Demon Busters!
第一章 空からきた少女 −10−
「やれやれ、結局何だったんだ、こいつは?」
綺麗に縦に割れたワームの死体を突付くと、半分以上が炭化しており、強く押すとぼろぼろと崩れ落ちた。かなたの放った雷撃を受けた時点で、このモンスターは生物としての機能をほとんど停止させていたのだ。
にもかかわらず、祐漸に両断されてとどめを刺されるまでこのワームは活動していた。
動いて、最後までかなたを狙っていた。
恐るべき執念だった。
はっきり言って普通ではない。
モンスターは突然変異種ではあるが、元は野生の生物である。彼らは人間などよりよほど生存本能が強い存在だった。だからこそ彼らは、自分よりも強い力を持った存在を敏感に察知し、そうした相手との遭遇を避けて生き延びようとするのだ。
だから、自らの生命よりもかなたに対する敵意を優先したワームの行動は異常と言えた。
人間と違い、野生の生物はあそこまでの執念を見せて敵に向かうことは滅多にない。唯一そうしたことがあるとしたら、自らの命、或いは自らの子供の命が危険に晒された時くらいのものだ。
しかし、かなたの方からワームに手を出したわけではなく、先に襲ってきたのは向こうの方だった。
ワームははじめから、かなたに対して強い敵意を抱いて現れた。
(或いは、かなたの存在そのものがこいつにとって脅威だったのか?)
仮にそうだとしても疑問は残る。
そもそもこのサイズのモンスターが生息している地域は、ここから少なくとも百キロ以上は離れている。街中に現れるだけでさえ異常だというのに、そんな離れた場所からわざわざやってきたというのも考えにくい。
それにこのワーム自体も普通ではない。
他の同種のモンスターと比べても、多くの面でそれを上回る戦闘能力を持っていた。特に気配を消す能力について、恐ろしく優れていた。
いくらなんでも、不意打ちを喰らい過ぎていた。
昨日はじめて遭遇した時は、やはりはじめて会ったかなたとのやり取りで気が緩んでいたこともあり、油断していたのは確かだった。だが今日は敵地の真ん中にいる状態で、常に緊張状態を保っていた。そんな状態にありながら、これほどの巨体を持った敵の接近にぎりぎりまで気付かなかった。
最後の攻撃にしてもそうだ。視界が悪かったとはいえ、祐漸の感覚は暗闇でも動く存在を肌で感じ取ることができる。しかしワームの動きを察知することはできなかった。
今までに遭遇した経験のないタイプのモンスターだった。
「なぁおい、おまえは一体何だったんだ?」
その問いに答える者はいない。
結局その正体も、襲ってきた理由も謎に包まれたまま、異形の怪物は滅びていった。
「はぁ〜、びっくりしたよ〜」
呑気な声を上げ、体についた埃を払いながらかなたが立ち上がる。
謎と言えばこの少女の正体もますます謎だった。
機械化兵が扱う武装よりもさらに高威力を誇る大魔法を使用する魔導師というものは存在するが、かなたが放った雷撃は一般的な“魔法”の範疇から逸脱していた。
はっきり言って、あれは魔法などではない。
魔法とは、それを知らない人間から見れば不思議な力に違いないが、あくまで一定の法則に基づいて行使されるものであり、それゆえの制限も多く付随している。
だがかなたの力は、そうした法則や制限を一切無視していた。
言ってしまえば、力の発現に伴う過程を全て省いて事象の結果のみを顕現させたような感じだった。つまりあの雷撃も、何もない状態から道具を生み出していた力と同じ理屈によって放たれたものということだ。
理屈と言うが、それがどういう原理なのか皆目見当もつかない。
「いきなり暗くなっちゃうんだもんね〜」
「驚いたのはそっちかよ」
当の本人には、自分がどれほどデタラメな力を使っているのか自覚があるのかどうか。
たぶん、ない。
自分の力の使い方を知ってはいても、その行使が結果として周囲にどのような影響を及ぼすかも考えていないくらいなのだから。
行動に伴う結果を予め想像することができないから、手加減というものも知らない。
「んー、そっかそっか、ここはお日様が見えないんだもんね。電気が消えちゃったら真っ暗になっちゃうんだ」
「そういうことだ。その力を使うなら、次はもっと加減することだな」
「うん、そうするよ」
毎度毎度あんな大破壊をもたらされては困る。
頭が良く、学習能力も高い少女だから、こうして釘を刺しておけば次は大丈夫だろうとは思う。
もっとも、また別種の能力を使う時にはすっかりそういう考えが抜けているかもしれないが。
やれやれ、と祐漸は先を思いやってため息をつく。
「さて、随分派手にやっちまったな、とっとと逃げるぞ」
「はーい!」
ほとんど廃墟と化したクライムタウンの中心街を二人は後にした。
近くで聞けば耳をつんざくほどの轟音も、遠く離れ喧騒に包まれた街の住人達の生活を脅かすものではなかった。
音の震源地であり、尚且つ電力の大半がダウンしてしまったクライムタウンでは今頃大騒ぎだろうが、ロウワータウン全体を見渡せば、今日も平和な一日であった。
その平和を乱さないように、二人は家屋の屋根から屋根と跳び移りながら移動していた。
「ね、ね、祐漸君。わたし達何で走ってるの?」
「少し気になることがあるからだ」
いくら祐漸とかなた、二人の身体能力が非常識だと言っても、純粋な移動速度で電動車に及ぶものではない。しかしロウワータウンの街並みは入り組んでおり、そこに張り巡らされた電動バスの路線は必ずしも目的地までの道のりを一直線で繋いではいない。時にはいくつもの路線を乗り継がなくてはならず、その分タイムロスがあった。
そうしたことを考慮すると、目的地まで一直線に走った方が結果として到着は早くなるのだ。
気がかりがあった。
彼らの行動予定が知られていたことから、“鷹の爪”内部に裏切り者がいるのは間違いない。
だとすれば祐漸達を引き離しておいてアジトを襲う狙いがあると考えるのは決して突飛な発想ではなかった。それを考慮してアンディ一人を先に帰したのだが、不測の事態が起こっているとしたら、彼だけでそれに対処するのは困難かもしれない。
気が急くと言うほどではないが、何か嫌な予感がしていた。
(何事もなければいいが・・・)
だがえてして、こういう場合の嫌な予感というのは当たるものだった。
アジトがある店まで残り五百メートルに迫ったところで、祐漸は異変に気付いた。
店から煙が上がっていた。
炊事の火によるものではない。
火事と呼べるほど大きな火の手は上がっていないが、さらに近付くと建物は半壊しており、所々の柱や壁が焼け焦げていた。
何者かの襲撃を受けたのは間違いなかった。
「わ、なにこれ!?」
近くまで来てようやく事態を把握したかなたが驚きの声を上げる。
地面に降り立った祐漸は注意深く周囲の様子を窺う。
壊れているのはアジトの店だけでなく、周辺数十メートルに渡る区画に攻撃を受けた跡が見られた。
「ぅ、うぅ・・・・・・」
近くの瓦礫の下からくぐもった呻き声が聞こえた。
駆け寄った祐漸が瓦礫を除けると、怪我を負った中年の男が出てきた。ざっと見たところ、命に関わるほどの大怪我を負ってはいないようだ。意識もはっきりしている。
「ぐ・・・よ、傭兵の兄ちゃんかい・・・?」
「ああ、あんたか」
顔に見覚えがあった。よく店に来る常連客の一人で、名前までは知らないが祐漸も何度か面識がある相手だった。
「何があった?」
「こっちが聞きてぇや。帝国軍の連中、いきなりやってきてこの辺に反乱分子が潜んでるとか何とかぬかして問答無用で攻撃してきやがった。くそっ、帝国の奴ら!」
「・・・・・・・・・」
話を聞いた祐漸はいくつかの可能性を想像する。
もしも内通者がいたなら、アジトの正確な場所までわかっていたはずだ。それでいてこの近辺を丸ごと攻撃したということは、そこまで細かい情報は知らない者の仕業か、或いはその事実を隠すためのカモフラージュか、またはレジスタンスを匿っていたとでも言う名目で周辺住民に対する見せしめか。
以前からたまにではあるが、帝国軍がこうして反乱勢力をいぶり出そうとロウワータウンの一部に攻撃を仕掛けることはあった。相手が軍の人間であることはおそらく間違いないだろう。
「店の方も結構やられてた。兄ちゃん達は早くそっちを見に行ってやんな」
「ああ、わかった。あんたは動けるな」
「このくらい、へっちゃらよ」
少し虚勢を張っているが、概ね大丈夫と見て、祐漸はその男を置いて店の方へ向かうことにした。街の惨状を無言で眺めていたかなたもそれを追ってくる。
近くまで来ると、男の言っていた通り店の周りは特にやられていた。
というよりも、一部で抵抗した跡が見て取れた。
だが、妙だった。
仮にも最大のレジスタンス勢力の一つ“鷹の爪”の本拠地の一つである。彼らが本気で抗戦したならもっと被害が拡がっていてもおかしくない。
被害を抑えるためすぐに逃走を計ったのならいいのだが、祐漸の中の嫌な予感は強くなっていた。
店内へ駆け込むと、それが確信に変わる。
「アンディ」
見る影もなく荒れ果てた店の中央に、先に戻っていたアンディが蹲っている。その腕の中に抱かれている人物を見て、祐漸の表情が険しくなる。後から入ってきたかなたも言葉を失い、呆然と立ち尽くしていた。
背中を向けているアンディの表情は見えない。
けれど、腕に抱いた彼の妻、レイチェルはまだ息こそあるが、もう助からない傷を負っていることは一目瞭然だった。アンディも祐漸と同じ、いくつもの死に相対してきた男である、そんなことはわかりきっているはずだった。だからこそ何も言わず、じっと彼女の温もりを感じようとしている。それが徐々に失われていくのも感じながら。
もうほとんど見えていないだろうレイチェルの目が、最愛の夫の姿を求めて彷徨う。それに応えるように、アンディは妻の手をぎゅっと握り締めた。
夫の存在を感じ取った彼女の表情が歪み、唇が微かに震える。
何かを伝えようとしているようだが、もう声も僅かしか出ない。アンディは彼女の言葉を聞き取ろうと耳を寄せる。その際に顔を横に向けたため、祐漸の位置から彼の表情が見えた。
一見すると、常と同じで冷静に見えた。
けれどそれなりにアンディという男を知っている祐漸には、それが感情を押し殺したものであることがわかった。
祐漸にはレイチェルの声は聞こえなかったが、彼女の唇の動きから伝えようとしている内容の一部を読み取ることができた。
(ご、め、な、さ・・・・・・ごめんなさい、か。あ・・・あの、こ、お・・・・・・)
あの子を守れなかった。
レイチェルはそう言っていた。悲痛な表情も、自らが死に瀕していることよりも、娘の身を案じてのことだった。
そういえば、と以前聞いた話を思い出す。
彼女は結婚する前は、彼らのいた国でそれなりに名の通った魔導師だったという。その力を使い、襲撃者達から娘のリディアを守ろうと戦ったのだろう。レイチェルの負った傷は、激しく抵抗した事実を物語っていた。
辺りに視線を走らせるが、そのリディアの姿は見えなかった。
再びレイチェルの方へ目を戻すと、彼女は最後の力を振り絞って懸命に状況を伝えようとしているようだった。
「リディアは、連れて行かれたのか?」
アンディが問い返すと、レンチェルは力なく頷き、また「ごめんなさい」と謝罪の言葉を告げる。
そして、「リディアを、私達の娘をお願いします」と言って、それが彼女の最期の言葉となった。
それからしばらくして、彼女は夫の腕の中で息を引き取った。
最期は、ほんの少しだけ安心した表情を見せていた。
娘を守りきれなかったことは無念だろうが、せめて夫の腕の中で最期を遂げることができたのは不幸中の幸いと言うべきか。
祐漸は静かに瞑目する。
いくつもの死を見てきて、もうすっかり慣れてしまったつもりでいたが、それで親しい人間の死は心に痛みを伴うものだった。
しかしそこには、彼以上に死の痛みというものに慣れていない者がいた。
「ねぇ、祐漸君・・・・・・なに、これ・・・?」
「ん?」
感情をどう表現したらいいのかわらかない、そんな声に振り返ると、かなたが表情のない顔で佇んでいた。
「レイチェルさん、なんで・・・・・・ぇっと、これ、だって・・・」
混乱している。
今のかなたは、はじめて生き物の死に触れた子供と同じだった。その意味をはっきり理解していない彼女を、たった今最愛の相手を失ったばかりのアンディの前で喋らせるのは良くなかった。
けれど、かなたは止まらない。
「どうして・・・・・・ねぇ、祐漸君・・・・・・・・・レイチェルさん、死ん、じゃった・・・の?」
「・・・・・・ああ」
無理矢理ここから連れ出すこともできたが、祐漸はそれをするのを躊躇った。
下手に刺激すると、どんな形で感情が暴発するかわからなかった。
かなたは頭のいい娘だった。
物事をまるで知らず、時に支離滅裂な言動を取るが、決して思慮が足りないわけではない。
現に今も、必死に荒れ狂いそうな感情を押さえ込んでいるように見えた。
「変だよ・・・おかしいよ・・・・・・だって、死ぬって・・・死んじゃうって・・・すごく、よくないことだよ・・・・・・」
「ああ」
「ねぇ、祐漸君・・・わたしの知ってることが間違ってるのかな? だってわたし、きおくそーしつだし、死ぬってことの意味も、間違って覚えちゃってるのかも・・・」
「いや、おまえは間違ってない」
かなたは間違っていない。彼女は正しく“死”というものを理解している。
だからその表情は、少しずつ一つの感情を表面化させていく。
出会った時からずっと、笑い顔ばかり見せてきたかなたの、はじめて見せる、悲しみを宿した、泣き顔だった。
「だって、こんなの・・・なんで・・・? レイチェルさん、すごく優しくしてくれたのに・・・」
じわりと、少女の瞳が濡れ始める。
「昨日、会ったばかりのわたしにも、よくしてくれて・・・・・・リディアちゃんと三人で、一緒に寝て、暖かくて・・・とっても、いい人で・・・・・・そんな人が、どうしてっ、し・・・!」
激昂しかけたかなたが、ハッと口元を押さえて言葉を呑み込む。潤んだ両目は、妻の亡骸を抱いて蹲る男の背中を捉えていた。
「っ!」
ぐんっ、と力いっぱい体ごとかなたは後ろを向く。
それから、込み上げてくるものに耐えるように身体を震わせる。
「かなた?」
「・・・ダメだよ」
「ん?」
「泣いちゃ、ダメだよ、わたし・・・」
何度も鼻を啜り、袖で目を擦る。
「かなた・・・」
「だって・・・・・・わたしより・・・アンディさんの方がずっと悲しいはずだもんっ」
間に立った祐漸は、背中を向けあう二人を交互に見やる。
「そのアンディさんが我慢してるのに、わたしが先に泣いたら、ダメなんだもん!」
「・・・・・・・・・」
なるほどな、と祐漸は思う。
妻の身を抱きしめたまま動かないアンディの心が悲しみに包まれているのは間違いないが、表面上はその感情を押し殺して涙を流してはいない。それを慮って、かなたは自分の感情を抑制しようとしていた。
何事にも素直な感情表現をして、祐漸の迷惑も考えずに行動しようとするくせに、こんなところでは他人を気遣おうとする。
わからない女だった。
けれど、好感の持てる美徳だった。祐漸とてそうしたものは、嫌いではない。
「・・・いいんだ、かなたさん」
「え?」
アンディの声は、穏やかだった。
振り向いたかなたは、真っ赤に腫れた目でアンディのことを見る。
その視線を感じたか、アンディは背を向けたまま、静かに語り出した。
「俺はずっと戦場に生きてきて、多くの死を見てきた。親しかった人も、たくさん死んだ」
かなたは体ごと向き直り、じっとその話に聞き入る。
「はじめて死に触れたのは、初陣の時だ。俺は十五歳で、同じ部隊にいたその男は一つ上の、十六歳だった。初の実戦で、何も最前線にいたわけじゃない。後方支援が主な任務で、大きな戦闘でもなかったから危険は少なかった。運が悪かったんだろうな。その男は、流れ弾に当たって死んだ。他の奴らがパニックになりかかけてる中、俺はその場ではわりと冷静だった。戦闘が終わって、そいつの亡骸を回収した時、思い切り泣いたよ」
「・・・仲の、いい人だったんですか?」
「そこそこに、だったな。・・・・・・それから何人もの仲間の死を見て、自分はそうなるまいと必死に戦った。何人も殺した。仲間の死には、毎回泣いた。それが二十一になって・・・こいつと一緒になって、次の年にはリディアが生まれた。それで俺が殺してきた奴らにも家族があったかもしれないということを知って、自分に泣く資格などないと思った」
「資格が、ない?」
「いくつもの悲しみを振り撒いておいて、自分の悲しみにだけ涙するなど・・・と思ってな。それでも心の痛みは隠せなくて、それ以来、仲間が死ぬと妻が泣くようになった。俺の代わりに、と言ってな」
「・・・・・・・・・」
「俺は一度、もう涙を流さないと誓った男だ。たとえ妻の死であろうと、いや、だからこそ、俺が奪ってきた命のことを思えば、俺が泣くことはできないんだ。だからかなたさん、もし妻の死を悼んでくれるなら、俺の代わりに、泣いてやってもらえないだろうか?」
それまで、ぎりぎりのところで我慢していたのだろう。
「・・・・・・ぅっ」
アンディの話が終わると同時に、ダムが決壊したように、かなたの瞳から涙が溢れ出した。
「うわぁああああああああああああああああああああああああああああああああんっ!!!」
かなたは泣いた。
子供のように声を張り上げて泣きじゃくった。
この世の全ての悲しみを背負ったかのような慟哭が響き渡った。
それが、天條かなたという少女がはじめて覚えた、悲しみという感情の発露だった。
帝国軍の攻撃による犠牲者は、レイチェルの他に五人いた。内四人は“鷹の爪”のメンバーで、後の一人は巻き込まれた不運な一般人だった。
遺体は皆、近くの教会で丁重に葬られることとなった。
街の人達に聞いたところ、レイチェルは自分の娘だけでなく、店にいた他の人達も守って単身戦ったらしい。彼女が抵抗している間に、他の者は全員逃げ出してしまったため、その後そこで何があったのかまでは誰も知らなかった。
(解せないな)
レイチェルの遺体を納めた棺の傍にいるアンディを残して教会を出た祐漸は、石段のところに腰を下ろして未だにしゃくりあげているかなたの傍らに立って考える。
解せない点は大きく二つだ。
一つは、マスターを含め“鷹の爪”のメンバー、特に腕の立つ者がほとんど店にいなかった点。
他の者達は騒ぎを聞きつけて駆けつけて来ているが、マスターは未だに行方が知れなかった。あの男に限ってやられたということは考えにくいので、いつもの失踪であろう。間の悪いことと言えばそれまでだが、これもあまりにタイミングが良すぎて疑問を感じるところだった。
この点に関しては、祐漸とアンディのケースと同じで、内通者が巧みに情報を操って彼らを店から遠ざけたのだと推察できるが、何のためにそんなことをする必要があったのか。
六人という犠牲者は決して少ないなどとは言えないが、数字的に“鷹の爪”が蒙った被害は小さなものだと言えた。
アジトの一つや二つ潰されても、多少行動に制限が加えられるだけでそれほど大きな痛手ではない。彼らにとって何より重要なのは人だった。人的被害が少ないというのは、レジスタンスに対する攻撃としては些か戦果が少ない。内通者までいながらこれは、どうもおかしい。
では一体攻撃を仕掛けた者の狙いは何だったのか。
これはそのままもう一つの疑問に繋がる。
それは、リディアのことだ。
何故あの少女が連れ去られる必要があったのか。彼女にどんな意味があったのか。
レイチェルがあの店に留まったまま戦っていたというのも不思議だったのだが、もっと確実にリディアを守るなら、逃げる他の客達の中に紛れ込ませた方が確実であり、その機転が利かない女性ではない。それをせず、あの場でリディアを守って戦い続けていたということは、敵の狙いがはじめからリディアにあったということだ。
「・・・実はリディアはアンディが元々仕えていた国の姫で、あの夫婦が預かっていたのだがそれが知れて狙われた」
「ぐすっ・・・なにそれ?」
「ただの妄想だ」
物事を疑うことを知らない少女すら騙せないほどくだらない想像だったようだ。祐漸は馬鹿なことを考えた自分を恥じた。
だが――。
「当たらずとも遠からず、だ」
教会の中からアンディが出てくる。
「アンディさん。もう・・・いいの?」
「ああ、別れは済ませた。それに、俺にはやらなければならないこともあるしな」
「・・・・・・うん」
「で、当たらずとも遠からず、ってのはどういうことだ?」
「詳しいことは後で話す。今は時間が惜しい。リディアが連れて行かれた場所を突き止めなくてはならん」
「手はあるのか?」
「ああ」
アンディが差し出した拳を開くと、その中には銀色の輝くロザリオがあった。見覚えがあると思ったら、レイチェルが身につけていたものだった。
それがどうやら、リディアの行方を追う手がかりとなるようだ。
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あとがき
以前も書いたが、この話はかなたの成長というテーマが一つの軸となっており、第一章ではまず基本的な人格の形成が行われていく過程を描きたいと思っている。今回の件により、かなたは喜怒哀楽の内、哀を知ったことになるのである。次回はさらに、最後の一つの感情を知ることに。