ザッツ9 「囲碁・将棋」とコンピュータ コンピュータがチェス名人に勝利したが 2001年2月19日

何時だったか、「チェス」の名人がコンピュータに負けたとの記事が話題になったことがある。日本の将棋・囲碁もいずれはコンピュータに負けるときがくるのであろうか。

「将棋」と「チェス」との大きな違いは、捕った駒を有効活用できる点である。この点だけでも「無限に近い手」(有限なのだが、事実上の無限)があるし、そもそも、「わざと駒を捨てる手」があり、また「成らない手」(金成りを敢えてしない手)もあり、コンピュータのソフトに組むことは容易ではないだろう。「チェス」がコンピュータに負けた理由は、「捕まえた駒」はそのままという点にこそあるのではないか。

「囲碁」はどうであろうか。将棋とは違い、ルールは、たった2つしかない。第1のルールは、19×19の交点に、黒・白交互に打つこと。第2に「劫」(コウ)の場合、ほかに打ってから取り返すことの二つしかない。しかし、ひろい盤上の交点の組み合わせだけでも「無限に近い手」があり、これまた困難だろう。しかし、もしかしたら、ルールが簡単だから、「囲碁」の場合、コンピュータに負けることがあるかもしれない。

一方、「詰め将棋」や「詰め碁」は、コンピュータ・ソフト化は可能だろう。これは、「必ず詰めることができる」ルールで作られているからだ。

では、将棋の「定跡」や囲碁の「定石」はどうであろうか。「覚えさせる」(入力する)だけなら、ソフト化は可能だろうが、しかし、「定跡・定石」は、「部分だけの最善のやりとり(「最善の」というところが大切。定跡・定石も変化するのだ)」に過ぎず、全体の流れの中でしか、それが最適であるかどうかわからないという。部分・部分はソフトに組み入れることは可能であり、この点、人間様の脳みそより、はるかに多いデータをコンピュータは記憶できるが、全体の中で、ある「選択」をする能力は、本来アナログの世界であり、コンピュータには、所詮無理なのかも知れない。組まれたソフトは、どんなに高度であっても、ソフトである限りは「ある限界(制限)」を持っている。その「限界」を打ち破る能力は、やはり「脳」ではないだろうか。

 

ザッツ談の部屋に戻る