Ⅶ 忠を忘れる



                        財を先にし
                        礼を後にすれば
                        民貪る
                             (礼記-坊記)



前口上    再録(2011/9/11)

戦争に負けて軍隊解体しても
生き残り続けた日本の官僚制度。
通達という名の上意下達を武器に
縦割り行政を利用し既得権を行使し
その権限を必死に守ろうとする日本の官僚。
一般会計の何倍もの特別会計を恣意的にあやつり
天下りを認めなければ補助金もらえないよと
脅してちゃっかり高給取りになる日本の官僚。
そして責任を取らないをテーゼの日本の官僚。
その彼らのおこぼれ頂戴の国の政治家。
そのおこぼれを頂戴しようとする地方の官僚。
その又そのおこぼれを頂戴する大小の日本の企業。
その又々おこぼれを頂戴しようとする日本の民。
雁字搦めの日本の構造がそこに出来上がっている。



天下国家を論じ社会正義を唱っていても
己の利害損得だけは知っていて
結果として並の人以上に贅沢な生活をしている者が
人の税金で糧を得ている人たちの中にいる。
お役人はお国のために働く立派な人と
民から言われた時代もあったが
それもおかしいと思うことが多々起こってきた。
それでもその変化には気づこうともせず
今までがそうなっていたのだと
何の罪の意識もなく私事までも公のためと称して
公のものをちゃっかり私物化してしまう。
すべてのお役人がそうしているわけではないにしても
すべてのお役人がそうしていると思われる程に
お役人は見誤られるようになった。



国民が目を開かねばならないのは
テレビ写りだけはよい政治家よりは
テレビにも出ないで
省益だけを守る霞ヶ関の官僚達にだ。
結果責任を取らない居丈高な物言いは
かつての日本の帝国軍隊の遺伝子を
そっくり受け継いでいる。
霞ヶ関文学なる詭弁使って
国民に一時の夢を与えたことはあっただろうが
日本のためという美名を隠れ蓑に
結局はしたい放題である。
今やほとんど不可能に近い自浄作用は
ひたすら今の日本を食いつぶしている。
大半はまじめなんだというセリフも聞き飽きてきた。



わずか1,2年の勤務年数で
週1仕事をして
一生かかってもらうような退職金をもらって
渡り歩くのは天下りの高級官僚。
どう考えてもおかしいと思う。
再就職先の特殊法人で
武士の商法まがいの仕事をして
大損失しても高額の退職金をせしめて
責任取らずやめていくのは天下りの高級官僚。
どう考えてもおかしいと思う。
キャリアによるキャリアのためのキャリアの行政が
まかり通っている限り
新しい日本を作るのは
維新期の志士のような人たち以外にはない。



民主主義の国だと自画自賛したところで
官尊民卑の風潮なくならない限りは
信用できたものではない。
官が策定したことが民に損失を与えても
謝ったことはないし責任とった人もいない。
役人はピンからキリまで公僕の意識はないし
サービスはしてやっているの傲岸不遜の態度が
すべての役所と天下りを受け入れる組織に見られる。
民の当然の権利の行使も
民からのお伺いを立てたことにするし
官の意向に逆らう申し出なら
一応受け取ったことにして結局は握りつぶす。
民なら無料でやってくれている類のものまで
民に手続きさせた上に手数料まで取っているのである。



今まで見過ごされてきて
それで悪いことをしているのだとは
つゆも思わない犯罪行為が山とある。   
社保庁職員のネコババ事件。
政治家の報告漏れと虚偽の報告。
インターネット使っての職場からの世論操作。
組織のためと行う裏金作り。
公のものを簡単には私物化できなくなってきたのは
納税者の意識が高まってきたせい。
特権を与えられ罪の意識すらないお役人にすれば
何で私がこんな目にの思いだろうが
これら許す日本的習慣があったればこそ
民主主義国家には本当に珍しい
自民党の長期政権とやらが続いてきたのだろう。



百年安心の年金制度と
大見得切った政府の政策が発表された瞬間から
ほころびを見せたのは最早笑い話。
百年安心という言葉が何となく軽い。
この制度作ったのは
結局は厚労省の優秀な官僚だから
彼らの資質もそれほどではなかったのか。
その官僚を抱える組織がいい加減だったのか。
それとも
その組織を使いこなせぬ政治家が無能力だったのか。
いずれにしてもこの日本でも
他人の年金を食い物にする勝ち組と
自らの年金を目減りさせられる負け組の
二つのグループに分かれてきた。



格差社会が進行する中で
景気が悪いと羨ましくなってくるのが公務員。
週休2日はちゃんとあるし
笑い話になるような手当も幾つかついている。
すると公務員の言い訳も決まっていた。
「景気のいいときには低い給料でもがんばってきた。」
「国民への奉仕のためにスト権もなくがんばってきた。」
民間がいい目をしてきた時代のことは頬被りし
民間が悪い目にあっているからといって
公務員に羨望の目を向けるのは
筋違いもいいところだと言いたげだ。
確かに公務員には非難されるべき言われはない。
公務員は民間で選ばれた政治家達の作った
法律や条令によって糧を得ているだけなのである。



社会に尽くし貢献してこそ
民からは尊敬される日本のエリート達。
戦後60年以上もたてば
システムにあぐらをかくだけの無駄飯食いになる。
社会の安寧阻害する害虫にも相当するとは言い過ぎか。
彼らとて馬鹿ではあるまいし
難しいペーパーテストクリアーしてきただけに
頭がよいと思いたいのだが
地位高く金稼ぎやすくなったために
社会見る目が麻痺してしまったのだろう。
そういう彼らの資質にも問題あろうが
彼らのおこぼれを頂戴しようとして
そういう彼らを許してしまう民も
同じアナの狢と言うは言い過ぎか。



かつての日本帝国軍隊は
一時は関東軍使って日本臣民に夢を与えたが
第2次世界大戦末期には
大日本帝国を滅茶苦茶にしてしまった。
今やそれと同じなのが霞が関の官僚組織。
自己顕示欲いっぱいの政治家使い
天下りと特別会計を必要悪とし
よくぞここまで日本を経済大国にしてくれた。
だが時代が変わり
その必要悪は癌のような存在になり
日本を滅茶苦茶にしようとしている。
公金を私物化する格好の場となっているのに
まだ日本のためになっていると思い込んでいる。
そのおこぼれに与る日本国民も日本国民だ。



いわゆるたたき上げの人が
苦労して到達できる地位なんて
たかがしれている。
それよりもペーパーテストで得た地位の方が
遙かにその上を行っているのを見るにつけ
社会という人間組織のまか不思議さを感じる。
そのまか不思議さと正当性を得意げに話すのは
そのペーパーテストを難なくこなしてきた輩である。
高級官僚をはじめとして
いわゆる試験成績のよかった人たちは
社会のトップに君臨しながら
社会が変わり始めているのに
気づこうともせずに
保身のための小理屈ばかりこね回している。



高級官僚の天下り批判が
やっと現実のものとなってきている。
当の本人はまだまだそんなことできるかと
政治家とつるんでせせら笑っているように見えるが
実際にこの問題には
政治的支配者の特権意識と
政治的被支配者の依存意識とが
微妙かつ心地よげに絡み合っている。
たかをくくっている悪徳高級官僚は
天下ったことをちっとも悪いとは思っていないし
権威に弱い下々は
そのおこぼれを頂戴することで
人より上の生活の糧を得ている。
天下り批判はまさにこれからである。



「脱藩官僚」なるものが出現してきたことで
ふと明治維新の大転換期に
「藩」や「藩士」に見切りを付けた
多くの「脱藩藩士」のことを思い出した。
今回の「脱藩官僚」がかつての「脱藩藩士」と
同じかどうかはいずれ歴史が決めるだろうが
「過去官僚」になって
国の寄生虫になるよりは
「脱藩官僚」となって
国を憂える立場に立って貰いたいものだ。
さらに頭さびた上司によって
干された腹いせをしているだけだと
「現役官僚」からせせら笑われないよう頑張って
脱藩官僚の名を残して貰いたいものだ。



保護することは管理することとはよく言ったもの。
学校は生徒のためにある。
病院は患者のためにある。
役所は国民のためにある。
というのは建前で
学校は先生のため
病院は医者のため
役所は役人のためにあると
つい錯覚してしまいそうだ。
ひとつの目的のために組織が作られたのに
その組織の維持のために働く人間が
いつしか自分の都合のよいように動きだし
目的を忘れてしまうのはよくあることだ。
その度に生徒や患者や国民が犠牲になる。

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