悪その一 男なる者
口上 男はみんな狼
@ 水は低きに流る
A 好きと向きは九十九種
B 怒りは短き狂気なり
C 性に率う、之を道と謂う
D 嘘も方便
E 心は二つ身は一つ
F 良妻は夫を良夫にする
G 男は松、女は藤
H 女の知恵は鼻の先
I 夫夫たり婦婦たり
J 鯉が踊れば泥鰌も踊る
K 牛追い牛に追わる
L 成らぬ堪忍するが堪忍
口上 男はみんな狼
「男」の看板背負ったならば
獣に徹することが大切だ。
「女」と称する生き物には
人間的に振る舞うことは反対だ。
男と言ってもただのオス。
女と言ってもただのメス。
つきつめれば男と女はそんなもの。
だから俺が女とやらにしていることは
所詮オスがメスに対して
振る舞っていることと同じだと思う。
それ以上には何もない。
俺はただ自然の摂理に従って
欲とか色とかに興じればよいと思っている。
それなのに女とやらはとかく文句を言ってくる。
@ 水は低きに流る
水したたる色気なければ女でない。
可愛い気なければ女でない。
気だてよくなければ女でない。
可憐さなければ女でない。
素直さなければ女でない。
控えめなければ女でない。
すぐふくれるは女でない。
お高くとまるは女でない。
不感症なは女でない。
ヒステリー起こすは女でない。
まあ、色々に言ってはみたが
戯れ言で言ったつもりは毛頭ない。
男のさががそう言わせ
理屈で片づけられぬことなのだ。
A 好きと向きは九十九種
好きに言わせてもらうなら
女はブスより美人がよい。
美人でも整形されてるなら厭である。
女は性悪るよりも気立てよいのがよい。
気立てよくても病人ならば厭である。
女は鈍感よりも敏感なのがよい。
敏感でも独り善がりなのは厭である。
女は文句言うより従順なのがよい。
従順でも他人に従順なのは厭である。
女は馬鹿よりも賢いのがよい。
おうっとこれは逆さまだ。
女は賢いのよりも馬鹿がよい。
こんなごたくを並べた時に
柳眉逆立て怒るより口すぼめ笑う女は尚によい。
B 怒りは短き狂気なり
怒る男は雄々しいもので
アバタもエクボの女から
袖にされたと感じると
男のメンツが傷つけられて
知ってる限りの卑語を吐く。
曰く「ブス!」
曰く「ブタ!」
曰く「バイタ!」
曰く「マグロ!」
曰く「デッチリ!」
曰く「シリガル!」
曰く「ペチャパイ!」
曰く「キョウドウベンジョ!」
こう言って訴えられれば世話はない。
C 性に率う、之を道と謂う
性懲りないと言われても
もしも覗きが出来るなら
一度覗きがしてみたい。
もしも痴漢が出来るなら
一度痴漢をしてみたい。
もしも強姦出来るなら
一度強姦してみたい。
ところが腹の立つことに
男は後のことを気にするために
したろとする気まで出てこないのだ。
しても許される状況があり
しても咎められぬ力があって
尚且つしない男なら
男であること捨てた男と言えるだろう。
D 嘘も方便
嘘も方便と言うからは
酒飲んで家に帰ったら
同僚とのつき合いがあったのだと女房に言おう。
麻雀で遅く帰ったら
残業があってねと女房に言おう。
休みにゴルフ行く時は
接待に行くのだと女房に言おう。
浮気で外泊した時は
急な出張あったと女房に言おう。
本当の場合もあるのだから
こんな言い訳押し通せねば
一家支える主と言えないだろう。
それを理解せぬよな女房なら
三下り半突きつけてやればよい。
E 心は二つ身は一つ
心支えてくれると思い
星の数ある女から
選んで結婚したのだから
妻を愛しているというのは嘘ではないし
これからも愛し続けるつもりでいる。
だが妻を愛しているからといって
他の女を愛せないというのは
どう考えてもおかしいことだ。
妻を愛し他の女も愛するということに
どこもおかしなところはない筈だ。
男が一人の女だけで済ませるのは
女はいつも現実選び
すぐものを要求してくるので
それをかなえるだけの余力がないからなのだ。
F 良妻は夫を良夫にする
良き妻を選びたければ
才長けて見目麗しく情けあり。
これを望まぬ男はどこにもいない。
子にとれば良き母であり
親にとれば良き娘である。
これを望まぬ男はどこにもいない。
昼は賢夫人で通し
夜は娼婦の如くに変身する。
これを望まぬ男はどこにもいない。
常に夫の気持ちを汲んでくれ
髪結いの亭主でいさせてくれる。
これを望まぬ男はどこにもいない。
男とはいつまでも勝手な動物であり
女とはいつまでもその勝手さを許す動物である。
G 男は松、女は藤
男萎え女の時代来たなどと
女は勝手に叫んでいるが
男のすること少しだけ
出来るようになっただけのことではないか。
そこそこのことなら子供にでも出来る。
そこそこのことなら機械にでも出来る。
そのそこそこのことを女はやっているだけなのだ。
実際社会を動かしているのは誰なのだ。
現実を洞察し
ビジョンを作り
その橋渡しをしているのは男ではないか。
女はその手助けだけをすればよいのだ。
女は男の言うことをただ聞いとればよいのだ。
そうすれば世の中うまくいけるのだ。
H 女の知恵は鼻の先
女を差別するつもりはないが
世の一級品ともなると
やはり男の方が多いようだ。
料理をするのは女に合っているが
名コックと言われる人はやはり男である。
女にでも学者になれるけど
大学者と言われる人はやはり男である。
書くことは女も好きであるが
大作家ともなるとやはり男である。
別に女を差別するつもりはないが
女のすることなら男は大抵それ以上に出来る。
男のすることと同様には女は出来ないことがある。
「文化」自体が男なる者の世界であると言うならば
一つ別の「文化」とやらを見せてほしいものだ。
I 夫夫たり婦婦たり
夫婦の姿と言うもんは
オーストラロピテクスの昔より
男は狩りで獲物を取り
女は家で育児してこそ
それぞれ旨みがあったと言うもんだ。
その仕組みとやらは
いわば摂理のようなもんなんだ。
なのに今日この頃の風潮見れば
女が職場にしゃしゃり出て
男の領分侵しとる。
パート程度のことならば
許してあげられなくないが
男を顎で使うとは
もってのほかと言うもんだ。
J 鯉が踊れば泥鰌も踊る
鯉口ひとたび切ったなら
たった一人の女を愛し
女から理想の男と誉められるよりも
たった一人の女だけでは飽きたらず
女のよさを求めて漁り
女から浮気者と言われた方が
男として優れているのではないだろうか。
それなのに伝統無視する女どもは
たった一人の男だけでは飽きたらず
男のよさを求めて漁り
男から浮気者と言われた方が
女として優れているかのような錯覚に陥っている。
女の自立を謳いたいのだろうが
男の伝統そんなにやわでは決してない。
K 牛追い牛に追わる
牛にも馬にも踏まれぬ女より
やわであっても男が生まれると
まずは歓迎したもんだ。
そんな伝統の中で育ってきたもんだから
男は女よりも強いし又優れてもいる
だから女は守ってやるもんだという風に
思ってしまう習慣がついてしまっていた。
だから女に勝っても嬉しくはなく
勝って当たり前と思ったりもした。
ところが今の女は菩薩から夜叉に変わり
男に勝つ場合さえ起こってきた。
そんなことはありえないと思うんだ。
男が女に従うなんてことは考えられないと思うんだ。
これは何かが狂ってきたせいと思うんだ。
L 成らぬ堪忍するが堪忍
堪忍袋の緒を切って
己がしたいと思うこと
狂ったようにするなんてのは
まあ、お目にかかったためしはない。
己が厭だと思うこと
厭々させられても耐えるってのが
男らしいの形容詞ってもんだろう。
真実知るのを諦めるのが
腹立つ怒りを抑えることが
やりたい気持ちを鎮めることが
真の男の姿なんだと
ぐっと皺寄せ涙を見せて
裏では三世諸仏も騙しにかかる
そんな男の社会生き抜いていくには。
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