四: 矜の間


思ふべし、
人の身に止むことを得ずして営むところ、第一に食ふ物、第二に着る物、第三に居る所なり。
人間の大事、この三つに過ぎず。
饑ゑず、寒からず、風雨にをかされずして、閑かに過ぐすを楽しびとす。
ただし、人みな病あり。
病にをかされぬれば、その愁へ忍びがたし。
医療を忘るべからず。
薬を加へて四つの事、求め得ざるを貧しとす。
この四つ欠けざるを富めりとす。
(第百二十三段)



 衿口上

私を作った脳細胞が
一日に何万の数で死ぬという
そんな真実知らされて
ああ、やっぱりそうだったのかと
物忘れのひどくなった私は納得する。
それでも人間百歳生きたとしても
脳には何の支障もないのだと
そんな落ちを聞かされて
ああ、やっぱりそうだったのかと
今も生きている私はここでも納得してしまう。
人間長く生きて物知るために
生きる不安を押しつけられるのか
それとも生きる妙味を味わうのか
そろそろ答えを見つける時期が来たようだ。


 衿一

たまさか日本人として生まれ
時には外国にも行き
時には書物を読んで
異なる文化にも接して
あれやこれやと
生きる楽しみ辛さを味わってさえも
後どれだけそれが味わえるのかと
嘆息混じりに呟くのは
死に損なった人間の癖なのだろう。
あれやこれやとしたつもりでも
よくよく考えてみれば
所詮はお釈迦さんの手の上で
ちょこまか動き
そして灰となって散り逝く私なのである。


 衿二

自分の気持ちをわかろうとしても
人の気持ちの分からぬものが
どうして自分の気持ちが分かろうか。
人の気持ちをわかろうとしても
自分の気持ちの分からぬものが
どうして人の気持ちがわかろうか。
私もしがらみ多い世の中で
喜んだり怒ったり
悲しんだり楽しんだりして
それなりに幾星霜も永らえてきたが
それでも一応自分のためだけではなく
人のためにも
喜んだり怒ったり
悲しんだり楽しんだりしたつもりだった。


 衿三

本当は私のささやかな夢だった。
来るものは拒まず
去るものは追わず
時の流れのままに生き
ある時、誰かによって
「あれ、いつの間にか、おらんようになったな」と
さりげなく言われて
そのうち、忘れ去られていく
そういう生き方することだった。
今の私の現実を語ろう。
生きてたからこそ何かをしてきた。
その拘りがあるからこそ
「死んだらすべてを焼き捨ててくれ」と
踏み切れないでいるのである。


 矜四

権力とはまこと泡のようなものだ。
持てる者は壊れぬを信じてますます膨らまそうとする。
が、決まって壊れる。
持たざる者はその魅力に囚われて飽くなく求め続ける。
ために、決まって修羅場の世界に迷い込む。
その醜さを証明する歴史を学んでも
そのむなしさを思わせる現実に出くわしても
いざ己にまとわりついてくると
人はその魔力にとりつかれる。
それで堕落しようが
それで無能になろうが
人はその泡にまみれて酔いしれる。
だから、負け犬の遠吠えといわれてもいい。
私はできるだけ権力から遠ざかろうとしたのだ。


 衿五

生まれてこの方
「賞」というものいただいたことはない。
皆勤賞とか参加賞とかはあるが
人がうらやむもの、権威のあるものは
ないということだ。
昔はほしいと動いたことはあったが
無能がその思いを阻んだおかげだ。
還暦とうにすぎてまで生きていて
何をしていたのかと言わば言え。
私はこれを自慢にしようと思う。
だからこれから生きていて
賞が与えられそうになったとき
いかにそれを拒むかが
私の最大の厄介事となりそうだ。

 衿六

体に変調きたしたならば
その対応にあたふたし
何もなければないままに
人生物足りないと思っている内に
還暦さえも
あっという間にすぎさった。
還暦以後は
運が悪いというか
運が良いというか
何もしないでも生きられたが
時たま癪のように起こってくる
「この60年は何だったのだ」の突き上げに
後は狂うか惚けるかしてでも
わが身を守るしかないと思った。


 衿七

病気をしたり年を取ったりしたせいもあろうが
何となく弱きになりがちだ。
その上頭を打っている自分を知るようになると
そろそろだなと覚悟する前に
何とか伝えるべきものは
伝えておかねばの気にもなってくる。
そりやあ大した力もない自分なのだから
伝えるべきものと言ったって
たかが知れているのは重々承知だ。
たかが知れたものであっても
たとえ自分の子供や世間の人が
十分わかってくれなかったとしても
自分が伝えるべきだと思ったものは
やはり伝えるべきだと思うようになった。


 矜八

人の命は地球よりも重い。
だったら何故に殺し合う?
しかも一度に何千も、何万も。
人は皆平等だ。
だったら何故に貧富の差がでる?。
しかもわずかな富者と、多くの貧者が。
殺される人にもそれなりの訳があるとか
貧しい者にもそれなりの責めがあるとかと
たとえ力持つ者に言いくるめられても
そして、平和ぼけしてるだの
自分のことは棚に上げてるだのと
たとえ言葉持つ者に非難されても
世間知らずの幼子のようなこの問いかけだけは
還暦すぎてもやめたくないと思っている。


 衿九

あなたは自分の過去を否定できますか。
もしもあなたが
今の自分を認めるなら
過去の自分を否定できないでしょう。
あなたは今の自分を否定できますか。
もしもあなたが
未来の自分を認めるなら
今の自分を否定できないでしょう。
しかしこれは
自分の人生が選べる幸せな人の話なのです。
たぶん人は必死に自分の人生を選ぼうとするでしょう。
でも自分の人生を選べない人が
自分の周りに多くいることに
気づかぬ人間になってはならないでしょう。


 矜一〇

10年後の日本
私はこの世にいないかもしれない。
だから勝手な予想をしてみる。
アメリカからの留学生がほとんどいないように
中国からの留学生がほとんどいなくなっているだろう。
自衛隊というまやかしの名前はなくなり
軍隊という普通の名前になっているだろう。
高齢化社会になっているのに
年金だけでは生活できなくなっているだろう。
医療技術は進歩していても
次々起こる病気に悩まされているだろう。
だから去りゆく者の独り言として聞いてほしい。
日本からアメリカの基地さえなくなれば
大抵のことは我慢するという日本人が現れてもいいと思う。


 衿一一

痛々しく且つ気の毒に思えるほど
アメリカの言ってることをそのまま伝え
支持を表明している日本のリーダー見るにつけ
視点を変えれば、それは
アメリカから親離れできないわれわれ日本人の姿を
映していると思う。
物まね鳥のようになぞらえるのではなく
自立を明かす独自の考えを示して
それでアメリカから制裁を受け
それでかつての日本のように
芋のツルや大根の雑炊でしのぐ羽目になっても
その方がいいと心底思っている人が
日本にもまだいるということを
若い人にもわかってほしいと思う。


 衿一二

もうじき私は逝くだろう。
いますぐ死ぬとは思わぬが
もうじき私は逝くだろう。
この世とやらが色あせたとは思わぬが
もうじき私は逝くだろう。
今の人とのつきあいが嫌であるとは思わぬが
もうじき私は逝くだろう。
これから少しは生きるけど
もうじき私は逝くだろう
あの世とやらがどんなものかはわからぬが
もうじき私は逝くだろう。
昔なじんだ人たちがいるかいないかわからぬが
もうじき私は逝くだろう。
もうじき私は逝くだろう。


 衿一三
律儀で
誠実で
寡黙で
無欲で
強きを避け
弱きに与し
己に筋を通し
世間体に拘らず
そんな気持ちを以て
どんなに人から笑われようが
どんなに人から無視されようが
どんなに変人といわれようが
常にマイペースでいける
そんな人に私はなりたい。

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