オマケ之巻 己の正体をさらす人





                          オマケとせー
                          己の正体さらす人
                          さらす人
                          それでもこだわり捨て切れぬ
                          捨て切れぬ



 口上

『20世紀の挽歌』を発信した三橋浩である。
三橋浩は1940年生まれである。
三橋浩なる名前をもつ人物はこの世に四人ほどいるらしいが
インターネットで知ったので定かではない。
でも
『20世紀の挽歌』を発信した三橋浩は一人である。
この三橋浩の発信したものは三橋浩のものだと思う。
だが
三橋浩を作ったのは20世紀であるから
三橋浩の発信したものは三橋浩だけのものではないと思う。
だから
三橋浩の発信したものは解体されてもよいと思う。
三橋浩は生きて何かをしたという事実によって
三橋浩という名前にこだわる権利はないと思う。



 21世紀を迎える私

宇宙に地球という惑星がなかったならば
私は存在していなかった。
地球に細胞という生き物が生まれなかったならば
私は存在していなかった。
今ここに私が存在しているためには
それこそ数えきれない数のものが働いている。
私はそのすべてを知らない。
そのすべてを知らないからと言って
私が存在し得ない理由はどこにもない。
そんな私が何故存在しているのかと詮索した結果
神が私を作ったのだと言いつくろうと
因果のなれの果てだと開き直ろうと
そんなことはどうでもよい。
今ここに21世紀を迎える私がいるのみである。



 「家」をひきずる私

とある漁村の片田舎。
長男にのみ許された八五郎は
維新がなって姓がつき
三橋八五郎と名乗った。
八五郎には五人の子どもがおり
その長男の与一には四人の子どもがおった。
その長男の与四郎には四人の子どもがおった。
その長男の八郎には四人の子どもがおった。
その長男の浩には三人の子どもがおった。
そして20世紀が終わって
長男であることは大事なことではなくなった。
どこにでもある日本の家の一つである「わが家」の
百年の歴史の重みを感じとるのは
「私」という言葉を発し得る当事者だけである。



 都会人の私には

海辺で生まれた者のさだめなのだろう。
江戸の御代に生まれた曾祖母も
明治の御代に生まれた祖母も
大正の御代に生まれた母も
同じ磯辺で漁っていたという。
採っても採っても又採れるその場所は
何千年も姿形を変えていなかった。
私が生まれて初めて見た時も
今つれづれに見る時も
その姿形は少しも変わってはいなかった。
だが同じ海辺で漁る人が
「ここも採れにくくなった」と嘆いても
都会に生計の道をもつ私には
他人事のようにしか思えなかった。



 私は20世紀をかいま見た

今、私が存在しているからこそ
私が存在しなかった過去も
私が存在しないであろう未来も
語れる資格が出てくると思う。
しかし私が今に存在しないならば
私が存在しなかった過去も
私が存在しないであろう未来も
涅槃の世界に閉じこめられる。
私が存在したのが20世紀であり
その20世紀がどのようなものであり
その20世紀が何故そのようなものになり
その20世紀がどのようなものになっていくかまでを
私がかいま見たという事実は
私だけの20世紀として私に確かめられているのである。



 私は鬼畜の国家があると思っていた

日露、日中、太平洋。
この名を冠す20世紀の戦争は
私にとればあずかり知らぬ歴史であった。
私が私であると思った時
日本は鬼畜の国家と戦っており
そのために夜は光が漏れぬようにしたり
防空壕に隠れたりしているのだと思った。
だが私は銃をもって戦った経験がない。
その喜びも悲しみも知らない。
その美しさも醜さも知らない。
その大切さもつまらなさも知らない。
だからそんな私の人生が
幸運であったと人から言ってもらいたくもないし
人に言いふらしたくもない。



 年金生活に入る私

私は日本が戦争をしている時に生まれた。
しかし私は戦争の怖さを知らない。
私は主権在民の憲法下で学校教育を受けた。
だから私は教育勅語を唱和していない。
私は安保反対の政治運動に巻き込まれた。
しかし私は安保体制下の日本でぬくぬくと過ごした。
私は生きる糧を得るために教育を仕事とした。
だから私は皆から先生と呼ばれている。
私は真面目に生き一生懸命働こうとした。
しかし私はそんな生き方に拘らない若者を知るようになった。
私は今、日本がどんどん変わっていくのを実感している。
だから私は日本が又戦争を仕掛けないように願っている。
私はこれから年金生活に入れる年を迎えている。
しかし私はそれも当てに出来ないと思っている。



 今の私に答えようとする私

今どうしてここにいるのかなどと問うのも
私がいっぱしの人である証拠なのだろうか。
西田幾多郎のような思索ができるとは思われぬ。
夏目漱石のような文筆の才があるとは思われぬ。
湯川秀樹のような発見ができるとは思われぬ。
松下幸之助のような経営の才があるとは思われぬ。
吉田茂のような政治ができるとは思われぬ。
知なく徳なく名もない人生で
潜んで息をしていたかった筈なのに
老いを感じるまで長らえ生きてくると
もうこれでよいとの悟りの境地と
これからも生き続けようとのあがきの中で
本当の私があることを信じて
今の私に答えようとする振りをしている私である。



 人や社会について語りたがる私

20世紀が終わったら
私の生の帳も見え隠れしてきた。
私は20世紀の後半を生きた人間でしかない。
たかが数十年に見た空間と感じた時間の中で
自分を語る資格があろうはずもないのに
人や社会について語ることで
自分という虚構を維持してきたように思える。
「私」という存在を浮き立たせる意識が
今ここで途絶えても
人や社会は21世紀にもあり続けるだろう。
だがそんな人や社会について語れない以上
今の人や社会についてとやかく言うのは
私の利己心なのか利他心なのか
決着だけは着けてから死なねばならないだろう。



 20世紀は終わり私も終わる

出来ないならば出来ないままで
どうということもないのだけれど
何かもの足らないと思ったおかげで
人はそれを自然のせいにした。
爾来自然に手をつけることで
人は己の存在領域を確保し
ともかく20世紀までは大手を振って生きてきた。
自然に手をつけられぬのは
無知と怠惰のせいだとむち打って
貧しいと思う人は豊かになり
卑しいと思う人は高貴になった。
そして自然がきしみだしそうになった頃に
20世紀は終わって
私も又終わろうとしている。



 私の20世紀は平和の世紀だった

さらば、20世紀。
私を生かしてくれた20世紀。
兵士ばかりか市民も殺し
何千万の人間が不本意ながら死んでいった20世紀は
「戦争の世紀」であった。
だが私には「平和の世紀」だった。
幸いにも私は戦争を知らない。
お国のために人を殺したこともない。
戦争が行われていない時期の
戦争が行われていない場所の
それこそ運命の縛りから解き放された時空の一角に
たまたまたたずんでいたお陰で
戦争に巻き込まれなかっただけの
後ろめたいと思う20世紀だったのだ。



 いずれ忘れ去られる私にも気になることはある

還暦を過ぎ癌の摘出までして今をしのぐ私には
21世紀のすべてを見切れぬ定めがある。
だから色々なことが気になっている。
私の子供がどうなるのかはまず気になっている。
私のしてきたことがどう見られるのかも気にはなる。
私のことはいずれ忘れ去られるのはわかっているのに
それも気にはなっている。
そして余計なことには
核戦争は起こるのだろうか
人口は百億を超えるのだろうか
地球環境は破壊されるのだろうか
資源の枯渇はあるのだろうか
未知のウイルスが次々と暴れるのだろうか
などと言うのにまで気になっている。



 生きている限り私は迷惑をかけているのだ

今ある私が死んだって
世の中少しも変わらぬだろう。
だが今ある私が生きようとすることで
良くも悪くも迷惑を及ぼしている。
さほど贅沢とは思わない食事が
実は現在の多くの人を飢えさせ
何気なく乗る自動車の排気ガスが
実は未来の多くの人を困らせている。
それでもそれを改めることもできず
他の人もそうなのだからと言い訳している。
今ある私が死んだって
少しも変わらぬと思うように
今ある私が多少の迷惑及ぼしても
世の中それほど変わらないと思ってしまうのだ。



 百億の脳細胞を持つ私

何故に命なるものが生まれたのか。
何故に私はここにいるのか。
小理屈を並べ立てて
ずるずると生きている内に
20世紀は終わってしまった。
地球に住む人間のたかが六十億分の一でしかない私だけど
百億の脳細胞をもつおかげで
幾万という20世紀の歴史を
見たり聞いたり作ったりもしてきた。
でも今ここにいる私は
20世紀後の歴史については確かめられない。
私は20世紀を生きてきたが
20世紀というバーチャルリアリティーの世界を
がむしゃらにくぐり抜けてきただけのような気がする。
                                                      完
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