第1部 これまでのホモ・サピエンス像
   
  ホモ・サピエンスの誕生についての素描


 はじめに

 「人間とは何か?」この問いかけをすると、答えは人さまざまだ。その中で次のように答えた二人の人がいた。一人は、動物分類学的に、「脊椎動物門に属し、哺乳綱に属し、霊長目に属し、ヒト科に属し、ヒト属に属したサピエンス種である」と言った。もう一人が「今から30億年前に地球に誕生した生命が、6億年前に脊椎動物になり、2億年前に哺乳類になり、7千万年前に霊長類になり、次いで猿類、類人猿となった後、およそ3百万年前に人類になったが、10万年前になって、やっと現代人の祖先を持つようになり、それが現代に至ったものである」と、その長い歴史を辿って言った。
 さて、仮にこれらの答を得たとしても、われわれの発するこの問いかけは止むであろうか。止まない。人間についてのそんな科学的講釈を聞くつもりで、問いかけたのではないのだと口をとがらす人が必ずいるからだ。確かに、洋の東西を問わず、そして昔も今も変わらず、人間自身によって絶えずなされてきているこの問いかけが、「1+1=2」に等しい答えを得ることで決着をつけたい気持ちのほどは理解されよう。だが、それによって、人間が単なる「物」にされてしまうことを極端に嫌う気持ちが人間に強くあることも事実なのであり、その観点から問いかけ続けようとする人間の性向と思惑についてまで、詮索する権利はどこにもないのである。
 実際、ここでわれわれは、「人間とは何か」を考える際に、二通りの答えが用意されており、それを導き出すのに、そのいずれかの立場から思いを巡らせている点を、まず、思い起こすべきであろう。一つは、事実判断に関る事柄である。狭い意味での「人間とは何か」を科学的に明らかにしていこうとする冒頭に述べたような立場である。もう一つは、価値判断に関る事柄である。「人間のあるべき姿とは何か」を念頭においたもので、そこから、己の信念を形作っていこうとする哲学的な立場である。
 これら二つの立場が全く異質であることは、少なくとも論理的には明らかにされている。「事実判断からは価値判断は導出されえない」とはよく言われるところである。私自身としては、どちらかと言えば、後者の立場に与している。一種の思考習慣とでも言うべきなのか、私が「人間とは何か」と自らに問いかけた場合でも、また人から問いかけられた場合でも、知らず知らずの内に、「人間のあるべき姿とは何か」を問うているものと了解してしまっているのである。これからの私の話でも、別段断らないで語る場合は、常にこの姿勢をとっていることをあらかじめ皆様に伝えておこう。
 従って、ここでは私は「人間」については「人間の本性(Human Nature)」の謂でとらえたいと思う。あるいは「人間の本質」としてもよい。もっとも、そうだからと言って、そこから導かれる答えが誰も反対しえない普遍性を持っていると主張するつもりはさらさらない。確かに現在は単に哲学者のみならず、多くの人類学者や生物学者からも「人間の本性」について語られているが、彼らとてもそれには同意するだろう。
 それ故に、私が「人間の本性とは何か」を語る場合でも、厳密には、「人間の本性とされているものとは何か」であると了解していただきたいのである。それというのも、A・ポルトマンの言うように、「人間の本性をまったく先入見なしに研究したものはだれもいない」からであり、私のこの立場も、今は影の薄くなったマルクス主義者達の考えるように、人間の本性と言われるものが「抽象的で、固定されており、不変である」ようなものではなく、常に「歴史的に決定された社会的諸関係の総体」としてあるという考え方に基いているからに他ならない。
 実はそのように断らざるをえないのは、「本性(Nature)」なる言葉のもつ多義性にもよる。デカルト以後、この言葉は精神の対象物、あるいは精神の外にあって運動をするだけの外界物として考えられるようになったが、元々、この言葉は人や物に固有のもの、あるいは人に本来的に備わっているものを指す言葉として使われていた。私もここではその意味で使っている。
 が、「人間の本性」として言う場合に、そこに含み込まれている「固有の」とか「本来的」とかの言葉には時間的永遠性を与えてしまう根拠はどこにもないのである。そうするのは人間の思いこみ以外のなにものでもない。さらには、この複雑な人間の「気持ち」は「人間の本性」について考える場合には、己自身を巻き込んでいるところから、何らかの形で有限性に縛られる己自身の思惑をより一層に反映させてしまっているのである。
 明らかに、「人間の本性」について考えるのは、「自分自身の本性」を考えることにつながっている。つまりは「自分とは何か」を問うていたのである。周知のごとく、ギリシャのデルフォイの神殿に掲げられている神託は「汝自身を知れ」である。それは又ソクラテスの言った言葉としてもあまねく知られている。そしてこの問いかけは当時の人間にとってのみ大事な問いかけとして意味を持っていたのではなく、今日においても、そしてこれからにおいても、それこそ永遠に人間に投げかけられているものなのである。哲学における中心的部分を形成している問いかけと言ってもよいだろう。
 では、なぜに「自分とは何か」は常に問われ続けているのであろうか。これについて考えるに、中には、本当の自分を知るのが怖くて、自分を知ろうとはしない者もいるにはいる。彼らはそれでもそれなりに一つの生き方を貫いているのだと開き直っているのであるが、それは論外として、自分を知ろうとすることは、まさに自分の生き方に直接関わることだからである。つまりは完璧に自分を知らなくても、一応の自分を知らなければ生きていけないからである。だから自分を知ろうとするのである。それは「人間とは何か」を知ることの比ではないのである。ところが、いざ自分のことを知ろうとすると、これがなかなかに難しいのである。あたかも、人間に自分自身を知ることをできなくさせるような構造性が備わっているかのようにである。
 この点についてさらに私なりに補足すれば、以下の三点が指摘できるであろう。一つは、自分を知的に知ろうとすることに起因している。知的に知るとは対象として知ることである。そのためにはどうしても一度自分を対象化する必要が生じる。あるいは自分を考える自分というものを想定しなければならなくなる。それには心理学的な手法もとれるのであるが、どうもすっきりとはしない。あるいはそれで知った自分はどうも本物とは思えない。仮の自分のようでもある。自分が自分を知るというのは、いわば自分の右手で自分の右手を握るようなものだとの感を与えているのである。
二点目は、人間が生きてある存在であることに起因している。生きてある存在とは連続的に変化する存在の謂である。停滞するのは生きている証ではない。動いている物体は静止しているときと比べて知ることは難しいのである。それは焦点を定めにくいからである。自分を知る場合でもどこに焦点を合わせればよいのか。ましてや生きている自分はまさに現実を生きていることによって経験を次々と積み重ねている。また、形態的にも変わっている。仮に、これが今の自分だとわかったとしよう。でも、その瞬間からそれは過去の自分がわかっただけの話になってしまう。それがこれから先の自分であるとも思われない。本当の自分は、自分が変化していく存在であると認める限り、未来に変化していく自分こそが本当の自分だとつい思ってしまうのである。だからまた自分とは何かと問うてしまうのである。
 三点目は、人間が観念を構成する能力を持つ存在であることに起因している。観念とは現実を像として描いたものとも言われるが、同時にそれは現実にない、そしてわれわれが通常理想と言っているものの像を描いたものでもある。すると次のようなプロセスを人間はたどるのである。すなわち、ここでも、仮に今の自分がわかったとしよう。でもそれは今ある自分であって、それは本当の自分ではない。本当の自分は今の自分よりもっとよく、もっと大きな存在であるはずだと思うのである。言い換えればあるべき姿の自分を知ることが自分を知ることなのだと思い、すでに知ってしまった自分はその時点で本当の自分ではなくなってしまっていると思うようになり、絶えることなく「自分とは何か」と問いかけ続けるのである。
 これら三点に共通するのは、いずれも人間が「観念構成能力」を持っているところからきているという点である。「観念構成能力」とは俗にわれわれが知性と言っているものの謂である。もっと敷衍すれば、それは「物事を対象として知る力」をもっぱらに指す。それによって通常われわれは道具の製作、言語の使用、社会の組織と言った文化的活動を可能にし、今日の文明と文化を迎えるに至ったものである。
 それらはすべて、かつて私が『ジェイムズ経験論の周辺』(法律文化社)の中で述べたように、「知性化作用」と呼ぶところのものに起因していた。あるいは「概念化作用」、「抽象化作用、「象徴化作用」に起因していたと言ってもよい。これらの作用は、ホモ・サピエンスが自らを「人間」であると定義した時点から今日に至るまで、ずっと変わらずにあった営みであったと私は思っている。
 この「観念構成能力」については、いわば私のキーワードでもあるので、これから後もさまざまなところで語られるであろう。このエッセイでは、この能力の持つ歴史的意味と、その働きによってこそ生まれた「人間」といわれる存在の様々な営みの事実から、ホモ・サピエンスが自らをどのように見なし、そのあるべき姿を見いだしてきたのか、言い換えれば「人間の本性」とされているものを模索し続けてきたかを明らかにしてみたいと思うのである。


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 さて、この話を始める前に、私も又自分が持っている知性という人間の性(さが)に従って、「人間」についてどの範囲までを含めて語っているかを、あらかじめ、言っておこうかと思う。言わずもがなの理由として言えば、これは、われわれがもつ文化的特性の類似性から、異星の知的存在や機械までも人間であると見なしたり、あるいは別の形態的特性の異質性から、隣りの人でさえも化け物であると考えてしまう精神的習慣を戒めるためである。
 だからといって難しくは考えていただく必要はない。私が思い抱く「人間」とは、文化的且つ形態的に現在の人類学者が等しく一致するところのものであり、少なくとも、現在までに300万年の歴史をもってこの地球上に棲息してきた「ホモ・サピエンス」全般を指し示している。つまりは日本語で言うところの、ヒト、人、人種、人類、人間のすべてである。これらの言葉は文脈上から使い分けられているに過ぎないのである。
 その上、それを言い表すシンボリックな言葉として、リンネが言うところの「ホモ・サピエンス」を使うのであるが、当然私はこれを単に現生人類を指し示すだけの人類学的用語として使いたくはない。言い換えれば、それ以前において存在していたオーストラロピテクスと命名されている猿人から、これからにおいて存在するであろう試験管ベビーと言われるものまでを含めているのである。(もっとも、「人間」についての定義については、第二部において別の観点から、もう一度語るつもりでいる。)
 次に形態的特徴については、これもはっきり言って、その微細な部分にまで立ち入るつもりはないし、又立ち入るべきではないと私は思っている。現存する人間に類似しておりさえすれば、それでよく、強いて言うならば、直立姿勢で二足歩行をし、親指の対向性、小さな犬歯、大きな脳をもっている点などを強調するだけで十分だろう。事故か何かで片手がなくたって、関係ないのである。これも大雑把がよく、少々の違いを度外視する気持ちでもって、すべて同じホモ・サピエンスとすればよいのである。もっとも、それらの形態的特徴に起因する、あるいは影響を与えた「文化活動」(とわれわれが呼んでいるところのもの)をなしうる存在でなければならないと言うことだけは忘れてはならないだろうが。
 一見、言わずもがなのこれらの定義の確認は、実は私にとっては極めて重要なのである。というのは、これらの定義によって、私は少なくともホモ・サピエンスと言われるからには、彼らには、時間的あるいは空間的壁による絶対的異質性など起こりえないと思いたいからであり、3百万年に亘って存在してきた人間は、その間何ら変わってはおらず、ましてや現代の人間が「より進んだ」状態のそれであると言いえないと思いたいからである。
 この考え方の因になっているのは、「ホモ・サピエンス」が誕生したという時点で既に、現在の人間のもっているような形態は、文化的形態も含めて、構造的に出来上がっていたのではないのかと信じるようになった点である。それでも私には、現在の分子生物学者達が主張するように、それらが遺伝子の中にくみ込まれてしまっているのだと言い切るだけの勇気は、未だない。だが、量的に拡大され、あるいは複雑になった現時点でのものの見方を軸として、それ以前の人間の存在様態を見落としていたからと言うので、それらが初めからなかったと言うのは、明らかに間違っていると思うのである。
 さて、そうなると、形態的にしろ、文化的にしろ、ホモ・サピエンスがホモ・サピエンスとして見なされたのは、いつ、いかなる理由に基づくのかが問題となってくる。それについては、ダーウィンの進化論が発表されるまでは、人間と他の生物との連続性は絶たれていて、あたかも無から有が創造されたかの如くに、何らかの作用によって突然に地球上に出現したかのような解釈が支配的であった。「神が人間を作った」とする聖書に代表される考え方が、その中ではもっとも心地よい感情を呼び起こして、長く人々の生き方にも影響を与えてきたわけだが、それ以後は、その考えは影を潜め、人間も又生物の進化の線上にあるとされるようになったのは、周知の事実である。
 しかしながら、この考え方に従うと、人間の起源があいまいになり、私の話の進め方に齟齬が生じてくる。というのは、せっかく私が人間について定義したのに、それらの特徴が人間以外の動物にも見られるという事実も明らかにされ、他の動物から人間を区別する根拠の薄弱さが問題となってくるからである。実際、動物にも心があり、文化があるのではないかと見られる動きがあるのは、この問題の未解決さを物語っているのである。
 だが、それについては私は次のように考えている。即ち、ある機能を単にもっているということとそれを生存のための主たる機能として働かせているということとは異なっているということである。例えばホモ・サピエンスの場合は、「観念構成能力」を、まさに生存のために不可欠な機能として、専らに働かせているということだ。「観念構成能力」とは、寒いところに住む動物が持っている厚い毛に相当するものを裸のホモ・サピエンスに考えさせるものでしかないのだ。
 但しこの際に注意しなければならないのは、確かにそう考えて、人間の起源を確定しようとすること自体を「観念構成能力」のなせる業なのだと言われたとしても、この能力は、あくまでも生物の進化の一プロセスに過ぎず、人間に固有のものとしてはならないということであろう。従って、この「観念構成能力」は、ホモ・サピエンスに備わる特徴である以外の何ものでもないのであるが、それを働かせることが人間の本性であると言い切る勝手は許されたとしても、それが通用するのは、他の動物に対してではなく、人間それ自身に対してでだけであると考える必要があろう。


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 ここで皆様は、私が人間存在について特殊な存在として考えているのではなく、生き物の中の一つくらいにしか考えていないことを匂わせながら、他方では、人間が他の動物といかにも違うのだということを画策している点を察知するであろう。この持って回った人間についての言い回し方は私がまさに人間の本性とやらを背負う当事者であり、かつ又、時代と社会のくびきから逃れられない存在でもあることの証左なのである。そしてそれはすべての現代人に共通しているものなのである。
 然り。だからこそ、すべての現代人は、自分が生き物であることを認める代わりに、特別な生き物であることをめいめいに吹聴したがるのである。このエッセイ集の底流にもそれが介在しているのを私は否定しない。だから、賢明な皆様はこれからの話は私の弁明でしかないことを知るだろう。
 まず私が気になるのは、私や遠い先祖であるヒトがどうして誕生したかということだ。一昔前には、ヒトはサルから進化したのだとする俗説がまかり通っていた。今でもそれを信じている人はいるにはいるが、さすがにインテリと言われるレベルの人たちはヒトとサルとは先祖が同じ兄弟であったのだと認めるまでには至っている。
 私の子供の頃は、ヒトは100万年の歴史を持っていた。そして私が年を重ねるにつれ、200万年になり、300万年になり、400万年になり、今では500万年になっている。 そして500万年より多くはあり得ないというのが今の科学的サイドからの定説となった。
 かつては、ラマピテクスなる化石がヒトではないかと取りざたされ、それを認めると、ヒトの誕生は一挙に800万年前にまでさかのぼるのではないかと言われたことがあったが、しかしそれは、分子生物学が分子時計なるものによってヒトとサルの分岐点が今から500万年前にあることを提示したことによって否定されてしまった。
 言い換えれば、ヒトゲノムは500万年前に誕生したというわけである。事実、300万年前のものとしてこれまで長く引用されてきたオーストラロピテクスなる猿人の前に、アファール猿人がおり、さらにその前に、ラミダス猿人がいたことを考古学サイドから明らかにされたことによって、いかな懐疑論者もそのことに積極的には反対しなくなってきたのである。
 しかしながら、ヒトの起源が300万年前であろうと、500万年前であろうと、今の私のテーマから言うと、大したことではないとしたいのだ。次のエッセイで語るように、その間は「猿人」の時代としてひとまとめにしているからである。又、今の私サイドから言えば、ヒトが誕生したからと言って、ヒト以外の生き物との違いに拘るつもりもない。これはサルゲノムとヒトゲノムとの違いがたかただか数パーセントの違いでしかないことが判明したからではない。前にも言ったように、私のいう「観念構成能力」があくまでも生物の進化の一プロセスでしかないとみるからである。それ故に、私にとって気になるのは、サルとヒトがどのような点で違うのかよりも、どのようにヒトが誕生したかの方である。従ってヒト以前の生き物が存在していたことの持つ意味の重さ、あるいはヒトとの連続性に注目せざるをえないのである。その点を次に話そうと思う。


  V 

 さて、ホモ・サピエンスが「狩猟採集」(「採集狩猟」とすべきだというフェミニストもいるが)をすることでもって、人間としての最初の生活形態を始めたということについては、今のところ、誰も反対していない。冒頭にも述べた如く、この時代は300万年程の歴史をもっており、言わば人間の歴史の大部分である。とは言え、マクロにはこの期間は少ないと思わねばならない。この300万年をホモ・サピエンスの歴史として考えるならば、この時代の前には、実に30億年間と言う「前ホモ・サピエンス時代」、言い換えれば、地球に生命が誕生してからの歴史があったからである。更には、地球誕生を基軸にすれば、その前にも同じく30億年の期間の「無生物時代」があったからである。
 それでもわれわれは、ホモ・サピエンスの時代が始まったということは、地球に生命が誕生したこと、及び地球もしくは宇宙が誕生したこととに匹敵するだけの事件だったと、思おうとするものだ。今その詮索はともかくとしても、ただ一つの疑念だけは残る。それは、どうして生命が宿り、更にはその上に観念構成能力までが備わったのかということである。例えばその連続性とか不連続性とかを詮索することは、実は大切なのだろうが、それは専門の自然科学者に任せて、今は私のテーマを追うとしよう。
 ある種の現代的なもののとらえ方をするとして、顕在性も潜在性の一つであるとするならば、この「前ホモ・サピエンス時代」は「ホモ・サピエンス時代」の知平部分を形成する重要な働きをしているのだと言われうるだろう。従って、狩猟採集時代のホモ・サピエンス、即ち人間は、それ以前においては眠れるままにもっていた本性を顕在化させた功労者として、その時点からすでに、現在までのあるいはこれからにおける人間の本性とされるものを潜在的にもつ存在構造を有していた。このことについては、形態的には痕跡という形で見れたし、又人間の本性とされるものが、共時的にも通時的にも、様々な人間の営みの中に沈潜していた事実からも明らかにされよう。
 この「前ホモ・サピエンス時代」を個体発生の観点から考察すれば、セックスによって、精子と卵子が結合して一つの生命が子宮の中で模造され、育まれて、やがて誕生してからほぼ1年後頃に及ぶおよそ2年間にあたるとするのが、適切な比喩的説明であろうか。(もっとも、精細胞と卵細胞にある遺伝子という物質が無生物時代の過去を凝縮しているとする比喩まで持ち出すつもりはないが。)
 このとてつもなく長い「前ホモ・サピエンス時代」が、個体発生史で見れば、わずか2年ばかりで完了するとするならば、その個体の当事者たるわれわれ人間が、それ以後に80年生きたとしたら、その期間の何と目の眩むような長さであることか。
 さて、ピアジェによれば、人間は2歳頃から「表象的思考」ができるようになると言う。この能力は、私の言うところの観念構成能力であると言ってよいだろう。というのは、私は表象される(ヒューム流に言うならば、印象をもつ)という受動性と、観念を構成するという能動性との間には、能力の程度の違いによる明確さの違いこそあれ、質的な違いはなく、異なった視点から見られた同一の行動形態だと思っているからである。そして人間は、この頃から、未熟であるという大人からの評価を無視すれば、人間の生のあらゆる形態の営みをなすことのできる存在であった。このことは、まさに、狩猟採集時代の人間に対しても当てはまっているのではないかと私は思っている。彼らは自らの生の営みに対して注目しないだけで、様々の観念構成を行っていたのである。
 ところが、後世のわれわれによって彼らの生の営みが考えられたとき、彼らが他の動物(特にサル)と異なった営みをしている諸々の点のみが注目され、それらが人間の本性であるとされたのは、周知の事実である。人類学上の厳密な意味では「ホモ・サピエンス」に該当しないとされる「ホモ・エレクトス」が2本足で「立っている」という人間の形態的特徴に対して、又「ホモ・ハビリス」が観念構成のできる人間の「有能性」に対して、われわれが与えた名誉の称号であったのは、その証左であったが、個人的見解を取り上げてみても、D・モリスは全身が毛で被われていない唯一のサルとして人間を規定したし、R・アードレイは「殺し」をその目的とする「狩りをするサル」として、P・J・ウィルソンは約束という道具を必要とする意味で「約束する霊長動物」として人間を位置付けたりしている。他方、人間とは発情期を失った(従っていつでも発情している)唯一の動物であるとは誰からも言われたセリフであるし、洒落気のある現代人なら、「パンツをはいたサル」を広言して憚らないのである。
 すでに述べたように、道具の製作、言語の使用、社会の組織はその代表的な人間の営みの事実であるが、それらから、例えば、ベルクソンが「ホモ・ファーベル」、カッシーラが「象徴的動物」、アリストテレスが「社会的動物」として人間を規定したのは、とりわけ有名であったし、一般的にも、そのことから、「ホモ・ログェンス」とも「ホモ・ソシウス」ともよく言われている。
 その意味では、命名の時代は前後するが、リンネの命名する「ホモ・サピエンス」は、人間がそう言った存在の根拠となることを示す学名でもあったのであるが、ただ、ここで注意されるべきは、最近の傾向として、「ホモ・サピエンス」が「賢い人間」であるとして、われわれが得々として語りたがらなくなってきている点であろう。確かに、ホモ・サピエンスが生物の進化の結果として、他の動物より 「優れた」存在になったと見なす考え方をすることによって、己自身の気持ちを心地よくさせる人間の楽しみまで奪う権利はないのであるが、それは「観念構成能力」の副作用たる「人間中心主義的思考」のもたらす独り善がりだったのである。
 それ故に、われわれは次の考え方のあることも忘れてはならない。つまり、われわれが観念構成できるようになったのも、従って知性化作用をなしえたのも、生物的存在としての人間を見た場合には、順調な歩みの所為というよりも、その逆であったからだとする考え方をである。それについては、B・ボークンは次のような面白い表現をしている。
 「人類は堕天使から生まれでたものでもなければ、進歩したサルから生まれでたものでもない。人類は堕ちたサルなのである。人間生活の起源に関して、聖書は科学以上に的確な説明を与えている。すなわち、人間の祖先、わがアダムとイヴは楽園から追放された。ただ一つの違いは、歴史的にみて、かれらは全能の神によって追放されたのではなく、より優れた類人猿によって追放されたのだ、ということである。」
 この「堕ちたサル」は、サルから見れば、何らかの欠陥によって樹上生活ができない言わば落ちこぼれであり、それ故に「森を追われたサル」としてサバンナ地帯で必死になって生き抜いていかなければならなかった。この「欠陥動物」たる生き物は、丁度目の見えない人には聴覚が異常に発達してくるように、生物学で言うところの「過剰補償行為」として、最初は「主観的推論能力」であるところの「知性」を発達させたのだ。否、正確には、発達させることを余儀無くされたのだ。
 そうなると、われわれは、古代ギリシャ以来、人間が理性という知性の高度化した特性をもつ存在者であるとして誇り続けてきた傲慢な鼻をへし折られる破目になるだろう。何故ならば、D・ジョナスとD・クラインが言うように、知性とは「ひとつの過剰補償的メカニズム」でしかないのであり、生物としてもつ肉体の減退に取って代わるものでしかなかったからである。「知性は退化の原因であり結果であると考えられ」、人間は「幼稚化」したと彼らは言うのである。もしも、まっとうなサルがこの見方をするとしたならば、A・セント=ジェルジならずとも、われわれ人間のことを「狂ったサル」とあざ笑い差別するだろう。
 しかしながら、われわれの先祖が観念構成能力を持てたから木から降りたのか、木から落ちたから観念構成能力を持てるようになったのかについては、鶏と卵の関係のようなもので、どうでもよい話であり、表の解釈であれ、裏の解釈であれ、そのどちらをとるかは、価値判断を下しうるものの特権として、主知主義者に委せた方が賢明であろう。いずれにしても、われわれは人間を他の動物から区別するところのなにがしかの予備知識をもったのである。
 それでは、私はこれまでに示された表と裏の双方の特徴を、いずれも狩猟採集時代の人間の本性だとしてしまおうとするのか。私の考えではそうではない。これまで私が言ってきたところのもの、すなわち、動物から区別する諸特徴は、確かに、人間の本性であると言われてもよいのだが、厳密にはそれらは、人間の営みの事実を伝えるものでしかない。言ってみれば、狩猟採集時代の人間のありようを示すために、われわれが後の視点に立って注目しただけにすぎなかったのである。同時に、われわれはこの時代の人間の営みが、多いか少ないか、あるいは目立つか目立たないかは別にして、今日においても妥当する人間の営みでもあったことを銘記しなければならない。さすれば、この問題は後世のわれわれが、この時代の人間の営みの内の何に対して、特に注目していたのかを指摘することにつきるのかもしれない。
 いずれにしても、ホモ・サピエンスはそのもてる「観念構成能力」のおかげで、歴史学上の分類としてあまねく知られる区分でいえば、太古の時代を最初として、古代、中世、近代を経て、今日の現代へとつながるホモ・サピエンス史を形成してきたのであった。歴史学上の分類としては、この他に政治的あるいは経済的制度に基準をおいて区分したものもよく知られているところであるが、現在、私にとって興味ある時代区分は、それらよりも、人間の生存形態を左右する「技術」の発展具合を重く見る視点である。
 それによれば、ホモ・サピエンスは、その誕生以来、これまでに三つの主要な技術を生み出してきた。狩猟採集技術、農業技術、産業技術である。それにより、狩猟採集時代、農業時代、産業時代の三つの時代区分を持ったのである。この時代区分が今後主流を占めてくるかどうかは私にもわからないが、そこには奇妙な法則性のようなものがあるのを私は見いだしたのである。
 今仮に前ホモサピエンス時代を30億年とし、ホモサピエンスの時代に入って、その最初の狩猟採集時代を300万年、次の農業時代を3万年、最後の産業時代を300年としよう。これらの年限については、前にも話したように人類500万年と言われていることからも、不正確もいいところであり、まるで語呂合わせのための数値をねつ造したような観もあるが、それでも、時代を経るにつれて、その歴史のサイクルが急激に短くなっていることである。語呂合わせの数値に基づけば、ホモ・サピエンス時代に入れば、その年限は幾何級数的に百分の一に減っているのである。
 少なくとも、われわれはそれが法則性を持っていると言えないまでも、その傾向性だけは否定できないであろう。この観点に立つと、われわれはこれまでの価値観に従った生き方を根底的に変えなければならないとする緊迫感におそわれるであろう。なぜならば、われわれはまさにその産業時代のまっただ中にいるのであり、次の時代の当事者になろうと、なるまいと、その到来についてのイメージをはっきりと描けるからである。この観点は確かに悲観的である。なぜならば、次の時代はもはやないとするか、あったとしても、3年間だと言ってしまいそうな馬鹿げた考えにとりつかれてくるからだ。だが悲観的であるからこそ、現実を直視できるのだ。以後の私の話もすべてこの観点を引きずっているといってもよいだろう。


   参考文献

A・ポルトマン『人間はどこまで動物か』(原題『人間論の生物学的断章』、高木正孝訳、岩波新書、1961年)
F・エンゲルス&K・マルクス『フォイエルバッハ論』(佐野文夫訳、岩波文庫、1927年)
R・リーキー&R・レウィン『ヒトはどうして人間になったか』(原題『湖の人たち』寺田和夫訳、岩波 現代選書、1981年)
D・R・グリフィン『動物に心があるか』(桑原万寿太郎訳、岩波現代選書、1979年)  
J・T・ボナー『動物は文化をもつか』(八杉貞雄訳、岩波現代選書、1982年)
D・ヒューム『人性論』(大槻春彦訳、岩波文庫、T−W、1948年)
三橋浩『ジェイムズ経験論の周辺』(法律文化社、1986年)
S・J・グールド『ダーウィン以来』(浦本ェ寺田訳、早川書房、上下、1984年)
J・ピアジェ『思考の心理学』(原題『心理学の六研究』、滝沢武久訳、みすず書房、1968年)
D・モリス『裸のサル』(日高敏隆訳、河出書房新社、1969年)
R・アードレイ『狩りをするサル』(原題『狩猟仮説−人間の本性の進化についての個人的結論』、徳田喜三郎訳、河出書房新社、1978年)
P・J・ウィルソン『人間−約束するサル』(佐藤俊訳、岩波現代選書、1983年)  
栗本慎一郎『パンツをはいたサル』(光文社、1980年)
H・ベルクソン『創造的進化』(真方敬道訳、岩波文庫、1969年)
E・カッシーラー『人間』(宮城音弥訳、岩波現代叢書、1973年)
アリストテレス『政治学』(山本光雄訳、岩波文庫、1961年)
B・ボークン『堕ちたサル』(香原ェ佐々木訳、思索社、1981年)
加藤晋平&西田正規『森を追われたサルたち』(同成社、1986年)
D・ジョナス&D・クライン『マン・チャイルド』(竹内靖雄訳、竹内書店新社、1984年)
A・モンテギュー『人類の百万年』(鈴木・岡田訳、社会思想社、1968年<原著は1957年>)


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