誰も、何も話さない。

まるでずっと、時が止まっている様。

あの瞬間から・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

紫苑―SHION―
〜Kanon the next story〜

 

第二十六章 日々が崩壊する時

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一時間ほど前。

祐一達と別れ、あたしと綾香は二人で家路に付いていた。

「・・・・・はふ・・・」

ちょっと眠いかも。

「姉さん、眠そうですね?」

「・・・狐に昼寝を邪魔された」

ありのままの答え。
ものみの丘での昼寝は気持ちいいんだけど、時々瑞葉がちょっかいを出してくる。
それもまた楽しくない事もないけれど、決まって寝たい時を選んでやってくるから性質が悪い。

「・・・・・」

眠い。
頭がぼーっとする。

「あ、ねえさ・・・」

ごんっ

「・・・・・」

どうやら電柱にぶつかったらしい。
ぼけっとしすぎかな。
綾香ももう少し早く言えばいいのに。

「ごめんなさい・・・」

「・・・・・平和ね」

「はい?」

平和過ぎて、気が緩んでるんだわ。
でも、それも悪くない。

ぽつっ

「つめたっ・・・!」

綾香が小さな悲鳴をあげる。
あたしの上にもぽつぽつと落ちてくるものがある。

「あ・・・、雨ですね」

二人して上を見上げると、先まであれほど晴れていたのに、厚い雲がどんどん流れ込んできていた。
どんよりとしたその雲から、大粒の雨が降り出し始めた。

「・・・・・」

「・・・・・」

あたし達二人は、その雨を避けようともせずに、ただ呆然と立っていた。

「・・・なんだろう?・・・なんか、嫌な感じが・・・」

「・・・・・」

不快な声を発する綾香。
全身に降り注ぐ雨を受けながら、その冷たさが、徐々にあたしの意識をはっきりとさせていく。
そして・・・。

「!!!」

体中に稲妻が走った様な衝撃を感じた。
何か嫌な事が起こる予兆の、今までに感じた事ないほどのもの・・・。

すぐさまあたしは、来た道を全速力で取って返していた。

「姉さん!」

後ろから綾香も追ってくるが、あたしとでは足の速さが違うからどんどん離れる。
けど、今はそれに構っていられない。

杞憂であって欲しい。

そうでなくても、事が起こる前に間に合って欲しい。

だけど・・・嫌な予感は、いつだって当たる・・・。

 

角を曲がる直前で、ブレーキの耳障りな音と、甲高い衝突音が、響いた。

 

一瞬。
実際に静止していたのは、一秒もなかったろう。
でも、まるで永遠に時が止まった様な感じだった。

目に映っていたものはただ一つ。
道路の真ん中に放り出された、血だまりに浮かぶ体。

他の全てを無視して駆け寄る。
状態の確認・・・・・まだ大丈夫。
すぐに救急者を呼ぶ。

「ゆういち!!!」

それが誰の声だったか聞き分ける余裕もないほど、あたしの心も乱れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・」

朱鷺よ。

連絡受けて新幹線モードで駆けつけて来たけど、空気が重いわね。
状況がよくわからないけど、当事者達にはまだ話の聞ける常態じゃなさそうね。

私はこっちに気付いて手招きしている医者の下へ静かに歩み寄り、そのまま廊下を曲がった。

「どうなの?祐一ちゃんの容態」

「最善を尽くしてはいますが、危険な状態です。・・・万が一の場合も・・・」

その時、手術室の扉が開く音がした。

「祐一さん!」

「祐一!」

「祐一君!」

「祐一先輩!」

彼女達がそれぞれに声を張り上げて近寄ろうとするが、医者に制止される。
祐一ちゃんはそのまま運ばれていき、私は廊下から下の場所に戻っていく。

「あ・・・、朱鷺姉さん・・・」

私に気付いて振り返った綾香の目は、既に涙を溜め込んでいた。

「どうかね?」

「とりあえず持ち堪えましたが、これから数日間が山です。それを越えない事には・・・」

つまり、まだどうなるかわからない、って事ね。

 

 

 

病室に入れられた祐一ちゃんは、面会謝絶の状態。
その病室の前で、あの子達はじっと座っている。

私はというと、事故当時の状況が知りたくて、同じく事故現場にいて軽い怪我で運び込まれた人達に話を聞いて回った。

突然の雨で道が滑りやすくなっていた事と、居眠り運転が原因との事だ。
事故の実態などどうでもよくて、私が気にしているのは、その時あの子達がどうしていたか。

しばらく聞いて回るうちに、祐一ちゃんは三人の女の子を庇って轢かれたらしい。
場所と取り合わせとを照らし合わせると、おそらくその三人は名雪ちゃん、栞ちゃん、あゆちゃんの三人。
その後で最初に倒れた祐一ちゃんに駆け寄ったのが長い白髪の女の子だというから、それは紫苑で間違いない。
そしてその紫苑に遅れて綾香も現場に駆けつけた。

こんなところか。

 

一通りの状況整理の終わった私は、まだあの子達のいる病室の前に戻った。

「姉さん・・・私、えっと・・・その・・・」

「綾香、落ち着いて」

私の姿を確認するなり、駆け寄って何かを言おうとするも、綾香の口は空回りするだけ。
それでも、たぶん綾香がこの中で一番落ち着いてきたかもしれない。
名雪ちゃん達三人は、まだ茫然自失している感じだ。

「?三人?・・・綾香、紫苑は?」

「それが・・・いつの間にかどこか行っちゃいました・・・」

「そう」

さすがの紫苑も、今回は参ってるか。

 

 

 

 

 

 

それから一時間ほど。
この子達はまだ微動だにしない。
放っておくといつまでもいそうなので、私はそれぞれの保護者に連絡を入れておいた。
そろそろ来る頃ね。

「朱鷺さん」

「お待ちしてました、秋子さん」

そうしているうちにさっそく秋子さんが来た。
さすがにいつもの笑顔を見られない。当然だけど。
秋子さんは私に簡単な挨拶をすると、子供達の下へと歩み寄る。

「名雪、あゆちゃん」

「・・・お母さん」

「秋子さん・・・」

ほとんど放心していた名雪ちゃんがすごい勢いで秋子さんに抱きつく。

「お母さん!!どうしよう・・・どうしよう?わたしの所為で祐一が・・・!」

「名雪、落ち着いて」

「でも、でも!わたしが寄り道しようなんて言わなければ・・・」

「それならボクだって・・・!」

「おかあさん・・・!!」

「うぐぅ・・・祐一君が・・・」

二人は秋子さんの腕の中で泣きじゃくる。
先まで出なかった涙が、母親の前で一気に流れていた。

気がつけば、香里ちゃんも来ていた。

「栞」

「・・・お姉ちゃん・・・」

香里ちゃんはそれ以上は何も言わず、そっと栞ちゃんを腕の中に収めた。
栞ちゃんも体を姉に預ける。

 

それから、また時間が流れた。

 

「・・・先生は、結構冷静ですね」

彼女自身沈黙が苦痛だったのか、静かな声で隣りにいる私に話し掛けてくる。

「生徒が死にそうなのに」

「香里ちゃんも、クラスメートが死にそうなわりには落ち着いてるわね」

互いに責める様な口調ではない。
ただ、同じ思いを持つもの同士の確認。

「・・・本当に辛いのは、あたしじゃない。先生もそうでしょう」

「ええ、そうね」

 

結局そのまま何も状況は変わらず、夜になったから一度皆家に帰る事になる。
帰り際に秋子さんが、いつでも祐一ちゃんの両親と連絡が取れる様にする様言われていた。
それだけ事態が切迫しているという事。

秋子さんは名雪ちゃんとあゆちゃんを。
香里ちゃんは栞ちゃんと。
私は綾香を伴って、それぞれの家に帰る。

紫苑は、その日は帰ってこなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

香里よ。

嫌な事があっても次の日はやってくる。
まさかあの頃の気持ちをまた味わうとは思わなかったわ。

こんこんっ

朝起きてこなかった妹の部屋のドア、出際にもう一度ノックをする。
やっぱり返事はない。

「栞、あたしは学校行ってるわ。ご飯下にあるから、ちゃんと食べなさいよ」

一人で登校しながら、昨夜帰ってからの事を思い出す。

帰るなり部屋にこもった栞。
少しすると、栞の部屋からすごい音がして、両親は何事かと驚いていたが、あたしが事情を説明して見に行こうとする二人を制した。
やっぱりあたしの妹ね。同じ事をする。
あの時つけたあたしの部屋の傷、まだ残してあるのよね。
その気持ちを知っているがゆえに、あたしは栞の部屋に入る事は出来なかった。
部屋の前でただ立って、ドア越しにその声を聞いていた。

『大事な人が死にそうなのって、こんなに辛いものだったんですか?』

『自分が死にそうな時より、ずっと辛いじゃないですか・・・!』

『ごめんなさい、祐一さん・・・お姉ちゃん・・・』

あたしはただ、そこで立ち尽くすしか、出来なかった。

授業中。
名雪も休み。
集中なんか出来るわけない。

「美坂、大丈夫か?」

お昼休みになると、すぐさま北川君が心配げに声をかけてきた。

「大丈夫よ」

「全然大丈夫そうに見えん」

「気のせいよ」

「嘘だろ」

「言葉通りよ」

「意味わかんねえって。相沢の事なら俺も聞いたって。一人で悩むなよな」

それ以上彼が何か言うのを聞いていられず、教室を後にする。
話す事はない、という意思表示のつもりだったのに、彼はしつこくついてくる。
痺れを切らしたあたしが止まったのは、栞と相沢君がいつも会っていた中庭だった。
二人して雨に打たれながら、振り返らずにあたしは話す。

「あなたもしつこいわね。嫌われるわよ」

「美坂に嫌われなければいいさ」

「あたしが嫌うわよ」

「なぁ、いい加減その自分の中に抱え込むのやめろよ。栞ちゃんの時だってそれでいい事あったか?」

「うるさいわね!今辛いのはあたしじゃないわっ。栞が辛い時に、姉のあたしまで弱気でいてどうするのよ!」

「その言い分はわかるけどよ、もっと落ち着けよ」

「落ち着いてるわよっ!」

「いや、おまえは心配と一緒に罪悪感がある」

「!?」

「おまえが心配してるのは相沢じゃなくて、栞ちゃんだ。相沢にもしもの事があった時、せっかく生きる事に希望を持った栞ちゃんがまたそれを見失うのを恐れているんだ。肝心の相沢よりも妹の心配をしてる自分が嫌なんだ」

「・・・あたしは・・・」

「美坂、ここには他に誰もいない。俺にくらい、弱いところ見せたって、大丈夫なんだぞ」

「・・・・・馬鹿」

しばらくあたしは、そこで北川君の胸を借りた。
嫌な借りを作っちゃったわね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

再び朱鷺よ。

今日も授業が終わってから祐一ちゃんのいる病院へ。
だけど、今日は昨日いた子達が一人もいない。
代わりに駆けつけたのは、美汐ちゃん、真琴ちゃん、正司ちゃん、舞、佐祐理など。

「あぅ・・・祐一・・・」

「兄ちゃん・・・」

「・・・・・」

心配そうに病室のドアを見詰める真琴ちゃんと正司ちゃんの肩を、美汐ちゃんが後ろからそっと抱いていた。

「・・・・・祐一」

「・・・祐一さん、どうか・・・」

舞と佐祐理も祈る様な表情をしている。
この間聞かせてもらったけど、二人とも以前に家族の死に目に直面しているらしい。
だから、大切な人を失う悲しさを人一倍知っている。

まったく祐一ちゃんは。
こんなに心配してる子がたくさんいるんだから、死んだりしたら承知しないわよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・自分が死にそうなのより、ずっと辛いじゃないですか・・・・・

・・・栞。

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・今度は祐一なの?わたし、本当に笑えなくなっちゃうよ・・・・・

・・・名雪。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・せっかくまた会えたのに、祐一君がいなくなっちゃったらボク・・・・・

・・・あゆ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・先輩、なんで、どうしてこんな事に・・・・・

・・・綾香。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

みんなの意識が、悲しみが流れ込んで来る。
あたしのものと同調して。

雨がまだ降りしきる街中を、あたしはただむしゃくしゃする気持ちを抱えながら彷徨っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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あとがき

暗いです。
私は暗いのは嫌いです。
でもこのエピソードは序盤から構想に入っていたのでやっぱり入れなくては。