Ⅸ 国を憂う



          故国とは喬木あるの謂にあらず
                  世臣あるの謂なり
                         (孟子)



前口上

大化の改新の場合はどうであったか
鎌倉幕府が出来た時はどうであったか
明治維新の場合はどうであったか
大日本帝国解体の場合はどうであったか
気になるのはその時の日本人の行動である。
歴史の大転換期には
日本人は案外「平和的」であった。
体制側エリートはそれまでは意気軒昂であっても
大きな力が来れば死を賭してまで抵抗しなかった。
民や反体制側の人とて日和見が多かった。
だから大した混乱なく権力の委譲がなされた。
21世紀の今日に歴史的大転換期叫ぶ人は
大きな外圧もとんでもない権力者も必要とせず
自らの力で国変えていくことが出来るだろうか。



大東亜戦争試みて
何もかもなくし
一から出直した日本であったが
そのほころびも頂点に達しつつある。
政治家は政治屋になり
公僕は公僕としての意思は全然なく
経営者は己の世界のことしか考えぬ。
庶民は民主主義を標榜するのに人任せだし
結局、人それぞれが勝手なことをするしかないと
思わされるような日本となった。
こうなると
天皇には逆らえなかった戦前のような
教祖の言うことに絶対帰依するような
風潮願う気持ち出てくる土壌も不思議ではない。



いわゆるA級戦犯といわれる人が
靖国神社に合祀されて以後
天皇陛下がお参りしなくなったことが
今回の富田メモで腑に落ちた。
現人神から人間天皇になられたとも思った。
私の乏しい歴史認識では
敗戦後、昭和天皇の御意思はともかくとして
天皇に戦争責任がないとすることと引き替えに
戦争を計画遂行者処断する極東裁判を受託したのだ。
天皇制を残すのが日本人の心なら
死んだら戦争責任者も神にするのも日本人の心だった。
だが易々とA級戦犯を靖国神社に合祀した人たちは
戦争責任が天皇にもあるとするおぞましい話を
蒸し返すことに気づかなかったのだろうか。



最近公開された侍従の日記から
やはり昭和天皇のお気持ちだったのかと
おもんばかられるのが
靖国神社に奉られたいわゆる「A級戦犯」の問題。
国か宮司か知らないけれど
天皇のご意志に反した国士ぶった行いが
日本国のためと言われて認められるのなら
天皇の存在とはわれわれにとって何だったのと
ゆゆしくも考えさせられる。
はじめはそんなことお考えになるはずないとされ
ついで天皇のお言葉を軽々に明らかにすべきでないとされる
そのプロセスを眺めると
策士と言われる日本人の天皇に対して抱く2つ心が
醜くも思えてならない。



いじめっ子にいじめた実感がないのは
よくあるケース。
いじめられっ子がいじめられた事実にこだわるのも
よくあるケース。
人が人をいじめるのは人が獣であるからなのか。
人が人をいじめるのは人が人であるからなのか。
これが民の話であるならば
やがて年経てば笑い話になるのかもしれないが
国と国との話になれば
愛国心が増幅されて
日本人が笑い話にすませても
笑い話にすませぬ国も多くある。
日本と中国、日本と韓国・北朝鮮
戦後60年経っても日本は過去を引きずっている。



部落問題と在日問題と沖縄問題。
これら三つの問題を未だに今の日本は引きずっている。
日本人は早く解決しなければと
こともなげに他人事のように思っている。
だが、これら三つの問題
かつての日本がすべて原因作った。
そんなこと関係ないじゃんと今の若い人は言うが
この考え方、実は
日本人に共通する根っこの深いものだ。
これらの三つの問題に問題があると思いながらも
その歴史的背景にまで立ち入る思い持たされないために
触らぬ神に祟りなしと
事なかれ主義と自己中のあやなす安寧に
心地よさを見いだしてしまっているのである。



例の北朝鮮のミサイル発射騒動。
日本の慌てふためきを幾つか垣間見せてくれた。
希有にも北朝鮮が予告したために
まるで天が落ちてくるように受け止める日本政府。
最新鋭の軍備をひけらかして動き回る自衛隊。
日本上空を侵犯するのだから
日本を守るために打ち落とすのかと思ったら
落下して日本国民に被害の少ないようにするためという。
挙げ句の果ての誤探知騒動。
常々「平和ぼけ」と言って批判している当人が
一番の「平和ぼけ」しているという観がした。
おどろおどろしいマスコミ報道を見るにつけ
何かうさんくさい感じしながらも
こんな日本に頼りなさ覚えるのも事実である。



外国では民衆の暴動が起こっても
不思議ではないと言われる年金問題。
ここまでコケにされても
やはりお上のやることには逆らえない日本人は
明治維新や第二次大戦後の日本人同様
実に平和な民族のなのか
それとも権力に弱い民なのか。
申請しなければ年金もらえませんと言われれば
仕方がないと諦め
転記ミスもミスと言われればそれ以上詮索しない。
ネコババする職員が多くあっても
大半の職員はまじめなのにと背景までは追及しない。
これで大山鳴動してネズミ一匹なら
日本人全体がおかしくなっている。



定年後
国のため社会のためということでと
NPO活動を始めた。
とにかく日本ではなじめぬこの活動。
でも結構維持費用がかかる。
任意団体程度の小さな組織なら問題ないが
法人となって大きくなると
活動資金不足にあえいでいるのが現状。
ところが国とか行政の庇護を受けると
税金等から金が下りてきて資金が潤沢になる。
ましてや天下りのお役人が
組織の代表になっていようものなら
左うちわにさせてもらえる。
国を憂うという点では違いはないのに。



日本の官僚は優秀と
いつも喧伝されてはいたが
最近の「年金問題」報道見ると
社会保険庁のやっていることやったことは
国辱ものである。
年金を正しく貰えず
死んでいった人のこと思うと
国のためより己のメンツ守る方が大事なのかと
つい勘ぐりたくもなる。
これと類似の出来事は社会保険庁だけにとどまらず
霞ヶ関のすべての役所にあると見て
100%間違いないだろう。
国民のための仕事していると口では言っても
実は国民を裏切っているのである。



口では公僕などとほざきながら
一番偉そうにしているのがお役人。
民の払う税金で糧を得ているのに
国を動かすはわれだけなんだと
民をあれこれ指図する。
人のチェックはしても
己がチェックされるをいやがり
己がミス犯しても
人にはそれを認めようとはしない。
そのくせ民のためと名目つけて
民のものを平気で私物化する。
これがお役人根性なんだとと歎きつつ
21世紀の日本に期待をかけて
おさらばする日本人もたまったものではない。



政治の世界なら国会議員
官僚の世界ならキャリア組
司法の世界なら裁判官
確かにこういった人たちは
現在の日本という国とりしきるといわれるだけに
頼られたり尊敬されたりもする。
でも彼らは本当に国思う気持ちあるのだろうか。
考えようによっては
彼らは日本の国を
最も駄目にしている元兇とも思われてならない。
偉いと言われる彼らに対し
ただやみくもに信じることだけ考えず
自立の心以て
批判の眼向けることこそ大事だろう。



隗より初めよという言葉があるが
そんなことなどどこ吹く風と
うそぶく政治家や官僚を見ると
腹が立ってきて、終いには
期待感より侮蔑感の方が強くなってくる。
悪いのはごく一部の人間だと彼等はいつも弁解するが
良いのはごく一部の人間しかいないと逆に叫びたくなる。
朱に染まれば赤くなるのたとえで
澱んでしまった官界や政界に期待するものは何もない。
そこは水清くして魚住まずの世界になってしまっている。
歴史は繰り返すの話ではないけれど
そんな官界・政界を吹っ飛ばす
王道楽土の新しい日本を画策する自称国士が現れても
ちっとも不思議ではないだろう。



和を以て貴しとは日本人の生き方示す言葉。
その心、人とは人間、社会とは世間とすることだろう。
その弊害、今の社会に見れば
あまりに個性なく顔のない日本と日本人に見られる。
テレビではどのチャンネル見ても同じ。
悪いのは己の行為で世間を騒がせたことだし
風評を確かめもしないですぐ信じてしまうし
付和雷同の傾向も著しくなっている。
それはそれで今の日本を形作ってきた。
だからその反動として
顔のある日本目指せとして
国憂える国士があらわれ
マスコミ利用して扇動すれば
いとも簡単に世論操作されていくだろう。

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