ものみの丘、か。
この街に来て最初に気になった場所の一つ。
興味を引かれて、図書館でここに伝わる伝説について調べた。
そこからあたしなりの結論に達した。「・・・・・」
あたしの結論が正しければ、事をうまく納める方向はある。
けれど、美汐があのままでは意味がない。
彼女の心を開く事が出来るの?祐一・・・。
紫苑―SHION―
~Kanon the next story~
第十九章 ものみの丘妖狐伝・・・その三
ガララッ
「・・・入る時はノックくらいしたまえ、相沢君」
「悪い。天野はいるか?」
「いや、今日は休んでいるらしいが、君が休ませたわけじゃないのかい?」
「ちょっとあってな。いないならいい」
教室にいなかったのでもしかしたらと思ったが、生徒会室にもいなかった。
どうやら今日は学校にも来てないみたいだな。「邪魔したな」
「なんなんだい?」
別にこいつに説明するのも億劫なのでそのまま部屋を出た。
学校にいないとなれば、家まで乗り込むまでだ。しかし・・・、俺天野の家知らないぞ?
久瀬だ。
先ほど相沢君が来たが、天野さんの事はどうなったのか。
気になるといえばなるが、どうやら僕は部外者の様だからな、首を突っ込むべきではない。「さて・・・」
仕事も切りがいい。
今日はこの辺りで帰るとするか。雑務を終えて下校する。
途中、校舎の壁に傷の様なものを見つけた。「・・・・・」
彼女達が卒業する少し前から、事件と言えるものはまったく起こらなくなった。
こうした傷も、出来る事は一切なくなった。
結局あれはなんだったのか、僕にはまったくわからない。おそらく真実を知る人間は一部なのだろう。不可思議な事件。
事件以上に気になった、その当事者。「・・・ふっ、未練だな」
はじめから相容れない存在だったのだ。
僕が手に出来るのは、こんなちっぽけな地位のみ。帰るか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
世の中偶然というのはよくあるのか、それとも僕も意外とトラブル関係と縁があるのか。
帰り道で天野さんを見かけた。公園のベンチに腰掛けている姿を。無視してもよかった。
僕と彼女は生徒会長と書記、それだけの関係だ。
しかし気になった。天野さんの姿は、どこか彼女と重なった。
「天野さん」
「・・・会長?どうされたんですか?」
「それはこちらの台詞だね。学校に来ずに街中を歩き回っているのはあまり感心しない事だからね」
「そうですね」
表情と態度が硬い。
普段からそうしたところはあるが、今はまるで岩でも相手にしている様な硬さがある。「隣り、いいかい?」
「別に構いませんが」
どうでもいい。そんな声だった。
「何かあったのかい?」
無意識のうちにそんな言葉が出る。
出すまいと思っていた言葉だった。「何もありません」
「説得力がないよ」
はっきり言って台詞が棒読みだ。
「君らしくないな」
「・・・・・これが私です。私には、最初から何もなかったんですから・・・」
彼女の言葉の意味はわからなかった。
だが、彼女が何かで心を閉ざしているのはわかった。あの頃の彼女、川澄舞と似ている。
はじめて川澄さんを見た時、不思議と惹かれるものがあった。けれど相手からは周囲の人間を拒絶するものを感じさせられた。何とか彼女に近づこうとしていたが、近づいた時に与えた印象は、たぶん最悪だったろう。学校で起こった事件の当事者としての疑いをかけた事。それ以来、彼女との間には確執ばかりがあった。
彼女の心の扉を開いたのは僕ではなく、僕にとってはもう一人意味のある女性、倉田佐祐理さんだった。皮肉めいたものを感じたりもした。だがそれでも、倉田さんに対して心を開く事で川澄さんが救われた様に思えたのはよかったと思う。天野さんにも、同じ様な存在がいた様に思っていた。
けれど今は、まるでそれを失ったかのようだ。「僕も、偉そうな事を言える立場じゃないが・・・」
彼女は僕の話など聞いていないだろう。
それでも言う事は言いたかった。「心の奥に溜め込んでおいても、いい事はないと思う。自分の気持ちは、素直の曝け出した方がいいと思うよ」
「・・・?」
反応があった。
「・・・何を、知ってるんですか?」
「何も知らないよ。ただの経験談だ。僕は素直に言えずに失敗したからね。身近な人に同じ思いをしてほしくはない、といったところか」
「どうしてそんな話をするんですか。私の事なんて放っておいてください」
棘のある言葉。
けれど先ほどよりも感情のこもった言葉だった。「誰かさんの影響かな。おせっかいは僕の性分じゃないんだが・・・」
そうだな。
川澄さんの時も、彼女が本当に心を開放したのは、たぶん彼の影響だろう。
彼とも確執ばかりだが、僕自身こんな風に影響を受けるとはね。
不思議な男だよ、相沢祐一は。「・・・余計なお世話をしてしまったね」
挨拶もそこそこに、その場を立ち去った。
彼女はおそらく、大丈夫だろう。
まだ手遅れではなさそうだし、何より彼女は、彼と知り合いなのだから。
僕程度が気にしても詮無い事だ。
天野発見。
公園のベンチ、昨日あの二人と別れた場所にいた。あの後家に戻って秋子さんから天野の家を聞き出して、天野の家に行ったら外に出てると聞いて、行きそうな場所を当たってようやく見付けた。
「天野」
「・・・相沢さん」
「・・・・・」
「・・・何か用ですか?」
どこかいらついた声。
最初も、こんな感じだったか。「こんな所にいても仕方ないだろ。行くべき場所があるはずだろ」
「私に、また別れを味わえと言うのですか?そんな酷な事はないでしょう」
「でも何もしなけりゃ、何も変わらないだろ」
「もう放っておいてください。私に構わないでください!」
「いいからとりあえず話だけでも聞け。おまえ、俺に言ったよな。強くあれって」
真琴の事、妖狐の事を聞いた時、いつか真琴が消えてしまう事を俺に伝えた時、こいつは俺にそう言った。だから今、同じ言葉を返す。
「素直になれよ。後で後悔したって遅いだろ。たとえ結果が同じになったとしても、早々と諦めた時と、最後まで悪あがきした時とじゃ、どっちが強くなれと思う?・・・奇跡は起こらないから奇跡だって、言ったやつがいてな、俺はこう言ってやったよ。起こるかもしれないから奇跡なんだって。起こそうとしなければ、奇跡なんて絶対に起きないぞ」
「・・・・・」
言うだけの事は言う。
それしか俺には出来ない。
まったく、いつだって俺は口ばっかりだな・・・。「時間はあまりないぞ。待ってるからな」
いまさらどこで待つかなんていう必要はない。
後は全部天野が決める事だ。
「・・・もう五月の後半だってのに、この辺りはまだ寒いな・・・」
「・・・・・」
日の沈む時間帯、寒くなって当然ね。
風も、少し出てきたみたい。「おまえ、その格好で寒くないか?」
「・・・・・」
「寒くないんだろうな、おまえの場合・・・」
「・・・・・」
「いや、それ以上におまえの今の格好が気になるんだが・・・」
「・・・おかしい?」
「一般的な感覚からいくとな・・・」
祐一が指摘するあたしの格好とは、巫女装束の事でしょうね。
確かにあまり普段着とするものじゃない。「・・・一応神域に立ち入るのだから、それなりの姿でなければ失礼でしょう」
「それは、俺の格好の方が問題あると?」
自分の制服を指して祐一が聞いてくる。
別に、問題はないでしょう。あくまで気持ちの問題だから。仮にもあたしは東雲神宮宗家の後継者であるわけだし。
東雲神宮宗家に関しては・・・今話す事ではないわね。「・・・彼女、来るの?」
「さぁな。こればっかりは・・・、あいつの事はよくわからんから。来るやつだと信じてはいるけどな」
「・・・・・信じられる人がいるのは、いい事よ」
視界に見知った姿が入る。
祐一も気付いて、そちらに目を向ける。ここからが正念場ね・・・。
「よっ、来たな、天野」
「・・・まず一つ、相沢さんに言いたい事があります」
「?」
「あなたはおかしな人です」
「・・・まぁ、否定しきれないところが辛い」
「でも・・・私もおかしな人間です」
美汐はゆっくりこちらに歩いてくる。
「叶わない願いであったとしても、正司と真琴に会う事を望んでいるのですから」
「確かに、ここはおかしな連中の集まる場所かもな」
祐一が声を上げて、美汐が控えめに笑う。
切りのいいところで、あたしから話し掛ける。「この先へ進むと、帰れる保証はないけど?」
「構いません。気持ちは固まっていますから」
美汐は即答。
祐一も当然という顔をしている。なら、迷う必要はない。
あたしはただ、二人を導くだけ。宙に手をかざすと、そこから波紋が広がる。
「な、なんだ?そりゃ」
「空間が、歪んでいる?」
二人を待つ間に探しておいた。
ここを治める者が住まう神域への入り口。広がった波紋はさらに、あたし達を飲み込む。
一瞬の違和感の後、波紋は完全に消えた。「・・・別に、元の場所だよ、な?」
「・・・そうでもなさそうですよ」
ここは結界の中。
外のものから自分達を守るために、ここの主が張り巡らせた結界の中にあたし達は入り込んでいる。<人間がこの地に何用があって参った?>
「な、なんだ!?」
「頭に、直接声が・・・?」
<この地を訪れし者よ、まずは名を名乗るがよい>
「これにあるは、東雲紫苑と申す者」
うろたえている二人をおいて、あたしは声の主に対して名乗る。
<ほう、かの東雲の名を継ぐ者か・・・>
この空間を包み込んでいた気配が収束する。
集まった気は形をなし、一匹の巨大な狐となってあたし達の前に現れる。「しからば我も名乗ろう、我が名は、瑞葉」
姿を見せた狐の長が名乗る事で、再び空間を支配する力が生まれる。
名は力を持つもの。ましてや土地神にも等しき存在の名となれば、並の人間では対峙する事も難しい。「して、東雲の名を継ぐ者が何用か?」
「用があるのは、彼ら」
あたしの役目はここまで。
後は祐一と美汐の問題。あたしに出来るのは導く事のみ。「妖狐の長、私は、天野美汐と言います。お願いがあるのです」
「人間が我に何を願う?」
「正司と真琴に、会いたいのです」
「神城正司と沢渡真琴。その名を授けられし者は確かにここにいる。されど、会わすわけにはいかぬ」
「どうしてですか!?私は、二人ともう一度会いたい!もっとずっと一緒にいたいんです!」
「人と狐は相容れぬもの。たとえ一時共にあったとしても、いずれは別れる運命。束の間の夢じゃ」
「そんな・・・!」
「おいこら、それは少し横暴だろ」
「人間よ、まずは名乗るが礼儀」
「相沢祐一だ。とにかくだ、相容れないとか、別れるとか、そんな事は後で考えればいいだろ。ここにいるならまず会わせろよ」
・・・・・驚いた。思わず呆気に取られてしまう。
まさか、一応普通の人間の祐一が仮にも力ある獣の長の言霊をものともせずに物事を要求するなんて・・・。
瑞葉様も呆れているっぽい。「会ってなんとする?所詮束の間の事。もはや力の大半を使い果たしたあの子らに、主ら人間と共に生きる道はない。悲しみと虚しさが残るのみぞ」
「だから、そういう事は会ってから決めればいい事で・・・」
「相沢さん・・・・・お願いします、妖狐の長。どうしても二人に会いたいんです」
「断る」
「このコン公・・・!」
言うに事欠いてコン公・・・。
「人の世は醜き想念の渦巻く地。その様な場所にわしの子らを長く留まらせる事は出来ぬ」
祐一の言い草を気にとめる様子もなく、瑞葉様は淡々と言葉を紡ぐ。
なんとなくわかった。彼女もまた、人を信じきれないのね。「・・・どうすれば、会わせてくださいますか?」
「どうあっても会わしはせぬ」
「そんなに人間が信じられないのかよ!」
「信じられぬ」
「なら証明出来れば信じるか?」
「相沢さん?」
「内向的で暗くて口下手でおばさんくさい天野がこれだけ頼んでるんだ。試すくらいしてやってもいいだろ」
「・・・今ほどあなたが酷な人だと思った事はありません。そもそもおばさんくさい事に何の関係があるんですか・・・」
「・・・・・そこまで言うのなら、その想い、試してやってもよい」
「よし。天野もいいな」
「どうして相沢さんが仕切ってるんですか?」
「細かい事を気にするな。おばさんくさいぞ」
「繊細だと言ってください」
なんだか、祐一のペースになってきているみたい。
本当に、不思議な人だわ、彼は。「ありきたりではあるが、この様な試しの場を設けた」
あたし達の前に、何匹もの子狐が現れる。
ぱっと見ても、個々の見分けは付きそうもない。「二人の記憶は今は封じてある。二人から語りかける事はない。主の想いがまこと曇りなきものならば、この中から主の求める者を見つけ出してみよ」
「この中からか・・・?」
「・・・・・」
「ざっと三十匹はいるんだが・・・」
「・・・・・」
文句を言う祐一の横で、既に美汐は一心不乱に子狐の群れを眺めている。
そう、想いが本物なら、目で見えないものも見て取れる。一度全体を見渡した後、美汐は寄り添っていた二匹を迷わずに抱き寄せた。
「正司、真琴」
「「美汐っ」」
「・・・・・」
水面に水滴が落ちる様な音がして、辺りに波紋が広がる。
次の瞬間、祐一と美汐、それに正司と真琴の姿は見えなくなった。「・・・並の人間に、わしの神域に長く留まるのは辛かろう」
「いいの?」
「けしかけておいてよく申す」
「人の想いは強きもの、それを断つ事は出来ないわ」
あたしも、人と人でないものが共にあるをよしとは思わない。
けれど、彼女達を引き離す事は、もっとよしと思わない。「久しく、忘れておったな・・・」
狐の長の身が光に包まれると、その場には着物を着た若い女性が姿を現す。
それが彼女の、人としての姿。「人と交わりを持ち、不幸な末路を辿った同族を多く知っておる。その様な道を、わしの眷属達に辿らせとうはないのだがな・・・」
「けれど、人の優しさ、ぬくもりがよいものだと知っていればこそ、子供達に人と交わる力を授けているのでしょう」
「・・・そうじゃな」
ちりんちりんっ
「これは?」
あたしの手に二つの鈴が現れる。
「わしの力を込めた鈴じゃ。あの子らに持たせてやれば、普通の人の子として生きる事は出来よう。あの者達の絆が消えぬうちは、その鈴が力を失う事はない」
「・・・ありがとう、瑞葉様」
「瑞葉でよい。わしと主とでは、よいところ同格じゃろう。それにそなたには、忘れかけていた人を信じる気持ちを思い出させてもろうた。何か困った事があらば、わしを頼れ」
「そうさせてもらうわ。けれど、人を信じる気持ちを思い出させたのは、あたしじゃないわ」
「相沢祐一と申したか、あの人間。不思議なやつよの」
「ええ」
「そなたの対でもあろう。最強コンビというやつかの」
「さぁ・・・」
「ふふふっ、いつでも来い。そなたならよい話し相手になりそうじゃ」
「また来るわ。でもその時はたぶん、こんなに喋らないわ」
「聞き手がいるだけで話すのは楽しいものじゃ。またな、紫苑」
「また、瑞葉」
「・・・・・」
見上げた空は真っ暗だった。
もう夜なんだなぁ。「・・・・・って!」
がばっ
がつんっ×3
「・・・ってぇ!」
「「あぅーっ!!」」
起き上がった瞬間左右から衝撃が・・・。
「・・・くす・・・くくく・・・あはは・・・」
「・・・笑いたい時はもっと豪快に笑え、天野。笑いを堪えてると不気味だぞ」
思い切りおかしそうにしてるくせに笑うのを堪えている天野。
ちなみに状況は説明するまでもないだろうが、まったくの同時に起き上がった俺、真琴、正司の三人の頭が激突したのだ。あまりに見事に衝突したため、あの天野が堪えきれないほど滑稽だった。「・・・えーと、ここはものみの丘だよな。つまり、向こう側から帰ってきたって事なのか?」
「どうやらそうみたいですけど・・・」
「で、でもなんでおいら達普通なんだ?」
「・・・あたしも・・・忘れてた事みんな憶えてる・・・」
「二人とも」
どこからともなく紫苑も帰ってきた。
きょとんとしている真琴と正司の前まで歩いていって・・・。ちりんちりんっ
「「あぅ?」」
「瑞葉からの贈り物よ。これからは、肌身離さずに持っていなさい」
「それじゃあ・・・私達、一緒にいられるんですか?」
聞いたのは、天野の方だった。
それに対して紫苑は、静かに頷く。「正司、真琴!」
「「あぅ?」」
まだ呆然としている二人を、天野は抱きしめる。
その様子を、俺と紫苑は横から見守っていた。何はともあれ、これで一件落着か・・・。
それにしても・・・。
「腹減ったな」「お腹空いたわ」
俺と紫苑の声はまったくの同時だった。
紫苑はいつも通りの無表情だったが、俺はその場で笑い転げた。
あとがき
美汐編、終了。真琴と、オリキャラの正司については、またの機会に話を作れたいいなと。