目が覚める。
普段の感覚から行くと、いつもよりも大分遅い時間だった。
あれからしばらく経つけど・・・。

首を廻らしていると、カレンダーが目につく。
今日の日付のところには赤丸。祐一の退院の日。
起きよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・そういえば・・・。

改めてカレンダーを見る。
ついでに見慣れている部屋の中も。
朝だから鳥の声もしている。

元に戻ったか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

紫苑―SHION―
〜Kanon the next story〜

 

第三十章 今日だけ少し変

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おはようございます、綾香です。

あれから一週間。
思ったよりもずっと早く祐一先輩の退院の日がやってきました。
とっても嬉しいです。

「ふわぁ・・・おはおー」

「朱鷺姉さん、もっとしゃんとしてください」

「ほいほい〜」

まだ身だしなみも整えていない状態の、まさにベッドから抜け出たての朱鷺姉さんがダイニングに入ってきて食卓につきます。さっそく朝刊を拡げていると、とても年頃の娘とは思えません。
そう、社会人とは言え、姉さんはまだ二十歳ですよ。
こんなんじゃ嫁の貰い手があるか心配です。
本人は独身のままキャリアウーマンしていくつもりらしいですが・・・。

「・・・おはよ」

「あ、紫苑姉さん、おはようございます」

珍しいですね。
紫苑姉さんが朱鷺姉さんよりも遅く起きてくるなんて。
いつもは私より早いのに・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「・・・・・・・・・・?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「・・・お鍋、吹いてるわよ」

「え?わわっ」

慌ててコンロの火を止めます。
ふぅ、よかったです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・ってそうじゃなくて!

「姉さん!声!」

「大声出さなくても聞こえてるわ」

「な、治ったんですか!?」

祐一先輩のために力を使いすぎて感覚がなくなってたのに・・・。

「・・・一週間もすれば治るわ。死にかけた祐一よりはましなんだから」

「よかったぁ・・・」

「ほんと、直輝ちゃんが喜びそうね」

あはは・・・・・。

 

 

 

先週の事・・・。

「おい紫苑!目と耳が利かねえらしいな。だが!喧嘩じゃ体調が悪いからって待ったはなしなんだよ!」

「おー、直樹ちゃんひっきょー」

「なんでこういう時に出てくるんですか!」

「外野は黙ってろ!行くぞ紫苑!」

どかっ ばきっ がす ごす どごぉっ

「が・・・はぁ・・・」

どさ

「ふむふむなになに・・・・・ぷっ・・・手加減が利かなかった、だって。あっはははははは」

「はぁ・・・」

「く、く・・・そぉ・・・」

 

 

 

まぁ、そんな事はどうでもいいんですけど・・・。
何でしょう?
今日の紫苑姉さんは、どこかいつもと雰囲気が違います。
気のせい、でしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・ふっ。病院なんて場所でも、一週間もいると愛着が涌くものだな」

あまり世話になりたくはないのだが、過ごしてみると結構悪くない。
なんせ病人や怪我人という事で贔屓されるからな。
ま、こんな事も健康なればこそ考えられる事だ。

「日ごろの行いのよさだな」

「何かっこつけてるのよ」

「どわぁっ!!!」

本来人がいるはずのない方向から声をかけられて、俺は数メートルも跳び下がった。
ちなみに俺がいるのは病院の屋上であり、フェンスに寄りかかっていたのであって、つまり後ろは空。
その後ろに人がいるなど一体誰が予想できようか。

「し・・・紫苑・・・、おまえ一体どこから・・・」

「下から」

「どうやって・・・?」

あるのは建物の壁だけだというのに・・・。

「窓枠に手とか足とかかけながら・・・」

「いや・・・もういい・・・」

そうだよな、こいつのする事は時々人間の範疇を超えるんだよな。
慣れている事だ。驚いたのは不意を付かれたからだ。

「とりあえず、そんなところにいないで、こっち来いよ」

「・・・・・」

さっ、と軽々フェンスを飛び越えて、紫苑がこちら側に降り立つ。

「先輩と綾香は?」

「来てるわ。姿が見えたから先に来たのよ」

「そっか」

そんなに急ぐ必要あるのか?
いつもの紫苑ならわざわざそんな事しないと思うんだが。

「祐一」

「なんだ?」

う・・・なんだ、このプレッシャーは・・・?
普段は空気と同化してるのかと思うほどひっそりとしている紫苑が、今は凄まじい存在感をもって俺の前に立っている。
なんというか、そう、一言で表現するなら・・・怒っている。

「話があるわ」

「おう」

ずずいっと紫苑が前に出てくる。

「今ね、あたしは猛烈に怒ってるの」

「見ればわかる」

表向きは平静に対応するが、内心はすっかり呑まれていた。

「人に散々心配かけておいてへらへらしてるし」

「う・・・」

性分なんだから仕方ないだろ・・・。

「そういう性分は直した方がいいと思うわ」

「こ、声に出てたか?」

「そのくらいあたしにはわかるわ。ほんとに・・・あんたは・・・」

紫苑が俺から目をそらす。
相変わらず圧倒的な存在感を示しているのだが、何故かいつもよりも弱弱しい感じもしていた。

「今回ほど取り乱したのは、生まれてはじめてよ。何が起ころうが、明日世界がひっくり返るのがわかったって慌てる事なんてないと思ってたのに・・・」

「・・・・・紫苑」

「・・・あたし達の力っていうのはね、この世界に溢れかえっているものなのよ。大気と大地と、海と、生きとし生けるもの全ての中に流れるもの、自然の理の事。だから、奇跡と言っても事象を捻じ曲げるほどの力じゃない。だから・・・いくらあたしが大きな力を操れても、あなたを助けられる可能性は低かったわ」

「・・・・・」

「運がよかったの。みんなの純粋な気持ちと、他にもいくつもの条件がたまたま一致したからこそ上手くいったわ」

半ば俺も思っていた事だったが、こうして聞かされるとぞっとする。
死んでいた可能性の方がずっと高かったんだな・・・。

「そういうものを知っているから余計に、あたしにはあなたの死ぬ未来が見えていた。・・・とても・・・怖かったわ」

「・・・・・」

「どんなに強大な敵と対峙しても恐怖なんかした事ない。あなたには教えてないし、朱鷺や綾香も知らないけど、あたしは人が死ぬ様は目の前で何度も見てるわ。それでも心乱れる事は一度もなかった。そんなあたしでもね、近くにいる人が死ぬのは嫌だわ。あなたや・・・、朱鷺や綾香がいなくなるのは、怖い」

怖いと言いつつも、震えたりしているわけじゃない。
紫苑は毅然としている。
けれど、その言葉には、今までに聞いたどんな言葉よりも重みを感じた。

「だから・・・」

「・・・・・」

「・・・・・」

「・・・・・」

「・・・・・むぅ」

ぎゅうぅ

「ひてててて・・・、ってはにひやはる」

指し伸ばされた紫苑の手が俺の頬を思い切りつねる。
はっきり言って、めっちゃ痛い。

「・・・なんでこうなるのよ・・・」

「は?」

意味がわからんのだが。
っていうか頬が痛い。

「どうしてこんなに落ち着かないのよ。こんな風に取り乱すの、嫌だ」

最後にぐいっと引っ張ってから頬を放し、俺の脇をすり抜けて紫苑が離れる。

「いってー・・・」

つまりなんだ、紫苑は怒っているというよりも、苛立っていると言った方がいいみたいだな。
どうやらこいつは思った以上に負けず嫌いな性格らしい。
自分の思い通りに感情が制御出来ない事が嫌なんだ。

「ふっ」

「何笑ってんのよ」

「いや・・・」

普段のこいつは、比の打ち所が見付からないようなやつだけど、こんな一面もある。
完璧な人間なんていないんだって思うと、少し愉快な気持ちになる。

「・・・あたしの話聞いてた?」

「ああ」

「人に心配させておいてへらへらするなって・・・」

「おう」

「・・・・・もう片方の頬もつねっていい?」

「嫌だ」

「・・・子供っぽい」

今の紫苑の方が子供みたいな印象を受けるけどな。
普段大人びてる分だけ余計に。

「・・・・・やっぱりもう片方もつねる」

「おっと・・・それよりおまえ、目とか耳とか声とか治ったんだな」

「・・・・・」

俺が後ろに下がってかわしたため、紫苑は行き場のなくなった手を悔しそうに見詰めている。

「ええ。でも変なもので、普段は必要な事だけ喋ってればいいと思ってるくせに、いざ話せないとなるともどかしいものね」

紫苑が目線を横に移す。
どこか拗ねている感じに見えなくもない。

「ほんとに・・・今日はどうかしてる。文句は言うつもりだったけど、こんな喋るつもりはなかったのに・・・」

自分の状態に戸惑っているのか、紫苑は俺に背中を向ける。
その仕草がやけに女の子っぽくて、今までではじめて紫苑をかわいいと思った。

「今日のあたしは、少し変だわ」

「ああ、そうだな」

「変ついでに、もう一つ言っておきたい事があるわ」

「おう」

「ほんとに今日だけだから、一度しか言わないわよ」

「ふむふむ」

「あたし・・・」

紫苑が首だけ回してこちらを向き・・・。

「あなたの事好きよ」

「・・・・・へ?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・う・・・なんか切り返してからかおうと思っていたのに、たぶん今の俺の顔は真っ赤だ。
俺の顔が物凄く熱くなっているのに対して、紫苑の方は言う事言ったらすっきりしたのか、逆にいつも通りの平静な状態に戻っていた。

「・・・・・」

俺が言葉もなく佇んでいると、紫苑はゆっくりと階段に続く扉に近づき・・・。

「・・・・・」

ガチャ

体ごと扉から離れるようにして開けた。

『わぁあっ!!!』

ドシャドシャドシャ

開くと同時に雪崩のように人が倒れこんできた。

「・・・・・」

倒れている人の山を冷ややかに一瞥してから、紫苑は中に入っていった。

「はぅ〜、紫苑姉さん、やっぱりそうだったんですね・・・」

「これは・・・最強最大のライバルがついにそのベールを脱いだと言ったところですっ」

「こ、困ったんだおー・・・くー」

「うぐぅ、病院での告白はボクのせんばいとっきょだったのに・・・」

「相変わらずもてていいなぁ、相沢」

「プレイボーイね」

「こういうシーン、漫画にもあったわね」

「青春ってやつかぁ」

「ちょっと羨ましいですね」

「あははー、いいもの見ちゃったね、舞」

「・・・・・ぽ」

「いやぁ、紫苑もなかなか・・・・・ってみんな早く退いて〜、お〜も〜い〜」

一番下で完全に潰されている朱鷺先輩が悲鳴をあげながらもがいている。
デバガメにはいい薬だ。
なんてツッコミを入れるほど俺に余裕はなかったが。

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、さっきはほんとに潰れるかと思ったわ。しかしまぁ、まさか紫苑が祐一ちゃんに熱烈なプロポーズとはねぇ〜」

所変わって病院の前。
退院するところだ。
ちなみに、話題の紫苑はさっさと帰ったらしく、もういない。

「あの子なりに恥ずかしいのよ、きっと、たぶん、もしかしたら」

「段々自信なくなってるぞ、先輩」

「いやぁ、紫苑だからねぇ」

強引な理屈だが、かなり説得力はある。
紫苑っていうのはそういうやつだからな。

「まぁ、紫苑さんはともかく、祐一さんが退院出来て嬉しいです」

「はい。本当に、一時はどうなるかと・・・」

「うん、うん」

「ほんとだよ」

「ま、よかったじゃない」

「ほんとほんと」

「はい」

「あははー、今日はいい日ですねー」

「はちみつくまさん」

「この相沢、幸せもんが」

「ほんとね」

「・・・・・ああ」

俺はここに集まったみんなの顔を見渡す。
皆本当に嬉しそうな顔をしてくれている、俺のために・・・。

「・・・みんな、ほんとに心配かけてごめん。そして、ありがとう」

『・・・・・』

心地よい空気だった。
ずっと浸っていたい様な、それはちょっと照れくさいような感じ。
それをぶち壊したのは、案の定というか、朱鷺先輩だった。

「・・・そう言えば祐一ちゃん、明日から何の日か知ってる?」

「へ?」

「もうすぐ夏休みよねぇ。でも、学生としてその直前にやらなくちゃならない事があるわよね〜」

「・・・ま、まさか・・・」

嫌な予感がした。

「実はもう先週末から始まっているから、その分は居残りでね」

が、学期末・・・。

「受験生にとってひっじょーに大切な期末試験が待ってるわよ〜」

退院気分の浮かれ気から・・・。

「○×△※$▼◎%><#×!!!」

どん底の気分に変わり・・・。

声にならない俺の絶叫が、病院の前で木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おお、何やら小僧の声が聞こえるのー」

「・・・・・」

学校は試験中とか綾香が言ってたわね。
たぶん忘れてる祐一にいいところで教えたんでしょう。

「しかし紫苑、お主が小僧に求愛するとはな。実は今非常に照れておるのではないか?」

「・・・・・別に」

むしろ言う事言ったらすっきりしたわ。
今度会ったらまたいつものあたし。

ま、二三日は祐一に余裕はないだろうけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戻る     次章へ


あとがき

いやー、最大のシリアス編終わった。
次回からはまたほのぼの路線に戻りますんで。
でもその先にはまた新たな山が・・・。
紫苑が平穏を手にするのはいつの事やら。