マトリョウシカ


大きいおばさん
小さいおばさん
マトリョシカ人形1マトリョシカ人形2
 
 今日は晴香ちゃんの誕生日です。小学校に入って始めての誕生日でした。お父さんとお母さんがロシア料理のお店で祝ってくれました。晴香ちゃんはピロシキが大好きだったからです。マグカップに入ったクリームシチュウの上にパンをキノコの様にかぶせ、スプーンでパンをブスブスつぶしてシチュウと食べる料理がとても気に入りました。ピロシキも二個食べました。最後にイチゴジャムの入った紅茶は半分残してしまい、お母さんが飲んでくれました。

「ハ、ハ、ハ、よく食べたね。」
 お父さんは笑いながらレジでお金を払います。レジのカウンターの後ろの棚に何列も大きなのから小さなのに順番に同じ人形がいくつも飾ってありました。晴香ちゃんはじっと見つめます。ボーリングのピンみたいなのっぺりした形に、スカーフをして赤い服を着た手にバラの花を前にかざしてます。全部同じ模様で同じ顔が描いてありました。
「ほう、マトリョウシカ人形か。一つ下さいな。」
 家に着くとまず人形の包みを開けました。あんなに沢山飾ってあったのに一つだけでちょっと淋しい気がしました。
「Made in US・・・・。お母さん、これアメリカ製?」
 裏に印刷した紙が貼ってありました。
「えっ? あぁ、USSR。ソ連ね。今は幾つもの国に分かれてしまったの。」
「じゃぁ、これそのどこの国のなの?」
「多分ロシアね。これね。真ん中から離れるのよ。」
 お母さんが人形のお腹のあたりから引っ張ると、中から一回り小さい同じマトリョウシカが出てきました。次々出てきて五個になりました。一番小さいのは小指の先程です。
「わぁ、すごい。」

 晴香ちゃんはさっそく遊び始めました。まずコケシ人形を出してきます。お父さんはお仕事などで旅に出ると必ずおみやげはコケシでした。赤ちゃんをおんぶしてるのがあります。おばあさんに、お姉さん、犬もあればたぬきもいます。忍者までいました。それから、空き箱で部屋を作ります。表にしたり裏にしたり。奇麗な模様の物は伏せて使って床の柄にします。最初はお父さんとお母さんの部屋です。次々出来てきます。マトリョウシカの箱はお風呂にしました。細長い箱を渡り廊下にしておじいちゃん達の離れで完成です。丸いクッションを裏山にしてたぬきを置き、麓に籠で忍者の隠れ家まで造りました。いよいよマトリョウシカのお家にかかります。
何せ外国のコケシです。しゃれたビスケットの空缶を持ち出しました。
「やっと出来上がったわ。」
 コケシを動かしぶつぶつ言いながらもう夢中で遊びます。ちょっと眠くなってきました。ごろりと横になり、まだ片手でコケシを触ってます。
「私、隣に引越してきたマトリョウ・・・・・・・・・。」
 とうとう晴香ちゃんは寝入ってしまいました。

 どのくらい時間が経ったでしょう。眠っている晴香ちゃんの肩を揺するものがあります。
「ねえねえ、起きて下さい。お願い。」
 晴香ちゃんがまだ眠い目をこすって見上げると、そばに赤いスカーフを頭にかぶった女の人が立っていました。
「晴香ちゃん、こんにちは。私はビアンカと言います。遠い北の国からやってきました。 」
 女の人は晴香ちゃんが起きあがるのを見て長いスカートの裾をつまんでそばのソファに腰を下ろしました。
「あなたは・・・あのマトリョウシカのお人形?」
 ぼんやりしたまま起きあがって晴香ちゃんもソファに座ってたずねます。
「はい。そうです。この日の来るのを待っていました。私は何日もかかって、船で日本へやってきました。王様からとても大事なことを頼まれてきたのです。」
「王様?」
「はい。私の国の王様は今とても困っているのです。隣の国と戦争が起きそうなのです。王様は優しい方だから、たくさんの人が死ぬ戦争は好きではありません。でも隣の国の人たちは戦争をするのを何とも思っていません。私たちの王様にいつも難題を投げかけては、それに答えられないといつでも戦争を始めるつもりです。今度は日本へ行ってあるものを持ってくるように言ってきました。晴香ちゃん、どうか私たちがそれを見つけられるように助けて下さい。」

 ビアンカは赤いほほをさらに赤くして、一生懸命です。晴香ちゃんはその熱心な様子に戸惑いながらじっと耳を傾けています。あるものって何だろう・・・。ビアンカはそれについてはそれっきり話してはくれませんでした。 ビアンカは晴香ちゃんに一緒にそれを探しに町へ行きたいと言うだけでした。ふと見るとビアンカの靴は泥で汚れていました。スカートの裾も所々すり切れていました。
「私からもお願いします。」
 突然ビアンカのスカートの中からビアンカと同じ格好をした娘が出て来ました。
「私、ナターシャです。」
「私は、真ん中のワルワーラよ。」
 又、スカートをめくって現れました。
「下から二番目のアリョーナです。この子が末っ子のドゥーニャ。」
 最後に小さな少女が出て来てにっこり笑いました。晴香ちゃんはポカーンと口を開けたまま、うんうんとうなずきました。
「晴香ちゃん、探してあげましょう。私達も手伝いますよ。」
 後ろから声がしました。おじいちゃんコケシでした。何とコケシ達も何時の間にか集まっていたのです。

「さて、誰がお供するかな?まずは知恵袋のばあさんかな。」
「いやいやお役に立ちたいのはやまやまだけど、足腰が・・・・・・・。」
「じゃぁ、私、行く。」
「だめだめ、あなたは明日お嫁入りよ。」
「ここは一つ拙者の出番でござるな。」
 忍者コケシのニントンも名乗り上げました。
「私ならきっと見つけられると思うけど、赤ちゃんをおんぶしててはね。」
 コケシ達はワイワイガヤガヤ相談してます。
「それじゃぁ晴香ちゃん、ニントンと小林君、それに招き猫のゴロニャが代表だ。」
 小林君は詰め襟の学生服を着て角帽をかぶり太い黒ぶちメガネをかけたコケシです。
「よろしく、お願いします。」
 ビアンカ達五人は揃ってぴょこりと頭を下げました。そしてナターシャ達は又ビアンカのスカートに潜りこみました。と、一番ちびのドゥーニャが又飛び出て来て、ぴょんとゴロニャにまたがりました。

 外は満月でした。こんな夜遅く晴香ちゃんは町に出た事がないので、ちょっとウキウキしました。大通りに出ると、
「あそこだ。あそこに違いない。」
 小林君が指差しました。たんぽぽ銀行と看板が出てます。
「うん、うん。確かに。」
 ニントンが腕組みして相槌を打ちました。銀行の表はシャッターが降りてます。裏に回りました。入り口の警備室は明々として人影がみえました。ニントンが先頭になって腰をかがめ進みます。さすが忍者です。中は真っ暗でした。ゴロニャの目がピカッと光り、金庫の扉が照らされました。
「拙者におまかせあれ。」
 またまたニントンの出番です。ダイヤルをガシャガシャ動かしハンドルをグルグル回して、厚くて重い扉をギィーと開けると、又、中に鉄格子の扉がありました。皆は息をのんでニントンの手元を見つめます。晴香ちゃんの心臓はパンクしそうにドキドキしてます。それもわけなく開けてやっと金庫室に入れました。中央のキャビネを開けると、ビデオデッキ程の箱が沢山積んでありました。
「わぁ、すげぇ。」
 それは、お札でした。お札の束が幾つも重ねてビニールでぴったり包んであったのです。その横には金の板も置いてありました。晴香ちゃんの握り締めた手は汗でべっとりとし、膝がガクガク震えました。『こんなことしてたら、お巡りさんに連れていかれる・・・・・・』
「これは、違うわ。」
 ナターシャとワルワーヤがスカートから顔を出し、口を揃えて言いました。
「ええ、お金ではありません。」
 ビアンカがきっぱり言い切ります。晴香ちゃんは、ほっと大きく胸で息をしました。
「お金じゃないとすると・・・。」

 小林君が黒ぶちメガネのつるを指で押し上げて、両腕を腰に当ててじっと考えています。お話の中に出てくる探偵少年のようです。
「そんなことより早くここから出なくちゃ。守衛さんが来るわ。」
 晴香ちゃんがドゥーニャと招き猫のゴロニャを抱いて走り出しました。
「ああびっくりした。いきなり銀行強盗なんて。泥棒はいけないわ。」
 たんぽぽ銀行を無事抜け出して、みんなは駅通りの道に出ました。駅通りはまだいくつかお店の明かりがついていました。一番明るいのは駅前のコンビニです。
「コンビニに売っているものでごさるかな。」
 ニントンがビアンカに訊きました。
「さあ、どうかしら。」
 困った顔つきでビアンカが答えます。
「とにかく入ってみよう。」
 小林君が先に立ってコンビニのドアを開けました。
「いらっしゃいませ。あら、晴香ちゃんじゃないの。」 
 レジのカウンターの向こうからコンビニのおばさんが声をかけました。おばさんと晴香ちゃんのお母さんは幼なじみでした。
「今晩は、おばさん。お友達がね、何か探しているの。とても大事なものだって。でもどこに売っているか分からないの。」

 その時ビアンカのスカートの裾から次々と子供達が出てきました。ナターシャ、ワルワーラ、アリョーナ、末っ子のドゥーニャ。みんなお店の明るい照明に眩しそうにしながら棚に並べられた品物を珍しげに見回しました。
「あら、かわいい子達ね。お腹が空いているのかな?いらっしゃい、ポテトをご馳走するわ。」
 おばさんは揚げたてのポテトを袋に詰めて、みんなに渡しました。
「うわ、おいしそう。おばさんどうもありがとう。」
 みんなはお店の隅の小さなテーブルの回りに腰をかけて、あつあつのポテトをほおばりました。招き猫のゴロニャもふうふうさましながらおいしそうに食べています。

「隣の国の王様はお腹が空いているのかな。美味しいものが欲しいのかな。お寿司やケーキやお父さんの好きなレバニラや・・・・。」
「それともきれいな洋服かしら。ぴかぴかの革靴かしら。」
「ゲームではないかな。王様はきっと退屈なのでござろう。テレビゲームが欲しいのでは。」
 小林君もニントンも晴香ちゃんも思いつく限りのものを並べてみました。
「それが、私にも分からないのです。いいえ、隣の国の王様本人も分からないのです。」
 ビアンカが、深いため息をついたあと話を始めました。

「あるとき隣の国に旅の占い師が来て言いました。『この国はやがて滅びて、そのあと、この国の王様のこともこの国があったことも誰も覚えてはいないだろう。』と。そして、『それは王様がとても大切なものをもっていないからだ。』と言いました。隣の国は私の国の何倍もの大きさがあり、強い軍隊、広い小麦畑、たくさんの羊や牛を飼い、鮭ののぼる豊かな川も流れています。王子達にはその国の一部をを分け与えています。隣の国の王様に足りないもの、それは一体なんでしょう。私はそれを探すためにここにやって来たのです。日本には何でもあると聞きましたから。」

 小林君も首を傾げて考えています。それがないと忘れられてしまう?それがないと王様はこの世にいなかったことになる?一体なんだろう・・・。
「よし、みんなでもう少し町を歩いてみよう。」

 川に出ました。隣町との境です。橋の欄干に一列に並び、同じ様に皆頬づえを付きいっぷくです。足元から涼しい風が吹き抜けていきました。川面には月が歪んで揺れてます。河原のあちこちで蛍のオレンジ色の小さな光が飛び交ってます。それに誘われてビアンカが河原への小道を降りて行くと、みんなも後に続きました。ゴロニャにまたがったドゥーニャが、傍らのネコジャラシを一本取ってゴロニャの耳をゴニョゴニョ。
「ゴロニャハァハハハ。」
「あ、いた!」
ドゥーニャは振り落とされ尻餅をつきました。
「まぁ、きれい。蛍のお宿は満員だわ。」
 ホタルブクロの花の中に宿った蛍が、ピンクの光をイルミネーションの様に灯してました。マツヨイグサは黄色い花をいっぱいに開き天を仰げば、月が優しく微笑み返してスッポトライトを浴びせます。
「あら、お星様が落ちてる。」
「いやいや、これはウスユキソウですよ。こんな所に不思議だなぁ。」

 白いウスユキソウが月の光に反射して、まるで星が輝いているみたいだったのです。小林君は首を傾げて見とれてました。川の底は透き通って、小魚が数匹スィーと行き交いました。ここには手の平の上で転がして満足を得る物は何もありません。しかし、気持ちがすごく落ち着いたのです。水辺の思い思いの石に腰を下ろし、又王様の事を考え始めました。ニントンは左の石から岸辺の岩へとぴょんぴょん移りながら、立ったまま腕組みをして口をへの字に曲げ空を睨んでます。

『お父さんお母さん、それに仲良しの洋子ちゃんに青山さん…・、忘れてしまうなんて……。そんな事絶対に無いわ。』と、晴香ちゃんは思いました。そして、『私は特別に大切な物持ってないどころか欲しい物もまだまだあるわ。みっちゃんの下げてる赤い小さなポシェトが欲しいし、水野君みたいに夏休みにはハワイに行きたい…・。だげど、私の事たまにしか会えない金沢のおばあちゃんが忘れるはずはないわ。それに担任の大矢先生だってずっと覚えててくれるわ。』みんな晴香ちゃんにとって大事な大切な人です。忘れるはずは無いし、晴香ちゃんが忘れられてしまうはずもない。『私は足りないものばっかしだけど何故だろう。ただ大好きで大切に思ってるだけだわ。』

 その時にビアンカが急に立ち上がりました。回りに座っていたナターシャ達は大急ぎでスカートに潜りこみます。
「もう一度あのお店に行ってみましょう。」
 ビアンカのあとに続いて河原の小道を上ってみんなはまた町の方へと歩き出しました。駅前通りのはずれに、今日晴香ちゃんとお父さんお母さんが食事をしたロシア料理のお店がまだオレンジ色の明かりを付けていました。お店の白壁に小さなウインドウがありました。
「あら、これ見て。私の事よ。」
 晴香ちゃんが指さしました。ウインドウの中にいろんな色の五枚の可愛いカードがはってあります。その中のピンク色のカードにはこう書いてありました。

晴香ちゃん、7才のお誕生日おめでとう。

 それはお店のお客さんのお誕生日を知らせるカードでした。ここで食事をした人の中からその月のお誕生日を迎えた人の名前が書いてあるのでした。
「うふっ、去年のお誕生日もここでお食事したの。
お店の人が覚えていてくれたのね。」
 晴香ちゃんはにこにこ嬉しそうにカードを見ています。その様子を見ていたビアンカが、あっ、と声を上げました。
「わかったわ。捜しているものが。」
 みんなはビアンカの方を見ました。ビアンカはとても嬉しそうです。スカートの裾からナターシャ、ワルワーラ、アリョーナ、ドゥーニャも出てきました。

「わかったわ。捜しているものが。隣の国の王様に足りないものは、お誕生日です。」「お誕生日は誰にでもあるよ。だって自分が生まれた日じゃないか。」
 小林君が言いました。ニントンもゴロニャも頷きます。
「いえ、ところが隣の国の王様にはないのです。今の王様が生まれたとき国は大きな戦争をしていて、誰も王子が生まれたことに気がつきませんでした。お后がなくなってしまったのでお誕生日は誰も知らないし、お城ではお誕生パーティもありません。王様にないもの、それはお誕生日です。」
「うーん。なるほど。でもどうやってお誕生日を作ったらいいのだろう。コンビニで売っているものではないし。」
 小林君が黒メガネを押し上げて、腰に手をおいて考えます。みんなもまあるく輪になって考えました。
「そうだわ、いい考えがあるわ。さあみんな、私のおうちに帰りましょ。」
 晴香ちゃんが言いました。

 晴香ちゃんのお部屋で、晴香ちゃんは一生懸命お手紙、いえバースデイカードを書いています。

王様へ、今日のお誕生日おめでとう。

 小林君もニントンも、おじいちゃんコケシもおばあちゃんコケシもたぬきのこけしも、みんなバースデイカードを書いています。

ハッピーバースデイ、王様のお誕生日おめでとう。

「さあ、このカードと、ビアンカの国じゅうの人のカードを隣の国の王様に届けるのよ。そしてカードが届いた日が、隣の国の王様のお誕生日だわ。」
 晴香ちゃんはビアンカにバースデイカードを渡しました。
「わかりました。国じゅうの人の書いたバースデイカードを隣りの国の王様に届けましょう。長い長い郵便列車を仕立てて。晴香ちゃん、どうも有り難う。」

 ビアンカは遠い北の国に帰っていきました。隣の国の王様は、山のようなバースデイカードをもらって、それはそれは喜んで、ビアンカの国と仲直りするために、とても盛大なバースデイパーティを開いて、ビアンカ達を招待したということです。

「よかったね。ビアンカ・・・・・。」
 晴香ちゃんの可愛い寝顔がつぶやきました。



             おわり


一九九六年八月二十三日完結
作者プロフィル
大きいおばさん 千葉県千葉市在住
小さいおばさん 東京都あきる野市(旧秋川市)在住
二人は高校時代の親友で、このお話はパソコン通信の電子メールをリレーして作りました。