金魚のカボッチ

作    
大きいおばさん
小さいおばさん
金魚のカボッチ
「ゴッツン!」
 金魚のカボッチは、又水槽に頭をぶっつけました。今日は三回目です。尾びれをひらりと揺るがしてくるりと方向転換しました。しかし一回二回・・・五回尾びれを振ったら、もう反対側の水槽の壁に頭をぶっつけそうになりました。カボッチはその寸前するりと向きを変えます。慣れたものです。
「ただいま」
 マサル君が大きな声で学校から帰って来ました。机にランドセルをぽいっと置いて、カボッチの水槽に顔をくっ付けて上から餌をぱらぱらっと落としました。
「じゃあな、カボッチ。僕遊びに行ってくる。」
 部屋の中は、又、しいーんと静まり返りカボッチは大きく尾びれ動かして身を翻しました。

 マサル君が保育園の年長の時、隣町のスーパーの前に金魚すくいの店が出てた事がありました。マサル君はお母さんにねだって二回やってみました。金魚をすくう薄い紙は二回共すぐにやぶれてしまいました。おじさんが小さな金魚を三匹、ビニールの袋に水を入れて、
「残念だったね。可愛がってね。」
と、マサル君に渡しました。さっそくスーパーで水槽を買ってもらって、マサル君はその日はずうっと金魚の前を離れませんでした。次の日、起きると直ぐ金魚の水槽をのぞくと、二匹の金魚が水面にお腹を向けてぷかぷか浮いてました。
「あらあら、お水を替えて最後の一匹は大事に育てなくちゃね。」
 お母さんが、ぽんとマサル君の背中を叩いて、続けて、
「ねぇ、名前を付けてあげようよ。」
「うん。昨日のおじさん、かぼちゃみたいだったからカボ。」
「ふ、ふ、ふ。そうね。かぼちゃみたいにほくほく温かいおじさんだったわね。カボッチはどう。」

 それから、どんどんカボッチは大きくなり、水槽も二度変えてもらいました。でもすぐに狭くなってしまったのです。マサル君のマンションでは今より大きい物は置く場所もなく無理なのです。しかし、カボッチはこの水槽しか知りません。毎日毎日たびたび頭をぶっつけながらも上手に身を交しては、元気に泳ぎ回っていました。マサル君はもう四年生です。お友達もたくさんいます。狭くなった水槽のカボッチを見るたび、心が痛くなりました。
「僕は広い外で遊びまわっているのに、きゅうくつだろ、カボッチ。」

 夏休みになりました。お父さんの田舎に行く日です。マサル君はカボッチの水槽の水を半分ほどに減らし、大きなビニールで覆って、車の座席の下に置きました。
「カボッチ、ちょっとの間だ。がまんしろ。今に広い池に連れてってあげるから。」
 マサル君はおとうさんの田舎の鎮守の森の池に、カボッチを放してあげる事にしたのです。その池は、湧き水が溢れ、いつも底が透き通って見え、コイやフナなどが行き交っていました。真ん中に小さな島があり、カルガモが子育てをした事もあります。
「さあ、カボッチ。元気でな。又、会いにくるから。」
 マサルくんは池のふちでカボッチをじっと見送りました。

 鎮守の森には大きなケヤキが何本もあって、大きく広げた枝は夏の暑い日差しを遮って涼しい日陰を作っています。風に揺られた枝から漏れてくる光が池に反射して七色のビーズをまいたように光っていました。カボッチは生ぬるい水槽の中から急にひんやり冷たい水の中に放されたので、マサルくんが行ってしまってからもしばらくは動くことも出来ずにじっとしていました。それでもじんわり鱗に伝わってくる感触はとても柔らかで何よりとてもいい匂いがしました。カボッチは大きく口を開けて池の水をいっぱいに吸い込みました。  
「うわっっ、あまいや。こんな水初めてだ。なんていい味なんだろう。」
 カボッチは続けざまに何度も口をぱくぱくさせてエラをいっぱいに張り出して水を飲みました。
 
 池の中はカボッチには何もかも珍しくて毎日池のそこここを泳ぎ回って暮らしました。おいしいコケも見つけました。心地よい藻のベッドも見つけました。水源の岩場にはいつも冷たい水がこんこんとわき出ていて、昼寝の後の目覚ましにいつも飲みに行きました。鎮守の森のきれいな池の水に洗われてカボッチの体の赤い鱗は一層鮮やかになっていきました。池の水になれてきた頃です。カボッチは自分の周りに何かを感じるようになりました。いえ、やっとそのことに気がついたと言った方がいいでしょう。水の中にはカボッチのほかにコイもフナもすんでいました。カニもいました。カエルも時々飛び込んできます。でもいつもカボッチからは離れたところにいて、カボッチを遠くから見ているのです。決してそばには寄ってきませんでした。カボッチが寄っていくとコイもフナもさっと身をよけて逃げていってしまいます。カボッチは思いました。きっと自分のこの赤い鱗が珍しくて見とれているんだろうと。池の中のコイもフナもみんな灰色の汚い色をしていたからです。実際カボッチの赤い鱗は見事な緋色をしていて、池のどこにいてもスポットライトを当てたように目立っていたのです。

 その日も、うとうと、うとうと、藻のベッドでお昼寝をし始めた時です。ぱたぱたと数人の足音が池に近づいたと思ったら、ぱっと白い物が投げ込まれました。
「餌だ!!」
 カボッチは水面に躍り出て大きく口を開けた時です。
「だめだ!!それは食っちゃだめだ。」
 コイのクロベエの声です。カボッチはクロベエに横取りされちゃうと、振り向きもせず、ぱくりと口に入れました。
「なんだ。これは。」
ぺぇっと、カボッチは吐き出しました。発砲スチロールだったのです。
「は、は、は。だから言っただろう。村の三ワル四年生だ。」
 クロベエはそう言い残し、池の底に向かってゆっくり尾びれを振りました。
 

  カボッチはずっと気になる所がありました。そこはいつもうっそうと茂った繁みの陰の大きな岩です。そのあたりはいつも日陰で、水も深く濃い色をしてました。思い切って近づいてみました。岩陰からサワガニの双子が横に並んで爪を振り振り出てきました。
「ここから先は行かない方がいいよ。ナマズ爺さんの昼寝をじゃますると、機嫌が悪いよ。」
「うん。気を付ける。ありがとう。」
 カボッチは何だかナマズ爺さんにとても会ってみたくなりました。どんどん潜って行くと、底に黒い丸いのっぺりした物が張り付いてました。カボッチが恐る恐る近づくと、ぷるるんとひげを波打たせ、ナマズ爺さんが片目を開けました。
「何だ。お前は?」
「あ、お昼寝起こしてごめんなさい。この夏、街から来たカボッチ・・・・。」
「おうおう、あのおすましやの新入りか。」
「おじいさんは、何時この池にきたの?」
「生まれた時からさ。わしの爺さんもその又爺さんもここで生まれたんじゃ。その三つ上の爺さんの時この池ができたのさ。」
「この池が出来たって・・・・?」
「そうさ。その頃この村はひどい日照り続きでな。田んぼも小川もからからになってしもうた。里ではみんな痩せ細り、くる日もくる日も天を仰いでは神様に水乞いをした。見かねた神様は山の谷川からすうっと指で線をお引きなすった。しばらく降ろされた時、田んぼから随分外れた事にお気づきなすっての、『あ、しもうた。』と、言わしゃってもう少し上から田んぼの方に引き直されてな。その跡がせせらぎとなり小川となって、村は助かったんじゃ。それでな、お間違えになって途中で切れたせせらぎのここに、この池が出来たんじゃ。村人はな、たいそうありがたがって、ここにお社を建て神様をお祭りしたのじゃ。」
「へぇー。おじいさん何でも知ってるんだね。」
「そうさ。聞きたい事があったら何時でもおいで。さあてと、もう一眠りするか。」
 ナマズ爺さんは又池の底にへばりつきました。

  鎮守の森に秋がやってきました。ケヤキの葉は黄色く色づき風に乗ってはらはらと池にも落ちてきました。池の住人たちはカボッチが思っていたよりも親切で気さくでした。ナマズ爺さんはカボッチには何でも教えてくれたし、遠巻きに見ていたコイやフナも見かけはぶっきらぼうでも新入りのカボッチをよそ者扱いするようなことはしませんでした。ただ、いつか白い発泡スチロールを池に投げ入れた小学生は、毎日のように池に来て、カボッチを見つけると棒でつついたり石を投げたりしてカボッチを追い回しました。これにはカボッチは困りました。何せ池の中ではカボッチはとても目立ったので、逃げても逃げても見つかってしまいます。何とかいつも逃げ切っていますが、一度は大切な鱗が3枚もはげ落ちてしまいました。秋が深まっていくにつれ池の周りの草も枯れてなくなりケヤキの葉も落ちて、池はすっかりむき出しになって、カボッチの隠れる場所が少なくなってしまいました。
「このままではいつかきっと捕まってしまうぞ。困ったなあ。」
 カボッチはいい加減逃げ回るのに疲れてしまいました。秋の日差しは葉の落ちた林をすかして池の奥深くまで届くようになりました。
「僕より大きなコイもあのナマズ爺さんも僕のように追いかけ回されたりしないのに。この赤い色がいけないんだ。僕のからだもみんなのように灰色をしていたらこんなに逃げ回ることもないのに。」

  カボッチはナマズ爺さんの所に行きました。ナマズ爺さんは昼寝の最中でしたが、ゆっくり胸ビレを回して浮き上がりました。
「そうか。村の子供達に見つかったか。そいつは手強いぞ。」
「僕もみんなのような灰色の魚になりたいな。みんなと同じコケを食べているのに、僕の鱗はどんどん鮮やかな緋色になって行くんだ。どうしてだろう。」
「ははは。それは仕方がないさ。おまえは金魚なんだから。」
「ねえ、ナマズ爺さんなら知っているんでしょう?ナマズ爺さんのお爺さんのそのまたお爺さんのいつかの神様の話、その神様ってまだ生きているかなあ?」
「神様がまだ生きているかって?そりゃあ生きていらっしゃるさ。姿はお見せにはならないが、この川の上のうんと上のそのまた上のほうにな。」
「その神様にお願いしてみようかな。僕も灰色の魚になりたいって。」
「金魚が灰色の魚に?それは無理じゃろう。ナマズはナマズ、金魚は金魚じゃ。いくら神様でもな。」
「だって、神様はこの池を作ったんじゃないか。僕の体を灰色にするくらいなんでもないんじゃないかな。僕、神様にお願いしてみようかなぁ。」

「ゴツン。あっ、いててて。」
「ごめん、ごめん、ごめんね。」
クロベエにぶつかってしまいました。
「なんだ、ぼんやりして。」
「ねえ、クロベエ。この池の神様の居る所知ってる?」
「ああ、ナマズ爺さんに聞いた事がある。」
「お願い!僕を連れてって。」
「いいけど……。どうして?」
「僕、灰色の体になりたいんだ。神様にお願いしたいんだ。」
「そうか。そんに奇麗な緋色なのにもったいないなぁ。でも今はだめだ。もうすぐ谷川の水が凍ってしまうかもしれない。来年の春まで待ちな。」
「え、春まで…。そんなに僕待てないや。大急ぎで行って帰ってくれば雪が降る前に戻れないかなぁ。」
「よし!そんなにいうなら、連れてってやる。直ぐ出発だ。その前に、腹一杯食っておこう。」

  クロベエはカボッチを背中に乗せると、池の岩場に注ぐせせらぎを登り始めました。谷川は狭く激しい流れや岩がごつごつ転がっていたりします。それに神様は山のてっぺんにいます。登りばかりです。いくらクロベエが鯉で滝昇りが得意でも、そんなに早くは進めません。流れのゆるやかな所に辿り着いては休み休みして、登って行きました。食べ物も段々少なくなります。交す言葉も少なくなってきました。
「クロベエ、まだぁ。疲れたねぇ。」
「もう直ぐだ。頑張れ!」
 本当はカボッチよりクロベエの方がずっとしんどかったのです。谷川はいっそう流れが早くなり、底も浅く大きな石が飛び出しその間は水も渦巻いてます。クロベエは歯を食い縛って最後の登りに挑戦しました。
「カボッチ、やっと、やっと・・・・・。」
そこは湖でした。今までの流れが嘘の様な静かな静かな湖でした。
「クロベエ!!どうしたんだ。せっかく此処まできたのに。」
クロベエは力つき、お腹を横に向け口をぱくぱくさせてます。鱗は何度も岩に擦ってだいぶ剥げ落ち、むなびれも半分削れてなんとも無残な姿です。
「ごめんね、クロベエ。こんなに傷だらけになって。その傷が治るまでこの湖で少し休んでいこうね。」

  山々に囲まれた湖は瑠璃色の水をたたえて、重くしんと静かに横たわっていました。ただまわりの山から湖に注ぎ込む川はどれも小さいせせらぎで、とてもクロベエがのぼれるような川ではありませんでした。
「もうこれ以上は行かれないんだね。僕はもう神様には会えないのかなあ。」
 そのうち秋も終わり冬がやってきました。山は雪に覆われ湖は凍り始めました。カボッチは深い湖の底と水面の氷の間を緋色のヒレを振りながら行ったり来たりして、毎日を過ごしました。やがてクロベエの傷もすっかり良くなりました。
「ねえ、カボッチ。この湖のニジマスが言っていたよ。神様が毎年冬の終わりに湖まで降りて来るんだって。」 
「えっ。じゃあ僕はここで神様に会えるまで待っているよ。クロベエは川がすっかり凍る前に、先に鎮守の森に帰っていてね。」
「そうするよ、カボッチ。早く神様に会えるといいね。」
 

  クロベエはカボッチにさよならを言ってのぼってきた川を下っていきました。
湖の氷は日に日に厚く固くなりました。氷の下はとても暗く、水はカボッチが思った以上に冷たくなっていきました。じっとしていれば氷と一緒に凍ってしまいそうでした。
「こんなに冷たい水は初めてだ。マサルくんの家の水槽はとても温かかったなあ。神様はいつやってくるんだろう。冬が終わる前にこのまま僕は凍って死んでしまうかもしれない。」
 カボッチは毎晩ふるえながら眠りました。ある日のこと、冬日和の、風のない穏やかな午後でした。カボッチは寒さでしびれた体をどうすることも出来ず、水の中にゆらりゆらりと揺れていました。意識もだんだん遠くなっていました。最後の力を振り絞って、太陽の陽ざしを少しでも浴びようと氷のすぐ下まで上がっていきました。すると突然、頭の上の氷にぽっかりと穴が開いて太陽の光がさしました。
「あっ。」
 突然のまぶしい日の光にびっくりして大きな口を開けたとたん、カボッチは氷の上に引き上げられました。
「おや、これは金魚じゃないか。こんな所に金魚が。」
 カボッチを釣り上げたのはゴマ塩のヒゲをはやしたおじいさんでした。氷に穴を開けてワカサギ釣りをしていたのです。おじいさんはカボッチの釣り針をはずしてトロ箱に入れました。
「ほお、こりゃかわいい金魚だ。」
 おじいさんは凍り付いたゴマ塩のヒゲを揺らして、にこにこ笑ってカボッチをのぞき込みました。そしてワカサギの何匹かと一緒にカボッチも家に持って帰りました。
 

  おじいさんの家は湖のそばの発電所の管理小屋でした。ふもとからの道を外れて、林の奥にひっそりと建っていました。
「ただいま、ばあさん。今日は大漁だ。」
 小屋には、やはりごま塩の頭をしたお婆さんが一人待っていました。
「まあ、なんてかわいらしい。綺麗な緋色の金魚だこと。ほらほらこのかめの中に入れてやりましょ。」
 おばあさんは土間にあった古い水がめを抱えて井戸の水を入れるとカボッチをその中に放してやりました。井戸の水はほんのりあたたかでした。
「こんな山の中で金魚を飼えるなんて。きっとこの冬は寂しくありませんね。おじいさん。」
 薪ストーブの火が赤々と燃えて、二人の頬を照らしていました。

 その夜、このあたりは今年一番の冷え込みで、氷の柱が鈍い音をあげて立ち上がるお神渡りが、いくすじも湖の氷の上に出来ました。


                                            おわり  
1998年1月2日 完結
作者プロフィル
大きいおばさん 千葉県千葉市在住
小さいおばさん 東京都あきる野市(旧秋川市)在住
二人は高校時代の親友で、このお話はパソコン通信の電子メールをリレーして作りました。