石ぼとけ御詠歌と和讃


これまで御座の不動講の人たちによって
詠じ続けられてきた石仏に関係する御詠歌と和讃である。
その内、御詠歌について、特にその一の部分についての作者は
長谷寺の元化主である小林正盛氏と特定されているが、
その他はすべて不詳である。
なお、()内は漢字に転換して意味のわかりやすいようにしたもの。
    

石ぼとけ御詠歌


かぎりなき、よのもろびとを、
すくわんと,ござのうらわに、
おわすみほとけ。
 (限りなき、世の諸人を、救わんと、御座の浦和に、おわす御仏)

二 
よるなみも、まつのしずくも、
いといなく、よのためたつる、
いしのみほとけ。
(寄る波も、松の雫も、厭いなく、世のため立つる、石の御仏)

三 
ありがたや、あなとうとしの、
いしぼとけ、ねがいのかなわぬ、
ことのなければ。
(有り難や、あな尊しの、石仏、願いの叶わぬ、ことのなければ)


石ぼとけ地蔵尊和讃 

きみょうちょうらい、いしぼとけ、(帰命頂礼、石仏、)
いくよへるらん、むかしより、(幾代経るらん、昔より、)
ござのうらわに、ましまして、(御座の浦和に、在して、)
おんみをうみに、ひたしおき、(御身を海に、浸し置き、)
うつたかなみや、さざなみも、(打つ高波や、さざ波も、)
おいといなくも、みにうけて、(お厭いなくも、身に受けて)
つきぬもろびと、すくわるる、(尽きぬ諸人、救わるる、)
そのみこころの、ありがたさ、(その御心の、有り難さ、)
このおすがたの、とうとさよ、(この御姿の、尊さよ、)
いたらぬわがみを、かえりみて、(至らぬ我が身を、省みて、)
なみだこぼるる、ばかりなり、(涙零るる、ばかりなり、)
いまよりこころ、あらためて、(今より心、改めて、)
みょうがのみずに、みをきよめ、(冥加の水に、身を清め、)
ともにはげみて、まごころの、(共に励みて、真心の、)
あらんかぎりを、つくしあい、(あらん限りを、尽くしあい、)
ほとけをねんじ、かごをうけ、(仏を念じ、加護を受け、)
じひのめぐみを、こうむらん、(慈悲の恵みを、被らん、)
あなとうとしの、みほとけや、(あな尊しの、御仏や、)
げにありがたや、いしぼとけ。(げに有り難や、石仏、)


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