「純光学機械としての頂点 」
と言う表現をしたが、まったくの私見であるがそれをお話したい。
カメラの歴史は硝酸銀塩の光化学反応の発見に始まる。
光に当たると銀が析出して黒化し、当たらなかった所は洗い流されて透過するという原理で作られた乾板と呼ばれるガラス板がフィルムの原形。
カメラは暗箱の一方にレンズ取り付け、反対側にスクリーンを置いて像を結ばせるというだけのもの。草創期のカメラである。シャッターや絞りなんて無かった。「はーい撮りますよー、動かないでー」
じっと2分間、「はい、終わりー」とレンズに蓋をする、という代物。
これを第1世代のカメラ、「写真器」と呼ぼう。(これはこれで後々発展して大判のスチールカメラとなっていく)やがて、シャッターや絞り機構、ピント合わせのための蛇腹スライド機構が発明され、「写真機」となる。第2世代である。
次にホールディングカメラといわれるハンディカメラが登場、ロールフィルムの発明によって可能になった。機構的には第2世代カメラのコンパクト版、現代の一般的なカメラの原形、第3世代のカメラである。この第3世代カメラが多岐に発展し、ファインダーカメラ、2眼レフレックスカメラ、一眼レフレックスカメラなどが発明され発展していった。
そのなかで私が特に面白いと思うものは、ファインダーカメラの発展型であるところのレンジファインダーカメラ、距離計連動式のピント合せ機構を持つカメラである。レフレックスカメラのピント合せ機構はミラーやプリズムを利用してはいるものの基本的には「レンズ&スクリーン」の第一世代機構の発展型である。これに対してレンジファインダー式は視界のパララックスを応用した光学的理論の世界であって、3組の光学系を機械的に連動させるという極めて精巧な技術的色合いの濃い機構なのである。
理論的な可能性を具体化することの難しさを多少なりとも経験してきた私にとって、この開発には当時の技術者達が智慧を絞り、試行錯誤を繰り返し、試作を重ね、執念ともいえる情熱を傾けて創り上げたものだろうと察せるのである。
これが、「純光学機械の頂点」 と表現する所以なのである。年代的には1940年から1960年迄ぐらいか。これ以降にはここに「電気」が介入してきて純機械でなくなってしまうのである。 |