Ⅷ 国に拘る



       愛国主義は無頼漢の最後の避難所である
                        (S・ジョンソン)



前口上

アメリカは民主主義の国。
そして超軍事大国。
北朝鮮の正式名は朝鮮民主主義人民共和国。
そして先軍政治の国。
こんなこと書けば
民主主義の国は戦争好きなのかとつい思う。
でもこれはためにする言い方。
民主主義にも色々あるのだろうか。
よい民主主義と悪い民主主義。
民主主義にも二つあるという言い方。
でもこれもためにする言い方。
とかく民主主義という言葉は厄介だ。
そういえば日本も民主主義の国だと
今の日本人は思っている。



俗に言う「9・11事件」の発生後
アフガニスタンとイラクが
その報復同様の軍事攻撃で
アメリカの属国となった。
日本も日米戦争で負けて以後
実質的にアメリカの属国となっていた。
そのためアメリカ軍のために出兵した。
アメリカの文化を受け容れたお陰で
アメリカの価値観でものを見るようになった。
メディアもアメリカよりの見方がほとんど。
結局いくら日本が独立国と言ったところで
アメリカの顔色うかがわなければ
物事の判断ができぬようになってしまったのは
紛れもない事実となっていた。



圧倒的軍事力で寸時にして
アフガニスタンやイラクを制したアメリカ。
でも何かもたついている。
圧倒的軍事力だけでは
人の心をつかめないということか。
圧倒的軍事力で
日本を制したことのあるアメリカは
日本人の心までをつかんだその幻影を
イラクの支配にかぶらせたが
イラクは日本とは違っていた。
花より団子なのか
団子より花なのか
昔から経済にたけたイラク人でさえ
今回は団子より花を選んだためなのか?



いろいろ小理屈つけられて
生まれた自衛隊という名の軍隊が
人道支援だからいいと
大義名分つけられて
いつのまにか他国に派兵していた。
それが日本のために
良かったのか
悪かったのか
図らずも歴史の当事者になった私には
今は確かめるすべはない。
でもこのことは
戦前に大東亜戦争仕掛けることを決め
戦後にアメリカにすがりつくことを決めた
ほどに大きな出来事だと私は思う。



やはりというか
遂にというか
イラクで捕まった日本の民間人が
今の日本にはない処刑の流儀で斬首された。
あまりにも平和ぼけした若者の軽率な行為と
民が冷めて言うもよし。
あまりにも極悪非道の行為と
お上が怒り狂うもよし。
今の私たちが言う「テロリスト」の目には
日本という国はアメリカに従うだけの
「敵国」であると認識しているのは確かだ。
人道支援しているのにと喚いたところで
裏では確実にアメリカ軍の後方支援している事実を
日本人以上に彼らは知っているからだろう。



戦争で攻めたことはないが
空襲で縮こまった記憶のある私のような世代には
どんな理由があろうとも
戦争に関わりたくはなかった。
このトラウマは老年になっても生き残り
いかにアメリカへの恩返しのためと言われ
いかに国際貢献のためと言われ
いかに日本の国益になると言われても
今も私を苦しめる。
平和ぼけと言われ
時代にも取り残され
次の世代に託すしかない戦中生まれの人間には
イラク派遣後の日本と日本軍について
どうなるのかと気になって仕方がない。



これほどまでに
アメリカのいうがままになっていても
日本は独立した国だと思っている。
これほどまでに
役人のいうがままになっていても
日本人は文句を言わない。
アメリカは日本のために苦労している。
役人は国のために働いてくれている。
そんな迷いごとを
未だに信じている日本人が多いのは
いいことなのか、悪いことなのか。
とにかくアメリカは国益のために
役人は省益・私益のために
働いている事実をもっと知るべきだろう。



ペリーが日本に来航して以来
やっぱり日本はアメリカという国に
左右されてきたように思う。
自国の利益で動くアメリカは
いい子にしておれば友好的だし
多少の自己主張すれば頭を叩きに来る。
いっぱしに逆らおうものなら
有り余る武力で焼け野原にさまよわせる。
そのトラウマから逃れられない日本人は
いい子になるためのすべしか学ばなかった。
その勝ち組に回った日本のエリート文化人と官僚は
日本のためになるのだと
アメリカのプロパガンダに
これ努めるようになった。



かつての日本人は
温故知新の心のもとに
その絶妙のバランス感覚をもって
古きを忘れず新しきを得てきた。
ところがいつの間にか日本人は
新しきを求めれば古きを忘れ
古きにこだわれば新しきは得られぬと
思うようになってしまった。
利便性という肉体的快楽に踊らされ
進歩という精神的快楽にとりつかれた
そんな日本人をここかしこに見るようになったのは
近代という時代に呑みこまれ
アメリカという怪物に取り憑かれたからなのか。
それとも日本人の考えが元々そうだったからなのか。



核実験までした今の北朝鮮を見ると
孤立してついには軍部が独走してしまった
かつての日本が思い出されてならない。
その責めを誰が負うかの裁定は歴史に任せるとして
問題は民の心だ。
われわれは北朝鮮が疲弊しているのは
将軍様が悪いのだと思ってしまう。
ところが民は何でも将軍様のおかげだという。
嫌々ながらそういっているのだろうと
日本人はつい思ってしまうが
ひょっとしたら本気でそう言ってるのかとも思える。
かつての日本のすべてといってもよい少年が
根っからの軍国少年であったことを思えば
自国を信じている北朝鮮の民がいても不思議ではない。



日本と北朝鮮を比べてみれば
不思議に似ているとこが多い。
北朝鮮は昔の日本そのままとは
よく言われるところだが
今の日本と今の北朝鮮も
よく似ているものだと思ったのは
政権がずっち続いていたことからであった。
この二つの国の民には
将軍様を変えようとする努力の
自民党政権を変えようとする努力の
かけらも感じられなかったのである。
お上だよりの文化的土壌があるからと思っていたが
二つの国がやはり違っていると思ったのは
日本には選挙で権力者を選べるシステムがあったことだ。



アメリカ軍が攻めてきたら
竹槍持ってでもやっつけるんだと
思いこんできた日本臣民は
結局は誰一人そうしなかった。
アメリカ軍がアフガンやイラクに進駐したとき
地元の人が反撃したら
テロリストはけしからんと思いこんでしまう日本国民。
思いこませる人間がうまいのか。
思いこんでしまう人間が純粋なのか。
そのくせ中には後になって
命令しなかっただの
阿吽の呼吸だの
元々平和好き・争いごと嫌いな民なのだと
何事もなかったかのようにしてしまう日本人もいる。



国際的であるということは
何と都合のよい言葉であることか。
アメリカ並みの経営やったホリエモンを叩きながら
大企業はアメリカ並みの経営こっそり行う。
外国人力士を容認しながら
日本文化になじまないことをしたからと叩く。
某隣国に拉致された日本人が
生きるためにやむを得ずその郷に従ったのに
その変節はあり得ない筈だと思いこんでしまう。
日本が実質アメリカの50州番目でしかないのに
アメリカと対等につきあっていると思っている。
自分に利する国際化は矜恃捨てても許し
自分に都合悪い国際化は裏で画策し拒絶する。
これも陸続きでない日本の致し方ない所業なのだろう。



数えで言うと古希を迎えることとなった。
こんな年にもなって
自分が自立した日本人なのかどうか未だに考えている。
心底アメリカが怖いのか、実は隠れアメリカ派だったのか
未だにアメリカの言いなりになる日本が気にかかる。
霞ヶ関と永田町はアメリカの方だけしか向いていないし
東京証券所はアメリカの証券会社の支部のようだ。
情報も大半アメリカ経由だ。
そこで真に自立を願う日本人に聞きたい。
自虐史観だの侵略国家ではないだのと
論陣張るのも結構だが
その前に治外法権になっている軍事基地をなくすことこそ
自立を証す象徴的なテーマと言いたいのだが
これは平和ぼけしている者の寝言なのだろうか。

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