作
大きいおばさん
小さいおばさん
――― 西の空が真っ赤に燃えてます。その茜色が、段々濃くなって来た空の瑠璃色と混ざり合い、山並みがシルエットとなって黒く浮かび上がってきました。それも、やがて見えなくなると、三日月様があでやかに輝き始めました。でも、本当は今日のは五日目の月なのです。三日目でも四日目でも五日目でも形は同じなので、よく分かりません。太っちょ三日月にしておきましょう。太っちょ三日月のちょっと左下に星が瞬いてます。外の星はまだ一つも出てないのに、ひときわ明るく光ってます。この星はね、実は太っちょ三日月のホクロなのです。え、ホクロが離れてるなんて変だって!そう、変ですねぇ。実はこれにはわけがあるのです。―――――
むかし、むかーし、おじいさんのその又おじいさんのもっと前。山を越え谷を越え、川を渡り又山を越えた村に、彦爺というじっさまがおった。彦爺はトキというてな五つになるそれはそれは可愛らしい女の子と暮らしておった。トキはまだ幼かったけど良く彦爺の手伝いをしてな、彦爺も畑仕事から疲れて帰った時など、トキが肩を叩いてくれたりすると疲れも吹っ飛んでしもうた。
トキの鼻のてっぺんには小さなホクロがあってな、それが又愛敬でな、トキがにっこり笑うと里の人達もつい柿や栗を上げてしもうた。トキは大きくなるにしたがって、ますます働き者になり気立ても良く、ほんに彦爺の自慢の宝じゃった。じゃがな、鼻のてっぺんのホクロまでどんどん大きくなってしもうたんじゃ。村のガキ大将どもは、
「彦爺のトキさん、ドーキ、ドキ。鏡の前でドッキンコ。」
と、はやしし立て、大人達も悪気ないのだがトキの顔を見ると、まずホクロが目に入り思わず吹き出してしもうた。あんなに愛想の良かったトキが、段々人前に出るのをいやがり、家の中に引き篭もってばかりいるようになってしもうた。ホクロさえ無ければ、ほんにべっぴんでな、彦爺はいとおしゅうていとおしゅうて心配でたまらんかった。
ある日のこと、隣村の彦爺の親戚で婚礼があり、彦爺はちょうど風邪をひいて熱を出していたものだからトキが彦爺の代わりにお祝いの品を届けることになった。隣村は深い藪の山を一つ越えねばならんかった。トキは脚絆を巻き、手ぬぐいですっかり顔を覆いすげがさをかぶって、藪の道に備えた。
「じゃ、行って来ます。」
「すまんのう、トキ。気いつけて行けや。悪いキツネにだまされるな。」
「はい、じいちゃん。今から出れば暗くなるまでに着くで心配せんでな。明日の夕方に帰ります。ゆっくり休んで風邪を治してくれや。」
トキは隣村へ続く細い道をしっかりした足取りで歩いていった。村を離れると道はどんどん細くなって、登り道になる頃には人の踏み後も薄くなって、両側から伸びる熊笹の枝がトキの足元から肩、頭の上へと次第に大きくなっていった。トキは道を見失わないよう前だけを見てようく用心しながら歩いて行ったのじゃった。半時くらい歩いた頃、道が広い原っぱに出た。原っぱの真ん中に小さな沼があった。沼の水は晴れた空のそのままの色を写して、美しく透きとおっておった。トキは山道を来たものだから、すっかり汗をかいておったので沼の水で顔の汗を拭くことにした。
「ああ、気持ちがええ。」
トキは手ぬぐいを水に浸して絞り、顔を拭きながら、ふと沼の水に映った自分の顔を見た。鏡のように透きとおった水にトキの顔がはっきりと映し出されていた。鼻の先のホクロもしっかり映っておった。
「ああ、おらのこのホクロ、何とか消えてくれないものか。」
トキはふかーいため息をついた。
夕方、トキは隣村に着いた。隣村では婚礼を明日に控えて祝いの宴が賑やかに始まっておった。控えの間では花嫁さんが真っ白の嫁入り衣装に着がえて座っておった。花嫁さんはそれはそれは美しかった。
「なんて綺麗なんじゃろ。おらもあんな花嫁さんになりたいなあ。」
トキはうっとり眺めておった。夜が更けてもまだ宴は続いた。トキは一日歩いて疲れておったので、下働きの女衆の部屋に下がって寝ることにした。部屋で着替えておると、ふすまが開いて、あの花嫁さんがはいってきた。
「あれぇ、花嫁さんがこんな所に。一体どうしたんじゃ?」
トキがびっくりしてたずねた。もっとおどろいたことに花嫁さんは泣いておった。
「トキさん、お願いがあるんじゃ。一生のお願いじゃ。きいてくれんか。このとおりじゃ。」
花嫁さんが手を合わせて懸命に頭を下げたのじゃった。
「おらに出来ることじゃたらなんでも・・・・・・・。」
「実はな、おらの婿さんはキツネじゃあ。」
「げぇー」
トキはたまげてふんぞり反ってしもうた。
「そんなに驚かんで、トキさん。いいキツネじゃあ。あれは秋祭りの晩じゃった。帰り道で酔っぱらいに絡まれて困っているところを助けてもろうたんじゃ。ほんに親切で優しいキツネでなぁ、ついつい嫁さんになるのを承知してしもうた。おら、キツネの嫁さんになるのは一向にかまわん。だけんどな。」
トキはただただ、ふんふんとうなずいて花嫁さんの口元をじっと見つめるばかりじゃった。
「だけど、おらにはその前から想う人がおるんじゃ。それがどうしても言い出せんでな。ほら、宝念寺の前の春吉どんじゃ。」
「それで、どうするつもりじゃあ。」
「トキさん、付いてってくんろ。トキさんが一緒なら本当の事が話せそうな気がするんじゃ。」
トキと白無垢姿のままの花嫁は、手を繋いで夜道を急いだ。
村の外れのお稲荷さんに辿り着くと、祠に向かって花嫁は、
「コンタさん、コンタさん、」
と、ささやいた。
「おやまあ、どうしたこった。おいらも今みんなから、祝おうてもらってるところじゃ。」
「コンタさん、婚礼の前にどうしても話したいことがあってな。あ、この人、隣村のトキさん。」
花嫁は月明かりに照らされた地べたに目を落として、静かに消え入りそうな声で話始めた。コンタは夜空に輝く星をぐっと睨んで肯いた。
「コンタさん、おら、おらを嫁にしてくんろ。」
トキが叫んだ。コンタの大きな優しさにうたれたんじゃ。それにコンタはキツネとはとても思えんほど男前じゃった。何よりトキが嬉しかったのは、コンタがトキのホクロを笑わなかったことじゃった。真っ直ぐにトキの顔を見つめて微笑んでくれるのに、惹かれたのじゃった。
「トキさん、これを着てくんろ。」
トキは渡された花嫁衣装をまとって、裃姿のコンタと手に手を取り合って、彦爺の元へ急いだ。花嫁は二人の姿が見えなくなるまで佇んで、
「コンタさんトキさん、お幸せにな。」
彦爺は夢にまでみた花嫁姿のトキが突然、りっぱな婿どのを連れて帰ってきたのに、ほんにまあ、ぶったまげた。その上コンタがキツネだと聴かされて、もう腰を抜かしてしもうた。じゃがあまりに幸せそうな喜びにあふれたトキの様子に、彦爺も段々嬉しくなった。
男手が増えて畑も広がり、三人はそれはそれは幸せな毎日じゃった。やがてトキは真っ赤な顔をした元気な男の子を産んだ。彦爺の喜び様はもう大変なもんじゃった。それからはコンタとトキが畑に出ると、坊の守りは彦爺の役目となった。トキも近頃ではホクロのことは全然気にせず、村の人達ともよう話す様になった。
坊の名はカンタといった。カンタはそれはもう元気な子で、彦爺の背にいつまでもじっと負ぶわれてはいなかった。普通の子の何ヶ月も早くから歩き出し、二才になる頃には山道を彦爺より先に歩いておった。彦爺もそんな元気な男の子に目を細めてみておった。
「カンタは元気なええ子じゃ。爺の宝じゃ、カンタは大きくなったら、何になるんじゃ?」 彦爺の口癖じゃった。
「おら、大きくなったら・・・。」
幼いカンタは黒い瞳をまん丸くして、いつもこういうのじゃった。
「おら、大きくなったら、月まで行って、ウサギを捕まえてくるんじゃ。月には大きなウサギがたんとおるんじゃ。」
「おお、そうかそうか。カンタなら出来るぞ。たんと捕まえてきてくれや。」
そんなある年のこと、村に困ったことが起きた。日照りが続いて、畑にまいた種から芽がでんようになってしもうた。村中の田も干上がって地割れが出来てしもうた。カンタの家でもほとほと困って、
「これでは、米も豆もできんかもしれんなあ。」
トキとコンタがいろりの前で頭を抱えた。彦爺も、「どこか遠くの村にでも働きにでるしかない。」
すると、彦爺の膝に乗って三人の話を聞いていたカンタが、
「おらが月へ行ってウサギを捕ってきてやる。いっぱい取ってきて売ればうんとお金もできて、米も豆も買える。なあ、おっとう、おっかあ。」
カンタは七つになったばかりじゃった。体は小さかったが、一日山で駆け回って遊んでいたから、鹿のように弾んで遠くに飛ぶことができ、りすのように高い枝まで登ることができた。
「カンタ、それは無理じゃ。月まではいくらおまえでも行く事はできん。」
彦爺がカンタの頭を撫でながら言った。
「大丈夫じゃ、おら、月まで行って来る。」
とんでもないことを言い出して、トキもコンタもびっくり仰天してしもうた。いくらなだめてもカンタは聞かなかった。自分で旅の支度までしはじめたのじゃった。
「明日の朝、出発じゃ。おっとう、おっかあ、爺ちゃん。きっと大きなウサギをたんと捕まえて来るで、楽しみにして待っててくれや。」
カンタはそう言って寝てしもうた。トキもコンタも彦爺も、カンタの意気込みに負けて、カンタの言うとおりにさせることにした。
「三日もしたら、疲れて帰ってくるじゃろ。村のみんなによう言って、それとなく気いつけてくれるよう頼んでおくことにしよう。」
夜が明けて、いよいよカンタが出発しようとすると、
「カンタ、これを持って行け。」
コンタはあっという間にトキのホクロをもぎ取ると、手の中でころころとこねくり柿ほどの黒い手まりにして、ぽんとカンタに投げた。
「おっかあのホクロじゃぁ。きっと何かの役に立つでな。」
カンタはにっこり微笑んで大きく肯き手まりを受け取ると、元気いっぱい出掛けた。ようやく太陽が沈んだ頃、カンタは村の一番西にあるひょうたん山のてっぺんの一本杉に着いた。瑠璃色の空に三日月が現れ、もう手が届きそうじゃった。カンタは大きな杉にするすると登り、三日月に飛び乗ろうとぴょんと跳ねた。いくら近そうにみえても月は遠かった。どすんと地べたに落ちてしもうた。カンタはもういっぺん杉に登って飛んでみたが、やっぱり落ちてしもうた。地べたに腕組みして座りこみしばらく考えてから、又杉に登り、取ったウサギを結わえる為に持ってきた紐を背中の袋から出すと、ホクロの手まりにくくり、まりを三日月に思いっきり投げた。まりは三日月の端にくりくりっと巻き、カンタは紐を手繰って、やっと月に登り着いた。おっかあが作ってくれた無け無しのおむすびをほうばって、一先ず草むらに横になり夜の明けるのを待って眠った。
朝がきた。しかし、回りにはウサギなんか全然おらん。しばらく歩いて行くと、やっとウサギらしいのが向こうで動いておった。そっと近づいて岩陰に隠れ、ウサギに当てようとホクロの手まりを握りしめた。それは、幼い兄弟ウサギじゃった。あんまり可愛いのでカンタは取るのを忘れ見惚けておった。ウサギ達も白い手まりを投げっこして遊んでおった。と、小さい方のがちょっと強く投げられた手まりを受けそこね、まりは空に消えてしもうた。ウサギ達はうおんうおん泣き始めた。
「おい、泣くな。俺カンタだ。代わりにこれやるよ。」
カンタはホクロの手まりを渡した。
「ぼく、ピョンスケ。ありがとう。」
「ぼく、ピョンキチ。ありがとう。」
すると、母ウサギが泣き声を聞きつけて現れた。
「まあまあ、カンタさんどうもすみません。御礼にお餅を食べてって下さいな。」
ウサギの家に案内されて、出された餅はキンカンほどの小さな小さな餅じゃった。カンタはちょっとがっかりしてぽんと口に入れた。じゃが不思議な事にみるみる腹いっぱいになってしもうた。母ウサギがにこにこ笑って、
「この前の満月についた餅です。一個食べれば一年間は満腹です。あ、そうそうおみやげも持ってって下さい。」
その晩は泊めてもろうて、次ぎの朝カンタは袋に溢れるほど餅を貰うて月を後にした。
コンタもトキも彦爺もカンタが無事に戻って来て、そのうえ村じゅうの人達の分までの餅まで持って帰ったのに、もうぶったまげたのなんの、三人は手を取り合って喜んだ。
「じゃがな、おっかあのホクロやってしもうた。」
「そんなものええ、ええ。お陰でみんなが助かったんじゃ。」
外に出ると日はすっかり落ち、太っちょ三日月のあでやかな姿があった。すると、ぽろぽろぽろっと何かこぼれ出てきて太っちょ三日月の下で止まった。
「あっ、おっかあのホクロだぁ。ピョンスケとピョンキチのやつ、又やったぁ。」
「カンタ、今度の三日月の晩、ひょうたん山の一本杉に行って投げ返してやりな。」
「うん。おーい、ピョンスケ、ピョンキチ、まってな!!」
カンタは太っちょ三日月が揺れるほど大きな声で叫んだ。
おわり
一九九七年三月十一日完結
作者プロフィル
大きいおばさん 千葉県千葉市在住
小さいおばさん 東京都あきる野市(旧秋川市)在住
二人は高校時代の親友で、このお話はパソコン通信の電子メールをリレーして作りました。