はじめに


 このエッセイ集では四つのタイプの逸脱せる人間の紹介と論評を行なっている。四つのタイプとは、「精神異常者」、「犯罪者」、「奇人」、「隷従者」である。(「精神異常者」という言い回し方については、文脈上、あえて使っていることを了承願いたい。)彼らは発信者である私(三橋浩)の主観によって選ばれた人たちであるにすぎず、このエッセイ集のタイトルにふさわしい人たちであるかどうかは、皆様方の判断を待たねばならない。
 これらの人間は、一見、現代の人間にとっての逆像として提供されており、自分を健全な肉体と精神をもちスムーズな人間関係を保っている人間と信じる人には、痛痒だに感じぬ、全くの例外的少数者の例証とうけとられるであろう。私は、主観的には、彼らが逆像としてあるのではなく、現存するすべてのホモ・サピエンス、とりわけ文明社会を築きあげたと自負する理性的かつ社会的存在者たる人間を実像のままに紹介し論評したにすぎないと思っている。
 ここに登場する八つのエッセイは、構成上、共通した特徴を有している。即ち、「私」なる人物を通して読者に語りかけ訴えるという一種のアジテーションのスタイルをもっている点である。
 しかしながら、ポエムコーナーを閲覧した方なら、おわかりの如く、発信者の屈折した性格はいかんともしがたく、主張が単純明快で実践的でなければならないところで、いつのまにか傍観者的様相をもたせたり、何を言っているのか分からない晦渋さをもっていたり、言いたいことの反対のことをわざと言ってみたり、あるいは主張を論拠づけ論証せんとする気持のあまり、かえって統一性を欠いたり、饒舌になったり、おもねいたりしていることである。それ故に、このエッセイ集が最後まで読みくだされるかどうかは、ひとえに皆様方の並々ならぬ忍耐力と発信者に対する好奇心による以外にはないだろう。
 本音のところで言えば、このエッセイ集は、発信者の独断的ともいえる以下の仮説に基づいている。
 「種としてのホモ・サピエンスは今や老衰期に入っている。文明生活とはその最後の華々しい燃焼でしかない。」
 いいかえれば、ここで示される「打ち砕かれたホモ・サピエンス」の存在形態を、いわば老化現象と見ているのである。その意味からするとわれわれはその事実に対して「倫理的判断」をしてはならないのかもしれない。しかしミクロな世界に住むわれわれは(発信者も含めて)目くそ鼻くそを笑うの例えの如く、「打ち砕かれたホモ・サピエンス」に対してある種の差別的な判断を下しているのである。
 尚、このエッセイ集の初出は、啓文社から出された『打ち砕かれたホモ・サピエンス』である。啓文社はすでに事業を止めており、現在入手不可能となっているので、若干の字句の修正を施して、ホームページに載せることとなったものである。

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