\ 国を憂う
故国とは喬木あるの謂にあらず
世臣あるの謂なり
(孟子)
前口上
大化の改新の場合はどうであったか
鎌倉幕府が出来た時はどうであったか
明治維新の場合はどうであったか
大日本帝国解体の場合はどうであったか
気になるのはその時の日本人の行動である。
歴史の大転換期には
日本人は案外「平和的」であった。
体制側エリートはそれまでは意気軒昂であっても
大きな力が来れば死を賭してまで抵抗しなかった。
民や反体制側の人とて日和見が多かった。
だから大した混乱なく権力の委譲がなされた。
21世紀の今日に歴史的大転換期叫ぶ人は
大きな外圧もとんでもない権力者も必要とせず
自らの力で国変えていくことが出来るだろうか。
@
大東亜戦争試みて
何もかもなくし
一から出直した日本であったが
そのほころびも頂点に達しつつある。
政治家は政治屋になり
公僕は公僕としての意思は全然なく
経営者は己の世界のことしか考えぬ。
庶民は民主主義を標榜するのに人任せだし
結局、人それぞれが勝手なことをするしかないと
思わされるような日本となった。
こうなると
天皇には逆らえなかった戦前のような
教祖の言うことに絶対帰依するような
風潮願う気持ち出てくる土壌も不思議ではない。
A
いわゆるA級戦犯といわれる人が
靖国神社に合祀されて以後
天皇陛下がお参りしなくなったことが
今回の富田メモで腑に落ちた。
現人神から人間天皇になられたとも思った。
私の乏しい歴史認識では
敗戦後、昭和天皇の御意思はともかくとして
天皇に戦争責任がないとすることと引き替えに
戦争を計画遂行者処断する極東裁判を受託したのだ。
天皇制を残すのが日本人の心なら
死んだら戦争責任者も神にするのも日本人の心だった。
だが易々とA級戦犯を靖国神社に合祀した人たちは
戦争責任が天皇にもあるとするおぞましい話を
蒸し返すことに気づかなかったのだろうか。
B
最近公開された侍従の日記から
やはり昭和天皇のお気持ちだったのかと
おもんばかられるのが
靖国神社に奉られたいわゆる「A級戦犯」の問題。
国か宮司か知らないけれど
天皇のご意志に反した国士ぶった行いが
日本国のためと言われて認められるのなら
天皇の存在とはわれわれにとって何だったのと
ゆゆしくも考えさせられる。
はじめはそんなことお考えになるはずないとされ
ついで天皇のお言葉を軽々に明らかにすべきでないとされる
そのプロセスを眺めると
策士と言われる日本人の天皇に対して抱く2つ心が
醜くも思えてならない。
C
いじめっ子にいじめた実感がないのは
よくあるケース。
いじめられっ子がいじめられた事実にこだわるのも
よくあるケース。
人が人をいじめるのは人が獣であるからなのか。
人が人をいじめるのは人が人であるからなのか。
これが民の話であるならば
やがて年経てば笑い話になるのかもしれないが
国と国との話になれば
愛国心が増幅されて
日本人が笑い話にすませても
笑い話にすませぬ国も多くある。
日本と中国、日本と韓国・北朝鮮
戦後60年経っても日本は過去を引きずっている。
D
部落問題と在日問題と沖縄問題。
これら三つの問題を未だに今の日本は引きずっている。
日本人は早く解決しなければと
こともなげに他人事のように思っている。
だが、これら三つの問題
かつての日本がすべて原因作った。
そんなこと関係ないじゃんと今の若い人は言うが
この考え方、実は
日本人に共通する根っこの深いものだ。
これらの三つの問題に問題があると思いながらも
その歴史的背景にまで立ち入る思い持たされないために
触らぬ神に祟りなしと
事なかれ主義と自己中のあやなす安寧に
心地よさを見いだしてしまっているのである。
E
例の北朝鮮のミサイル発射騒動。
日本の慌てふためきを幾つか垣間見せてくれた。
希有にも北朝鮮が予告したために
まるで天が落ちてくるように受け止める日本政府。
最新鋭の軍備をひけらかして動き回る自衛隊。
日本上空を侵犯するのだから
日本を守るために打ち落とすのかと思ったら
落下して日本国民に被害の少ないようにするためという。
挙げ句の果ての誤探知騒動。
常々「平和ぼけ」と言って批判している当人が
一番の「平和ぼけ」しているという観がした。
おどろおどろしいマスコミ報道を見るにつけ
何かうさんくさい感じしながらも
こんな日本に頼りなさ覚えるのも事実である。
F
外国では民衆の暴動が起こっても
不思議ではないと言われる年金問題。
ここまでコケにされても
やはりお上のやることには逆らえない日本人は
明治維新や第二次大戦後の日本人同様
実に平和な民族のなのか
それとも権力に弱い民なのか。
申請しなければ年金もらえませんと言われれば
仕方がないと諦め
転記ミスもミスと言われればそれ以上詮索しない。
ネコババする職員が多くあっても
大半の職員はまじめなのにと背景までは追及しない。
これで大山鳴動してネズミ一匹なら
日本人全体がおかしくなっている。
G
定年後
国のため社会のためということでと
NPO活動を始めた。
とにかく日本ではなじめぬこの活動。
でも結構維持費用がかかる。
任意団体程度の小さな組織なら問題ないが
法人となって大きくなると
活動資金不足にあえいでいるのが現状。
ところが国とか行政の庇護を受けると
税金等から金が下りてきて資金が潤沢になる。
ましてや天下りのお役人が
組織の代表になっていようものなら
左うちわにさせてもらえる。
国を憂うという点では違いはないのに。
H
日本の官僚は優秀と
いつも喧伝されてはいたが
最近の「年金問題」報道見ると
社会保険庁のやっていることやったことは
国辱ものである。
年金を正しく貰えず
死んでいった人のこと思うと
国のためより己のメンツ守る方が大事なのかと
つい勘ぐりたくもなる。
これと類似の出来事は社会保険庁だけにとどまらず
霞ヶ関のすべての役所にあると見て
100%間違いないだろう。
国民のための仕事していると口では言っても
実は国民を裏切っているのである。
I
口では公僕などとほざきながら
一番偉そうにしているのがお役人。
民の払う税金で糧を得ているのに
国を動かすはわれだけなんだと
民をあれこれ指図する。
人のチェックはしても
己がチェックされるをいやがり
己がミス犯しても
人にはそれを認めようとはしない。
そのくせ民のためと名目つけて
民のものを平気で私物化する。
これがお役人根性なんだとと歎きつつ
21世紀の日本に期待をかけて
おさらばする日本人もたまったものではない。
J
政治の世界なら国会議員
官僚の世界ならキャリア組
司法の世界なら裁判官
確かにこういった人たちは
現在の日本という国とりしきるといわれるだけに
頼られたり尊敬されたりもする。
でも彼らは本当に国思う気持ちあるのだろうか。
考えようによっては
彼らは日本の国を
最も駄目にしている元兇とも思われてならない。
偉いと言われる彼らに対し
ただやみくもに信じることだけ考えず
自立の心以て
批判の眼向けることこそ大事だろう。
K
隗より初めよという言葉があるが
そんなことなどどこ吹く風と
うそぶく政治家や官僚を見ると
腹が立ってきて、終いには
期待感より侮蔑感の方が強くなってくる。
悪いのはごく一部の人間だと彼等はいつも弁解するが
良いのはごく一部の人間しかいないと逆に叫びたくなる。
朱に染まれば赤くなるのたとえで
澱んでしまった官界や政界に期待するものは何もない。
そこは水清くして魚住まずの世界になってしまっている。
歴史は繰り返すの話ではないけれど
そんな官界・政界を吹っ飛ばす
王道楽土の新しい日本を画策する自称国士が現れても
ちっとも不思議ではないだろう。
L
和を以て貴しとは日本人の生き方示す言葉。
その心、人とは人間、社会とは世間とすることだろう。
その弊害、今の社会に見れば
あまりに個性なく顔のない日本と日本人に見られる。
テレビではどのチャンネル見ても同じ。
悪いのは己の行為で世間を騒がせたことだし
風評を確かめもしないですぐ信じてしまうし
付和雷同の傾向も著しくなっている。
それはそれで今の日本を形作ってきた。
だからその反動として
顔のある日本目指せとして
国憂える国士があらわれ
マスコミ利用して扇動すれば
いとも簡単に世論操作されていくだろう。
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