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草原の絵画
大きいおばさん
小さいおばさん

桜の花が終わって、葉桜が美しい頃でした。大きいおばさんと小さいおばさんは上野の美術館で待ち合わせることになりました。西洋の有名な画家達の展覧会に一緒に行く約束をしたのです。
最初に来たのは大きいおばさんで、久しぶりの都会の空気でめまいがしていました。約束の場所に着くと、腕時計を見て、
「やれやれ、どうやら間に合ったわ。」
といって、近くの石塀にもたれかかってほっと息をつきました。

朝の公園の空気はまだ冷たくて、桜の新緑は濡れているようでした。たくさんの鳩が盛んに飛び交って、せわしく一日の生活を始めていました。噴水の向こうではどこかの学校の修学旅行でしょうか、制服姿の子供達が集まってにぎやかな声をあげていました。

「おやおや、小さいおばさん遅刻だわ。」
 時計は約束の時間をとうに過ぎていました。
「先に見ていようかしら。」
そう言いながら、大きいおばさんは美術館の入り口の方に歩き出しました。

小さいおばさんは朝から大忙しです。何しろ上野までは遠いのです。朝食もパンだけにしました。さっきから鏡の前で、さんざん迷ってます。漸くピンクと白の縞模様のジャケットに決めて、最後にえんじ色のフェルトの帽子を被りました。これは大きいおばさんとお揃いです。とても気に入っているのです。それから、庭に出てエミーに丁寧にブラシを掛けて、リボンのついた赤い首輪に変えました。
「これでよし。さあ、出かけましょう。」
バスは、なかなか来ません。
「どうしたのかねぇ。エミー。」
やっと、砂埃を上げバスの姿が見えました。
「遅れて申し訳ありません。今日は早いですね。どちらまで?」
運転手の木村さんが尋ねました。
「ええ。お友達と上野に。久し振りなの。」
「それは。それは。では発車します。」

バスには、一平おじさんが乗ってました。足元の床におじさんの乳牛のブッチーが長々と寝そべってます。小さいおばさんはいつもこのブッチーのミルクを飲んでいるのです。
「おや。おや。どうしたのブッチー?」
「昨日から余り食べなくて・・・・。隣村の獣医さんに診てもらおうと思って。」
一平おじさんは心配そうです。エミーはちょっとやな気がして小さいおばさんの後ろにかくれました。ブッチーと模様が同じなのです。両耳が黒で背中に斑があり、おまけに右目の回りが黒いのまで一緒だったからです。 小さいおばさんは一平おじさんと、早速おしゃべりを始めました。エミーは緊張して横に座ってます。ブッチーはちらっとエミーを見て、けだるそうに前足に頭を下ろし目を閉じまし
た。
ラクダ山のトンネルを過ぎ、隣村につきました。さて、ブッチーを降ろすのが大変です。一平おじさんは先に降りて前から引っ張ります。後から木村さんと小さいおばさんが押します。エミーはワンワン吠えます。乗る時も大騒ぎでした。そうです。だからバスが遅れたのです。やっと、すっぽとバスの狭いドアーからブッチーが出ました。
「あら、あら、大変。もうこんな時間。」
終点でバスを降り、大急ぎで電車に乗り換え、やっと上野に着きました。上野はすごい人出です。人の間を縫って、小さいおばさんは走ります。エミーは前を、振向き振向き駆けて行きます。だいぶ遅刻です。美術館の辺りには、もう大きいおばさんの姿は見当りません。
「先に、入ってるかな。」
小さいおばさんも急いで中に入り、取りあえず大きいおばさんを捜す事にしました。
「ワンワン。ワンワン。」
「だめよエミー。こんな所で吠えては。」
エミーがハナコちゃんを見つけたのです。 大きいおばさんは十号ほどの小さな絵を、顔をくっ付ける様にして見入ってました。

大きいおばさんはさっきからこの絵の前から動きませんでした。
「ふーん。いい絵だわ。画家の名前は知らないけれどとてもすてき。ポプラの並木の向こうのお空の色がなんてすてきなんでしょう。ねえ、ハナコ。」
大きいおばさんが好きだといった空の色はとても暖かい色の青で、太陽は絵の中には描いてありませんでしたが、光が絵の中にいっぱい満ちあふれていました。大きいおばさんにはその光の具合が何だかとっても懐かしい気がしたのです。ハナコもキチンとお座りをして眩しそうな目をして見ていました。
「あんなきれいなお空の下で、ハナコも思いっきり走ってみたいでしょう。ねぇ、ハナコ?」
大きいおばさんはそう言ってハナコの方を見ました。するとハナコも大きいおばさんの顔を見て小さくワンと吠えました。そして突然ぐいっとひもを引っ張ってその絵に向かってジャンプしたのです。
「きゃっ。」
大きいおばさんは何が起きたか分かりません。ハナコが急にひもを引っ張ったと思ったら、次にはしりもちをついていたので
す。大きいおばさんはいつの間にか暗い美術館から、光いっぱいの眩しい草原に来ていたのです。ハナコが大きいおばさんの手から離れて、嬉しそうに草原の中を走り回っています。ぷーんと草の香りもしてきました。鳥の声も聞こえます。小川の向こうの草原から牛の声もしてきました。
「おや、まぁ。おや、まぁ。」
大きいおばさんはしりもちをついたまま声を上げました。
「なんてことでしょう。おや、まぁ。ここはあの絵の中じゃないかしら。」 
大きいおばさんはゆっくり立ち上がってお尻のほこりを払い、えんじ色の帽子を拾ってかぶり直しました。ハナコは相変わらず嬉しそうに元気いっぱいに草原を走り回っています。時々大きいおばさんの方を見てワンワンと吠えながら。
大きいおばさんはさっきから向こうの小川の橋が気になって仕方がありませんでした。

「小さいおばさんが来るまで、ちょっとお散歩してましょう。あの橋の所までね。」 
そう言って歩き始めました。足元はシロツメクサが膝まで伸びています。ハナコがその上をジャンプしながら付いてきました。その橋はとても古い木の橋で、橋の縁には草が生えていました。手前の柱には何か字が書いてありましたが、古いのでよく分かりませんでした。低い手すりは大きいおばさんが腰をかけるのにちょうどいい高さでした。
「なんて気持ちのいい所なんでしょう。」
 
小さいおばさんはびっくり仰天。大きいおばさんとハナコちゃんがいきなりピョンと飛び上がったかと思ったら絵の中に消えてしまったのです。慌ててその絵の前に駆け寄りました。
「大きいおばさん、この絵がよっぽど気に入ったのだわ。エミー、私達も行ってみましょう。」
小さいおばさん達も同じ様にピョンと飛び上がって絵の中に入ってしまいました。

「あら、あら。何て気持ちの好い所かしら。さて、大きいおばさんは何処かな。」 
 エミーは、遠い先祖の生まれ故郷イギリスの草原を思い出したかの様に、嬉しそうにクンクン鼻を鳴らし、駆け巡ります。
やっと、小さいおばさんは、小川の橋で休んでる大きいおばさんを見つけました。
「おまたせ。おまたせ。」
二人は久し振りにおしゃべりに花をさかせます。二匹の犬達も懐かしそうにじゃれ合い、走り回ります。 のどかな草原を話に夢中になって歩いているうち、
「なんだか、喉が乾いちゃった。」
「そうね。お腹も空いてきたわ。」
二人は、ちょっと立ち止まりました。爽やかな風が、汗ばんだ二人の頬を心地よく撫でます。大きいおばさんが丘の向こうの赤い屋根を指して、
「あそこで、聞きましょう。」

そこは、酪農の農家でした。牧場ではブッチーと同じ牛があちこちで、牧草を食べたり思い思いの格好をして寝そべってます。エミーは又ちょっとやな気がしました。 ちょうど家から青いスカーフで髪を纏め、チェックのブラウスにジーパンの奥さんが出て来ました。
「あのう、すいません。この辺りにレストランはありませんか?」
「そうですね。町にしかないですねえ。ちょっと遠いですよ。」
「困ったわねえ。」
「あっ、そうだ。もしよかったら、うちで召し上がりませんか。丁度今からお昼にするところだったんです。」
二人はご馳走になる事にしました。食卓にはもう、つなぎのズボンの御主人がパイプをふかしながら新聞を読んで待ってました。

「やぁ、いらっしゃい。どうぞ、どうぞ。」
なんと親切な優しい御夫婦でしょう。とっても美味しい食事でした。奥さん手作りの焼き立てのパンと、ほかほかのじゃがいものいっぱい入ったスープでした。おかわりまでしました。最後に甘くてみずみずしいオレンジをいただいたら、お腹がパンクしそうでした。
「美味しくて沢山頂いてしまいました。どうも、ごちそうさまでした。」
「何と御礼を申し上げていいやら・・・。」
「御礼なんてとんでもない。 」

暫く間をおいて、ご主人が言いにくそうに
「お願いがあるのですが・・・・。私たちの息子を捜していただけませんか?」
ご主人は続けます。
「ご承知のように私たちはこの絵の中に住んでいます。この絵は世界中の美術館を回って旅をしているのです。数年前のことです。ある美術館で展覧会をしているとき、私たちの息子は隣りに飾ってあった絵の中の娘さんに恋をしました。そしてこの絵を飛び出してその娘さんの所に行ってしまったのです。今その絵はどこにあるのか分かりません。もし、その絵を見たら、もし息子に会ったら、便りをくれるように頼んでくれませんか?」
「まぁ、それはお寂しいことでしょう。でも私たちに息子さんを捜せるかしら。あなたの息子さんってどんなお顔なんでしょう。」
大きいおばさんは聞きました。小さいおばさんも続けて訊ねました。
「息子さんの恋した娘さんってどんなお顔なんでしょう。」
ご主人は笑って言いました。
「なあに、すぐに分かります。息子は私にそっくりです。」
奥さんもきれいな金髪をなでながら、ほほの辺りをぽっと赤らめて言いました。
「娘さんは私の若いときにそっくりです。」
大きいおばさんと小さいおばさんは顔を見合わせてにっこり笑いました。

しばらくの間、二人を見ていた小さいおばさんは言いました。
「ねぇ、大きいおばさん。きっと私たちこのお二人の息子さんを見つけられるわ。だってこうして時々私たちは展覧会に来るんですもの。」
「ええ。きっとね。」
大きいおばさんも頷いて言いました。
「エミーとハナコが手伝ってくれるわ。」
大きいおばさんは窓の外に目をやって、相変わらず草の中をかけまわっている二匹の犬達を見ました。ご主人はパイプの中の最後の煙を吐いてパイプをテーブルの上に置くと暖炉の前に行き、その上に置いてあった小さな箱を持ってきました。奥さんがふたを開けると中には赤いボタンが一つ入っていました。
「このボタンは息子を引き留めようとした時にちぎれたシャツのボタンです。これを持っていってください。」
と、奥さんはちょっと悲しそうな顔で言いました。小さいおばさんはそのボタンをハンカチに包んでジャケットのポケットにしまいました。二人のおばさんはそのご夫婦にご馳走になったお礼を言うと、エミーとハナコを連れてもと来た道を引き返していきました。
「さぁ、ハナコ。美術館の入り口はどこなの?」

さあ、大変です。美術館に戻った二人のおばさんは、絵から絵に走る様に目を移し、絵の中のそれらしい若いカップルを捜しました。エミーとハナコも手伝います。しかし、この会場にはありませんでした。同じような展覧会が東京駅の近くのデパートでも開催されてます。一行は地下鉄に乗ります。エミーとハナコは暗くてゴーゴー音のうるさい地下鉄は初めてだったので、恐くて二人のおばさんの足元にちぢこまってました。そのデパートでも見つかりません。もうくたくたです。
「家に帰って、美術全集で捜してみるわ。」
「私もインターネットで調べてみましょう。」
大きいおばさんはパソコンが得意です。
 
小さいおばさんはやっと最終のバスに間に合いました。
「随分遅かったですね。お疲れ様。」
運転手の木村さんが声を掛けてくれます。小さいおばさんとエミーはバスが動き始めると、ぐっすり眠ってしまいました。

次の日、小さいおばさんはいつもの新聞も読まないで、早速美術全集を出してきました。そして、昨日入ってしまった絵は、フランスの有名な画家の作品だったので、その画家の一冊から捜し始めました。あのご夫婦に似たカップルならきっと同じ画家の絵だろうと考えたのです。注意深くみていきます。終りに近づいた頃、見開きのページいっぱいにお祭りの踊りの絵が載ってました。みんな楽しそうに踊っています。あったのです。その右端の奥にあのカップルが踊っているのです。若者のシャツのボタンを、預かってきた物と比べてみました。間違いありません。それに一番下のボタンも取れてます。小さいおばさんは直ぐに大きいおばさんに電話しました。その絵が今何処にあるかインターネットで調べてもらおうと思ったのです。

二人のおばさんは頭を突き合わせて、長い長い手紙を書いてます。絵の展示してある美術館が分かったのです。スイスのアルプスの麓の高原美術館でした。最後にボタンを入れて封をしました。二人はほっとして、熱い紅茶を入れました。部屋いっぱいにヨーロッパの香が漂います。新緑の木漏れ日が眩しい昼下がりでした。ツバメが瞼をかすめて軒下に消えます。 エミーとハナコは四肢を思いっきり伸ばして、テラスで寝込んでます。風のそよぐ微かな音と鳥の囀りだけの、静かでのどかな午後です。まるで時が止まってしまったかの様でした。
「行ってみたいわね。」小さいおばさんが、ぽつりと言いました。
「ええ。行ってみたいわね。きっと行けるわ。」


          お わ り


一九九六年五月十二日完結

作者プロフィル
大きいおばさん 千葉県千葉市在住
小さいおばさん 東京都あきる野市(旧秋川市)在住
二人は高校時代の親友で、このお話はパソコン通信の電子メールをリレーして作りました。


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