作
大きいおばさん
小さいおばさん
「リィリィーン リィーン」
小さいおばさんの小さな家に、朝早くから電話のベルが鳴り響きます。小さいおばさんはかじりかけた朝食のトーストを置いて、口に付いたマーマーレードを拭きながら慌て立ち上がりました。
「あら、大きいおばさん、どうしたの?」
「ハナコの様子が変なの。うずくまったまま起きてこないの。こんな事始めてなの。」
「ちょっと遠いけど隣村の獣医さんまで来られる? それに・・・。見せたいものもあるし。」
大きいおばさんはハナコをしっかり抱きかかえ、そっとバスを降りました。そこには、もう小さいおばさんとエミーが尻尾を振って待ってました。
「大変だったねぇ。大丈夫かい?」
小さいおばさんはハナコの頭を撫で、心配そうです。
「優しいお医者さんだから安心して。さぁ、行きましょう」
バス停の回りは賑やかな商店街でした。小さいおばさんはちょっとした買い物はここまで出てきます。だから詳しくって、くねくねと右や左に曲がって案内します。商店街を抜けて長い生け垣を回った途端、
「あっ! これね。見せたいものは。」
大きいおばさんが思わず感嘆の叫びを上げました。そこはお寺でした。裏庭に秋の透き通った光を浴びて、曼珠沙華が一面に群生していたのです。その向こうに木立に囲まれてお堂がありました。まるで緋毛氈を敷いた様な曼珠沙華の目の覚めるようなバミリオンと、古いお堂のコントラストが見事でした。
「今が一番見頃なの。ね、素晴らしいでしょ。帰りに又、寄りましょう。」
「二三日食欲が無いかもしれませんが、直に元気になるでしょう。お薬出しましょう。」
お医者様にそう診断されると、大きいおばさんはほっとしてハナコに頬擦りをしました。医院を出ると向かいは和菓子屋さんでした。みんな安心してなんだか気分がすうーと軽くなり、申し合わせた様にお店に入りました。おはぎが沢山並んでます。大きいおばさんはきな粉、小さいおばさんは黒胡麻、そしてハナコはあんこが大好物です。エミーはおせんべいの方が好きでした。おはぎを十個と草加煎餅を包んでもらい、小さいおばさんが鞄に入れて肩から下げました。
帰りは足取りも軽く、二人のおばさんは世間話に花を咲かせます。曼珠沙華のお寺に出ました。さっきはぴったり閉っていたお堂の扉が、開け放されてました。二人のおばさんは顔を見合わせ、山門をくぐり境内を横切ってお堂の前に出ました。せまいお堂の中は五体の仏様が一列に並んでました。真ん中に阿弥陀如来の座像、両脇に日光、月光菩薩の立像、そして両端を仁王様が守ります。仏様は等身大よりちょと大きめで、何れも金箔がだいぶ剥げて黒くなってました。和尚さんの姿は見えません。辺り一帯、お線香の香が漂ってます。それに誘われる様に二人のおばさん達は中に上がりました。
「そうそう、丁度よかった。このおはぎをお供えしましょう。」
「クゥーン」
ハナコが鼻を鳴らします
「あら、食欲が出てきたのね。後でもう一度お店に戻りましょうね。」
仏様の前に大きいおばさん、その膝にハナコ、エミーを挟んで小さいおばさんと座り、阿弥陀如来のお顔を揃って見上げました。一段とお線香の白檀の匂いが強くなってきました。
「お線香の匂いって、とても気分が落ち着くわね。このあいだも・・・。」
そう言って大きいおばさんが小さいおばさんの方を見ると、小さいおばさんはもう目を閉じて手を合わせていました。大きいおばさんはそれを見ると言いかけた言葉を飲み込んで、そのまま目をつぶって手を合わせました。
静かな時間が過ぎました。
「んぎゃあ、んぎゃあ・・・。」
かすかに聞こえるのは赤ん坊の声です。小さい声ですがだんだんはっきりしてきました。
「んんぎゃああ、んんぎゃああ・・・。」
大きいおばさんが薄目を開けました。お堂の中で泣いているように聞こえます。小さいおばさんの方を見ましたが、小さいおばさんはさっき見たときのまま目を閉じて手を合わせています。なにやらぶつぶつ口ごもっているようです。大きいおばさんはしっかり目を開けて、辺りを見回しました。人影はなく、五体の仏像だけです。大きいおばさんはそっと立ち上がって腰を曲げたまま声のする方へと歩き出しました。阿弥陀様の後ろから聞こえてくるようです。ぐるりと迂回して後ろに回りました。五体の仏様の黒い後ろ姿は一段と大きく思われました。お堂と仏様の間の小さな隙間に、赤ん坊はいました。白いうぶ着の袖を振りながら、盛んに口元をすり寄せています。おっぱいを捜す仕草でした。
「あらー、赤ちゃん、やっぱり赤ちゃんだわ。こんな所にどうして。」
大きいおばさんはたまらず赤ん坊を抱き上げました。
「んんぎゃああ、んんぎゃああ、んんぎゃああ。」
赤ん坊は一層大きな声で泣き出しました。お堂の中じゅう響きわたります。
「どうしたの?大きいおばさん。」
小さいおばさんも気がついて駆け寄ってきました。
「どうしたもこうしたもないわ。ごらんの通り、赤ちゃんがいたのよ。」
大きいおばさんは抱きかかえてゆらゆら揺らしてあやします。久しぶりの赤ちゃんの感触です。大きいおばさんは子供を二人育てた経験がありますが、それはずいぶんと昔のことでした。小さいおばさんにとっても同じです。大きいおばさんの腕の中をのぞき込んで、ほっぺたをつついたり、べろべろばあをしたりと大騒ぎになりました。こんどは小さいおばさんがだっこを替わりました。赤ん坊は泣き疲れたのか、しばらくぐずったあと眠ってしまいました。大きいおばさんと小さいおばさんはメガネがずり落ちたまま顔を見合わせました。
「どうしよう。」
「どうしよう。やっぱり交番かな。」
小さいおばさんが赤ん坊を抱き、大きいおばさんはハナコ、そしてその後をエミーと続きお堂を離れました。バス通りに出ました。交番は向こう側です。
「ねぇ。二三日預からない?」
「うん。仏様の子だもの。許してくれるわね。」
二人のおばさんの思う気持ちは一緒で、一行は小さいおばさんの家に向かいました。
「ただいま。さぁ、まずベッドね。」
小さいおばさんは誰もいない家の中に大声で挨拶し、赤ん坊を大きいおばさんに渡して、物置から古い古いベビーベッドを出してきて組み立て始めました。ハナコとエミーは食卓の下にうずくまり、二人のおばさんの様子をうかがっています。赤ん坊をベッドに寝かせて、両側からから覗きこみました。大きいおばさんが右のほっぺをちょっとつついて、
「かわいいね。」
「うん。かわいいね。」
小さいおばさんが左のほっぺをつつきます。二人のおばさんは飽かずにずうっと見続けました。ハナコは飲ませてもらったお薬が効いたのか、すやすや眠っています。エミーもその横でうとうとし始めました。半分の月がラクダ山に沈む頃、二人のおばさんはようやく赤ん坊に「おやすみ」を言い、床に入りました。
丑三つ時です。草木もみんな起きてしまったかの様に庭先が賑やかになり、二人のおばさんは飛び起きました。障子をそっと開けました。女の子が歌ってます。
♪ あれ、スズムシがないている ♪
リーン リーンとスズムシ達が続きます。
♪ あれ、マツムシもなきだした ♪
チンチロチンチロチンチロリンとマツムシが歌います。
♪ スィーチョン スィーチョン ♪
大きなウマオイも出てきました。圧巻はエンマコオロギの大合唱です。
♪ コロコロコロリリリリ・・・・・・・♪
♪ ああ、おもしろい むしのこえ ♪
女の子が結びました。エミーも座ってます。元気になったハナコもしっぽを振って楽しそうです。五六才の目のぱっちりとした可愛い子です。鮮やかな柿色のワンピースを着て、髪の毛が同じ色でぴんぴん跳ねてました。
「どこかで、見た子だわ。」
「うん。私もそんな気がする。あなた、だぁれ。」
二人のおばさんもパジャマのまま庭に出て尋ねました。
「まんじゅ」
「えっ、おまんじゅう?」
「ふふふ、違うわ。『お』は、いらないの。ま ん じゅ。」
「楽しそうね。何処からきたの?」
「あら、いやだ。おばさん達が連れてきて下さったのよ。」
「えっ! じゃあ、曼珠沙華のお寺の・・・。」
二人のおばさんは慌てて部屋に戻り、ベビーベッドの赤ん坊を見ました。ベッドは空っぽです。やはり女の子はあの赤ん坊のようです。二人のおばさんは庭先に引き返しました。
「あっ。」
庭先に立っているのは、中学生くらいの女の子です。さっきの小さい子はどこにもいません。ただ、その女の子はさっきの子の様に柿色のワンピースを着て、髪の毛も赤くぴんぴんはねていました。 あの子があっと言う間に大きくなったのでしょうか。
「おばさん、お腹が空いたわ。」
女の子が言いました。
「あなた、まんじゅちゃん?」
小さいおばさんが聞きました。
「さっき言ったでしょ。私はまんじゅだって。」
「ええ、ええ。そうだったわね。さて、お腹が空いたって、何か作りましょうか。ねえ、大きいおばさん。」
「そうね。何か作りましょう。ホットケーキはどう?」
大きいおばさんが言いました。
「ホットケーキは食べたくないわ。甘いものは太るから。私、お稲荷さんが好きよ。山椒の葉を刻んで入れたの。いまから作ってちょうだい。」
「山椒の葉って言ったって、いまは散り始めで堅くなっていて美味しくないわよ。」
「それじゃあユズの皮を刻んで入れてちょうだい。」
「ユズの皮ねぇ。まだ黄色くなっていないけれど、出来ないことはないわね。」
小さいおばさんは庭のユズの木を見て言いました。ユズの木には、まだ緑色のままの実がたくさんになっています。
こうして二人のおばさんは真夜中に台所に電気をつけて、ユズの皮入りのお稲荷さんを作ることになりました。大きいおばさんはお揚げを煮ます。小さいおばさんはお米を洗います。女の子はどこから見つけてきたのかウォークマンを片手に頭にヘッドホーンを付けて身体を揺すりながら、台所の食卓でぱらぱら雑誌をめくって見ています。エミーとハナコは女の子の足元まで来て座りなおしました。ご飯が炊きあがり、小さいおばさんがすし桶にアツアツのご飯を移して合わせ酢をかけます。
「まんじゅちゃん、後ろの棚にうちわがあるから取ってくれない?ご飯をあおいでさますのよ。」
「いいわよ。」
女の子が後ろを振り返って棚からうちわを取り出して小さいおばさんにうちわを渡しました。
「えっ。」
小さいおばさんと大きいおばさんは目が点になりそうでした。女の子はいままでの中学生くらいの子から、二十二、三歳くらいの娘になっていたのです。
「あら、どうしたの?おばさん達。私の顔に何かついているかしら。」
女の子は少し大人びて、けれども初々しい娘盛りの色気があふれていました。
二人のおばさんは、もう、まんじゅから目が離せません。
「ねぇ、もうこれ入れていい?」
まんじゅに促され、差し出された小鉢を見て、またまた二人のおばさんびっくりです。さっき細かく切った青いユズの皮が、黄金色に熟し香も一段と増してます。ご飯に混ぜると、まるで金粉をまぶした様になりました。二人のおばさんはすっかり嬉しくなり、又せっせとお稲荷さん作りに戻りました。
「あのう・・・・。」
まんじゅがもじもじして尋ねます。
「なあに。」
「お手洗いは。」
「あら。ごめん。ごめん。廊下の突き当たりよ。」
小さいおばさんがほっぺにご飯粒を付けたまま教えます。やっと、三十個ほどのお稲荷さんが出来上がりました。大きいおばさんが手に付いたすし飯をなめながら、
「まんじゅちゃん遅いわね。どうしたのかしら?」
その時ドアが開いて、
「おまたせ。おまたせ。もう出来上がってしまったのね。じゃぁ、私がテーブルを整えるわ。」
今度は二人のおばさん、前程驚きません。まんじゅがおばさん達と同じぐらいの年格好になって現れたのです。相変わらず柿色のワンピースを着てます。メガネをかけて柿色の髪の毛がよくマッチしてとてもハイカラなおばさんです。
「後は、そう、そう、お酒っと。さあ、準備オッケーよ。」
三人のおばさんは仲良く食卓に付きました。
「乾杯!」
「まんじゅおばさん、ようこそ。乾杯!」
おばさん達は盃を傾け、お稲荷さんをほうばり、語り合い、笑いこけました。その騒ぎに二匹の犬がのそのそ現れて、お稲荷さんを一口ずつ貰うと、又テレビの前に重なりあって眠ってしまいました。
「ねぇ、まんじゅおばさん。今度はなかなか歳を取らないねぇ。」
大きいおばさんがちょっとお酒のまわった頬をぽぉと紅く染め、まんじゅおばさんの顔をしみじみ見つめました。
「ほ、ほ、ほ。もう、これで、十分よ。さぁ、もう一度三人のおばさんの若さに乾杯!」
「乾杯!」
こうして宴は東の空が白み始めるまで続きました。チュウリップ山から太陽が顔を出す頃、三人のおばさんは、まんじゅおばさんを真ん中にしてお布団に入りました。
「あら、もうこんな時間。」
枕元の時計は一番上で針が重なるところでした。小さいおばさんは寝起きのぼーとした頭でちょっと考えて横を見ました。ちょうど起き上がってこっちを見ていた大きいおばさんと目が合いました。
「私、夢をみてたみたい。」
「私も。楽しい夢だったわ。」
二人のおばさんは廊下に出てガラス戸を開けました。お彼岸のひんやりした風が舞い込みます。と、エミーが足元を駆け抜けて、庭に踊り出ました。ハナコも後に続いて飛び出しました。
「具合はどうなの、ハナコ。」
犬達を目で追っていた二人のおばさんは、
「あっ!」
息をのんで顔を見合わせました。そこには曼珠沙華の大輪が咲き誇っていたのです。まるで太陽のかけらが落ちてきたかの様に華やかでした。二匹の犬はその回りを飛び跳ね、交互にくんくんと鼻をくっ付けて尻尾を振り喜んでます。
「夢じゃなかったんだ。」
「うん。夢じゃなかったのね。夢じゃなくて良かったね。」
「あのまんじゅちゃんは私の娘・・の様な気がするの。」
小さいおばさんが言いました。小さいおばさんには息子が三人いて、娘はありませんでした。
「つまり、もう一人欲しかった私の娘。」
すると大きいおばさんも言いました。
「あら、あのまんじゅちゃんは私の娘・・の様な気がしていたわ。私が生まなかった娘。」 大きいおばさんは三人目の子を授かりながら、訳があって生みませんでした。
「阿弥陀様が私たちのもう一人の子に会わせて下さったのかしらねぇ。」
鮮やかに咲く曼珠沙華の花を見ながら、二人のおばさんはそれぞれの胸に思いを巡らせたのでした。
おわり
一九九六年十月十二日完結
作者プロフィル
大きいおばさん 千葉県千葉市在住
小さいおばさん 東京都あきる野市(旧秋川市)在住
二人は高校時代の親友で、このお話はパソコン通信の電子メールをリレーして作りました。