2:赤い翼

 

 カイト達の参加した作戦は一応の成功をみた。帝国軍の追撃はある程度鈍り、共和国軍は無事ミューズ森林地帯を越えることが出来たのだ。

「まあ、何はともあれ生き残ることが出来たのはよかったな」

 基地内のバーで二人は軽く飲みながら談笑していた。

「ああ。またリースに会える」

 カイトの科白にラルグは小さく苦笑する。

「何だったら、休暇を取って妹さんに会いに行ったらどうだ?」

 揶揄するような口調だったが、言われた方は6割方真面目な表情で考え込んだ。カイト・ディーグはエウロペ出身であり、基地よりそう遠くない街に生家がある。彼が共和国軍人として戦うのは故郷と家族を護るためでもあるのだ。

「そうだね、共和国軍の撤退はほぼ完了し、一方帝国軍の兵站は苦しい状況にあると聞く。今暫く出撃する機会は無いかもしれない」

 一人で頷いている。ラルグは何か言いかけ、グラスを傾けてそれを喉の奥に押し込んだ。

「それはそうと聞いたか、“赤い翼”の話を」

 さりげなく話題を転じる。

「先の作戦で、我が方に壊滅した部隊があった。そいつらが戦った相手だ」

 カイトがグラスを指で弾く。

「旧ゼネバス出身者で構成された赤いレドラー部隊らしいね」

「精鋭だ。もし戦場で連中に遭遇したら、お前はどうする?」

「すっ飛んで逃げるさ」

 カイトは即答した。やや冗談めかしてはいたが。

「三機一体戦法はあいつらには通用しない。だとすれば、俺達が勝てる理由はない」

「同感だ。だが、まさか見かけ次第作戦を放棄して逃げるわけにもいかんがなあ」

 

 グラム湖畔のガイロス帝国空軍基地。

「隊長、隊長っ」

 整備工場の脇に佇む壮年の男に駆け寄る若い兵士の姿。

「おう、どうしたシュミット少尉」

 まだ幼さの残る少尉はやや緊張した面持ちで敬礼した。

「司令官がお呼びです」

「司令官、がね。ま、何の用かは想像がつくがねェ」

 隊長と呼ばれた男はニヤリと笑うと、おもむろに歩き出した。少尉もそれに続く。

 共和国軍とは別に、帝国軍の方にも優秀なパイロットは存在する。中でも異彩を放っていたのは、ゼネバス帝国を彷彿とさせる赤いレドラーで編成された部隊であろう。

 “赤い翼”と呼ばれる彼等はゼネバスカラーのレドラーを駆ることを誇りとし、その赤い集団は共和国のパイロットを視覚的にも恐れさせた。

 そして、その精鋭部隊を率いる闘将がこのゲオルグ・クルーゲ少佐である。敗残者として白眼視されてきた彼らゼネバス残党は、現状を打開するため進んで軍籍に入り戦場では常に先頭にたって勇敢に戦った。そんな彼らをひとつの部隊に編成し専用カラーの機体を与えたのは、軍上層部の温情でなく士気向上を期待しての処置であったが、クルーゲはシニカルな笑みを浮かべつつ部下をよく統率し大きな戦果をあげていた。

「クルーゲ少佐です」

 彼は少尉を伴い司令官室に入る。紫煙の香りが鼻についた。見事な口髭をたくわえる軍人が形だけは落ち度ない敬礼を返した。

「よく来てくれた。かけたまえ」

 やや尊大な口調で椅子をすすめる。クルーゲは口調のことは意に介さず着席した。

「貴官を呼んだのは他でもない……」

 どうももったいぶっているな、とは後ろに控えるシュミット少尉の内心。

「先日共和国軍がわが軍勢に仕掛けた遅滞攻撃のことだ……あれは言うまでもなく撤退のための時間稼ぎであり……」

「その目論見は成功しましたな」

 愛想のない言い方だった。司令官がピクリと口髭を震わせたが口に出しては何も言わず続ける。

「……先日、わが軍が共和国軍の驚くべき情報を手に入れた」

「ほう」

「デルポイ大陸から主力部隊が増援に来るそうなのだ」

「本国を空けてまでですか!こいつは大した判断ですな!」

「少佐、貴官はまるで楽しんでいるようにも見えるが」

 愉快そうに笑うクルーゲに司令官が苦言を呈した。

「たった一度の人生なのです。いっそ戦争を楽しむくらいの図太い神経があってもいいじゃありませんか、司令官殿?」

「不謹慎だとは思わんのかね。オリンポス山で名誉の戦死を遂げたスコルツェニー少尉などは真剣に軍務に取り組んでたらしいというのに」

 スコルツェニー少尉とは、オリンポス山の争奪戦でハルフォード中佐(アニメに同名の軍人がいるが別人である)率いる共和国第二独立高速戦闘大隊と交戦し戦死したセイバータイガーのパイロットのことである。彼は旧ゼネバス人でもあり、乗機のレコーダーには出自に対する思いが録音され、同郷人に少なからぬ感慨を呼び起こした。

 ここでスコルツェニーの名を出したのは、積極的な悪意がないにしても両者の間に隔意があったことの証左というべきであろう。事実、基地司令官パイパー准将には無自覚ではあったがクルーゲら旧ゼネバス人を格下とみなす心理があり、一方クルーゲ少佐の方でも司令官に最低限、職務上の「司令官」という地位に対する敬意しか払っていなかった。

「……まあよい、貴官を呼んだ本題に入ろう……」

 煙草に火をつけ司令官は軽く咳払いした。

「このまま無駄に時間を推移させれば共和国の陣容は格段に強化される。本土の主力のほかにも、新型機も配備されるそうなのだ」

「ブレードライガーとストームソーダーですな」

 頷く司令官。

「そうだ。特に、ストームソーダーについては直接我々とも関わってくる。……どうだ、レドラーで勝てるかね?」

 クルーゲ少佐はやや首をかしげると、やがて臆面もなく言い放った。

「レドラーでは勝てんでしょう。双方ともに一撃離脱の接近戦を得意とする以上、スペックが上の方が強いのは明らか。加えて、あちらには火器が標準装備されている……」

 もっとも、レドラーにも火器を取り付けたタイプは存在する。現にクルーゲ麾下の部隊はコックピット下に小口径の機銃を取り付けているのだ。

「まあ、あのような高性能機を数多く生産できるとも思えませんが……何より、乗り手を選ぶ。……おっと、これは我等がレドラーも似たようなものですな……」

 司令官は苦い表情で数回首を左右に揺らすと、また口を開いた。

「貴官の言うとおりだ。そこで、こちらの態勢が整い次第先制しようと思う」

「つまり?」

「敵の空軍基地を叩く。敵の態勢が整う前に崩す。これは、軍全体の意思でもある」

「成る程。で、小官はどうすればよいのでありますかな?」

 司令官の指が地図の上を滑る。グラム湖からミューズ森林地帯を越え、ロブ平野で止まった。

「ベクタ空軍基地だ。ここを地上部隊で攻撃する。貴官は上空で敵航空部隊を排除してもらいたい」

 クルーゲ少佐の頬に不敵な笑みが浮かんだ。彼が勇敢で有能な軍人であることは司令官も認めている。少佐は流れるような手つきで敬礼をほどこすと、くるりと踵を返し颯爽と司令官室を去った。緊張のため頬を高潮させている若い少尉がそれに続いた。

 

「うぇっ……おげーっ」

 路地裏で嗚咽を漏らす青年が一人。

「ぐっぷ……飲み過ぎた……ぅえ」

 側で体格のいい男が苦笑いを浮かべている。こちらは平気な顔で缶ビールを手にグイグイやっていた。

「情けねぇ……我等がエースも形無しだなぁ、オイ」

「ぅ……からかわないでくれ……俺は弱くない。一晩ハシゴして気分が悪くならないお前の方がおかしいんだ」

 大男の方が空を見上げる。辺りはまだ黒いブラインドの中にあったが東の方はかすかに白み始めていた。そう、カイト・ディーグとラルグ・ノーツは一晩中飲んでいたのだ。

「せっかくの休みを飲み過ぎて体壊して潰してしまったらどうするんだ……」

「せっかくの休みだから浴びるように飲むんだよ」

「一人でやってくれよぉ……ぷ……ぉぅっ……おえーっ!」

「つれないなあ。トモダチだろうって、うわ!汚ねえ!」

 ついに吐いた。

「……しょうがねえ野郎だ。歩けるか?妹さん心配してるぞ」

「……一晩連れ回…したのは……誰だい……」

「今頃お前を捜して歩き回ってるかもなぁ」

「……いや、最近…治安が悪くなって……いるから家にいる…ように言ってあるけど……それは困…る」

 その時である。謀ったようなタイミングで少女の声が耳に飛び込んできたのは。それは、さっき吐いた青年の名を連呼していた。カイトとラルグは気まずそうに顔を見合わせた。

「……噂をすれば影だね……カイトお兄ちゃん」

「うぬれがお兄ちゃん言うな、気持ち悪い」

 よろよろと立ち上がるカイト。彼は赤子のような頼りない歩調で声のする方へ歩き出した。ラルグも苦笑しながらそれに続く。まったく、こいつと居ると飽きることがない。そう内心で呟きながら路地を抜けようとすると、カイトを探し求める声のトーンが変わった。

「……な、なんなんですか貴方達はっ……いや、放して下さいっ」

 と、同時に数人の酔っぱらったような男達の声。

 聞いて顔色が変わったのはカイトである。まさに、急変と言う言葉を事象化したかのような変化であった。ラルグには微速度撮影でもしたかのようにカイトの表情が硬化したのが面白いほどよくわかる。

 一気に酔いが醒めたのかはじかれたように駆け出す「お兄ちゃん」。程なくして、鈍い音と短い悲鳴。

 走ってかけつけたラルグが見ると、少女をかばうようにカイトが立ち、数人の男達と対峙していた。

「てめぇ、何しやがんだ!」

「カイトお兄ちゃん……」

「見ての通りに、殴ったのだ」

 会話になってないが、それが男達を刺激した。激高して罵声を浴びせながら襲いかかってくる。

 男の拳が繰り出される。しかし、カイトは身を沈めそれをかわし、次の瞬間顎の下をしたたかにアッパーカットで殴りつけた。

 後方から別の男が襲いかかる。彼の攻撃も一瞬前にカイトの頭があった空間を振り抜けただけだった。均整のとれた肉体を完璧にコントロールした青年はくるりと体を半回転させ拳の裏で男を殴り倒す。

「……やれやれ」

 上着を脱いでラルグも参戦した。カイトのみに気を取られている男に、太い腕をぶつけ空中を数メートル飛行させる。

 殴り合いはすぐに終わった。カイトは騒ぎが大きくなる前に妹とラルグを連れ帰宅した。

「お兄ちゃん、ずっとどこ行ってたの」

 帰宅後開口一番非難を浴びせられたカイトは、無言でラルグを指さした。

「いや、すまねえリースちゃん。俺が連れ回したんだ」

 事実その通りなのだから主犯としては弁解の余地はない。それを聞いたリースは数秒の間を置いて硬かった表情を軟化させた。

「……うーん、まあいいよ。ラルグさんに免じて今回は赦してあげる」

「どういう理屈だか」

「言葉通りよ。私、紅茶を入れてくるね」

 ほどなくして芳潤な香りが部屋を満たす。簡単な菓子も出され、時刻未明だというのにゆったりとした雰囲気のティータイムが形成された。

 カイトが角砂糖を紅茶に入れながら妹に問いかける。

「どうだリース、近頃はこのへんも治安が悪くなったようだが」

「うーん、お兄ちゃんたちがいた飲み街は前より悪くなってるね。でも、このへんはそうでもないよ」

「ならいいが。呉々も気を付けろよ」

「うん」

「夜は外出するんじゃないぞ」

「わかってるって」

 ワッフルを口に運びながらラルグが笑った。

「心配性だねえ。リースさんしっかりしてるから大丈夫じゃねえか」

「さっき酔っぱらいにからまれていただろう」

「あれは、お兄ちゃんが帰ってこないから……」

 そこまで言って、リースとカイトの視線がラルグに注がれた。

「……すみません。俺が悪かったです」

 笑いに包まれるカイトの生家。基地にはない、暖かい空気。彼等はこれが好きだった。何故カイトが休暇の度に家に帰るのか、ラルグは改めてわかったような気がした。何気ない日常が、本当はかけがえのない存在であることを知っているのだ。軍人はいつ死ぬか分からない。まして、今は戦争中なのだ。カイトもラルグもさっさと冥府の門をくぐるつもりは毛頭ないが、本人の意思とは無関係に死んでいった戦友、強敵達を何人も見てきた。それだけに、このような時間を大切にしなければならない。日常を、生きている時を。

 

 数日して予定より早く二人の休暇は終わった。帝国軍が予想よりも早く攻勢に出てきたのだ。それも、大規模の。共和国本土からの増援が来る前にケリをつけようとしているのは明らかだった。

 こうして、カイト・ディーグ大尉とラルグ・ノーツ大尉は戦いの場へと戻っていった。日常から、非日常へ。いや、戦時中にあってはこの忌むべき状況こそが、日常であるのだが……。

 

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