ザッツ10 「アメリカン・エクスプレス」と「データ」 「データ」とはなんぞや・・・ 2001年2月22日

僕のカードは「アメックス」。「どうだい、すごいだろう、かっこいいだろう」という気持ちは全くない。このカードを選んだのは同僚の「外国旅行の場合は特典がすごいよ」との「アドバイス」があったからだ。確かそのとき「ステイタス・シンボル」という言葉もあったが、当時は、とにかく、カード世界はチンプン・カンプン。また「カードの審査」が厳しいと聞いていた。僕は、パソコン通信に必要であったので、とりあえず申し込みをしたのである。平成6年にパソコン通信(ニフティ)と契約を結ぶためのカードが必要だったに過ぎない。

ある日のこと「短気太郎さんいますか」との電話があり、会計は僕への電話と思い、僕に電話を直ちに回した。「こちらアメリカン・エクスプレスです。このたび『短気太郎』さんから、カードの申込があり、その審査の電話です」という。僕は、「ああ、そうですか。僕が短気太郎ですが、なんなりと聞いてください」と言うと、アメックスのオペレータは、ビックリして、「それはまずいです。経理・人事の担当をお願いします」と言った。こっけい話でないか。いずれいせよ、僕は、無事「厳しい審査」を軽々と通過して、パソコン通信専用カードを手に入れたのである。それにしても当時の僕は、ずぶの素人であった。年会費1万円。これは高いことをずいぶんあとから知ったぐらいだ。しばらくして、待望の「カード」が職場に届いた。

その後、すぐにアメックスは、僕にダイレクトメールを送ってくるようになった。上質の封筒に入れられたメールであった。驚いたことに「高級腕時計」(2000万円を超える価格がついていたと思う)や「宝石」(これもウン千万円単位)の類がズラズラ。もらった僕には、別世界のことであった。何年かは、ニフティの固定料金のみの利用だけであった(月額200円+消費税)。年会費1万円は、相当の赤字であった。もったいないと思った僕は、今から4年近く前ごろから、ゴルフをはじめ、プレー代をカード決済するようにした。するとどうだろう。アメックスは、「アウトドア」のダイレクトメールを送ってきた。また、「クリスマス・ケーキ」(切り株の格好をしたもので、西欧の正式なものらしい)を注文したら、「高級ホテルのブランド物」(高いのであるが、手は届く価格)のチラシがくるようになった。また、パソコンを購入、カード決済したら、「OA」関連商品のチラシがくる。実に「機敏」な反応ではないか。もっとも単純なことではあったが・・・。また、ある日のこと、実にかわいい声で「会員の皆様に特別の損害保険を販売、それに加入を」という若い女性からの電話が入った。僕はそのとき、とても充実感あふれる精神状態であり、いとも簡単に「ああ、いいよ」と快諾してしまった。折から、「金融ビックバン」がキーワードとなり、生損保の垣根が取り外されようとしているときでもあった。巨艦生保会社に対する風当たりが激しくなるとともに、何故か、「外資系」生保が注目を浴びてきた。このような世情の動きをも念頭にいれ、アメックスは、その後、本命の(はじめは負担が軽い、損保商品、月980円の掛け金である)生命保険商品や金融商品まで送りつけてくるようになった。もちろん、外資系損保会社であった。

今、僕はながながと、アメックスのダイレクトメールについて触れたが、ここには、「デジタル情報化社会」とは何かを考えるヒントがあると思うアメックス側は、僕の「基本データ」(年収・年齢・職種・家族等)を「申込書」に書かせて、「厳しい審査」をしてカードを発行している。その後、カード決済された「商品等」のデータから、「個人の消費傾向」を把握し、その関連商品のダイレクトメールを送ってくるのだろう。この「個人の消費傾向」には、当然、世情(「普遍」的?)が反映しているはずであり、「過去のカード決済」(僕が「買う」という行動にでたこと)には直接あらわれない「あらたな関心」をターゲットに、「購買意欲」を発掘するのだろう。ここでは「僕」という生身の人間が「データの集合体」と見られている。僕が「カード」を使えば使うほど、僕に関するデータは「充実」していくと言える

そもそも、「僕」という人間は、喜怒哀楽の感情を持ち、好き嫌いもある。また「変な癖やひそかな欲望」(?)も持っている。でも、まあ、いってみれば、そこらへんにいる、「ごろごろした一人の生身の人間」(存在)に過ぎない。「ごろごろとした」存在と言えば、目の前のコップ、皿も同じである。それらは、色や形、重さ、デザインなどを持っている。人であろうと、物であろうと、「現実の存在」は、言ってみれば「アナログ的な存在」であると僕は思うつまり、色や形を単に寄せ集めたものではないだろう。ところが、「僕」が、「男なのか女なのか」「身長・体重は」「趣味は」などなど、いろんな角度(目的)から、「データ」を取り始めると、「僕」はいつのまにか、「データの集合体」となってしまう。デジタル社会では、これらの「データ」を数値化し、様々な目的に加工するのである。「男・女」は、ある意味では「二者択一」であり、数値化になじみやすい。また、身長・体重も、本来「数量化」されたデータである。

では僕の「変な癖やひそかな欲望」は、どうであろうか?数値化が可能であろうか?人間の欲望をつかさどる脳みそは、「脳幹」(かってカール・セーガンは名著の『コスモス』のなかで、この脳みそを『ハ虫類の脳』と言っていた)であるらしい。人類の脳みその一番奥深いところらしい。その脳幹に潜んでいる「変な癖やひそかな欲望」は、理性の脳である「前頭葉」との「激しい戦い」の結果、「理性」に打ち勝ち、「むくむくと顔を出す」。その時が「チャンス」となる。「むくむくと顔を出す」とは、「物を買う」行動かもしれないし、「店に入る」行動かもしれない。もうおわかりだろうが、どんな「物」なのか、どんな「店」なのかがポイントとなるわけである。それが「変な癖やひそかな欲望」の実体を垣間見る「データ」になるのかもしれない。そこで得られた「データ」をどう数値化するかは、「マーケット・リサーチ」(市場調査)の分野で、戦後目覚しく発展したことであった。

アナログ的存在である、この「僕」が、「デジタル情報化社会」の今を「生きていること」は、、様々な「データを残していること」に等しいのかもしれない。その「生きた痕跡(データ)」の中には、「ある目的」を持った『収集屋』が、「喉からよだれがでるほど欲しいデータ」が含まれているかもしれないのである。「データ」とは何か?を考えているうちに、僕は「不安」になってきた

 

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