六之巻 昔を懐かしむ人
六つとせー
昔昔の物語
物語
持ち出す人は過去の人
過去の人
口上
20世紀と言ったとて
たかがキリスト生まれた年に
人が拘る話にすぎぬ。
何でも数値で区切らねば
何もできない人間様も
20世紀という名の百年間に
いろんなことがありましたと
言ってはみても詮無い話。
それでも20世紀に死にそびれ
21世紀にまで長らえて
生き恥さらすとしたならば
ぐちぐち愚痴る生き方したとても
歴史の証人になるぐらいの
資格は十分あるかも知れぬ。
時計物語
おじいさんの古時計も
百年経ってはどこにもない。
一日一度
ゼンマイ巻かねば止まってしまう
そんな古時計であればこそ
おじいさんが亡くなってから
知らず知らずに巻き忘れられ
おじいさんを思い起こさせる形見となっていた。
その子の代に家が建て替えられた時
わずかに記憶に残るがらくたとして
納戸の隅にしまわれたが
その子の子供の代になった時の
あるゴミの日だった。
それは粗大ゴミとして路上に積み重ねられていた。
陸蒸気物語
モクモク黒い煙を吹き上げて
シュポシュポ音を響かせながら
黒い鉄のかたまりが
生き物のように山野を駆けめぐっていた。
数々の人の欲望を積み込んで
ひた走った勇姿を思い浮かべる人は
今は少ない。
あの煙とあの音とあの重量感は
人類の進歩と
産業の発展の証であったはずなのに
より多くの欲望を求めたおかげで
博物館に最後の姿をとどめるか
人類の遊びのためにしか
役立たなくなってしまっていた。
童物語
今は昔のわらべ歌。
早く大きくなれ杉の子よと
歌に託した子供らは
早く大人になりたかった。
大きくなってお国につくし
親を楽させたいと思った。
ところで今のはやり歌。
このまま子供でいたいのと
自立の心を恐れるあまり
大人になりたくないようだ。
そんな子供が年をとり
子供を作る営みしても
親を気取って子育てしても
やはり大人になりきれなくなった。
他国物語
ピカドンならば知らないけれど
ピカチュウならば知っている。
アカガミならば知らないけれど
アカペラならば知っている。
アメリカと戦ったのは知らないけれど
アメリカ横町ならば知っている。
長生きできる今の御時世
戦争を知っている人たちは少なくなり
戦争に参加した人たちはより少なくなっている。
戦争の悲惨さを語れば
他国の話のように受け取られ
戦争の責任について語れば
そこまで考える必要があるのかとなじられる。
そこに今の子供を見た。
ノーベル賞物語
人のためよかれと思って作ったものが
結果人を不幸にした。
その償いをと思ったノーベルの思いは
20世紀の百年間を生き抜いた。
平和賞を初めとして
物理学賞、化学賞、医学・生理学賞、文学賞
それに加えて経済学賞の六分野で受賞した者は
個人と言わず組織と言わず
20世紀の文明人のシンボルとなった。
そして今
ノーベルの思いは思った以上のものとなり
オリンピックと同様に
人類の発展と調和をうたい文句とする
威信と名誉のショーとして輝いてきた。
妖怪物語
「汝、盗むなかれ」の言葉は
19世紀に共産主義のビジョンを与えた。
20世紀になってそのビジョンは
一つの妖怪から一つの新しい現実を生んだ。
その新しい現実とこれまでの現実は
己が正義の具現者なのだと張り合って
つばぜり合いを繰り返した。
若者は新しい現実に与し
新しい現実の鳴り響かせるビジョンに陶酔し
右に左に翻弄された。
若者が老いのかげりを見いだした時
不幸にもその新しい現実は
一つの妖怪と舞い戻り
その年老いた若者の心に封印された。
文字文化物語
頭に絵を持つおかげかどうか
他の生き物とは違うと信じた人類は
捏造した「文化」空間の中で
おのが肉体に鞭打つサディストに変身した。
やがて「文字」なる武器の発明によって
自己顕示欲をあおられた人類は
おのが歴史を確実に刻み込もうとして
おのが精神に酔うナルシストに変身した。
かくて人類一万年の歴史は
「文字文化」なる幻影につき動かされ
虚業を実業に読み換え読み換え
今日までの寿命を保ってきた。
だが今や文字を読まない子供の出現によって
「文化」が換骨奪胎される羽目となった。
絶滅物語
宇宙から紛れ込んできたのかも知れない。
人知の預かり知らぬ何かが作ったのかも知れない。
やはり地球の物質から変化しただけなのかも知れない。
三十億年前と言われるある時
人間という輩が一方的にまくしたてている
「最も下等なる生き物」が現れたと言う。
次から次に現れては消えていった生き物を
化石を通して確信した人間は
20世紀になってから
地球に存在する生き物の膨大な部分の
消え去っていくのが気になりだした。
そして仰々しくも
最高の天然記念物として
ニッポニア・ニッポンを保護しようとした。
地球物語
地球とは太陽回るただの星だった。
それがわかった時から
平らな地球は丸い塊となり
人間が生きるための道具となった。
初めは
人間の欲どしさが小さかったために
地球は無限に見えた。
やがて
人間の欲どしさが大きくなるにつれ
地球は有限になっていき
20世紀が終わって
「宇宙船地球号」の称号いただいた地球は
はどめない人間の欲どしさによって
朽ちた暖色をますます増やしていくのだった。
変身物語
地球に命が誕生したのが三十億年前。
地球には初めての鬼子だった。
地球に人類が誕生したのが三百万年前。
地球には最後の鬼子だった。
人類が地球に種をまいたのが三万年前。
人類が地球をとり込んだ。
人類が地球に挑んだのが三百年前。
人類が地球を支配した。
そのときから地球の色は変わりだした。
20世紀になり
青かった地球は濁りだし
最後の鬼子に仕置きをするために
生まれたままの姿を目指して
変わり始めた。
百年物語
百年の歴史をもつと言ったって
三百万年以上の人類の歴史から言えば
それほど大したことではない。
三百万年以上の歴史と言ったって
三十億の生き物の歴史から言えば
これも大したことではない。
だから百年の間
会社がどれだけ社会の役に立ち
国家がどれだけ羽振りを利かせ
その後で消えてしまっても
何の不思議でもない。
だから平均寿命七十五年にあって
希望捨てずにまるまる20世紀を生きた御仁は
何はともあれ祝福してやるべきだろう。
拙速物語
社会の中で生きながら
己を確かめたかった人間は
今以上の己を夢見る宿業を背負ってきた。
「よりよく生きるために」の幻影に踊らされた人間が
理想的個人が理想的社会を作るのか
理想的社会が理想的個人を作るのか
その選択をできるようになったのは
近代になってからだった。
19世紀までは理想的個人が夢見られ
20世紀になって理想的社会が夢見られ
社会主義社会となって具現化した。
しかし20世紀の終わりになって
「ソ連邦」が解体されて
理想的社会づくりの実験は拙速の悲哀を味わった。
命名物語
はじめの頃は
「贅沢は敵」の下知うけてひたすらものを大事にした。
中頃になって
「消費は美徳」の檄うけてひたすらものを使い捨てた。
そして終わり頃になって
「資源は大事」の言明うけてひたすら手綱を押さえてる。
ものの価値観がくるくる変わったのも
20世紀の特徴だった。
この百年間の歴史を命名すれば何だったのか。
戦乱に巻き込まれた人は戦争の世紀と言い
科学の恩恵うければ技術の世紀と言うのをみれば
環境変われば言うことも様々だ。
これも百年一日のごとき生活を馬鹿にする
欲深い人間の宿命だろう。
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