七之巻 並みの暮らしをする人





                          七つとせー
                        並の暮らしをする人の
                        する人の
                        どこでも暮らせるしたたかさ
                        したたかさ



 口上

名もなく生まれ死にゆく者に
歴史を刻む野心はない。
ふと己を見いだす時
たまたま生きていたのが
20世紀であったというだけにすぎない。
時代の欲するままに
社会の流れのままに
ただ生きてくだけの幸せを願う
そんな庶民の生き方には
どこでも暮らせるしたたかさが
潜んでいるものなのだ。
だから名を残そうとする人にありがちな
己の存在理由にこだわるよこしまな気持ちは
いささかもないのだ。



 一月には一月の

一月に寺社に参ってお屠蘇飲み
二月には梅見と称して酒宴持ち
三月に桃の節句に甘酒捧げ
四月には酒を飲み飲み桜を見
五月には鰹を喰って幟立て
六月に鰻を脇に酒盛りし
七月に星空仰いで暑気払い
八月に酔いにまかせて盆踊り
九月にはお団子さかなに月見をし
十月に喉潤しつつスポーツし
十一月、紅葉を狩って酒喰らい
十二月、鐘を聞きつつソバ啜る。
年かさね同じ飲み食いしていても
20世紀には20世紀の味がした。



 一円は一円

20世紀を迎えた時は
一円で一万グラムのお米が買えた。
それから四半世紀経った時
三千グラムになっていた。
半世紀どうにか経った戦後では
十五グラムに激減し
四半世紀前まで来た時は
五グラム程度にまでなっていた。
そして21世紀を迎えた今
ほんのわずかの二〜三グラムになっている。
一円は一円でしかないのに
そしてご飯を食べる習慣は変わらないのに
一円を見るまなざしが変わるのは
百年の時がなせる仕業だろう。



 ガン予防の十二カ条

バランスとれた栄養で
食べるものは毎日変えて
食べ過ぎないで脂肪も控え
酒は適度に
煙草は少なく
適量のビタミン、繊維質
塩辛避けて熱もの冷まし
お焦げは避けて
カビには注意
日の光には浴びすぎないで
適度のスポーツ欠かさずに
体をきれいにしておくようにとは
昔から健康の極意と言われたが
今ではガン予防の十二カ条となっている。



 家族は変わる

確かに昔は大家族。
祖父・祖母いるのは当たり前。
曽祖父・曽祖母いるのもまれではない。
そんな家族のあり方が
時代に合わぬということで
いつしか夫婦中心の家族に変わったが
それでも昔のしがらみ多く
夫は外で働いて
妻は家で炊事して
家族のあり方保たれたが
女性の社会進出目出度くなって
食事のあり方すっかり変わり
とうとう「お袋の味」なる言葉も
死語の一つとなってしまった。



 それはそれで当たり前

百年前の人ならば
家は木で出来
道路は土で
手作り道具を脇にして
手足使って動きまわっていた。
その早さは十年一日の如くであったが
当時はそれが当たり前だった。
時が移って百年経てば
家は高層マンションで
道路はアスファルト
機械の小道具脇にして
自動車使って動きまわつている。
その早さは一年十日の如くであるが
今の人にはそれが当たり前となっている。



 女性の時代来る

野良仕事の時は女はよく働いた。
商売している時でも女の方が切り盛りしていた。
それでも女は親に夫に子に従っていた。
二十世紀の帳があいて
女は外で働きだしたが
それでもお茶くみだった。
政治に参加することも出来たが
それでも集票にしか供さなかった。
やがて男と同じ仕事をするようにもなったが
それでも何か差がつけられていた。
女が組織の長にもなり
男を指図することが出来るようになるには
百年近くもかかったが
男にはまだしこりが残っていた。



 数の子は少なくなった

何故そうなったのかはわからない。
理由いくつかある中で
人間が捕りすぎたのは間違いない。
環境が変わったのもその一つ。
20世紀の初めはともかく只同然だった。
有りがたみもなく正月料理を飾った。
20世紀の中頃から水揚げが減りだし
正月料理から消えて
黄色いダイヤと言われた。
20世紀の終わりに近くなり
再び正月料理になりだした。
他の国の人たちが提供し
日本が買い叩いたからだった。
ニシンの卵の話である。



 鯨は死滅しない

百年前のつい昔
油捕るため肉捕るために
捕りに捕りまくったのは鯨。
ついに今から十年前に
例え生きるための手だてとしても
捕ってはならぬと決められた。
何で人はこれまで鯨を捕ってきたのか。
何で人は今になって鯨を捕ってはならぬのか。
何が人に鯨を捕らせるのか。
何が人に鯨を捕るなとするのか。
それは鯨が死滅するからなのか。
人のご都合で鯨は弄ばれたが
鯨とて捕られるのはいやだろう。
鯨とて何かを捕らねば生きてはいけぬだろう。



 食べられなくなった鯨

狩猟採集の時代から
ただ衣料として
ただ食用として
ただ住まいのための品として
鯨は捕られ続け人類に供されてきた。
絶滅への道をたどるその悲鳴は
食用以外に存在理由のなくなった時
やっと人類の耳目を集めるに至った。
20世紀に鯨は生物保護のシンボルとなり
鯨を食しないかつての捕鯨国は矛先を変えて
鯨を見ない国々とともにその音頭をとった。
「その身その皮ヒレまで捨てる所なく」用した国では
食することさえままならないままに
供養する文化すらも消え去った。



 生き物を殺して食する

生き物が生きるために
生き物を殺して食するのは自然の摂理。
だから人間も生きるために
動物を殺して食するのは許される。
それでも殺生をとがめる人は
草花や実を食らうことで自らを生きた。
人間この世に生まれた以上
何かを食らわねば生きてはいけぬ。
だが「人間」として生きるために
食すること以上の仕打ちをしたために
絶滅していった生き物種は
20世紀になって激増した。
だから「人間」である矜持を守るために
生き物種の保存が金科玉条となった。



 表が裏になった

運動の世界で言うならば
水を飲んではいけないと言われたのに
今は飲めと言う。
経済の世界で言うならば
贅沢は敵とばかりにもの大事にしたのに
今は消費は美徳とばかりに使い捨てにする。
嗜好の世界で言うならば
一服の煙草は心落ち着かせたのに
今は悪いことをしているように思われる。
それでは正しいと信じて
今までしてきたものは何だったんだと
叫ばずにはいられない。
この百年の間にも
表が裏になったものは限りなかった。



 作る人と使う人は違ってよい

着たり食べたりするものを
自ら作って自ら使うのは遙か昔の物語。
古今東西すべての人が
便利さ求める気持ちになってしまった20世紀
作ることと使うことは別のものにされてしまった。
お陰で人は
作る楽しみを使うことで感じることも
使う楽しみを作ることで感じることも出来なくなった。
それはそれで進んだ人の姿だと思い込み
自分で使わないのに出来るだけ多く作ろうと思い
自分で作らなかったものを出来るだけ多く使おうと思って
あくせくしてしてきた。
それが普通の人のごく当たり前の生活だったし
それはそれでよい生活なのだとも思っていた。



 人間せわしく生きる

20世紀を生きた人間ならば
20世紀は前代未聞の激動の時代だったと
やはり言うだろう。
それでも初めの内は
昔の面影もっていた。
知りたくないものは知らないままにすませたし
したくないものはしなくても許された。
そのうち変化の波がどっと来て
知りたくないものまで知らされたし
したくないものまでさせられるようになった。
おかげで目の眩むような数の生き物を殺すは
糞をする如くに自然の有害物を出すはで
生きていく上で
人間は随分せわしくなっていた。

  TOPへ 20世紀の挽歌・目次へ 次へ