Ⅵ 義を弄ぶ



           治を為すは多言に在らず
                 (史記-儒林伝)



前口上

与党を保ち続けてきた自民党。
よほど国民と水が合っていたのだろう。
それが今回の衆議院議員選挙で
政権与党であり続けること出来なかった。
二大政党時代の到来なのか。
単に自民党にお灸を据えただけなのか。
その答え現時点では不明だが
政・官・財の腐れ縁続く日本の姿や
首相を変えても民意を問わなかったことが
結果として民主党を勝たしたのだろう。
そんな義を弄ぶ政治家に対する
選挙民のフラストレーションは
実際政治的活動しない私にも
数々の「今、思うこと」となっていた。



前前回の衆議院議員の総選挙は
郵政民営化法案を参議院で否決されたため。
この問題、違った視点で捉えると
日本が大人の民主主義国家になるかどうかの踏み絵。
官尊民卑・役人天国の日本では
自己責任の観念薄く
お上頼りで糊塗する傾向強い。
それを分かった上で賛成しているのか
それを承知で反対しているのか
庶民はもとより政治家まで
何か分からぬうちに投票してしまったようだった。
でも民営化されたはよいが
自己責任の観念薄くお上頼りの気持ち残るようでは
何のための民営化であり選挙だったのか。



歴史の皮肉はよくあること。
ねじれ現象もそのうちのひとつ。
日本の政治の世界を考えても
かつて自民党と社会党とくっついたことで
選挙民を驚かせもした。
絶対矛盾の自己同一さえも受け容れる日本の国。
それもありかとの思いもする。
本来保守的と思っていた党が
革新的になったり
本来革新的と思っていた党が
保守的になったりする昨今の状態を見るにつけ
政治的世界とは元々そういうものなのか
革新を標榜して実は保守的であったと見るのは
政治を知らない者の単なる思い違いなのか。



選挙もしない。
しかも一年そこそこで
日本を取り仕切る総理大臣が
次から次へと変わっていく事態。
どう考えても異常だ。
その異常を異常とも思わず
圧倒的多数だからと言って
民意も問わないのでは
民主主義の国が泣くというものである。
時代も変わったものだ。
おかげで総理大臣の値打ちもすっかり落ちて
総理大臣経験者の名前がすぐには出てこなくなった。
年のせいで物忘れがひどくなったのならいい。
政治にもはや期待しなくなったのなら困る。



胡散臭いことしながら
その証拠を覆い隠して
文句を言わせない。
おかしな国策たてながら
その情報知らせず
裏で恥じることなく私物化する。
「臭いものには蓋をせよ」を合い言葉に
民を押さえることに長けている日本の指導者たちは
ペーパーテストをクリアーした者であれ
選挙の洗礼を受けた者であれ
見事にその自己中ぶりを示している。
嵐が過ぎれば
「水に流したことにしよう」と
己の悪事を消し去るのも彼らの常套手段である。



参議院議員選挙は任期6年、3年毎の半期改選。
制度として在ることの理屈はつけられるが
不要論が叫ばれるほどに
その存在理由が問われるのが参議院。
良識の府と呼ぶのはもはや神話。
政党色著しく
衆議院のカーボンコピー以外のなにものでもない。
衆議院の政権交代なったのだから
カーボンコピーであり続けたなら
ついでになくして欲しい。
残したいのなら
利益代表でもなくイデオロギーも関係ない
真の良識の府にしてほしいと望むのは
人間界にあってはやっぱり夢の又夢なのか。



テレビの国会中継で
大臣のいちいちメモを見ながらの答弁
あれは何とかならんかなと思う。
ましてや関係官僚の耳打ちにうなずいては
おもむろに答弁席に向かう姿見ると
某有名会社の社長が横に座る母親の言うとおりに
謝罪の言葉述べていた有名シーンつい思い出す。
大臣なら当然頭の中に入っているはずなのに
それすら出来ないのは所詮日本の大臣は
年功序列でなるものなのだとつい思ってしまう。
軍事オタクと言われる防衛大臣すらも
関係部門を統括できず右往左往をしている様を見るにつけ
無能な大臣を陰であざ笑っているエリート官僚達の
したり顔がつい思い浮かんでくる。



百年は大丈夫だと大見得切った年金対策も
鳴り物入りで始めた後期高齢者医療制度も
恐らく官僚の案そのままが出されたとは思うが
無能な政治家のおかげで見事に問題化している。
さて年金漏れの話。
まさか自分がその当事者になるとは思っていなかった。
参院で多数を取った民主党のおかげで
納入期間の確認の封書が送られて来
5年も少なくなっていたことが分かった。
本人が申告しなければ何もしないのが
悪名高き社保庁の本質だ。
そう言えば他のお役所も同じだ。
確認の通知を貰い申告し直したが
何もせずこのまま放っておかれたかと思うとぞっとする。



高齢者社会で
年金生活者が多くなり
国として何とかしようと考える気持ちは一応わかる。
でもその財源
いずれ消費税のアップでと
動きだすのにはに何となくうさんくささを覚える。
もとより将来の福祉政策や環境対策を思うと
やむを得ないなと思う庶民の気持ちはあるが
政治家の方から先に言って貰いたくはない。
その前にすることがあるだろう。
議員自身の定数削減や特別な年金制度の廃止。
持参金付きのお役人の天下り禁止。
たったこれだけのことも出来ないで
消費税アップ言うほど破廉恥なことはない。



中央集権の政治に嫌気がさして
地方分権がよいのこれからは地方の時代だのと
平成の志士たちが言い始めて十数年。
その声も現実味を帯びてきた。
戦後一応民主主義国に仕立てられたが
本当かどうかは疑わしい。
自由と責任・権利と義務が
コインの裏と表のような関係にあることを
肌で感じ取っていないのではないか。
それを一番知っているのは永田町の人たち。
自由を唱い権利を行使することが
民主主義の証しであると思わせて
知らしめぬべし依らしむるべしの中央集権の体制を
なし崩し的に作ってきたのである。



民主主義国を唱う限り
政治が悪いのは政治家の責任ではなく
その政治家を選んだ人の責任とはよく言われる真実。
ところが民主主義国家であると言われながら
わが日本では半世紀以上も政権が変わらないのは
どう考えてもおかしな話である。
べつに政治体制そのものをを変えようと言うわけではない。
与党が悪ければ野党に替わってもらい
その野党が悪ければ又前の与党の政党に替わってもらう
たったそれだけのかんたんなことなのに
半世紀以上も起こらなかったのは
日本では政治とはお上がするもの
民主主義的な政治なんて自分たちに関係ないと
思う選挙民がいるからである。



民主主義の国の自民党政治家が
これほど民意を問うのを恐れているのは
木から落ちてただの人になるのが嫌だから。
選挙をするためにのみ選ばれた総理大臣が
よっぽど座り心地がよい思ったのか
百年に一度の未曾有の経済大危機だからとか
政局より政治が大事だとか
来年度の予算を決めるまではとか
次々と解散しない理由を持ち出しては
総理大臣ごっこを楽しんでいる。
自民党から支持を受けている総理大臣。
国民からはそっぽを向かれている総理大臣。
そんな総理大臣を選んだ自民党も一度下野して
返り咲きを謀った方がよいと願うシンパもいるだろう。



最近の政治劇は実に面白い。
特に舵取りの総理大臣の言動が面白い。
何に限らず人間社会というものは
思惑通りにいかぬ相場と決まっているが
当てがはずれ続けている総理大臣はまさにそのよき例だ。
解散のために選ばれたとしか思われない総理大臣が
世界経済危機という幸運に恵まれて居座っていたり
自民党の大部分が選んだアキバ系ぶった総理大臣の
ぶれまくり発言には大部分の党員が黙認してくれている。
郵政選挙で当選した議員さんのおかげで
3分の2条項を何度も使ったのに
郵政民営化には元々反対だったのだと言ってしまう。
総理大臣の器量はともかくとして
これも日本が変わるための産みの苦しみなのだ。

⑬              2011/12/11に再掲

日本の政治家の無能化が
本来黒子である官僚を増長させ
本来公僕である官僚の時代錯誤が
本来主権者でる国民をないがしろにする。
官尊民卑の土壌を作った日本の風土。
その風潮何とかならんのかとも思う。
日本の政治家は政治家になることで力を使い果たし
日本の官僚は偏差値のみ高い世間知らずになり果て
両者とも国士張りの大言壮語をするくせに
ちゃっかり、己の利得にのみ走るを良しとしている。
官尊民卑の風潮を巧みに利用する政治家や官僚。
官尊民卑の風潮を逆利用し
そのおこぼれに預かろうとする国民。
今、死ぬにも死にきれぬ思いである。

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