参: 学の間


道を学する人、夕には朝あらん事を思ひ、朝には夕あらんことを思ひて、
かさねてねんごろに修せんことを期す。
況んや一刹那のうちにおいて、懈怠の心ある事を知らんや。
なんぞ、ただ今の一念において、直ちにする事の甚だ難き。
(第九二段)


 学口上

文部科学省おすすめの「ゆとり教育」が
日本の教育界をにぎわしている。
ゆとり教育なる高邁な理念と
若者の学力低下の厳然たる現実。
行政の言うことなす事ことごとくが
おかしなことになっても
文部科学省は、最後まで
正しい施策と言い張るだろうが
日本の将来に影響及ぼすだけに
年とる者には気がかりだ。
「ゆとり」という名の「自由」を得ても
その意味をはき違えたり
使いこなせなかったりする若者を
あちこち見受けたりするだけに。


 学一

末は博士か大臣か?
立身出世のシンボルといわれたこの言葉。
今でも通用している。
所詮は自己顕示欲の輩が狙う代物と
ひねくれては見ても
どっこいすべての人の心にくすぶり続けている。
例えば博士号。
今では単なる卒業証書の値打ちでしかないのに
学校の先生していると
それくらいはお取りでしょうと皮肉られる。
お取りになった方は
あってもなくてもいい盲腸のようなものだと
言いつつも
勲章もらったような誇らし顔を見せつける。


 学二

教える者が
伝えることの使命感持っていたならば
これほどよい教育のあり方はない。
教えられる者が
学ぶことの大切さを知っていたならば
これほどよい教育のあり方はない。
しかし過去には何か欠けるものがあって
お互いもたれあってしまったので
「いい加減さ」がはびこった。
これまで教える者の立場にいて
その鎖から逃れようとあがいたが
力及ばず出来なかった。
更にはその後ろめたさを隠そうと
40点でも60点にするバブル評価をしてしまった。


 学三

学校の先生をしていると
当たり前の話だが
我が家には本がある。
数えてみたことはないけれど
少なくとも1万冊は超えている。
昔は持っているだけで
心安らいだものだが
今はお荷物となっている。
子供は本とは無関係の仕事をしているし
図書館に寄贈できるほどの価値もなければ
古本屋での値打ちも二束三文だ。
お金と一緒で墓場まで持っていけないから
いずれ誰かによって廃品回収業者に渡り
再生紙にされるだろう。


 学四

一応先生とも呼ばれている。
まあそれなりの勉強をし資格も取り
職業としてもそうなのだから
別に違和感はない。
ある日同僚に連れられて飲み屋に行ったが
すべての客に対して
女将さんが先生とか社長とか言っているのを見て
先生という言葉が尊称でもないことに気がついた。
だから以後「本名」で呼ばれる方がうれしかったし
そう呼んでくれとも言ってきた。
それでも乞食同然の人から本名を言われ
釈然としなかったことがあって
本音のところでは私も
人を差別する「先生」なのだと思った。


 学五

戦後すぐに日本は
学校教育に英語を取り入れた。
当時の私には
中学での英語は物珍しさで面白かったが
高校での英語は受験用英語だったし
大学での英語は卒業に必要な科目でしかなかった。
学校出てからも
日本語だけの世界に住み
遊びでさえも外国に行かない生活環境が続いた。
ところが形だけでも
日本も国際化時代に入ったお陰で
この私にさえも英語が必要となり
老骨にむち打ち
リスニングとスピーキングに励む羽目となった。


 学六

教師で糧を得ていた人間だった。
定年迎えて退けば
悠々自適の独り暮らし。
教えを受けた先生や
世話になった恩人は
すでにこの世にいなくなり
昔教えた子供らや
昔世話した人たちが
今の社会を担ってる。
それを横目の住処から
悦に入っていいのか
やっかむべきなのか
とにかく寿命が延びたお陰で
新たな人間していかなければならないのだ。


 学七

昔から大学の先生といえば
肩書きだけでうらやましがられた。
今、大学の先生と言えば
肩書きだけでは見向きもされない。
世事に疎ければ
象牙の塔の住人として笑われ
業績出さねば
日頃の行い悪いと責められ
教え方悪ければ
先生の資格ないと軽蔑される。
やっと世間の常識がわかるようになった大学には
古いタイプの先生はお荷物でしかなく
時流に乗れる若い先生が求められているのかなと
取り残された思いの私である。


 学八

今の大学生は気の毒だ。
いったん入れば
何もしなくても卒業できることができなくなった。
今の大学教授は気の毒だ。
肩書きだけは立派だが
教育も研究もいい加減と見られ始めている。
今の大学は気の毒だ。
名前だけは高等教育機関なのに
実質中等教育機関になっている。
これまでいい目を見てきたのだから
気の毒と思われるのも気の毒だが
ここにも
護送船団方式で守られ威張ってきたために
そのつけを払わされている日本を見ることができる。

 学九
いい会社に勤めれば
一生生きられると思ったからこそ
いい大学目指して日本人は勉強した。
ところが今の若者、不幸というか
本人やる気がない上に
小学校のし残しを中学校に
中学校のし残しを高校に
高校のし残しを大学に
先送りする世の中迎えてしまった。
ところが今の大学、不幸というか
先送りするところがない。
だからモラトリアムだけ楽しめる場とするか
無理に大学院大学作るかするかで
学力落ちた若者に備えた。


 学一〇

大学とはどんなところ?
昔は間違いもなくエリート養成機関。
入る人には目的意識があり
世間もその人の資質を認め
まあ、入るべき人が入ったかなというところだ。
今は間違いもなくモラトリアム機関。
志気も資質もない若者まで入れ
4年間を気ままに過ごさせ
力も付けず社会に放り出すところとなった。
それを嘆いたか、戦後育ちのエリート達。
雨後の竹の子のように作られた大学を
再び雨後の竹の子のように
形は格上の大学院大学つくって
21世紀の日本を託すところとなった。


 学一一

人が増えたから
大学の数も増えたのは当然としても
学歴社会になったお陰で
猫も杓子も大学に行かねばと
思わされてきたのは不幸だったと思う。
大学の生き残りが問題となった昨今
学士号とやらが
三文の値打ちもないことに気づいた大学は
漸くにして古い殻を投げ捨てた。
例えば私の知ってる大学では
専門の科目でさえも
1年でやるところを半年ですませ
教養科目の哲学や文学などは
いつの間にか無くなってしまっていた。


 学一二

時には歴史に残る大発見をすることもある。
時には人をうならす学説展開することもある。
さすがは大学の先生だと言わば言え。
大学は象牙の塔なる形容が
ほめ言葉でなく
揶揄の言葉に変わってから
住人の品性は変貌した。
ただただ真理を追求の学徒にすぎぬと
口では言ってはみても
自己顕示欲強くなければなれない。
プライドと偏見強くなければなれない。
世渡り上手でなければなれない。
巧言怜悧の輩と化す者が増えてきたのは
気の毒と言えば気の毒である。


 学一三

私自身日本人でありながら
日本人のことは少しもわかっていないと
思うことが多くなった。
最近私が気にすることは
江戸から明治に変わったときも
日本人が臣民から国民に変わったときも
それまで寺子屋や塾や教育勅語で
さんざ教えられてきていた筈なのに
大多数の日本人は
命を賭してまで騒がなかったということだ。
してみると
これから強烈なナショナリズムが日本を襲っても
戦後民主主義で育った大多数の人も
やはり命を賭してまで騒がないのかも知れない。


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