた綾香だっただけに、かなり緊張が走るところだろうな。
なんせあゆあゆだから。「こ、これがボクのお弁当だよっ」
じゃん!
と出されたそれは・・・。
「・・・・・普通の弁当だ・・・」
「当たり前だよっ」
「わかったぞ、裏が焦げてるとか・・・」
「焦げてないよっ。ちゃんと出来たんだもん」
今まであゆの料理と言って差し出されたものでこんなにまともだったものはなかった。
食べてみたが、それは至って普通である。
決して絶品と言えるレベルではないが、あのあゆが作ったとなると、いくら秋子さんの手助けを得ていたとしてもものすごい進歩だ。「ふむふむ、愛する人のために苦手なものを克服する。愛よねぇ〜」
母さんが何事かのたまっている。
無視だ無視。続けて栞。
「祐一さん!私の愛をどーんと受け取ってください!」
どーん!
「・・・・・栞、それは俺の弁当か?それともみんなの弁当か?」
こいつはいつもと同じだった。
いや、気合が入っている分、いつもを遥かに上回っている。
俺が真っ先にこんな疑問を発したのは仕方のない事だと思う。「そんな事言う人、嫌いです。これが私の愛のスケールなんです!」
「多けりゃいいってもんじゃないだろ・・・」
量だけは他を圧倒する栞の弁当。
味の方も以前より上がっていたりするのだが、やはりこの量に目が行ってしまう。「はっきりと形で見せる。これもありよね」
母さんには評価の対象となった様だが。
「今度は名雪か・・・」
「わたし、朝4時に起きたんだよ」
「なにーっ!!?」
これには驚いたを通り越して思わず永遠が見えた。
あの!名雪が!4時に起きて弁当を作っただぁ?・・・・・?ちょっと待て
「おまえ、昨日何時に寝た?」
「7時。ご飯の後真っ先にお風呂入ってすぐ寝たよ」
それでもまぁ、大したものか。
ちなみに味の方は、栞同様レベルアップしている。
この辺りはさすが秋子さんの娘か。ここまではそれぞれにインパクトのある弁当だったな。
味に関して言えば綾香が一番だったが、弁当作りにまつわるエピソードもどうやら愛とやらの評価対象になっているらしい。
それにしても、試食でちょっとずつでも結構食べたな。ここらで口直しがほしいところなんだが・・・。「あははー、では次は佐祐理からですねー」
そう言う佐祐理さんの傍らには、いつも通りの重箱が置かれている。
まだ弁当を食うのか・・・。「あ、これはみなさんのお昼の分で、祐一さんにはこっちを差し上げますよ」
「こっち?」
佐祐理さんは重箱とは別に用意された箱を取り出して俺の前に出す。
蓋を開けてみると、そこには様々な種類のデザート類が並んでいた。『おお・・・』
皆の口から嘆声が漏れる。
それほど見事なものに見えたからだ。「佐祐理さん、こういうのも得意だったんだ」
「あははーっ、実は最近、百花屋のアルバイトで厨房も任されてるんですよー」
「そりゃすごい」
「それで、佐祐理には一つの夢が生まれたんです」
「夢?」
「はいっ、いつか舞と二人で、喫茶店をやれたらいいなぁ、って」
舞と佐祐理さんの喫茶店か・・・。
美人オーナーが二人。その上料理も絶品。
いいな。「それは、いい夢じゃないかな」
「あははー、ありがとうございます。祐一さんは甘いものがあまりお好きでないという事なので、これなんかどうでしょう」
「じゃ、いってみるか」
確かに俺はデザートの類はあまり食べないのだが、佐祐理さんの自信作となれば食べないわけにはいかないだろう。
勧められたプチケーキを口の中に入れる。「・・・・・〜〜〜〜〜」
「どうですかー?」
「・・・俺、佐祐理さんの店が出来たら絶対常連になる」
「あははーっ、ありがとうございます」
絶品、なんてもんじゃない。
これはもうプロの域だ。或いは秋子さんと同等か、それ以上。「佐祐理さん、弁当もつつかせて」
「どうぞー」
さらに俺は佐祐理さんが作ってきた重箱からもいくつかいただく。
そこには、他とは明らかに次元の違う味が存在していた。
以前の佐祐理さんと比べてさえ段違いだ。
花見の時からここまで僅か三ヶ月でここまで腕を上げていたとは・・・。「・・・佐祐理の料理、世界一・・・」
横で同じ様に食べている舞がうっとりとした表情で空を仰いでいる。
「実はみなさんの好みに合わせたデザートを用意させていただいたんです。どうぞ召し上がれ」
まだ食事も途中であったが、皆誘われる様に佐祐理さんのデザートを口にしていく。
名雪は真っ先に差し出されたイチゴのムースを食べた瞬間、天にも昇る心地を味わった様な表情で気絶した。
栞にはクーラーボックスに入っていた手作りアイスクリームが渡されたが、これまた昇天した。
あゆもたいやきを食べて絶叫し、目が覚めた綾香も好物のレモンのケーキを食べてほわほわになった。
他の面々も、あの秋子さんまでもその味に心奪われた。倉田佐祐理、恐るべし・・・。
この人はいつか世界に君臨する料理人になる、そんな予感すらした。弁当も同じで、皆その味に魅了されていた。
皆が食べるのに夢中になっている中、俺と目が合った舞が一言。「・・・羨ましい?」
・・・こいつ、結構性格悪くなったな。
羨ましいに決まってんだろーが!
舞は毎日こんな料理を食べてるんだな・・・。
まぁ、俺だって毎日秋子さんの料理を食べてるが。
「さてと、これで全員かな?」
佐祐理さんの味に魅了されてしばらく皆ぼーっとしていたが、やがて母さんがそう言って全員を現実に引き戻す。
確かに、これで一通り・・・。「待って下さい?」
声を上げたのは栞だ。
「さっきから紫苑さんがいないんですけど?」
『あ・・・』
今まで誰も気付かなかったが、確かに紫苑の姿がない。
ていうか紅葉共々昼になってからずっといなかったかもしれない。
紅葉はともかく、紫苑は空気みたいなやつだからいてもいなくても気配を感じないし、今は全員弁当勝負の事ばかり頭にあったから、誰も気付かなかったのも仕方ない。「・・・くんくんっ、ねぇ、さっきから何かいい匂いがするんだけど?」
鼻を突き出しながら真琴がそんな事を言う。
「これだけお弁当が並んでいればいい匂いくらいすると思いますけど?」
「そうじゃねえんだよ、美汐。なんていうか・・・もっと違う匂いが・・・」
「うむ、確かにするのう」
狐達が皆そう言う。
俺達人間は目の前にこれだけおいしいものが並んでいい匂いが充満しているとわからないものだが。すっ・・・
「あ・・・」
またいつもの様に空気の様に現れた紫苑が手にしていたものを俺の前に差し出す。
それは笹の葉に乗せられたいくつもの握り飯だった。
何の変哲もない、ただの握り飯。
海苔も巻かれていない、まん丸な握り飯は、あちこちに焦げた部分が見受けられる。「ほほ〜う、紫苑久しぶりにやったわね」
「・・・・・」
先輩がにやにやしながら俺の隣りに座った紫苑を見ている。
「おにぃー!」
「どわぁ!」
俺は真後ろからタックルを受けた。
言うまでもなく犯人は紅葉だ。「しー姉のおべんと、たべてみたべてみ」
「お、おう・・・」
紫苑の料理というのを食べるのは決してはじめてじゃないが、今日は少し違う気がするのはどうしてだ?
ぱくっ
「!」
一口食べると、不思議な感じがした。
ほどよく焦げた部分の苦味が妙においしく感じられる。
味は軽く塩をまぶしただけのものなのに、なんというか、ご飯そのものがおいしい。「どーよ、祐一ちゃん。紫苑の飯盒で炊いたご飯」
「飯盒で?これが・・・」
それでさっきからこいついなかったのか。
真琴達が感じたいい匂いの正体もこれか・・・。「たまに炊飯器のご飯に飽きるんだってさ。そんな時飯盒で炊くのよ。食べた事あるの祐一ちゃんで四人目ね。あ、もみっちゃんも食べたんなら五人目か。ここにいるみんなの分もあるみたいだから、紫苑式飯盒ご飯ご解禁ね」
「・・・・・」
皆もつられるように握り飯に手を伸ばし、無言で食べていく。
不思議な、心の底から温まるような、そんな味だった。
「はははっ、夏海、どうやらおまえが心配する様な事は何もないらしいぞ」
「ええ、本当に、いいお嬢さん達に囲まれて、祐一は大丈夫ね」
「これで、安心して何年でも向こうに行っていられるな」
「でも、いやだわ。なんだか祐一がこの子達にすっかり取られたみたいで」
「はははっ、仕方ないさ。子はいつか巣立つもの」
「そうね」
「許嫁はどうするんだ?」
「あんなもの、冗談に決まってるでしょ。決めるのは全て、祐一次第」
「うむ。幸い選択肢には事欠かないようだしな」
「みんないい子ばかりで」
「紅葉も大きくなったら、この子達の様な女の子になってほしいな」
「ええ、きっとなりますよ」
結局、許嫁云々の話は保留のまま、俺の家族三人は帰っていった。
疲れたけど、両親の気持ちが少し嬉しくも感じた数日間だった。
こんな事口に出しては言えないけどな。