拾:怜の間


寸陰惜しむ人なし。これよく知れるか。愚かなるか。
愚かにして怠る人のために言はば、
一銭軽しといへども、これを重ぬれば、貧しき人を富める人となす。
されば、商人の一銭を惜しむ心切なり。
(第百八段)



 怜口上

金、与えられれば素直に喜ぶ。
地位、与えられれば素直に喜ぶ。
名誉、与えられれば素直に喜ぶ。
それなりの力がなければ
金や地位や名誉は持てないが
人はなぜにそれらに喜び感じるのか。
金がなければ食ってはいけぬ。
地位がなければ身分は不確か。
名誉がなければ生き甲斐生まれぬ。
確かに、人は
サルから決別して以来
生き物として素直に喜ぶよりも
人として生きるための道具に
喜び感じようとしてきたのだ。


 怜一

人も生き物である限り
結構体に生き物を飼っているものだ。
生き物とて生きねばならぬ。
だから何かを食せねばならぬ。
だから食せる環境見つけねばならぬ。
それが人の体であったとて
その生き物にとっては死活問題だ。
人とて他の生き物弄んでる。
だからそれをけしからんと
言えた義理でないだろう。
人のために
他の生き物を役立てようと考えても
他の生き物に役立とうと考えにくいのが
人の本質伝えているのだから。


 怜二

コンピューター
その仕組みわからず使っていても
たまさかマニュアルに逆らえば
その修復に
どれだけ時間を割かれることか。
原因わかれば
幼児でも扱えることなのに
原因わからねば
大人でも悩ませる。
結局コンピューター時代
差し障りなく生きるには
マニュアル通りに従うが一番と
つい教え込まれ諭される
機械に弱い私がいる。


 怜三

日本の隣の二つの国の話である。
いずれも朝鮮民族の国であるが
冷戦後にも残っている分断国家である。
国家の正式名称は
大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国。
厄介なのはその通称だ。
一方は自らを韓国と名乗るが
決して南韓とは言わない。
そしてもう一つをを北韓と呼ぶ。
他方は自らを共和国と名乗るが
決して北朝鮮とは言わない。
そしてもう一つを南朝鮮と呼ぶ。
その原因の一端を作った日本では
韓国と北朝鮮を使って糊塗してる。


 怜四

さんざいい目をしておいて
今さら言うのも気が引けるのだが
西洋文明を享受した生き方が
人間としてよかったのだろうかと
厚かましくも恥じ入ることがある。
人のものを盗って起こる罪の意識のような
人の体を傷つけて感じる悪の意識のような
してはならないものをしてしまったような
そんな気持ちになるのである。
私にとって西洋文明とは
押しつけられて欲持たされて
幾つもの夢かなえさせてくれるために
いつの間にか手放せなくなる
麻薬のようなものだった。


 怜五

キリスト教徒でなく
イスラム教徒でもなく
何とはなしに仏教徒であったので
絶対的に従うべきものを持ち合わせていなかった。
だから
その時々の状況に応じて節を変え
その都度の信条を形作ってきた。
どうにもならない事があれば諦め
どうでもいいことにはお茶を濁し
攻めるでなく逃げるでもなく
適度に体面を保ってきた。
だからこそ
今まで無事に来られたとは思うが
悪い日本人を演じてきたとも思う。


 怜六

明日は確実に食べられる。
それに少しの蓄えがあるから
1年先も確実に食べられるだろう。
恵まれた国に生きてるおかげで
戦争あってもワールドシリーズ楽しめる。
不況であってもギャンブル楽しめる。
慰みで見るテレビの画面から
貧しい人や殺された人がいるとわかると
幾ばくかの義捐金を出したり
時期が来ると決まって募金をしたりして
努力もせずに平和をむさぼる後ろめたさを
消し去っている。
それでいて何もしない人よりは
ましだろうと優越感を持っているのである。


 怜七

今ある自分を思う時
口では駄目な自分だとしょげてるが
どこかで自分を弁護する。
性格なのだと思ったり
周りが悪いと思ったり
器の小ささ棚に上げ
われ考える故にわれあるのだと
諦めたり
開き直ったりする。
よいことすればよいままに
悪いことすれば悪いままに
自分を受け容ればよいものを
それで今までの自分を作ったのだと
妙に開き直ってしまうのである。


 怜八

昔は
1日に50本は吸っていた。
嫌煙権がのさばりだした時も
体に悪いと脅された時も
吸うのが私のアイデンティティと吸い続けてきた。
ある時
病気になってまずく感じたので
吸いたくなるまで吸わないでおこうかと
軽く思ったのがきっかけで
ずるずると今日まで吸わないできた。
そして今の私
他人の吸う煙草の臭いが気になりだし
私のアイデンティティとやらも
いい加減なものだと思うようになった。


 怜九

あまりの痛さに耐えかねて
1オクターブ高く呻いている癌患者。
あまりの出血に動転して
「血圧50!」を呆然と聞いている救急患者。
人は生きている限り
少なくとも一度は体験するものだ。
そんな時こんな苦しみなくなれば
何があっても許してやるよとか
もう生きてなくてもいいわとか思ったりもしたが
今こうして私が生きているのは
そんな時でも
家の鍵をどこに置いたのかなとか
免許の書き換え時がきていたなとかの
つまらぬ思いがふとよぎったからである。


 怜一〇

一つや二つの秘密なら
持っていてこそ人なのと
開き直れる年になった。
虚勢張るのも人生と
言い訳できるずるさのせいで
後ろめたさも隠せるようになった。
ところが死の臭いがし出すと
今持ってる秘密の精算だけは
したものかどうか
いささか気になりだしてきた。
気になりだしてはきたが
その秘密あればこその今の己なのだと
気づくようになると
やっぱり墓場までということになった。


 怜一一

朱に交われば赤くなる。
個人がどれだけ清く正しく美しくとも
住んでる組織が汚く悪く醜ければ
いつしか汚く悪く醜くなってしまう。
ところが人間悲しいもので
住んでる組織が汚く悪く醜くとも
そこで生きていくこと捨てない限り
清く正しく美しく生きようとしても
それがかえってあだになる。
だから清濁あわせ呑むとか
嘘も方便とか
面従腹背とかが跋扈する。
そういう生き方に翻弄されながらも
私は日本という国でしたたかに生きてきた。


 怜一二

己にだけは正直にと
常々思って生きては来たが
果たして正直だったのかと
振り返ってみると
大うそこいた己が
いつも顔を出していた。
事実は事実と割り切って
我が身を晒し晒しても
知らず知らずに染みついた
染みの数々は消えず
己から離れようともしなかつた。
ところが世間が認めた「私」とは
大うそこいてできた染みの方であって
正直にと思う「私」の方ではなかったのである。


 怜一三

リストラされたらどうしよう。
病気になったらどうしよう。
独りぼつちになったらどうしよう。
そんな不安があればこそ
幾ばくかの金を貯めてきた。
昔のことであるならば
利息とやらがついて
楽しみの一つでもあったが
今は100万円預けても
年に10円の利息しかつかぬ。
いやはや独りで生きていけぬ者は
さっさと死ねとの謎かけなのだろうが
幸いにも今の私には
1、2年先までは食いつなぐだけの蓄えはある。

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