The Encounter World 


「それでは、詳しい話はお伺いしたときに聞かせていただきます」
  通信を切り、黒崎 響は短く揃えた黒髪に指を差し入れて、こめかみを揉んだ。
  フリーのリブロイド技術者という肩書きを持つ黒崎にとって出張は日常茶飯事だったが、今回の話はあまり儲けになりそうもなかった。
  黒崎は元々リブロイドのデザイナーであり、その知識と技術は広範に及ぶ。店舗用リブロイドの調整から修理、改造、時には廃棄品のレストアも引き受けていた。
  リブロイドは先端技術の結晶であると同時に、人間を模倣するという歴史の集合体でもある。人間ほどではないが、長期に運用すれば経験と学習によって独自の個性を持つ。その多様性こそがリブロイドの良さであるが、同時に予期せぬエラーを起こすこともあった。そのため定期的なメンテナンスが欠かせないが、改造品やレストア品はメーカーのサポートを受けられず、代わりに黒崎のようなフリーの技術者に仕事が回ってくる。
  依頼人は面識のない客だった。インフォメーターを介しての仕事ではない。聞けば、ずっと以前に黒崎の請け負った客からの紹介だという。こういった経路からの依頼も最近増えてきていた。相手はずいぶんと狼狽した口ぶりだったが、問題の品は仕様を聞く限りは無改造のオリジナルのようだ。それなのにメーカーのサポートではなく、民間の技術者である黒崎が呼ばれた理由はわからない。
  腕を見込んでのことならばいいのだが、と頭の片隅で思いながら黒崎は症例に立ち会うことにしたのだった。

 雫の運転でアナトリアの住宅街へと向かう。
  アオザイに似た漆黒のボディスーツに身を包んだ雫は、護衛用リブロイドをデチューンした駆体であり、公私を共にする黒崎のパートナーだ。端整な顔立ちと風になびく長髪がモデルのような雰囲気さえ紡ぎ出しているが、人目を惹く美貌でありながらその表情は変化に乏しく、陶磁器の仮面を思わせた。
  オープンカーの後部は折りたたまれた簡易メンテナンスベッドで占められている。簡易ベッドにはリブロイドのための予備電源、端末用の端子、それから空間投影式のモニター装置が内蔵されている。駆体チェックのために必要な機材は雫に内蔵されている物だけで十分まかなえるため、軽量化のために持ち運びはしていない。調整ならその場でこなせてしまうこともあるし、大がかりな機材が必要なら自宅のラボに持ち込む方が作業しやすいからだ。
  螺旋状になったハイウェイを上りながら、黒崎は混沌とした都市区画に目を向ける。
  眼下の雑多なビル群は、上層からの廃品や流出物でけばけばしくデコレートされている。良い物は上へ、粗悪な物は下へ。
  大破壊と呼ばれる地球規模災害によって数十年にわたり地下生活を続けてきた人類も、人口の安定化と技術の進歩により生活圏を拡張しつつある。階層はそのまま社会階級の象徴となり、富と地位のある者はより快適な環境を望んで地表を目指す。
  ジオフロントを再開発し、下ではなく上へと拡張されることで発展してきた都市国家アナトリアも、他都市と同様に下層ほど地位が低く地表に近い層ほど裕福な階級社会を形成している。黒崎が向かっているのは中層よりやや上、個別の住宅をもてる程度には裕福な地域だった。
  ある程度普及しつつあるとはいえ、家庭用のリブロイド自体がまだ高価な物である。必然的に黒崎の顧客はこの辺りから上の層が多い。
「もう少し収入が良くなったら、これぐらいの所には住みたいわねえ」
  端末から顧客の住む地域のマップを見て嘆息する。安定した治安。管理された気候。人工だが、しかし十分な光量と色彩を持つ空。成功のステータス。憧れないはずがない。 
「現在の預金額と銀行からの借入も考慮すれば不可能ではないと思われます」
  雫は正面から視線を動かさずに答えた。
「貯金を全部はたくわけにはいかないでしょ。ローンは出来るだけ避けたいわ」
「収入から換算すると目標額まであと17年です」
  雫が現実的な回答で空想にひびを入れる。
「夢も希望もない試算をありがと」
「お褒めいただき恐縮です」
「褒めてないわよ」
  わざとなのか、本気でそう言っているのか判別がつかないが、雫との会話はどこかずれた物になりがちだ。会話用のライブラリを刷新すれば改善できるのかも知れないが、黒崎はあえてそうしていない。これが雫の『個性』であると信じているからだ。黒崎自身、このやりとりを楽しんでもいた。
  隔壁も兼ねた人工地盤をくぐり抜けると、風景が一変した。
  飾り気の少ない建物の数々。碁盤の目のように整理された都市。白を基調とし、明確な目的によってデザインされた町並みは見る者に文化的洗練を感じさせる。
  貧富の差がそのまま階級となって存在する現実。しかし、どこもかしこも白一色で過剰に演出された清潔感は、病的な潔癖さも感じさせた。
  多様性の感じられない、管理された区画。この階層に住みたいとは思うが、この区画に住むのは御免だな、と黒崎は思った。
「もうすぐ到着です、マスター黒崎」
  ハイウェイから降りて速度を落とした雫が言った。
「ラボに持ち込むほどの事じゃないといいけど」
「依頼人からの話では、異常動作のまま復旧しないとのことでした」
「どちらにしても中身を見ないとはじまらないわね。メーカーのサポートでなく私の所に話が来たことは少し引っかかるけれど」
  後になって思い返してみれば、何かの予兆だったのかも知れない。
  しかし黒崎がそう考えたのは、ずっと後になってからだった。

 依頼人の家はこの地域ではさして珍しくないタイプの住宅だった。構造としてはプラットフォーム工法に近い。一部屋単位の強化プラスチック製ユニットを連結したセミオーダー型住宅。安価で防音、耐熱性に優れるため、この辺りの層には人気が高い。間取りや内装に気を遣わないのであれば特にだ。この区画の特徴なのか、外壁は白一色で統一され、外付けの様々なシステムを収めたユニットのカバーも白でわざわざ塗り直されている。その徹底ぶりと無個性さに、黒崎は病院のようなイメージを感じた。
  痩せて神経質そうな外観の男は、黒崎が着くや否や口角泡を飛ばしてまくし立てたが、黒崎が無表情にそれを聞いているとやがて落ち着きを取り戻した。
  要約すると、アップデートした直後か、その直前辺りから何かから逃げるような異常な動作を繰り返しており、メーカーのサポートには連絡してみたが、故障のため駆体を交換するしかない、それではあまりに費用がかかりすぎるので黒崎の力で何とか出来ないか、という物だった。
  技術を評価してくれているのはありがたいが、難問でもあった。黒崎は魔法使いではないのだ。
  もちろん世の中には本物の魔法使いも存在するが、彼らにだって出来ないことはある。
  あらゆる修正プログラムをはね除け、改善の見込みがないとなれば原因は物理的な損傷。有機メモリの損壊としか思えない症状だ。有機素材のメモリはデータ的にも柔軟性を持った素材であり、そう簡単に破損したりするものではないが、それでも精密機器であることに変わりはない。メーカーの見立てはおそらく正しいだろう。
  そんな黒崎の予測は見事に覆された。
  リブロイド自体は機能していた。外観からの診断だが視覚も、聴覚も、触感センサーも全て機能しているのだ。にもかかわらず、リブロイドは機能していない。矛盾ではない。あらゆる機能は正常に作動していながら、振る舞いそのものが異常を示している。
  それは恐怖。
  黒崎が近づくと『彼』はその顔に明らかな恐れを浮かべ、壁に向かって後ずさった。何かを押しやるように手を振り回し、周囲のものを拒絶している。
「この症状はいつからですか」
「3日前からです。これ、まさかウイルスとかなんですか」
  依頼者のチャールズと名乗った男は狼狽した様子で言った。
「まだ何とも。有機メモリの物理的な損傷なら出来る限りデータをサルベージして新品に移し替えるという方法が採れますが、ウイルスの場合には根本的に除去しなければならないので、かなり大がかりな作業になるかも知れません」
  黒崎は立ち上がって答えた。件のリブロイドは腕を振り回す動作をやめ、うずくまっている。不可解な動きだった。
「リブロイドはウイルス感染なんてしないと思っていましたよ」
「有機メモリの防壁はかなり強固な物ですからね。基本的に自律していますから、外部からの侵入の機会も少ない。それでもネットワーク上から無理矢理割り込まれることはありますし、対策はとられ続けていますがウイルスの類も存在します。しかしこれは……」
  そこまで言って黒崎は言葉を切った。
  気になるのだ。この仕草。実際にそれを目にしたことはない。しかし技術者ならば一度は耳にしている噂だった。リブロイドの電脳をオーバーロードさせ、単一機能に落とし込み、あげく破壊してしまう物。
  感染すれば破壊以外の対策がとれない、最悪のプログラムの一つ。沈黙のDALIAと呼ばれるもの。
「手に負えない、と言うことですか」
  チャールズは苛立ちか不安からか、親指の爪を噛んでいた。それは震える口で舌を噛まないように指を挟んでいるようにも見えた。
「調べようにもこれでは埒があきませんので、内蔵の電源が落ちるまで待ちましょう。詳しいことは電脳を覗いてみないことには判りません。リブロイドは人に危害を加えないよう制限が掛けられていますが、それでも腕力は人よりもずっと強いですから、必要以上に近づかないようにしてください。出来れば、部屋にも立ち寄らない方が得策でしょう。私の方でも取り押さえることは出来ませんから、電源が切れた頃にもう一度引き取りに伺います」
  我ながら歯切れの悪い返事だった。 
  しかし、この場でそれ以上口にすることはばかられた。まだ確証はないのだ。
 
  3日後、再びチャールズの元に出向いてリブロイドを回収する。
  預かった駆体はメンテナンスベッドに横たえられ、停止している。万一のことを考え、駆体への通電はしないことにした。記録を見るだけなら主電源を入れる必要はない。暴れ出しても雫の力なら簡単に取り押さえることが出来るだろうが、破損させずにそれが出来る保証もない。
  駆体そのものは普及品で、特別な物ではない。仕様書に目を通すが、特別なオプションも無い。ハウスキーパー兼、秘書としての機能を持たせた、ありきたりな使用方法だ。それ故に引っかかる。もしこれが沈黙のDALIAと呼ばれるウイルスなのだとすれば、一体どこから感染したのか。電脳に探りを入れるのは感染経路が判ってからでも遅くはない。
  チャールズから示されたアクセス先のノードはどこも特別な物ではなかった。プライバシーに関わるため、全ての情報を開示したわけではないだろうが、そもそもネットワークを通じてやりとりするような作業はしていなかったはずなのだ。となると、感染経路は別の箇所にあるとも考えられる。
「雫、消されたログを引っ張り出して」
  メンテナンスベッドと黒崎を隔てるように座る雫に向かって命令する。
  ある程度の処理能力とノウハウさえあれば、消去したはずの記録を引っ張り出すことは簡単な作業だ。古い記録は断片化された上に上書きされてしまうが、リブロイドの状態から考えれば接続記録は直近の物のはずであり、全てが閲覧できることはないだろうが、かなりの量の物を修復して読み取ることが出来るはずだ。
「許可無しのネットワークログ閲覧はプライバシーの侵害行為に該当します、マスター黒崎」
  雫が抑揚のない声で警告する。
「感染経路を特定しないと、別に被害が出るかも知れないわ。消去されたログの中に感染源があったらどうするの。重要度Aよ」
  黒崎はまっすぐに雫の瞳を見据えた。
  雫が気圧されたようなそぶりはない。ややあって、やはり感情のこもらない声で静かに言う。
「マスター黒崎の重要度がどのように判別されるか私には理解しかねます。しかし命令とあれば私には拒むことが出来ません」
  命令とあれば、リブロイドは原則に反しない限りそれを実行するしかない。それは安全装置であり、潜在的に抱くリブロイドへの恐怖の裏返しでもある。多くの人間にとって、リブロイドは「ただのロボットでなければならない」のだ。
「公正かつ厳正に扱うから安心しなさい」
「人間は過ちを犯すものだと聞きました」
  そして、この切り返しである。雫の性格に皮肉屋の部分があるのは如何なる成長のためか。会話のためのライブラリの少なさもあるだろうが、雫の物言いは時折ひどくシニカルなものに聞こえる。
「自分の主人くらいは信用しなさい。漫才やっている場合じゃないのよ」
「私は極めて真面目に回答しているのですが――――お望みであればアクセスログの修復を開始、秘匿部分を展開します」
「アドレスを見つけても実際にアクセスする必要はないわ。データベースと照合するだけでいいの。引っかかりそうな物はある?」
  沈黙は数秒で済んだ。
「ありません。アドレスはすべて公に開示されているクリーンなデータベースです」
「となると、やはり直接電脳を調べるしかないかしら」
「解析するのでしたらブレイン・マシン・インターフェースをご用意します」
「今回は使わないわ。あなたも経由しない。端末を使うから、防壁のバージョンをチェックしておいて」
  立ち上がり掛けた雫の動きが止まった。僅かに首を動かして黒崎の方を向く。
「端末のみの作業は非効率と以前仰っていましたが」
  機器と脳を直結して作業できるブレイン・マシン・インターフェースは「視認」「入力」「出力」をタイムラグ無しで行えるため、作業速度は比べものにならない。長時間の使用は脳の知覚に狂いを生じさせ、データの逆流によって神経細胞の焼き付けを起こすリスクもあるが、それを差し引いてあまりあるメリットがある。
「効率はね。ただ、相手がもし本当にDALIAなら、電脳に潜ったりあなたを経由したりするのは危険だと判断すべきよ」
「理由をお聞きしてもよろしいですか」
「DALIAに感染したリブロイドの電脳は過負荷によって例外なく破壊されているし、未だに除去に成功したという話も聞かない。あなたに感染したら事態はもっと酷いことになる。それにDALIA自体は手を回せば手に入るという話は聞いたことがあるけれど、ネットワーク上でばらまかれているとなったら話は別よ」
  感染させる仕組みがあるのだとすれば、雫の接触は最低限にしたい。
「つまり、何者かが意図的に拡散させている可能性もあるとお考えなのですか?」
「考えというより、勘だけど。愉快犯なら都市管理局に通報して済むんだけど、情報テロなら話はもっとややこしくなる。世の中には、リブロイドの存在を極めて憎んでいる人間もいるわ。私には全く理解できないけれどね」
  万が一の失敗も犯すわけにはいかない。DALIAは人間で言えば触っただけで死ぬ猛毒と同じだ。何のために作られたのか全く理解が出来ない、悪意の産物だ。
  例外のない電脳の死。世の中には恐怖をエミュレートして自壊していくリブロイドの姿を見て悦ぶ変態もいる。DALIAが流通しているのは、そういう層に需要があるからだ。なんと言ってもリブロイドは物だ。彼らにとっては人間でその欲望を満たすことが出来ればいいのかも知れないが、犯罪は高くつく。リブロイドの電脳を使いつぶす方が安上がりだ。
  最悪の変態どもの慰み者になっている、と言うことを考えただけでもカッとなりそうになるが、自制する。自分が怒ったところで何も解決はしない。
「相手が正体不明の電脳破壊ウイルスなのだとすれば、長丁場になりそうね」
「ではマスター黒崎。先に食事をしてから、というのは如何でしょうか」
  雫の提案に黒崎は親指を立てて答えた。
「すっごく良い提案だと思うわ、雫」

 雫の手際は素晴らしい。
  目の前の食事はかつて、大破壊前のドイツという国で出されていた物を再現したものだという。雫のレパートリーは常に謎をはらんでいるが、腕前は完璧だ。
  鍋に入った乳白色のソーセージは茹でるのではなく暖めた程度の物で、甘口のマスタードが添えてある。パンは塩が効いており、由来はよく知らないが僅かに酸味があるのが特徴的だ。そもそもどこから材料を調達してくるのか。買い物のログは聞いた事の無いような店になっている。
  黒崎が教えたことはない。
「皮を剥いてソーセージを食べるっていうのも不思議な気がするけど、美味しいのよね」皮の中からスプーンで中身をすくい上げ、バターナイフで濃黄色のマスタードを塗りつけてから口に運ぶ。「雫はどこでこんな事を覚えてきたの?」
「ワーカーデトニクスの母体はかつてのヨーロッパの人たちが中心でした。あちらの郷土料理のレシピがライブラリに保存されていましたので、マスター黒崎の好みに合わせてお出ししています」
「私の好み?」
「はい。調味料の分量や甘さなどを変えています」
「なるほどねえ。何はともあれ、美味しい物を食べると元気が出るわね」
  黒崎は頷きソーセージの最後の一片を口に放り込んだ。
  由来はともかくとして、黒崎のやる気を補填するのにこれ以上ないくらいの選択だった。
  凄腕の家政婦という意味ではヤーン・イマジネーション・ドールズの高級機「エリザベス」に勝てる駆体はそう簡単には見つからないだろう。けれども、こと黒崎1人にとっては、雫の家事能力はエリザベスを上回る。生活を共にすることで黒崎のパターンと嗜好を把握し、それを活かす。経験はスペックを凌駕する。雫はその実証例だ。
  もちろん、この現象は雫に限ったことではないだろうし、エリザベスだって共に暮らしていれば雫以上のことが出来るかも知れない。アーキタイプの変化と共同生活によるライブラリの変化は研究テーマとして面白いかも知れないな、と黒崎は思う。
  雫に後片付けを頼み、引き取ったリブロイドと向き合う。
  メンテナンスベッドに置かれたリブロイドは点検のためにいくつかのハッチが開け放たれていた。
  念のため、四肢も取り外してある。バッテリーには充電せず、電源は外部供給のみ。胴体と頭部のみの姿は不気味な物だったが、今の黒崎にはそのような生理的嫌悪さえもかき消す緊張感が満ちている。
  端末に電源を入れ、リブロイドにも通電を始める。
  投影式のキーボードからの入力で必要なツールを立ち上げる。リブロイド解析のためのツールの他、別々のメーカーの防壁が三枚。黒崎が独自構築した防壁が一枚。防壁を展開すれば相対的に処理速度は遅くなるが、計4枚の防壁はリブロイドの有機メモリからの逆流や侵入を確実に防ぐ。通常はブレイン・マシン・インターフェース使用時に脳の焼き付けを防止するための物だ。
  本来ならこれに雫の電脳を含めた5台の制御機器によるリアルタイムサポートがつく。
  リブロイドの行動を規定する最深度のプログラム、アーキタイプへアクセスするとなれば最低でもそれぐらいの備えは必要だ。しかし今回は端末による表層の探索のみに留めるつもりでいた。
  有機メモリへとアクセスし、直接オペレーションシステムの中身を開く。
  防壁に反応はない。データの逆流はないようだ。
「なに……これ……?」
  絶句しか出てこなかった。
  エラーだ。奔流と表現するしかない、エラーの数。感覚器のほとんどを遮断しているにもかかわらず、外部からの過去情報を処理しきれなくなってオーバーフローを起こしている。スクリーンを流れていくグリーンの文字列の速度は視認できるようなものではない。
  外からの情報が膨大すぎるのだ。原因は判らないが、センサーからの情報量はログを眺めただけでも馬鹿げた数値を示している。それが立て続けに入力され、処理しきれなかった分は電脳の記憶領域に記録され、優先度を付けられて後回しにされる。処理を待つ情報が膨大に蓄積され、不可を掛け続ける。その間にも処理しきれない情報が入力され続け、ただ電脳を圧迫していく。
  これがDALIAの仕組みか。
  リブロイドの感覚器は全身に及ぶ。視覚情報はもとより、音響、感圧、自己診断のための内部情報といったものを必要に応じてモニタリングしている。それがフル稼働してこの負荷を生み出しているのだ。本来ならばそれはフィードバック制御のために部分的に用いられているもので、全てが稼働するということは考えられない。行動を起こすために周囲の環境をセンサーで探ることはあっても、それは瞬間的な物だ。常時稼動し続ければ、当然負荷は膨大な物になり、処理しきれなくなる。通常なら停止してしまうはずだが、DALIAはバイパスを自動生成するプログラムを悪用しているのだ。
  頭部外殻に守られ保護液に包まれているとはいえ、電脳そのものはデリケートな機器だ。ミクロレベルの欠損が生まれることも十分に想像できる。その回避策として組み込まれているのが欠損部位や遅延部位を迂回して関連づけを行うバイパスプログラムであり、本来は保険のための機構だ。それを、「負荷を低減させないため」に使っている。
  試しに重くなったデータを消去して処理の軽減をしようとしたが、瞬く間にデータの複製を行い、処理に回そうとする。データを消そうとすると、複製を同時に行うのだ。結果的に未処理のデータが増えていく。仮に駆動プログラムを修正しようとしても、元のデータをバックアップし、修復してしまう。その動きは自己増殖し、自己再生している様を思わせた。
  では恐怖の根幹は。
  データが多すぎる、ということとリブロイドが恐怖をエミュレートすることが結びつかない。
  恐怖に類似するようなデータを複製し、それが圧力を掛けている物と推測していたが、今のところその兆候は見られない。
  負荷を掛けるのはあくまで外部からの入力だ。データ量の増幅と削除の禁止、これがDALIAの正体なのか。防壁が反応していないと言うことは常駐する類のウイルスではなく、特定のサーバーにアクセスしたときだけ駆動プログラムを書き換えるような接触感染させるタイプなのか。アクセス先がクリーンであるなら、ネットワークを介在したものでない可能性はある。
  疑問は尽きない。しかし解決の糸口は見えてきた。
  情報量が大きすぎるなら減らせばいい。
  黒崎は一度端末をシャットダウンしてリブロイドの外部電源も落とす。
  ここから先は工作の時間だ。
「雫、工具を取ってきてくれるかしら」
「わかりました。電磁メスはどうしますか」
「ああー。そうね。一応持ってきてくれる? あと、あなたにいつも使っている外部式の冷却装置も」
「はい」
  プログラムの修正がおぼつかないのであれば、外科的な手段を用いて対処する。
  当然整備マニュアルにはない方法だ。黒崎自身も、かつてのままであればこのような手段を知ることさえなかっただろう。
  「バスター」アレン。天才と謳われたリブロイドの開発者。ワーカーデトニクスをはじめ、複数の企業でその手腕を発揮し、独特のアーキテクチャと開発思想は今なお多くの模倣を生むに至っている。 リブロイドの制御に生物的なアプローチを用いるのは誰もが思いつくアイデアだが、彼は人型の駆体であるリブロイドに節足動物の動作原理を取り入れるなど、奇抜な着想をいくつも実現化してきた。
  雫の関節機構にも従来のような人工筋肉が使用される一方で、その制御は外骨格生物に類似した物が用いられている。電脳は全体を統括するのみにし、基本動作は関節ごとに独立して制御される。雫の高い運動性と格闘性はその産物と言えるだろう。
  負荷がかかった部位をプログラム修正によって直すのではなく、データ量のコントロールをすることで訂正する。修正はあくまで電脳自身の回復機能によって行い、外部からは削減することのみ。
  風邪に罹った人間を、自己治癒能力を高めることで直すのと同じ原理だ。
  リブロイドを「機械」ではなく、擬似的であるにせよ「生物」として見ることで得られる手法。
  非効率な、と同業者は笑うに違いない。時間もかかるし、成功の確率は100%ではない。電脳への負荷も大きく、結果的に寿命を縮めることにもなりかねないだろう。
  だがアーキタイプが自己修復の手順を学習することは、この未知のウイルスに対して耐性を付けることになるのではないか、と黒崎は期待した。
  あれだけの量のデータを削除することを選択するならば、文字通り電脳を物理的に切り刻む他はないだろう。そんなことをして正常な動作が見込めるとは到底思えなかった。
  こういうときこそ助言が欲しい。DALIAほどの大物についての詳細な知識を得ている人間がいるだろうか。
  アレンがいれば、と思う。彼ほどの人物であればDALIAの研究も怠りはすまい。解決策でなくてもいい。糸口さえつかめれば。
  考えて、我に返る。答えは逃避の中には存在しない。不可解な出来事だったとはいえ、袂を分かった相手と通じ合えるはずもない。黒崎は黒崎自身の力で何とかしなくてはならない。
  マニュアル通りの対応が駄目なら、搦め手だ。アプローチの仕方は間違っていない。
  物思いに耽っていると、工具箱を持った雫が近づいて来た。
  右手には工具箱を、もう片方の手にはマグカップを持っている。
「コーヒーのサービス付きね」
「水分摂取を長時間されておりませんでしたので」
  雫は相変わらず事務的な口調で口を開いた。
「ありがと、雫」
  工具箱を足下に置いてもらい、インスタントコーヒーを入れたカップを受け取る。
  コーヒーの温度は控え目で、冷まさずに喉を通せる程度。味もやや薄め。それにほんの少量の塩。これが雫の導き出した「心遣い」の割合というわけだ。
  半分ほどを飲み下し、改めて工具箱をあける。
  まずはリブロイドの外装を剥がす。表皮と内装の隙間にへらを差し入れてはぎ取る。シリコン素材で出来た人工皮膚は、耐ショックのための装甲と放熱板、それからセンサーを兼任している。外装を全て剥がすことで外部からの情報を減らすのだ。
  そして視覚情報を手に入れるための眼球型カメラも取り外す。鼻を模したイオンセンサーも外す。解体作業の手前、リブロイドを人型たらしめる要素の排除。基礎フレームと電脳のみのシンプルな構成。過程を経て作業が終われば外部からの入力と呼べるものはほとんど無くなる。顔の部分は残してあるが、眼窩は空洞で鼻腔の内部もただの穴だ。
  外装を外すことで低下する廃熱能力は、途中で雫用の循環冷却システムを経由することで補う。冷却液の増加によって熱容量が単純に三倍になるため、フル稼働した電脳であっても十分にまかなえるはずだ。
  再起動を掛ける。
  案の定、膨大なデータの残滓を処理すべく電脳がフル稼働するが、インプットが無い分ただの消耗戦に落ち着いているはずだ。端末が示す負荷の量も限界一歩手前で推移している。高負荷による遅延も解析が済めば通常に戻るはず。データ自体もほとんどが意味のないものだ。学習効果が見込めれば、大半を無視するようになる。
  背もたれのロックを外して椅子をリクライニングさせる。
  倒した椅子に身を預けて深呼吸し、肩の力を抜く。
  うまくいけば時間が解決してくれる。
  黒崎は椅子にもたれかかったまま冷め切ったコーヒーを飲んだ。
  これで万事解決するとは思えないが、対症療法的に対応していけば、リブロイド自身の能力である程度は落ち着くはずだ。推測ではあるが、DALIAはアーキタイプに感染するタイプだ。 根治する方法が見出せない以上、最終的な解決は電脳の交換ということになるだろう。完全に元通りというわけにはいかないが、必要なデータだけサルベージすれば被害は最小限で済む。
  傍らの時計は作業開始から半日の経過を示していた。
  集中すると、時間の感覚がなくなる。一息つくと、疲労がどっと押し寄せてきた。汗やらアドレナリンやらの作用で肌がべたつく感じがする。雫に風呂の用意をさせて、とりあえず休もう。
  画面をずっと眺めていたせいで目もチカチカする。伸びをすると背骨がごきりと鳴った。
  神経質すぎるかと思ったが、雫をラボから遠ざけていたため、誰も止めに入らなかったせいもあるだろう。つい、のめり込んでしまうのだ。それを考えると、会話に微妙なずれがあるにせよ雫と自分は良いコンビだな、と思う。
  少し眠くなってきた。
  うつらうつらと夢とうつつの境界を彷徨いながら、漫然とリブロイドを見守る。
  眠りに落ちる寸前、廃熱システムが急稼働を始めた。慌ててディスプレイに目をやると、電脳の負荷を示す表示が限界値に達している。
  駆動部のほとんどを分解しているため大きな動きは出来ないが、各部のサーボモーターが異常な振動を発している。外部からの入力はほとんどないはずなのに一体何がおきているのか。何か別のプログラムが走っているのか。
  端末を開いて内部データを検索する。減少していたはずのデータ量は、環境データではなくアラートで埋め尽くされている。外部からの接触がないはずの電脳に何故。
  正体はすぐに知れた。脚部欠損、腕部欠損、視覚データ欠損、定期環境値入力不良、黒崎が取り外したあらゆるセンサーと部位に対するアラート。
  怒りにまかせてコンソールを殴りつける。
  恐怖のエミュレートの根幹がなんなのか、その判別は出来ない。如何なる仕組みなのかそれが判らなかったとしても、今この状態が何を示しているのかは理解できた。
  苦痛だ。
  おそらくはこのような処置を執ることを予測しての仕込み。電脳自体の負荷が軽減されると、その原因を探り当ててアラートとして返す。データが揃えばそれを恐怖に、欠損部位があれば苦痛として表現する。
  アラートを消すためには警告に倣って取り外した部位を復帰させるか、リブロイドの初期設定を書き換えてセンサーの存在そのものをオフにするしかない。どちらの手段を執ってもDALIAそのものを排除できたわけではないからいずれリブロイドは死を迎える。
  完全に手詰まりだった。
  唯一、ブレインマシンインターフェースによって直接電脳に介入し、アーキタイプを書き換えてしまうという方法があるにはある。
  だがそのリスクは膨大であり、成功の確率は無に等しい。それほどのリスクを負う仕事ではなかった。
  お手上げだ。敗北と言ってもいい。
  もとより改善の見込みのない仕事だったが、噂のDALIAがいかに悪質な物かと言うことを知っただけでも良しとしよう。
  端末の電源を落とす。外部電源で動作していたリブロイドも静かに休眠モードに入り、機能を停止する。おそらくは、身を焦がす恐怖と悪夢に苛まれたまま。
「これを作った奴は真性の変態か、狂人のどちらかね」
  吐き捨てるように言うと黒崎はコンソールのふたを閉じた。


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