でんでん丸


大きいおばさん
小さいおばさん
デンデン丸  照彦は漁師の子です。でもそのお父さんは二年前漁に出て大波にさらわれそのままでした。お母さんは浜辺の剥き貝の工場で働いてます。その間照彦は飼い犬のジローと遊びます。海で泳いだり浜でジローとふざけ合ったり。一日中ぎらぎら照り付ける太陽のもと潮風を浴びて走り回るので、顔から手足真っ黒で目だけクリクリ輝いてました。

 照彦は時々淋しくなるとお母さんの工場をのぞきました。お母さんは近所のおばさん達に混じっておしゃべりをしながら手は休む事無く貝の身を剥がしてます。

「あら、照ちゃんどうしたの?」
「お昼までまだ一時間ほどあるわ。もう一度遊んでらっしゃい。」
 お母さんがにこにこ笑って楽しそうに仕事をしてるのを確かめると、照彦は安心してまたジローと駆け出すのでした。

 ちょっと風の強い日でした。夜になるとますます激しくなり雨も降り出しました。
台嵐が近づいたのです。海の嵐はとても恐いものでした。海鳴りがゴーゴーと地の底から揺るがすように響き、風はピュウーピュウー渦巻き、雨がザーザー屋根を叩きます。照彦はお母さんの布団に潜り込みしがみ付きました。
「照ちゃん、大丈夫。この程度だったら大丈夫。」
 台風一過、次の日は朝から抜ける様な青空でした。照彦は飛び起きてご飯にお味噌汁をかけさっと流し込んで、早々に朝食を済ませると、
「ごちそうさま。行ってきます!」
「あら、あら。ほら、帽子。」

 照彦はお母さんに麦わら帽子を被せてもらうと、ジローと浜に飛び出しました。嵐の後の浜辺には色々な物があちこちに打ち上げられてます。去年などお手紙の入ったビンが流れ着きました。
照彦は松の木陰に麦わら帽子をぽんと投げて、そこにせっせと運びます。板切れ、空缶、アイスクリームの容器・・・。長い海草を頭から何枚も垂らして、
「おばけだぞう・・。」
 コーヒーの空缶をくわえて戻ったジローを脅します。
「クーン。ワン。」
 ジローの落とした空缶とジュースの空缶を門柱にしました。中央に取っ手が無くなって縁の欠けた青いポリバケツを伏せて回りに板切れを立てかけ、帽子を屋根にしました。ペットボトルは塔になります。そして砂で塀を作り貝を埋め込んで飾りました。照彦はもう夢中です。大きな家の様な、お城の様なのが、出来てきました。ジローはちょこんと座って舌を出しハァハァ言いながら、見つめてます。
「さあ、ジロー。もっと色んな物捜しに行こう。」

 又、海の方に駆け出しました。海は何処までも広く、陽の光が反射してキラキラ輝き、白い波しぶきが奇麗な模様を描いてます。照彦は岩陰を回って磯に出ました。
海面すれすれに大きな岩盤が幾つもあってその間の潮だまりには小さな海の生き物が沢山います。ここは照彦お気に入りの場所でした。
「あっ、いてぇ。」
 つるっと足を滑らせ腰まで水に浸かってしまいました。
「ジロー、気を付けろよ。」
 ジローはそんな間抜けではありません。小さな魚が群れをなして泳いでました。群れの先頭に手をすうーとかざすと一斉にくるりと反対の方に泳ぎ始めます。ここにはめったにいない十五センチ程もある小魚も今日はあちこちで白いお腹をみせてピョンピョン跳ねてます。一匹捕まえて沖に放してやりました。海草の合間にはウミウシやヒトデ、イソギンチャクもくっ付いてます。小さな蟹もうようよいます。照彦は今度は蟹と遊び始めました。一匹の蟹を追いかけ、蟹が潜り込んだ海草をめくると、
「わぁ!すげぇ。」
 大きな巻き貝が現れました。
「おーい。おーい。その石を退けてくれ。」
 巻き貝の中から叫び声が聞こえます。照彦はびっくりして尻餅をつき、ジローも
「ワンワン、ワンワン」
 後ずさりをして吠えました。照彦は恐る恐るそっと手を伸ばし、巻き貝の口の小石を摘み取りました。
「ふーっ、痛かった。」
 ブルンと潮だまりの水を揺るがせて巻き貝が身を震わせました。
「えっ、貝がしゃべってる。」
 驚いて照彦が貝殻の上からトントンとつついてみました。
「そんなに驚いたかい?おれ様は巻き貝のでんでん丸様だ。よろしくな。貝のように無口だなんて人間は言ってるけれど、おれ様は違うんだ。ところで、君は?」
「すごい。ほんとに口をきいてる。ぼくは照彦。近所に住んでいる小学生だよ。」
「よし。今日から友達だ。照彦、よろしくな。」
「いやだよ、口をきく貝と友達だなんて、気味が悪いや。」 
 照彦がずぶぬれのお尻を持ち上げて帰りかけると、
「へっ、面白くないな。貝が口きいたっていいじゃないか。海の底の秘密の国のこと知りたくないのか?」
「海の底の秘密の国?なあに、それ。」
「そーらきた。毎日海辺に来て遊んでいてもこのことを知らないのか。うっかり昼寝をしていて昨日の嵐でここまで流されてしまったが、おれ様はその秘密の国の門番様なのだ。流されついでにこの浜辺の様子を国のみんなに話してやりたいから、ちょっとそこらを案内してくれ。」
「いやだよ。ぼくうちに帰らなくちゃ。」

 照彦は岩づたいにぴょんぴょん跳びながら陸の方へかけていきました。ジローも照彦のあとを追って走っていきました。巻き貝のでんでん丸はプイッと潮を吹き出すと岩陰の海草の中に潜り込んでいきました。
岩場から砂浜に出て、照彦は家の方にかけていきながら、
「海の底に秘密の国、いつかそんな話を聞いたことがある・・・そうだ、お父さんだ。いつか遠い外国の海に漁に出たとき、立ち寄った港で聞いたって。」
 照彦は走るのをやめて、立ち止まりました。そして今来た方を振り返りました。ちょうど海に潮が満ちるところで、ざわざわと波も立ちはじめていました。巻き貝のいたところまで引き返すとでんでん丸はもうそこにはいませんでした。ジローは満ちてきた潮に鼻先まで浸かってもがきはじめていました。

「もういないや。でんでん丸って一体・・・なんなんだろう。秘密の国って海の何処にあるのだろう。」
 照彦は逃げ出した事がすごく悔やまれてきました。こうして気分が落ち着くと、
でんでん丸をもっと知りたくなったし、お母さんが工場で小さなナイフで手早く次々と貝の身を剥がす様子や、市場に学校、他に見せたい所も沢山あります。それに、わんぱく友達の英夫、いつも宿題を教えてもらう武、腕相撲がめっぽう強く負けてばかりで頭の上がらない洋子、浜のみんなにでんでん丸を見せたくもありました。
「ジロー、明日また来てみよう。」
 さっきの浜に作った家でももう遊ぶ気がしなくって、
「さあ、帰ろう。」
 屋根にした麦わら帽子をかがんで取ると、
「うふふふ、その気になったようだな。」
何とでんでん丸がそこにいたのです。
「さて、出発。どこから案内してくれるかな。おれ様、陸は苦手でな。ちょっくらそこに乗せてくれ。」
でんでん丸は照彦の頭の上の麦わら帽子にでんと座りました。
 
 浜から町に出るとまず魚市場があります。ガラーンとして誰もいません。広いコンクリートの床は水でベショベショでした。所々に魚を入れる木箱が積んであります。
「朝は魚を売る人と買う人でごった返すんだよ。おじさん達の威勢のいい掛け声が行き交うんだ。」
「おれ様の仲間もここから遠くの色んな所に行くんだな。」
「うん。貝は高いんだよ。」
「もっとも、もっとも。うん。うん。」
 でんでん丸は一人で納得してます。すると、隣の剥き貝の工場から午前中の仕事が終ってお母さん達が出て来ました。
「おやまあ、照ちゃん。立派な貝を拾ったのね。王様の冠みたいよ。さあ、お昼ご飯にしましょう。」
「照彦のお母さん、おれ様はでんでん丸でござる。」
「えっ!」
 お母さんは暫し声が出ません。やっと、
「は、はい。よろしく。照彦をよろしく。」
 家につきテーブルの上に、又でんでん丸はでんと座ります。今日はもんじゃ焼きでした。イカやエビなど海の幸のいっぱい入った照彦の大好物です。
「いっただきまーす。」
 でんでん丸は顔をしかめて、もんじゃ焼きをじっと見てます。
「あら、でんでん丸さん。召し上がれ。」
 でんでん丸は初めてだったのです。なんだかグチャグチャしてていやだったのです。端を少し口にゆっくり入れました。
「これは、うまい。」
「そう、よかったわ。沢山食べてね。」
 でんでん丸はお代わりまでして満腹になると、
「さあ、次はどこかな。」
「うん。僕らの基地。『基地3号 北斗』だ。学校の裏山にあるんだ。」
「それは楽しみだ。」
その時
「あっそぼ。」
英夫です。英夫も照彦の麦わら帽子のでんでん丸に声を掛けられ、
「げえぇ・・・・。」
照彦は得意です。まず、小学校に向かいました。校門には『松ガ浜小学校』と大きくりっぱな字で書いてあります。
「ふむふむ。良い名だ。お前達にはもったいない。」
校庭には誰もいません。照彦と英夫は職員室を窓からそっと覗きました。
「あら、照彦君、英夫君。いらっしゃい。おや、素敵な貝を探したのね。」
 担任の優しいチヨ先生です。もうすぐ二学期なのでその準備です。
がらっと戸が開いて男の先生が入ってきました。
「あっ、やべぇ。」
「おい、お前達。宿題はすんだか。照彦、頭に象のまきまきウンチつけてどうしたんだ。」
 ライオン先生です。照彦達がわんぱくをすると、ライオンのたてがみの様に長い髪をなびかせて追っかけ首根っこを捉まれます。
「おやおや、照彦くん。美味しそうなソフトクリームを乗っけてますね。」

 体育館の渡り廊下まで走って来た時、おむすび先生にぶつかりました。頭が三角でほっぺが膨れ髭の跡がごま塩みたいにぶつぶつで、おいしそうな顔です。
「でんでん丸、校長先生だ。一番偉いんだ。」
「おれ様でんでん丸。今から『基地3号 北斗』に向かうのでござる。」
「ほう。勇ましい。学校が始まったら又いらっしゃい。」
 さすが校長先生、でんでん丸に話かけられても驚きません。体育館の横から裏山に入ります。ジローが先頭です。先に行っては振り返り待ってます。頂上に近づいたとき、
「ここだ。」

 高い木を照彦が指差しました。梢に大きな鳥の巣がありました。それをめがけて登ります。ジローは木登りは出来ません。英夫が助けてやります。
「どうだ、でんでん丸。僕らの基地3号だ。」
 鳥の巣が、大小の棒や板切れそして網に針金、色んな物で上手に補強され、全員乗っかってもびくともしません。
「これは、僕が運んだんだ。」
 英夫が支えになっている丸太を撫で、腕を曲げ力こぶを作って自慢しました。
「基地3号を造るのに一週間掛かったんだ。出来上がった夜こっそり来たら、北斗七星にぶら下がれそうだったんだ。」
「だから、『北斗』か。ああ、好い気持ちだ。」

 でんでん丸は海を見下ろしました。紺碧の水面は緩やかな水平線を描いて、その向こうに入道雲がもくもく湧き上がり、それに向かってモーターボートが直線で海を割って滑る様突っ込みます。浜を一斉に飛び立った海猫の群れが目の前を横切りました。まるでその中の一羽になって、海の上を旋回してる様な気分です。
「ほら、あれが学校だろう。そのずうっと右の青い屋根、その横が僕の家だ。」
英夫が指差した家並みの中央を抜けて、海岸線を走る赤い電車が岬のトンネルに消えるところでした。
「あの岬に『基地1号 コウモリの岩屋』があるんだ。」
「うん。行ってみたいな。ふあぁ、ちょっと一眠りするか。」
 と、言ってごろりと横になったかと思ったら、もうグウーグウーいびきをかき、でんでん丸は寝入ってしまいました。
「なんて奴だ。ふぁははは、僕らも寝るか。」
 大きな欠伸をして、照彦と英夫も横になりました。ジローも二人の足元に丸くなり、みんな良い気持ちで昼寝です。

「ワンワン、ワンワン。」
 ジローがみんなを起こしました。何時の間にか、太陽は岬を大きく回ってます。
「ぼつぼつ、引き上げるとするか。」
 でんでん丸を送って浜まで来ました。磯の岩場には満ち潮で行けません。
「ここで大丈夫だ。ありがとう。」
 でんでん丸は照彦の麦わら帽子からぴょんと飛び降り、海に潜り込もうとしました。
「あっ、でんでん丸。さようなら。あのう・・・。」
「分かってる、分かってる。明日は『海の底の秘密の国』に案内してやる。」
 ぽかぁんと口を開けて突っ立ってる英夫に、
「一緒に来るか?そうか。朝六時に今朝の岩だ。」
「うん。きっと、行く。」
 二人はにこにこ笑って手を振り、ジローも負けずに尻尾をちぎれんばかりに振って、でんでん丸を見送りました。
 
 次の朝、海は鏡のように静まりかえっていました。小さな波がときおり浜辺に打ち寄せています。照彦と英夫、そしてジローが昨日の岩に来ると、でんでん丸が岩の上で待っていました。
「おはよう。みんな揃っているね。さあ、出かけよう。」
 でんでん丸が言いました。照彦と英夫は持ってきたシュノーケルを口にくわえ、足ひれもはきました。
「ハッハッハ。そんなものはいらないよ。それ、そこのドアを開けてごらん。」
 見るとごつごつの岩肌に金色のドアのノブがついていました。照彦がノブを回して岩のドアを開けると、中は細い滑り台のようになっていました。
「さあ、行こう。」
 でんでん丸は照彦の肩にのっかって言いました。
「うわっ、町の海浜公園の水の滑り台みたいだ。」
 照彦と英夫はシュノーケルと足ヒレを投げ出すと滑り台に飛び乗りました。ジローもあとをついていきます。暗い闇のトンネルはどこまでも続いていました。ずんずん下へ降りていきます。最後に大きくカーブをして、滑り台は白い砂の上で終わっていました。あたりはぼーっと薄明るくて緑色の霧がかかっているようでした。

「うわぁ、ここが海の底か。緑色の雲の中にいるみたいだね。水の中にいるのじゃないみたいだ。ほら、息も苦しくないし。」
 照彦は白い砂の上をゆっくりと足跡を付けながら歩いていきます。ジローは用心深く鼻を鳴らしてにおいをかいでいます。英夫は両手を伸ばして泳ぐ格好をしました。
「ハッハッハ。水はほら、頭の上さ。」
 でんでん丸が言いました。二人が上を見上げるとそこには波立つ青い海がありました。頭の上が海なのです。二人はまるで海の上に逆立ちしているみたいでした。「さあ、海の底の秘密の国の入り口はすぐそこだ。」
 砂の丘を一つ越えると大きな門がありました。真珠で出来た門でした。門をくぐるとまた大きな岩がありました。岩には「音の部屋」
と書いた看板がかけてありました。そこにも金色のドアのノブがついていました。 
「さあ、入ってみなさい。」
 でんでん丸に言われて照彦がドアを開けました。突然「わーん」
と言う大きな音が飛び出してきました。照彦はびっくりして慌ててドアを閉めました。
「ハッハッハ。どうやらいま演奏の最中らしいや。ここはそう、海の音を作っていいる所なんだ。たくさんの演奏家達が、いろいろな楽器を使っていろいろな海の音を作曲したり演奏をしたりするところだ。君たちが毎日聞いている海の音はここで作っているのさ。演奏の邪魔になるから次へ行こう。」

 みんなは隣の岩の方へ歩きだしました。次の岩には「色の部屋」と書いた看板がかけてあります。
 今度は英夫が金色のドアのノブを回して、思い切って開けました。正面に大きな水槽があります。両端にパイプが出てて壁に繋がってました。水槽は三つに仕切ってあって、パイプから左の水槽にドクドク濁った水が流れ込んでます。真ん中は透き通ってます。右の水槽に皆がバケツで色を次々入れてました。水色に群青色そして深緑・・・・・。タコなどすごいです。八本の足に全部バケツをぶらさげ、おまけに頭の上にも乗せてます。右の水槽は奇麗な海の色になって、パイプから外に流れ出てる様でした。
「この頃は、海が汚れてここの仕事は大変なんだ。」
 でんでん丸が説明をします。
「あっ!」
 バケツを空にして戻って来る人を見て、照彦が叫び声を上げました。お父さんだったのです。毎日お仏壇にご飯をお供えすると、にっこり微笑み返してくれる写真のお父さんの顔だったのです。照彦の胸は早鐘の様に打ち口でハァハァ息をして、
「お父さん!!」
 と、駆寄ろうとした時、お父さんはくるりと横を向き、色置き場の方にすたすた行ってしまいました。
「秘密の国は、海で命を無くした者達で海を守っているんだ。昔の事は何も覚えてないんだ。」
 でんでん丸がなぐさめます。照彦はそっとドアを閉めました。
 次ぎは「波の部屋」でした。そこはプールでした。楽しそうにみんな泳いでます。
「ねぇ、僕達もいい?」
「ああ、いいとも。」

 でんでん丸はプールサイドの寝椅子に横たわりました。ジローは顔を床にくっつけてぺちゃりと座り、目だけキョロキョロ動かして回りを伺ってます。照彦も英夫も海では毎日泳いでますが、プールは珍しかったので大はしゃぎです。飛び込み台から、かわるがわるボチャンボチャンやってると、
「おい、こら。そんなに波を立てると、海は大荒れだ。」
 近くにいた大昆布に怒られました。このプールでみんなが遊んで波を造るのです。
今度は潜りっこでかくれんぼをして、

ひょいと水面から顔を出すと、
「さぁ、そろそろ飯にするかぁ。」
 照彦達はもっとプールで遊びたかったけど、お腹もすごく空いてきたので、
「わぁ、秘密の国のご馳走何かなぁ。腹がなるなぁ。」
 ジローも立ち上がり、前足を伸ばしてゆっくり背筋を弓なりにし、ブルブルと頭を振りました。
 その時、入ってきた門の方からガランガランという音がしてきました。
「あ、たいへんだ。仕事を忘れていた。急いで戻らなきゃ。」
 でんでん丸が走り出しました。照彦も英夫もいっしょに追いかけていきます。ジローもあとからついていきます。
「あれはこの国に新しい住人が来たことを知らせる銅鑼の音なんだ。さて、今日はどんなのがやって来たのかな。」

 門の所へ戻ってくると、そこには照彦と同じくらいの年格好の少年が立っていました。海育ちなのでしょう、真っ黒に日焼けして、どうやら南の方の国の子供のようです。
「やあ、いらっしゃい。俺が門番様だ。さて、君はどの部屋へ行きたいかね。音の部屋、色の部屋、波の部屋・・。好きなところを言ってごらん。」
 その少年はにこっと笑って、
「香りの部屋がいいな。ぼくは朝一番に海に出たときの潮の香りが大好きなんだ。 一日の元気がわいてくる気がするんだ。」
「そうか。では香りの部屋に案内しよう。ここに来るのはみんな海が大好きな人たちばかりだ。君のような子供もたくさんいるよ。すぐに友達もできるさ。照彦達はここで待っていてくれ。」 
 でんでん丸はそう言って、少年を連れていきました。
「あの子は船から落ちたんだろうか。ぼくと同じ漁師の子だね。やっぱり昔のことは覚えていないのかなあ。」
 照彦がいいました。
「香りの部屋で、あの子が潮の香りを作るんだね。あの子のすきな潮の香りってどんな香りなんだろう。」
 英夫もその少年のいままでの暮らしを思いながら言いました。

 照彦はさっき見た色の部屋の方へまた行ってみたくなりました。お父さんをもう一度見たくなったのです。色の部屋では、相変わらずパイプの中をとくとくと水が流れていました。お父さんは奥の方で大きなキャンバスに大きな刷毛で色を塗っていました。ジローがそばに寄って盛んにしっぽをふっています。照彦がおそるおそる声をかけました。
「あの、何をしているんですか。」
「ああ、これかい。色のイメージを描いてみているのさ。なかなか思っているような良い色が出ないんだ。いま作っているのは、夕焼けの海の色で、鏡のように静かな海に、黄金色に輝く太陽が溶けていくときの海の色なんだ。どうもうまく行かなくてね。」
 お父さんは大きな刷毛に赤や黄色や緑色を付けながら、キャンバスに色を付けていきます。
「ぼくは、ぼくはあの海の色が好きだよ。ほら、いつだったか何日も海が荒れてやっと風が止んで静かになった日の夕方、お父さんと二人で岬の上に立って太陽がすっかり海に落ちるまでずっと見ていたあの海の色。」
 お父さんはじっと目を止めて考えているように見えました。昔のことは何にも覚えていないとでんでん丸は言ったけれど、お父さんは何かを思いだそうとしているように見えました。その時またあのガランガランという銅鑼の音がしました。照彦達が門の所へ戻るとでんでん丸がいました。
「さあ、秘密の国の門をしめる時間が来たよ。そろそろ帰ってくれないかね。浜辺まで送っていこう。」

 二学期が始まりました。9月の海は青く澄んでいました。照彦は浜辺の道を、朝の潮風をいっぱい吸って、ランドセルをカタカタ言わせながら走っていきます。今日は学校が終わったら、英夫と『基地1号コウモリの岩屋』へ行く約束がしてありました。岬の上から二人でお父さんの作った夕日の海を見るのです。照彦には、きっとあのときの海の色が二人を迎えてくれる気がしたのでした。

                       おわり
 一九九六年九月十二日完結

作者プロフィル
大きいおばさん 千葉県千葉市在住
小さいおばさん 東京都あきる野市(旧秋川市)在住
二人は高校時代の親友で、このお話はパソコン通信の電子メールをリレーして作りました。