こだわりの展示室





花苑の生立ちでも紹介しているが、中国で買って来てもらったこの唐花の盃こそが、私を染付に狂わせた一物である。

当時は陶器ばかり見ていて染付についてはまったく知識がなかったので、この盃に惹かれたのは、土物的な視点で琴線に触れるものがあったのであろう。

これを眺め回しているうちに、このわけのわからん文様は何だろうと染付の本をあさりはじめて、染付の世界に首を突っ込んでしまったのだ。

文様の件は程なく「青華の唐花」の崩れたものだということが判ったのだが、同時に本の中の染付の美しさに魅せられてしまった。


そんないきさつであるから、染付の世界に踏み込んでからも、唐花にはこだわっていた。

下表がその収集品であるのだが。
bPが本品。
bQはこの猪口と一緒に中国からやって来たもの。
bSは近隣の骨董屋さんで見つけたもの。
やがてヤフオクを覚えて、bRとbTを手に入れた。

そのうち、この手の盃(碗)が、ヤフオクの中にゴロゴロあるのに気がついた。

さもありなん、中国では青華唐花の発生(元時代?)以来清朝以降まで汎用的デザインとして用いられている。
日本でも南京写しとして江戸期から作られていたようである。




ここまできて、フッと思った。

「こいつ、こんなゴロゴロあるものに感動して染付に入りこんできたんかい」 と言われそうだなー。

UPやめようかなー。とも思ったが、それじゃーこの盃に申し訳ない・・・・・・・
よし!この盃がゴロゴロ品と違うことを見てもらおうと方針変更。
この枠を追加、画像もディテールの見える大きさにし、細部画像も作った。

当時は分からなかったけど、現在なら書ける。

まず、釉薬の違い。ややモッタリとして透明感の少ない釉調であること。古染付の雰囲気を残す。
器形は縁反り少く、素朴で力強いものである。総体にやや厚手でしっかりしていて焼も堅い。
呉須の発色は鮮やかな藍。
裏銘は漢字もしくは文字を意識したものであること。 (bQ、3になるともはや文字の意識はない。)

以上の特徴から、明末ぐらいかと判断している。下の収集品の中では最も時代があり、ヤフオクの中でもこの手に出合ったことはない。

今考えると、染付を知らない陶器派の時にこの盃の魅力を感じたということは、いにしえの茶人が古染付を愛でた心と相通ずるものありと、内心誇らしくさえ思うのである。・・・・・・(←これを自画自賛と云う)

ともかく、最初に出合ったのがこの盃でなく別のものだったら、なんということもなく見過ごして興味を持つこともなく、ここまで染付にはまる事はなかったであろう。

「縁は異なもの」というが、「縁」というものの微妙さと、不可思議さをあらためて思うものである。


唐花の盃 収集品
正面 見込 裏面
bP

bQ

bR

bS

bT

こうして並べてみると、いろいろ見えてきて面白い。
模様、見込みの絵、高台、器形から系統や推移が見える。

bP,2 は間違いなく中国のもの。
bRは高台のサイズから中国のものであろうと思うのだが、見込絵の省略ががかなり乱暴なので?。
bSは磁胎と釉薬の調子から中国清時代。
bTは明治期の伊万里であろうと思っている。

bP,2,3は高台の造、裏銘から同系と思われる。
前述のbR見込み絵の件だが、明治期の猪口や覗きにある鱗のような微塵唐草や、マジックペン書きの山水のような、かなりいい加減な省略の感じもあるので、明治期の伊万里の線もある。

bSとbTは器形と見込み模様から、明らかに同系統であることが見える。
見込みの絵を見ると、bSはなんらかの文様としてしっかり描かれているが、bTのほうは明らかにこれを写したものであるが、「なんだか判らんけど草花かな?」程度の意識で描いていて崩れている。
このことからbSからbTへの推移であることがわかる。

こうして、文様の変遷をたどるのも面白いもので、別の流れをたどったものとして「花唐草」がある。
これはまことに日本的な推移で「微塵唐草」になっていったのであるが、これもいずれ取り上げてみたいと思っている。



ところで、ゴロゴロに気づいてからというものは、唐花の盃への「こだわり」は止めにした。

しかしながら、ルーツである 「青華唐花」 への憧れだけは、染付に対する私の原点であるだけにこだわり続けている。死ぬまでには一品なりとも絶対手に入れなければならんと常に念じているのだが。・・・・・・・・・(あと15年?)

「とんでもない!お前みたいなアホは、百まで生きるワイ!」
と褒めてくれる人もいる。・・・・・・・・(ホメテナイ、ホメテナイ)