加持祈祷の類なんて、大昔では当たり前の事だったのに。
今どきじゃ、東雲家にさえ形しか伝わっていなくて、やる人もいない。
現代の人間は、大気や大地に息づく神々の存在を忘れ始めている。
神は人の信仰を得る事でそこに存在し得る。
人々から忘れ去られた神は地上を去り、天に帰っていく。

神を呼ぶものは人の想い。
想いがあれば神の力は再びこの地上に顕現される。
それは遠い昔の様に、奇跡という形であたし達の前に姿を現す。

信じられない人には、それを見る事は出来ないだろうけど。

だけど、いつしか雨は止んで・・・。
少しずつ広がっていく星空を見た時に感じた安堵感と共に、あたしの意識は途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

紫苑―SHION―
〜Kanon the next story〜

 

第二十九章 七夕の奇跡とその代償

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここは、どこだ?

真っ白な空間・・・。

そして上へ向かっている浮遊感。

まるで昇天するみたいだな、変な感じだ。

夢・・・、そうか夢か。

何もない空っぽな夢だな。
夢ってのは確か、脳が情報を整理する際に見るものだったはずだから・・・、つまり、俺の頭が空っぽって事か?名雪や真琴じゃあるまいし。

俺はぱーじゃねえぞ。

『いいや、ぱっぱらぱーの大うつけじゃ!』

誰だ?人の夢でやたら偉そうな口を聞くやつは。

『まったく、己の置かれた状況も理解せずに呑気なやつじゃのう』

態度と口調は偉そうだが、声質からするとまだ子供の様だな。
ガキに説教されるほど落ちぶれたつもりはない。

『十分落ちぶれておるわっ』

何をぉ、おまえなんだ?

『無礼者が。余の事などどうでもいいわ。それよりも、己がやってきた方をしっかりと見てみよ!』

やってきた方?
っていうと、下か?

先ほどから上へ向かっている感じがするのだから、当然俺は下から来たのだろう。
そちらに目を向けてみる。
やっぱり真っ白な空間しかない。

何もないぞ。

『本当にそう思っておるなら大うつけを通り越して救いようのないあんぽんたんじゃ。このまま余のいる場所より高きへ昇れば、二度と降りてくる事は叶わんのじゃぞ』

それって何か困るのか?

『今ならまだ戻れるという事じゃ。己の進んできた道に未練はないのか?』

未練・・・?
・・・・・・・・・・・。

・・・思いつかん。
それより楽だから早いとこ昇らせてくれ。

再び流れに身を任せて浮遊感を味わう。
ああ楽だ。もう何もかもどうでも・・・・・。

『こぉんの・・・大たわけがっ!!!』

バチコーッン!!!

い・・・ってぇー・・・。

上を向かう俺の頭が上から思い切りハリセンで叩かれた。
見上げるとおそらくは先からの声の主であろう、黒髪で白い翼を生やした少女がものすごい形相で睨みつけてくる。

『もう一度目を凝らして下を見よ!耳を澄ましてみよ!』

『聞こえるはずじゃぞ。お主を呼ぶ声が』

・・・・・・・・・・・

微かに、何かが聞こえてくる。
同時にぼんやりと視界に浮かんでくる人影がいくつもあった。

 

・・・・・祐一!

名雪・・・。

・・・・・祐一君!

あゆ・・・。

・・・・・祐一先輩!

綾香・・・。

・・・・・祐一! 祐一兄ちゃん! 相沢さん

真琴・・・正司・・・天野・・・。

・・・・・祐一 祐一さん 祐一ちゃん 祐一さん

舞・・・佐祐理さん・・・朱鷺先輩・・・秋子さん。

・・・・・相沢君 相沢!

香里・・・北川・・・。

 

祐一さんっ!

栞・・・。

・・・・・

紫苑・・・。

 

『わかったか、お主はまだ、この先へ行くには早すぎるわ』

ああ、そうだな。
大切な事を忘れかけていたみたいだ。

俺には、帰りを待っているやつらがいる。
あんなにたくさん。

戻ろう。

『さっさと行け』

・・・・・

『どうした?』

・・・あんたは、どうするんだ?
こんなところにいて・・・。

『・・・・・馬鹿者。お主なんぞに心配されんでもよい。余はここで迎えを待っておるからな』

迎えか・・・。

『うむ。お主と似て長い事待たせる不忠者じゃがな。・・・必ず来ると信じて待っておるのじゃ』

そっか。
ありがとな。
名前、なんていうんだ?

『痴れ者が。高貴なる者の名をみだりに訊くでないわ。ま、お主となら、もしかしたらまた会うやもしれぬな・・・。ほれ、さっさと行けというに。本当に帰れなくなってしまうぞ』

ああ、じゃあな。

翼の少女に別れを告げ、俺は下へ帰っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・」

・・・ここは、どこだ?
なんだか変な夢を見ていたような気がするけど、なんだったっけ?
目の前には白い壁、いや天井か。

俺はどうしたんだ?

記憶を呼び戻していく。
確か・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

がばっ!

「・・・っい、・・・ってぇ・・・・・」

勢い良く体を起こすと、全身に激痛が走る。

「こらこら、まだ絶対安静だぞ、祐一ちゃん」

「・・・?」

痛みを堪えつつ回りを見回すと、唖然としたみんなの顔が並んでいた。
その中で、後ろの方落ち着いた表情でいる二人のうちの一人、朱鷺先輩が俺に注意を促す。

「・・・えっと・・・?」

改めて周りを見る。
栞、あゆ、名雪、綾香・・・その他諸々。
いつものメンバーは全員いる。

はっ、そうだ。

「栞、名雪、あゆ、おまえら大丈夫だったか?」

「「「・・・・・」」」

三人とも無言。
確かあの時一緒に事故にあったはずだから・・・。

「・・・うー、祐一の馬鹿ぁー!」

ばちぃーん

「ってぇー!」

名雪の平手打ち。

「人の心配より・・・」

どごっ

「ぐぇ・・・」

あゆのストレート。

「自分の心配をしてください!」

ばこんっ

「ぐぁ・・・!」

栞のスケッチブックアタック。

「せ、先輩、大丈夫ですか!?」

ベッドに突っ伏す俺に心配げに綾香が声をかけてくる。
なんというか、何から何まで痛くてもうどうでもいいって感じだ。

「やれやれ、安静だって言ったのに」

朱鷺先輩のたしなめるような、それでいて楽しそうな声が聞こえる。

「「「ごめんなさい・・・」」」

三人が恥ずかしげに謝る。
さすがにやりすぎたと思ったのか、心配げに突っ伏している俺を覗き込んでくる。

・・・いや、心配そうにしてるのは今の事じゃないな。

「・・・みんな、ごめん。心配かけて」

「まったくね」

「まぁ、おまえの図太さなら簡単にはくたばらないとは思ったけどよ」

「あははー、でもほんとによかったですよー」

「はちみつくまさん」

「まったくしょうがないわね、祐一は」

「ほんとだぜ」

「大事に至らなくて何よりですけど」

「今夜はお赤飯にしようかしら」

「しばらくは入院ですよ、秋子さん」

皆が口々に言う。
中には憎まれ口を言っているやつもいるが、いずれの声にも安堵というものが感じられた。
俺はどうやら相当にやばい状態だったらしいな。
それで心配して集まってくれる人がこんなにいるなんてな・・・。

「・・・・・」

「祐一さん?」

「・・・いや・・・」

不覚にも目じりが熱い。

「・・・俺って幸せ者だな」

「今更何言ってやがる、クラスの全男子の敵が」

まったくだ。
こんな目に合わないと自分の幸運さがわからないなんて、俺って馬鹿だな。

「人に心配ばっかりかけて、極悪人だよ、祐一」

「うんうん、食い逃げより性質が悪いよ」

「あゆさん、それはどうかと・・・」

栞達も無事でよかった。
今ここにみんなでいる事の幸せをこれほど実感した事はかつてなかった事だ。
以前にも栞の病気、秋子さんの事故、真琴の事やら、舞の事やら、さらにはあゆの事やら色々あって常々感じてきた事だが、改めて思ったな。
皆一緒に平穏無事が一番。

「・・・・・」

皆?
はて・・・。

「・・・・・」

「どうしました?祐一さん」

俺は改めて周囲を見渡す。
ほとんど親しい知り合いが全員集まっているものと思っていたが、約一人足りない。

「・・・紫苑はどうした?」

そう、あいつがいない。
こういう事を言うとまた反感を買いそうだが、あいつはこんな雰囲気だと大概俺の隣りにいる。
はじめて会った時がそうだったため、それからもずっとだ。
だが今この場に紫苑の姿はない。

「えっと・・・紫苑さんは・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

背中には地面の感触。
ひんやりと冷たい感じは朝を示している。
初夏とは言え、この地方ともなると朝は結構涼しい。
でもむしろそれは過ごしやすい方という事。

意識の覚醒とともに、ゆっくり目を明ける。

「・・・・・?」

予想していた朝の空は見えなかった。
目の前に広がるのは真っ暗な空間。

まだ夜?

いや、全身の感覚が朝だということを告げている。
では何故目の前が真っ暗なのか。

「・・・・・」

じっくり神経を研ぎ澄ましてみると、もう一つ足りない機能があった。
音が聞こえない。綺麗さっぱり、何も。

「・・・・・」

そして極めつけ、声が出ていない。
耳が聞こえないから確認は出来ないけれど、間違いなく喉がまともに動いていなかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・少し困ったかな。

拳を握ってみる。
体中の感覚はある。少々力加減が利かなくなってはいるが。
匂いは感じる。舌の感覚もある。

機能を止めている五感は二つ、か。

・・・・・ま、いいか。

行こう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガツンッ

「?」

物凄い音がして皆がドアの方に目を向けると、ドアの淵に思い切り激突している紫苑の姿を発見した。

「な、何やってんだおまえ、あゆじゃあるまいし・・・」

「どういう意味だよっ」

横から文句を言っているうぐぅは無視して紫苑の答えを待つ。
だが、紫苑は俺の質問に対して答えを返さない。
それ自体は別に珍しい事じゃないんだが、今日は俺の言葉に反応すらしていない。

「・・・紫苑?」

「・・・・・」

少しふらつく足取りで病室内に入ってくる紫苑。
そこで気付いたのだが、紫苑の目線があさっての方向を見ている。
まるで・・・。

「ちょっと紫苑、あんたまさか、目が・・・」

病室の中に入ってきた紫苑の体を朱鷺先輩が抱きとめる。

「目、だけじゃないわね。耳も聞こえてない・・・」

先輩の言うとおり、紫苑は先輩の言葉にも反応を示していない。
だが紫苑は、自分を掴んでいる先輩の手を取って、その手の平を人差し指でなぞっていく。

「大、丈、夫、って・・・まさか声も出ないわけ?」

紫苑は先輩の手を軽く押して退けると、俺のいるベッドに向かって歩き出した。
俺と紫苑の間にいた面々が横に退いて道を空ける。
開けた空間を、紫苑はゆっくりと、しかし確かな足取りで俺の下へ向かってくる。
そのゆっくりとした動作すらもどかしい。
体が動くならこっちから行ってやりたいが、それが出来ないため、せめて紫苑に向かって手を伸ばす。

「・・・・・」

見えていないはずなのに、俺の手に気付いたように紫苑もこちらに向かって手を差し出す。
やがて二つの手が重なって、俺は紫苑を引き寄せた。

こつん

俺の所在を確認した紫苑は、そのまま俺に近づき、俺の顔を両手で挟んで、額と額を合わせる。
すぐ目の前にある紫苑の顔に、微かな笑みが浮かぶのがはっきりと見えた。

その状態が心地よくて、周りの視線も気にせずにいつまでもこうしていたい気分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朱鷺よん。

戻ってきたと思ったらいきなり目と耳と声が使えなくなっていた紫苑を一先ず場所が病院ということもあり、医者に診せる。が・・・。

「はっきり言って原因不明です。ですが、視覚、聴覚、声帯はまったく機能していない状態です」

「そんな・・・!姉さんはどうなるんですか?」

心配そうな声を上げる綾香。
けど私の方は、それほど悲観はしていなかった。
紫苑は自分の事を自分でわかる子だから、この子が大丈夫って言うなら大丈夫なはず。

「治る見込みはあるの?」

「損傷は見受けられませんでしたから、元に戻る可能性もありますが、ずっとこのままの可能性も否定できません。現状ではなんとも・・・」

・・・・・・・・・・・・・・・

私達姉妹は祐一ちゃんの病室に戻る。
戻るなり紫苑はちゃっちゃと祐一ちゃんの隣りに陣取る。

「朱鷺さん、紫苑さんはどうだったの?」

「原因不明だそうよ」

あゆちゃんの質問にさらっと答える。
その通りだからそれ以上の言いようはない。

「そんな・・・もしかしてこれって、奇跡の代償とでも言うんですか?祐一さんは助かったのに、今度は紫苑さんが・・・」

栞ちゃんがちょうど祐一ちゃんを挟んで反対側にいる紫苑を心配げに見る。
この状態に戸惑っているのはむしろ周りの人間で、紫苑本人はまるっきり気にしていない様だ。
そもそも栞ちゃんの話だと紫苑は街外れにいたはずだから、そこからこの病院まで来られたのだから、問題ないのかもしれない。

「もし、相沢祐一の病室はここかの?」

「ん?そうだけど」

ドアのところにいた私に後ろから声をかけてくる女性がいた。
見たところ私より少し年上。着物姿で長い狐色の髪が綺麗な人だ。

「あー!短冊くれた女の人!」

部屋に入ってきた女性を見るなり声をあげたのは栞ちゃんだった。
しかし暗い廊下側の時はよくわからなかったけど、明るいところで見るとこの人物凄い美人ね。
祐一ちゃんたら、こんな美人の年上にまで手を出してたのかしら?

「おお小僧、生きておったようじゃな」

どこか古風な口の聞き方をする女性は、親しげに祐一ちゃんに話し掛ける。
私と同じ事を皆考えたのか、一部の子達が痛そうな視線を祐一ちゃんに送っている。

「・・・誰?」

しかし、当の祐一ちゃんは彼女の事を知らない様だった。

「やれやれ、まったく人間とは情けないものよの。少々姿形が変わっただけで何者か判別出来んのか。わしじゃ、ものみの丘の瑞葉じゃ」

・・・・・・・・・・・・・・

一部の者達によるしばらくの沈黙。

「「ええぇ〜〜〜!!」」

声を上げて驚いたのは真琴ちゃんと正司ちゃんだった。
瑞葉という女性が二人を睨んでいる。

「お主ら、親の見極めも出来んのか。少し修行させた方がいいかのう?」

「「あ、あぅ〜」」

「そうですね。色々な意味で鍛えてくださった方がいいかもしれません」

「「美汐〜〜〜」」

なんだか良くわからないけど、楽しそうなやり取りね。
微笑ましいわ。

「紫苑、お主も災難のとばっちり状態の様じゃな」

「瑞葉さん、紫苑は・・・」

「案ずるな小僧」

祐一ちゃんの言葉を瑞葉さんが制して言葉を紡ぐ。

「力の使いすぎで感覚が麻痺しておるだけじゃ」

「麻痺?」

「うむ。わかりやすく言うとじゃ、使いすぎた体を休ませるために一部の身体機能を強制的に停止させておるのじゃ。その方が回復が早いからの」

なるほどね。
確か本家でそんな話を聞いた事があったわ。
でも、滅多にないって話しだし、それだけの力を使ったら先に肉体が保てなくなるか、精神が崩壊するかしてしまうとも言ってたわね。
それだけの事をしなきゃ祐一ちゃんを助けられるだけの力は得られなかったという事ね。
考えるとちょっと身震いする。
二人とも無事でほんとによかった。

「さらにわかりやすく言うとじゃ。本来、願というものは呪物に込めた方が扱いやすい。そして願が叶った時には、呪物は砕けるかその力を失う。紫苑はその呪物の役割をしてお主らの願を力あるものにしたというわけじゃ」

「いや・・・余計わかりにくくなったんですけど・・・」

「ははは、今どきの人間には分かり辛い話かもしれぬな。ま、一時的なものじゃ。むしろこの程度が奇跡の代償じゃというなら安いものじゃ」

そう言って瑞葉さんはけらけらと笑う。
やたらと詳しいこの女性の正体は気になるところだが、とにかく紫苑もいずれ元通りになるならオッケーね。

 

こうして、皆生きた心地のしなかったろう数日間はめでたしめでたしとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戻る     次章へ


あとがき

今回のゲスト、特別出演の謎の少女さんです。

翼の少女 「ふふふ・・・さすがは余じゃな。良い事を言っておる。これはまさしく今後余が中心となっていく布石・・・」

いや、あくまで特別出演だから、今後はあまり出番はないぞ。

少女 「何じゃと!?余の出番はまったくなくなるというのか!?」

存在に関して言及される事はあるだろうが、作中での登場はたぶんない。
この話はKanonなのだ、あくまで。

少女 「ば、ばかな・・・。き、貴様余を誰だと思っておる!えぇい、控えおろう、余はか・・・」

ストップ。
あくまで謎の少女で特別出演だから。
知っている人にはばればれな正体だけど、名前は出しちゃだめ。
ではまた次回。

少女 「お、おのれ〜!いつかこの場を乗っ取ってくれるわ!」