九:米の間
唐の物は、薬の外は、なくとも事欠くまじ。
書どもは、この国に多く広まりぬれば、書きも写してん。
もろこし舟の、たやすからぬ道に、無用の物どものみ取り積みて、
所せく渡しもて来る、いと愚かなり。
(第百二十段)
米口上
アメリカは鬼畜の国と言われ
それから急に日本を救った国と言われた頃に
私というものが芽生えた。
パンや脱脂牛乳は私の昼食となったし
英語は学校で教わった。
幸いにも大学に行け
アメリカの思想家を勉強したので糧も得た。
いわばアメリカは育ての親だった。
今アメリカは軍事大国として
多くの国を思いのままに操り
逆らう者は力で屈服させている。
そんなアメリカに、私は
心では反発覚えながら
体では受け入れている。
米一
アメリカは好き?嫌い?
嫌い。
住んでた町に爆弾落としたから。
好き。
兵隊さんがチョコレートくれたから。
嫌い。
おじさんがアメリカ軍に殺されたから。
好き。
ディズニー映画で楽しませてくれるから。
嫌い。
日本にアメリカの基地を作ったから。
アメリカ軍に叩きのめされた世代と
アメリカ文化に酔いしれる世代とのすれ違いは
今のところは続いている。
米二
日本に原爆落として悪かったとは
多くのアメリカの人は思っていない。
それは早く戦争を終わらせるためであり
正義の行為をしているのだと
根っから思っているからである。
日本にアメリカの基地を置いて悪いとは
多くのアメリカの人は思っていない。
それは日本を守ってやっているからであり
よい行為だからと
根っから思っているからである。
それはアメリカの傲慢さでもなければ
勝手な理屈でもない。
そう考えることで
アメリカという国は成り立っているのである。
米三
イスラエル国建設したユダヤの民の
それまでの流浪の苦しみはよく分かっている。
古代ではローマ帝国によって
中世ではキリスト教徒によって
つい最近ではナチによって
迫害受け根絶やしにされようとした不幸は
人々も忘れてはいない。
その辛酸なめつつも
商売で生きるよすがを見いだした。
お陰でアメリカをも動かすようになったのか
アメリカはイスラエルに弱くなり
日本がアメリカのやること何でも認めるように
パレスチナの民いたぶるイスラエルを
何でも認める国ともなった。
米四
21世紀を迎えた最初の1年で
世紀を暗示する事件が起こるとは誰も予想し得なかった。
ニューヨークの双子のバベルの塔が
テロによって打ち砕かれたとき
アメリカにとってこれは「戦争」だった。
アメリカの正義に逆らったアルカイダは敵とされ
その巣窟とされたタリバン政権とアフガニスタンを
殲滅せんとするアメリカは
その有り余る武器を炸裂させた。
アメリカの同盟国として参戦を決意した日本は
海上とは言え、戦後初めて
戦争遂行のための海上自衛隊を出動させたが
当然のことながら、その頃も今も国や民は
「戦争の当事者国になった」との認識はなかった。
米五
ニューヨークでは3000人が亡くなった。
テロである。
アフガンでも3000人が亡くなった。
空爆である。
同じ数の人が亡くなっても
ニューヨークの場合は涙し
アフガンの場合は涙しない。
丁度身内の1人の死に涙するように
見知らぬ多くの人の死に涙しないように。
人類皆兄弟とか
人の命は地球より重いとかは
むなしい響きの空説法のような気がする。
結局今の日本の場合は
アメリカに肩入れしているのである。
米六
日米戦争知る者のトラウマなのだろう。
アフガニスタンのタリバン見ると
アメリカに戦い挑み打ちのめされた
かつての日本を思い出してならぬ。
同時多発テロが第二の真珠湾攻撃だと
アメリカに言われてからというものは
一気に戦争へとかき立てるアメリカの手法とか
戦意昂揚図るタリバンのやり方とか
情け容赦もない空爆続けるアメリカの正義感とか
ジハードで死ぬまで戦おうとする精神主義とか
次第に崩壊していくタリバンを見ている内に
「ああ、こうして日本は負けていったのだな」と
複雑な思いで眺める一方で
それをアメリカの目で見ている私である。
米七
イスラエルとパレスチナの問題
グローバル時代の世の中だから
どこか日本も関わっているのだろうが
どうしても対岸の火事の観は拭えない。
利害関係のない人には
どちらが正しいと軽々に言えない問題だが
一方が重戦車に空爆にと思うがままなのに
他方が自爆テロだけなのは
どうも間尺に合わぬ気がする。
そう言えば、先般
アメリカ軍によるアフガン空爆に
手も足もでなくなったタリバンスポークスマンが
カラシニコフ銃持って戦いに来いと
訴えた光景が妙に思い出される。
米八
アメリカに悪の枢軸と名指された国がある。
それは正しいかどうかでなくて
アメリカが言うから
そうなのだと思っている人もいる。
人は証拠がなくても
価値や事実の判断を下すものだが
ましてやメディア通じてアメリカに
イラクは大量破壊兵器を持ってると
何度も何度も言われれば
イラク攻撃するのは正しいことだとつい思ってしまう。
しかしフセイン政権倒れた後も
時々思うことがある。
イラクは日本に対して
どんな悪いことをしたのだろうかと。
米九
「反日」という言葉好きの日本人が
「大東亜戦争」が自衛のための戦いだったとよく言うが
何でだろうと考えてみた。
彼らの書物では米・英に追いつめられて
やむを得ず打って出たということになっているが
少なくともアメリカの追いつめ方は
今度のイラク攻撃へと持っていくそのやり方を見て
初めて実感できた。
昔の日本がどうだったとか
今のイラクがどうだとか
どうこう言うつもりはないが
結局かつての鬼畜米英は
今の日本のようにあやつれるイラクに
したくてしたくてならなかったのだろう。
米一〇
どんな親であっても
子にとって親が忘れられぬように
私にとってはアメリカが忘れられない。
アメリカに住んだからでもなければ
アメリカの世話を受けたからでもない。
生活そのものがアメリカの色に染まっているからだ。
つくづく思うに
このアメリカほど国益を考える国はない。
まるでそれがアメリカの本性であるように
国益となるならば物心両面の友好国にする。
国益に反するならばならず者国家にしてしまう。
かつての友好国でも平気でならず者国家にしてしまう。
その恐ろしさを肌で知っているからこそ
日本はいつまでも国益考えられないのだろう。
米一一
日米戦争で勝利した国アメリカ。
くしゃみだけで日本を風邪だらけにする国アメリカ。
身も心も日本を懐柔した国アメリカ。
でも自由の国アメリカ。
グローバリズムの旗手アメリカ。
民主主義だが帝国主義の国アメリカ。
自国はいいが他国はならぬと決めつける国アメリカ。
だから
一応は独立国で
一応は民主義国家の体をなしてはいても
そのアメリカのいい子であるためには
日本が何をすべきが問われたときでも
アメリカが日本をどうしようとしているかを考えれば
答えがすぐに出るようになっている。
米一二
「反日」という言葉を
殊更に使いたがる人達は
かつての日本が占領した国の人達が
日本に感謝している様をよく伝える。
そういう事実もあるだろう。
丁度それは
アメリカの軍隊がきたお陰で
いい目をした今の日本人が
アメリカはいいことをしてくれていると
感謝しているのと同じようなものだ。
しかしどのような事情があるにせよ
自分の住むところに
他国の軍隊がいて
我が物顔にされることは嫌なものである。
米一三
アメリカと
戦い敗れて我を捨て
おかげで経済発展遂げて
今の日本が存在した。
おかげで
今の私も存在した。
ところがそのアメリカが
国家の威信をかけて
今、テロという名の鬼子と戦う仕儀となったのは
アメリカの正義感によるものだった。
その是非はともかくとして
追随もどきの同一歩調をとらされる日本も
やっと親離れをすべき時期に来たかと
思い始める私である。
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