七:村の間



さて、いかがして人を恵むべきとならば、
上のおごり費す所をやめ、民を撫で、下に利あらん事、疑ひあるべからず。
衣食尋常なる上に僻事せん人をぞ、まことの盗人とはいふべき。
(第百四十二段)



 村口上

ブルカ被って外でることが
何故いけないと思うか、日本人。
女は外で働くな
家でもブルカ被っとけなら
差別もいいところだと
思うこともあるが
捻くれて
それをファッションだと思うのは
私の無知なる差別心なのだろうか。
身体髪膚父母から受くの古い人間からすると
髪を茶色に染めるをファッションとし
ブルカ被るをいけないとするのは
どうも間尺に合わぬ気もするが
今の日本人なら不思議でも何でもないのであろう。


 村一

後ろめたくなるほどに
しようと思えば
すること出来る社会の中に私は生きている。
恥ずかしくなるほどに
しようと思えば
すること許される時代の中に私は生きている。
うんざりとするほどに
しようと思えば
すること味わえる状況の中に私は生きている。
だから、ただ運がいいだけの人がほざく
破廉恥な言いぐさとして聞いてくれ。
私は今
天国に住んでいるのではなく
地獄に住んでいるのではないかと思うことがある。


 村二

同じ組織にいながら
そこの仲間のことはちっとも知らないし
知ろうともしない。
その組織で仕事をしながら
そこの持ち物は後ろめたさもなく
私物化して使う。
おそらくそんな組織は見込みはないだろう。
だからそんな組織にはいたくはないもんだ。
ということくらいは口では言える。
ところがである。
そんな組織に限って居心地がいいというか
旨みがあるのである。
結局私も組織から離れられないのをいいことに
そのおこぼれにあずかった一生みたいだった。


 村三

人間に貴賎はないという。
昔は制度としても貴賎はあった。
今は制度としてはないも
貴族や皇族は貴いお方と思ってしまう。
それはそれでいい。
職業に上下はないという。
昔は身分や家柄で決まる職業があった。
今は人はどんな職業にも就けるが
政治家や官僚はお偉い方だと思ってしまう。
それはそれでいい。
貴族や皇族のあることに
政治家や官僚のあることに
異論はない。
しかし初めから特殊な方だと思ってしまうところが問題だ。


 村四

デフレだそうだ。
デフレが何で起こるのか
経済音痴の私にはわからないが
確かに物価は安くなっている。
少々の蓄えをしていたから
これは助かるの思いもあるが
身内の何人かも
リストラされている様を見ると
多くの人が困っているのだとつくづく感じる。
景気浮揚には国民が預貯金使って
消費をするのが一番らしいが
国民が相変わらずそうしないのは
けちだからではない。
お上を信用しなくなったからである。


 村五

自然科学の発達した世の中に
たまさか生まれた呪縛のおかげで
喜々として日本人は生きている。
おかげで今、大阪から東京に行くのに
3時間程しかかからないことに
何の不思議さも感じなくなっているばかりか
たまさか3時間でも遅れようものなら
ぶうぶう文句を言ってしまう。
昔なら3日かかっても
何の不思議でもなかっただろうし
行けた喜びの程も今と変わらなかっただろう。
でも3時間と3日を比べて
やっぱり昔の人は遅れているなと
つい今の人は思ってしまうのである。


 村六      再掲(2011/9/21)

制度として日本にあるのだから
どうしようもないが
「キャリア組」などという特権階級が
今の日本を駄目にしていると思う。
よく考えてみれば
20歳を過ぎただけの人間が
ペーパーテストでクリアーしたというただそれだけで
何故に日本の組織に君臨できるのか。
たまさかテレビに出てくるキャリア組を見ても
言っていることは立派だが
そのほとんどが人を見下したような
鼻持ちならぬ傲慢な雰囲気を醸し出している。
権力持ったことによって増長したのだろうが
それにひれ伏すわれわれもわれわれだ。


 村七

昔の名前が体に染みついた人間だから
つい昔の官庁名で言ってしまう癖がある。
時代は変わったのよと例の如く言われても
ここだけは変わってないような気もする。
統廃合されたといっても
それでリストラされた役人の話は聞いたことがないし
庶民はお伺い立てなければ
何もできないシステムはちゃんと温存させているし
いったんミスをおかしても
責任はとらなくてもよいようにしてしまう。
エイズにしても、狂牛病にしても
不良債権にしても、学力低下にしても
まるで昔の不始末を水に流させるために
新しい名前にしたような思いがした。


 村八

企業が営利を目的とするのは
世事に疎い人でもわかる。
食に関わる企業とて同じだ。
しかし、こうも名の売れた食品が
いい加減に生産・加工した企業によって
人の胃袋に送られているとは知らなかった。
訴えあって摘発されなければ
まともな食品を売っている企業の証拠なのだろうが
ひょっとしたらすべての企業もいい加減と
思いたくなる気持ちもある。
それでも生きていくためには
何かを食せねばならない。
だから自分に不幸は起こらないだろうと信じて
店先の食品を買うしかないだろう。


 村九

同じお役人でも
人が違えば扱いや判断ががらりと変わるのは
致し方がないとしても
そのお役人が選ぶ「何とか委員」なる「学識経験者」も
ずいぶんいい加減な人が多い。
「何とか諮問委員会」にしても
選んだお役人の利益になることしか進言しないし
尤もなことを言いながら自分の損になることは言わない。
「何とか審査委員会」にしても
社会におもねる人物や申請の査定には甘いし
自分の関わる分野や知りあいを結構優先している。
「学識経験者」という名のエリートとて
それはそれなりに人間的と認めもしようが
そんな彼らに日本が託されていると思うのも癪である。


 村一〇

これまで私は
封建社会より民主主義社会の方が
資本主義社会より社会主義社会の方が
進んでおり良い社会なのだと信じて疑ってこなかった。
だから天皇主権の日本が敗れて
主権在民の日本になったのは良かったのだと思っている。
だが私が生きている間
民主主義で社会主義であったソ連にも
民主主義で自由主義であるアメリカにも
失望させられるあまたの歴史に出会って
それはそこの権力者の拙速にあるのではなく
社会主義や民主主義の制度そのものに
致命的な欠陥があるのではの思いが
去りゆく今頃になってよぎりだしている。


 村一一


社会とは自分達が作っているのだと
思う気持ちの少ない日本人がいるからこそ
役人がこうも威張っておられるのだろう。
会社とは自分達の出資で成り立っているのだと
思う気持ちの少ない株主がいるからこそ
役員はこうも威張っておられるのだろう。
確かに役人や役員は
選ばれた人であるのは違いない。
これほど近代国家といわれながら
これほど資本主義の発達した社会といわれながら
日本には日本人にもわからぬ何かがある。
それが日本人に
権利と義務が、自由と責任が
同義語なのだと思わせぬようにしているのだろう。


 村一二

子どものすることよくよく見れば
どこかで大人のすることばかり。
大人は自分のやること棚に上げ
子どもは悪いと決めつける。
庶民のすることよくよく見れば
どこかでお上のすることばかり。
お上は自分のやること棚に上げ
庶民は馬鹿だと決めつける。
子どもは大人のせいにし
大人は子どものせいし
庶民はお上のせいにし
お上は庶民のせいにすることで
醸し出されてくる奇妙な馴れ合いが
この日本の村をかたち作っているようだ。


 村一三

悲しいかな、人は神ではない。
嬉しいかな、人は機械ではない。
神でない私は今まで
20世紀という時代の日本という社会に生きてきた。
機械でない私はこれから
21世紀という時代の日本という社会に生きようとしている。
そのために私は
自分が時代の奴隷であるのか
それとも社会のとらわれ人なのか
時としてわからなくなることがある。
だから気がつけば今の私は
アメリカのやっていることは認めようとし
北朝鮮やイラクのやっていることは
悪いと思ってしまっている。

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