九之巻 心地よい暮らしを願う人





                             九つとせー
                             心に不満を持つ人は
                             持つ人は
                             便利さ求めて苦労する
                             苦労する



 口上

自然は飛躍せずとよく言うが
無駄のないのも真実だろう。
自然にあるものよく見れば
ただあるだけと言うよりは
どこかで働き示してる。
ところが人間勝手なもので
自然はただの物であり
働き操る人間様の
下僕であると決めつけた。
おかげで便利さ見つけだし
楽な暮らしができたけど
いつしかそんな自然から
もののけ覚えるようになり
おののく21世紀を迎えてしまった。



 自然はまだまだ欠陥物?

人間は自然あっての人間なのに
自然のものを素直に見ない。
自然とはまさに自然であること忘れ去り
いつしか自然をけなしだし
欠陥物なのだと決めつけた。
それ故自然をただすのが
生きてる証と思い込み
自然をどんどん加工した。
自然はどんどん変わったけれど
人間それでももの足らず
欲の草刈り場と勝手に決めて
物取り合戦やりだした。
20世紀はそんな我欲の修羅場となり
そこで人間は狂いに狂った。



 夢を壊すのは誰?

月ではウサギが餅をつき
火星にタコが住むという
そんな空想楽しむ人間の遊び事が
無惨にも飛び散った。
海底1万マイルの話も
欲望たぎる科学者に解き明かされ
現実の中に取り込まれていく内に
夢は夢でなくなった。
そのかわり
1メートルはどんな考えても1メートルであり
1日はどんなに考えても1日であるのに
それを縮めたり延ばしたりするという新たな夢が
人間という狂った生き物によって
この20世紀から駆けめぐった。



 野心は真理を利用する?

E=MC の発見は
エネルギーの何たるかを示して
人類の発展に寄与した。
使命感に燃えさかる科学者の名誉心が
核兵器なる戦争玩具を作り
勝利感に酔いたい権力者の野心が
それを使用するにためらわなかった。
DNAの発見も
命の何たるかを示して
人類の発展に寄与した。
使命感に燃えさかる科学者の野心が
生命操作の可能性を追い求め
優越感味わいたい俗物の名誉心が
それを試みるにためらわなかった。



 歴史は夜も作られる?

朝日とともに目が覚めて
明るい内に仕事をし
夕日とともにねぐらに帰り
夜のとばりを枕にし
明日のためにと眠りにつく。
五百万年の間
これが生あるものの姿だと
その繰り返しを疑わず
人は生きてきたと思う。
その体に染みついたリズムは
火が明かりであった頃までは保たれたが
火以上の明かりが作られてからは
二十四時間は均質化され
夜と昼の区別はなくなった。



 英知は乗り物を武器にする?

時間にすればほんの十数秒。
そのスピードでは車にも劣っていた。
それでも大空を駆けめぐりたかった人類の夢が
20世紀になって現実となった。
その発明者の名は歴史にきざまれだが
乗り物のままであり続けることは出来なかった。
あれよあれよと言ってる内に
第一次大戦で戦闘機として利用され
第二次大戦で無差別爆撃機として活躍し
ついには無人の空飛ぶ機械にまで変身していった。
そのことにどんな大義名分がつけられても
それは発明者のせいではない。
目的のために手段を選ばぬ故に
欲の権化となった人間のせいなのだ。



 化石燃料は不滅である?

産業革命は肉体が生み出す力を巨大にし
知恵持ち欲持つ人間の存念を飛翔させた。
ありとあらゆる自然の事物は
不完全なものと認定され
存念を現実化するために改変された。
かくて自然が何億年もかかって作り上げた
黒い塊やどろどろした液体は
五百万年もの間は
地に潜ったままであったが
存念満たすエネルギー源に供された。
20世紀はまさに化石燃料の時代だった。
その百年間の間
採って採って採りまくられ
使われ使われ使われ続けた。



 ワープロは人間を饒舌にする?

20×20の升目に囚われた物書きの
金釘流の後ろめたさからなのか
26文字だけでことたれるタイプライターが
うらやましくも思われた。
だが自在に漢字打ち出すタイプライターの出現は
20×20の升目から解放し
金釘流の物書きを救った。
ワープロという名のそのタイプライターは
金釘流なればこそ生まれる恥辱の意識を
消し去ることになったが
金釘流なればこそ生まれる芸術も消し去った。
そして金釘流の物書きは
コンピューターの鋳型にはめられたままの
きわめて饒舌な人間になった。



 効率主義はよい?

例えば大阪・東京間の五百キロを
歩いていけば十日もかかる。
早馬かけても三日はかかる。
昔の汽車なら一日かかり
新幹線なら三時間。
その上飛行機使えば一時間。
会わずにすめば電話やメールで片づくし
今では地球の反対側ほど離れていても片が付く。
この点だけに限ってみても
世の中便利になったと喜ぶが
始めと終わりがつながれば
とにかく用が足せるとするその考えが
おかしいことだと思わぬ内に
20世紀が終わってしまった。



 当たらぬも八卦?

百年前と比べれば
鉄道は時速二百キロを超えたが
東海道は二時間ではいけなかった。
台風の襲来は完全には伝えられたが
地震の発生は完全には伝えられなかった。
化石燃料までの自動車は普及したが
電気自動車にまでは普及しなかった。
動物行動学は発達したけれど
動物と自由に会話できなかった。
放射線で病気の発見・治療は出来たが
副作用までは完全に防ぎきれなかった。
高学歴の人間は多くなったが
すべての人間が大卒者にはなれなかった。
まさに当たるも八卦、当たらぬも八卦と言うべきか。



 心地よい暮らしは人をおとなしくさせる?

孫子の代まで使える器具が
次第次第になくなっていく。
使おうと思えば使えるものが
あまり役立たないという理由で
童謡のメロディーが聞こえると
道ばたに放り出される。
百年以上も役立つものが五十年しか役立たず
五十年も役立つものが五年しか役立たず
大枚はたいて手にした最新の器具も
一年も経てば過去の遺物となり果てる今
これはどう考えてもおかしなことなのだと
これはどう考えても許されぬことなのだと
反旗翻す声とて起こらぬのは
心地よい暮らしは人をおとなしくさせるからなのか。



 人工物はすばらしい?

人が人として生きるとは
所詮「欲」満たすことに他ならないと
誰もが認めるようになって近代が到来した。
「もっと、もっと」の気持ちでもって
「より以上のもの」を求めていく姿に
賞賛の声を惜しまなくなって三百年。
ついに20世紀の日常生活は
自然の素朴な恵みに満足しなくなった。
絹に代わるものとして人絹が使われるようになり
火に代わるものとして電気が使われるようになり
皮に代わるものとして樹皮が使われるようになった。
技術の証を示す「人工物」が
「より以上のもの」の具現と錯覚することで
人はバーチャルリアリティーの世界に住むようになった。



 人は古里を忘れられる?

喰うて産んで死ぬだけの生き物なんてつまらぬと
何で思うかホモ・サピエンス。
喰わんがために生きるがために
古里離れた祖先の血が騒いだと言うのなら
許しもしよう。
古里思って古里離れ
運良くうらびれずに済んだ人達が
贖罪の思いで古里に目を向けるのも
これも許しもしよう。
一旗揚げんと古里離れ
欲満たし名をなし力持つに至った人達が
忙しい身の上なのだと言い訳しつつ
古里忘れたというセリフ
断じて許されないと思うのだが。



 知恵ある人間は滅ぼされる?

あまりに知恵あるために人間は
物質を機械に変えることが出来たため
ロボットが生まれた。
あまりに知恵あるために人間は
物質をエネルギーに変えることが出来たため
核兵器が生まれた。
あまりに知恵あるために人間は
物質を命に変えることが出来たため
クローンが生まれた。
楽をしたいと思いロボットをつくったのはよい。
勝ちたいとと思い核兵器をつくったのはよい。
生きようと思いクローンをつくったのはよい。
そう思っている限りはいつか
ロボットや核兵器やクローンに滅ぼされてしまうだろう。

  TOPへ 20世紀の挽歌・目次へ 次へ