八之巻 八百万の神の国に住まう人





                         八つとせー
                         やっぱり日本はうまし国
                         うまし国
                         ウエシタ・ウチソトわきまえる
                         わきまえる



 口上

過去の日本の百年は
明治に大正、昭和に平成
この四つの時代なのだと言ったとて
世界の誰がわかろうか。
だのに20世紀の百年が
1901年から2000年だと言うならば
日本の人でもまず承知する。
その上日本のマスコミが
やれ世紀末だの、ミレニアムだのと
言い囃すに及んでは
日本人も年号気にせぬ
普通の人になったと言うことか。
いやはやとうとう日本まで
西暦換算せねば生きられぬ時代となったようだ。



 華々しく海外侵攻する

1905年、清に勝利の皇軍、ロシアと戦争。
1914年、第一次世界大戦でドイツに宣戦布告。
1928年、関東軍が満州侵攻を開始。
1937年、日中全面戦争に突入、南京を占領。
1941年、第二次大戦で英米に宣戦布告、南アジアにも侵攻。
1954年、新憲法下で「自衛隊」という名の軍隊を設置。
1966年、ベトナム戦争で米軍への施設供与は義務と政府答弁。
1975年、第一回主要先進国首脳会議に参加。
1987年、経常黒字、対外資産、外貨準備高で世界一に発展。
1991年、湾岸戦争で百億ドルを多国籍軍に拠出。
秀吉の朝鮮侵攻以後のおよそ三百年間
「海外侵攻」の言葉も知らなかった日本も
「明治」を迎え近代国家の様相呈してからは
一溜まりもなく国際化の夢に踊らされた百年だった。



 平和憲法をもつ

これまで日本はよく戦った。
「日清戦争」で勝った勢いバネにして
「日露戦争」まで勝ったので
「大東亜」の夢ふくらませ
属国・傀儡国を作った力を梃子にして
「日中戦争」を引き起こしたその挙げ句
「日米戦争」を仕掛け
「太平洋戦争」にまで拡大させて
・・・・・・・・・・・・・・・敗れた。
そして
「戦争」という言葉をおぞましい歴史用語とし
「戦争」を「有事」と認識し
「戦争計画」の文言を「ガイドライン」と認識する
平和憲法をもつ国へと変貌した。



 激動の百年をおくる

日本のここ百年も激動期だった。
明治になって
列強に認めさせられた治外法権の場所を
四十年で取り戻し
列強なみに植民地化する側に回ったのだから。
そして大正から昭和へかけては
ある人は八紘一宇の夢に燃えて
ある人は現状打開にせかされて
天皇陛下のために戦い
植民地のすべてをなくし
自国の領土の一部まで失ったのだから。
そして五十年たった平成の今でも
基地という名の治外法権の場所を
まだ取り戻せないままでいるのだから。



 西洋に伍する

まるで子供が親のまねをするように
日本は西洋のまねをした。
泰平の夢をむさぼった報いとして
江戸の生活は否定され
西洋に伍するために
富国強兵を手だてとした日本は
戦争に平和を見た。
まるで赤子の手がひねられるように
日本は西洋の力に屈服した。
八紘一宇の夢に踊った報いとして
滅私奉公の生活は否定され
西洋に対抗するために
経済立国を手だてとした日本は
今度は平和に戦争を見た。



 矜持を保つ

押し寄せる西洋の侵略に立ち向かい
植民地にさせなかったのは維新の人の矜持。
治外法権の場所があるのを屈辱として
撤廃したのが明治の人の矜持。
アジアは一つの夢が壊されたものの
天皇制までつぶさせなかったのは大正・昭和の人の矜持。
戦後は
治外法権の場所があっても屈辱とはせず
経済立国に存在理由を見たのは昭和の人の矜持。
そのうえ低学力にはなったが
高学歴社会を作ったのは平成の人の矜持。
そして日本は今
地球は一つの合い言葉を唱えつつ
象徴天皇の国としての矜持を保っている。



 君子は豹変する

君子も豹変するのだから
凡夫が節を曲げるのは当たり前と言うべきか。
20世紀の前半を皇国史観に彩られ
軍国少年ともてはやされた子は
日本の国に上陸する敵の一人でも多く
竹槍で突き殺して戦うのだと思っていた。
20世紀の後半を経済主義に踊らされ
企業戦士に変貌した大人は
会社の利益になるのだと一時間でも多く
仕事をするのが生き甲斐だと思っていた。
大元帥の現人神が象徴天皇になることで
日本の国体が護持されたように
奉公先がお国から会社に変わることで
日本人の心が保たれた。



 主権は変わる

確かに前半の20世紀は
日本人はお国のために働いた。
それは主権が天皇にあったからだった。
そのとき日本は戦争に明け暮れた。
確かに後半の20世紀は
日本人は己のために働いた。
それは主権が国民にあったからだった。
そのとき日本は商売に明け暮れた。
そして20世紀が終わった今
主権が天皇にあれば
己を忘れ
主権が国民にあれば
お国を忘れたそのつけが
すべての日本人に回ってきた。



 日本人よく頑張る

街ではハイカラさんが闊歩し
女が女言葉と呼ばれる語尾をつけだした時から
日本の20世紀は始まった。
流行歌が口ずさまれ銀ブラ楽しんだのはつかの間で
大学出たとてままならぬご時世迎えた時
人々は国外への転進を図った。
贅沢を敵にしてまで頑張ったが
ピカドン食らって一億総懺悔をして
ゼロからの出発を始めた。
やがて竹の子生活の甲斐あって
もはや戦後ではないと悪のりしたが
豊かさの中でしらけたり翔んだりしたおかげで
日本人は顔が見えないと言われつつも
ボーダーレスの21世紀に向かって邁進した。



 大学生の学力は低下する

国際化迎えた現在でも
未だ文字さえ読めぬ国の大人が多くいるというのに
文部省と日教組のおかげで
日本は高学歴国家となった。
思い起こせば百年前
大学生とは特権階級であった。
皆の期待を受け
自らも野心を持った国の宝だった。
今日この頃を思う時
大学生はモラトリアムを満喫する階級となった。
授業は私語を楽しむ場となり
携帯電話のボタンを押す場となっていても
四年間で簡単に卒業できるほどに
日本は低学力国家となった。



 努力をしなくなる

何もないと思えばこそ
ひたすら何かを得ようと努力してきた。
小さいと思えばこそ
ただただ大きくなろうと努力してきた。
とどまってはいけないと思えばこそ
少しでも前へ進もうと努力してきた。
大東亜の夢に踊った日本が戦争を仕掛けて敗れた時
すべての日本人はそう思った。
そして今
何かを持ち大きくなったと思い込み
何かを得ようと努力しなくなり
大きくなろうとしなくなり
前へ進もうとしなくなる
そんな日本人があふれかえってきた。



 心は変わらない

明治で20世紀を迎えてから
政治や世の中変わったと
歴史は一応見なすけど
日本人の心は変わってはいなかった。
大正を迎え昭和の波乱を体験したが
日本人の心は変わっていなかった。
平成の代になり十年経って
戦争知らない人間が
世の中治めることになったとて
日本人の心は変わっていなかった。
曰く民には知らしめぬべし依らしめるべし。
曰く公のことはお上がするべし任せるべし。
20世紀が終わっても
日本人の心は変わろうともしなかった。



 戦後も進出する

前半は大日本帝国憲法で
日本人は臣民だった。
後半は日本国憲法で
日本人は主権を持った。
国の制度は転換したが
精神構造は変わらぬ百年間であった。
官尊民卑の風潮は消えず
建て前と本音を使い分ける内に
世界はボーダレスになったが
日本では相変わらず
外国に進出するだけを良しとして
外国が日本に進出するを良しとしなかった。
日本に危険を見るならば
攻められるより攻める危険の方だろう。



 和をもって貴しとなす

たとえエコノミック・アニマルとののしられようが
たとえ日本の常識は世界の非常識と揶揄されようが
たとえ曖昧な返事ばかりとさげすまされようが
日本人はたじろがなかった。
戦争負けて何で天皇退位しないと言うけれど
イエスとノー何ではっきり言わぬと言うけれど
総論賛成しておいて何で各論反対なのだと言うけれど
罪の意識は毛頭なかった。
日本の民が何千年もおかしいと思わなかったことを
たかが20世紀に言われたぐらいで
たじろぐほどに柔ではなかった。
何だかんだと言われても
日本はやはり八百万の神の住まう
「和をもって貴し」の国であった。

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