壱之巻 ヒトの賢さを言挙げする人





                            一つとせー
                         ヒトの生き様よく見れば
                         よく見れば
                         賢さ誇示するサルである
                         サルである



 口上

宇宙から見れば
直径38万キロメートルの球体。
その表面にたむろする二足歩行の化け物は
生き物支配するママルとして君臨した。
ホモ・サピエンスと命名されたこのママルは
時には自然の咎めを受け
時には自分の愚かさのために
個体の数を減らしたが
「知」の魔術を会得して
子孫を増やし続けた。
その狂わんばかりのお盛んな働きは
謳歌で華やぐ宴なのか
終焉前の一時の調べなのか
化け物操る自然の御心にまかせられた。



 目指せ!新記録

どれだけ速いと言っても
走れる速さは1秒で10メートル。
どれだけ跳べると言っても
跳べる高さは2.5メートル。
どれだけ持てると言っても
持てる重さは300キログラム。
高々2メートル・100キログラムの二足歩行の生き物が
20世紀を超えた今
音速を超え
大気圏を超え
山川を超えている。
この生き物が「人間」になっていく様には
賢さもすばらしさもない。
尽きない欲望だけがある。



 増えるが勝ち

概して言えばこの体
華奢で裸で柔らかで
爪も牙も鋭くなくて
何の取り柄もなさそうなのに
ひたすら個体の数を増やしてる。
この先に
百億個も確実と言われるようになったなら
これは異常なことなのだと
気づかぬ事態も異常だろう。
この事実
人知の及ぶ出来事なのか
人知の及ばぬ出来事なのか
生き残りをかけたホモ・サピエンスの戦いが
21世紀にも続けられるのだ。



 賢いヒトの考えること

ホモ・サピエンスとは賢いヒト。
その賢さ故に
動物よりも出来がいいと思ってる。
ところがいろんな動物よく見るに
アメーバーはそっくりさんを作れ
アブラムシは自分だけで子供を産める。
ツルギメダカは気ままに性転換でき
ミミズは体の切れはしから元に戻れ
イモリは失った部分を再生できる。
そこで賢いヒトは考えた
動物に出来ることはヒトにも出来る筈なのだ。
19世紀まではそれは夢だったが
20世紀になって現実の匂いを嗅いだ。
その途端ヒトは「いのち」を弄び始めた。



 ヒトはルーツを求める

神話を虚構とし
ルーツ探しに囚われてから
ヒトは万物の霊長に固執した。
ヒトは賢いが故に
サルはヒトより愚かでなければならなかった。
ヒトのルーツが
100万年から200万年に遡ろうとも
200万年が300万年に遡ろうとも
300万年が400万年に遡ろうとも
400万年が500万年に遡ろうとも
ヒトはサルと違っていなければならなかった。
ヒトがサルの兄弟となり
殺しの好きなサルと揶揄されるには
20世紀も終わらなければならなかった。



 王者のやっかみ

生まれて食うて産んで死ぬ。
それがいわゆる生き物の
定めであると知りながら
幾多の試練を乗り越えて
ついに地球の王者となったヒトは賢かったのか。
生きるため食うためと言いながら
自然を知っては利用しつくし
仲間を知っては利用しつくし
500万年もの間いい思いをしてきたヒトは強かったのか。
種の滅亡の意識はとんとなく
21世紀になったはなったで
1億年も生き続けた恐竜に
後れをとるなと
頑張り続けるヒトは欲どしいのだろうか。



 絶滅の名人

せいぜい今から3万年前のことだったろう。
生き物採って食するだけのヒトに
知恵の実一つが備わった。
自然の恵みに飽きたのか
一所に留まって
生き物育てるすべを身につけた。
以来ヒトは多くの生き物を絶滅させてきた。
年とる度に知恵重ね
知ってか知らずかその数増やし
おかげで「自然を守れ」とか
「環境保護せよ」とかが
20世紀の終わりに跋扈した。
ヒトの絶滅が最良の解決策なのに
ヒトの存続願って跋扈した。



 ヒトは増え続ける

今から100年前の地球には
15億のヒトがいた。
それから50年の間には
大きな戦争しでかして
希有の死者を出したのに
25億に増えていた。
それから後の冷戦時には
あまた殺され消されても
50億に増えていた。
冷戦終わって十年たって
なんと70億に増えていた。
種内争いすることでしか
個体の数を減らせないヒトは
やはり賢い生き物であったのか。



 ヒトは栄える

確かに生物学書をひもどけば
個体の数が増すことは
種が保証されると言うことだ。
そのことわりに従って
500万年前に生まれたヒトは
天変地異が起ころうと
疫病で亡くなろうと
仲間同士が殺しあおうと
増えに増えに増え続けた。
倍々ゲームでないけれど
21世紀のいつか100億超えたとしたら
個としてそれはよいことなのか
種としてそれはよいことなのか
21世紀の人たちにそれはゆだねられた。



 ヒトの天敵はいずこに

例えば
マングースはハブに戦うすべを知っている。
ネコはネズミを捕らえるすべを知っている。
テントウムシはアリマキを襲うすべを知っている。
それでも補食される生き物が
この世から消え去らないのは誰もが知っている。
自然にあって自然に棲めば
天敵あってこその生き物と悟る知恵こそ必要なのに
天敵いないと自負する故に
ヒトは同じヒトのみを恐れだし
ヒトはヒトに対して身構えた。
もしヒトが21世紀に消え去るとするならば
それは寿命だからではなく
天敵認める謙虚さ失ったからである。



 最大の敵は同じ仲間だった

避けられるものなら
争いは避けたいと言いながら
争い続けているのは
ヒトの性だった。
争うほどでもないのに
殊更に争い持ちかけて
決着つけたがるのも
ヒトの性だった。
ヒューマニズムだの
利他主義だの
ごたくを並べて取り繕いながら
ヒトにとっての最大の強敵は
やはりヒトであると決めつけるのも
ヒトの性だった。



 種族の存続願うヒト

たとえ仲間を気にし
凌駕しようとしても
ヒトはヒトなりに種族を守ろうとする。
「人間」の仮面をかぶったヒトは
3万年前までは採集で生業をたてていた。
300年前までは農耕で生業をたてていた。
今では生産で生業をたてている。
そして20世紀も終わった今
採集業から農業へ
次いで産業へと移るを進歩と見
その都度理想の生き方変えてきたヒトは
産み続けることに疑念を持ち
今あるものを循環させる環業に
種族の存続願うようになった。



 バイ菌は生きる

「汝自身を知れ」の神託は
無限増殖を業とする賢いヒトの
躓きの石だった。
賢いヒトには知りえぬものはない。
賢いヒトにはなしえぬものはない。
だからこそホモ・サピエンスの異名持つのだ。
生き物でありながら生き物を越えることに
生き甲斐を求めてきた賢いヒトにとって
すべてを知りすべてをなすことの虚しさは
これまで少しも存在していなかった。
ようやくにして賢いヒトは今
アデニン・グアニン・シトシン・チミンの呪文によって
毛嫌いするバイ菌と同じであることの
虚しさを覚えるようになった。



 天寿を全うしたい

50億年経てば地球も金星のようになる。
今の地球に現存する生き物はいなくなるだろう。
当然「人間」なる不逞の輩もいなくなるだろう。
とまあ、それはわかってはいる。
わかっているからこそ
これまでホモ・サピエンスが生きてきた長さの
500万年は生き残っていてほしいと思う。
それが無理ならヒトが歴史を刻んだ長さの
5万年は生き残っていてほしいと思う。
それが無理なら人間がヒューマニズムを築いた長さの
500年は生き残っていてほしいと思う。
それでもそれが無理なようならば
せめてこれから生まれる孫が
天寿全うする迄生き残っていてほしいと思う。

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