作業は驚くほどスムーズに完了した。
  オープンカーの後部にメンテナンスベッドごとセットし、バスカークの邸宅へと向かう。
  仕上げは万全だった。
  仕様としてはメアリをベースとして各部にエリザベス・バージョン19のパーツを継ぎ接ぎしたハイブリッドな駆体。スペック上ではオリジナルのメアリをはるかに上回り、チューンによって高級機であるエリザベスに匹敵する。
  複雑さを排した代わりに、安定と最適化を追求することで得られた処理能力の向上は、エキスパートシステムの助けなしでも想定された介護能力を発揮できる。
  一般家庭ならば介護能力などは必要ないが、メアリはもともと医療用である。「看護する」ことを模擬人格の基底とするためにあえて導入し、可能な限り最適化した。
「やりすぎたわ……」
  バスカークに出す仕様書の文面を点検している最中、黒崎は呻いた。
  つい興が乗るとやりすぎてしまうのだ。
  面白かったが必要以上にかけた労力は金にはならない。
  ブレイン・マシン・インターフェースの使いすぎで雫にシャットダウンされること3度。
  食事を取り忘れて倒れそうになったこともある。
  やれるものならバッテリーの換装と人工筋肉を精度の高いものに変えても良かったのだが、それでは家政婦としても役割をはるかに逸脱した駆体になることは間違いなく、むしろ戦闘用に近い出力を持つことになるので我に返った。
  予算が潤沢すぎるのも考え物だ。
  制限が外れると自分はここまで凝り性なのか、と改めて驚いた次第である。
  着せる服もかなり悩んだが、ここは敢えて病院の制服に近いものを選んだ。
  イメージは大事だ。
  なぜなら今度病院から帰ってくるのはバスカーク自身ではなく、その伴侶なのだから。
  ……自分が少し度を外したロマンチストだということは認めよう。
  だがお仕着せの服を着たものが帰ってくるよりは、出会ったときそのままの姿で玄関に立っていたほうが絵になるではないか。
  ナビを辿って到着したバスカークの邸宅は質素なものだった。
  高級住宅街にあるとはいえ、その外観は汎用住宅のものとそう変わらず、高価な天然の木材といったマテリアルではなく強化プラスチックなどありふれたもので作られている。
「意外と質素な家ね」
「セキュリティはかなり厳重の模様です。壁面に電磁障壁システムを確認」
「……戦車でもやってくるのかしら」
「強度は不明です」
「まあそんなことはどうでもいいわね。お姫様起動させてちょうだい」
「メンテナンスベッドで搬入するのではないのですか?」
「それじゃ風情って物がないでしょ? 理解できないかもしれないけど」
「マスター黒崎の指示とあれば拒否する権限が私にはありません。―――起動シークエンス開始、116秒後に全システム稼動します」
「お披露目は劇的にね」
「スモークとクラッカーをご用意するべきでした」
「演出過多で管理局を呼ばれたら面倒だわ。それにクラッカーでは安っぽいわよ、雫」
「失礼致しました。賛美歌のライブラリがあれば良かったのですが」
「歌のライブラリが欲しいの?」
「あくまで演出としてです。私個人の希望ではありません」
「考えておくわ」
「―――システムチェック完了。起動します」
  雫の宣言とともにメアリはその目を開き、自分の力でメンテナンスベッドから起き上がる。
「おはよう、メアリ。調子はいかが?」
「システム・各部問題ありません」
「それは良かった。さあ、今日からここからあなたの家よ」
  呼び鈴を鳴らすと、まるでなにかに引き込まれたかのような速さで扉が開いた。
  インターホーンで名乗る前にバスカークが姿を現す。
「やあ。待ちかねたよ、黒崎さん」
  どうやら玄関でずっと待っていたらしい。
  連絡したときもずいぶん浮ついた様子だったが、ここまで来ると相当なものだ。
「大変お待たせいたしました、バスカークさん。ご令嬢をお連れいたしましたので、ご確認ください」
  とはいえ、黒崎が挨拶するよりも先にバスカークの視線は背後にいるメアリに移っていた。
「こんにちは、バスカークさん。ご無沙汰でしたが、お元気そうで何よりです」
  メアリがにこやかに一礼する。
  その優雅な動作とは裏腹に、場にいた一同は凍りついた。
  これではまるで。
「覚えている……のか?」
「これからお世話になります」
  メアリの形作る笑顔は情感すら感じさせる、完璧なものだった。
  演出や演技とは思えない行動。
  データが初期化されているはずなのに記憶が存在する。
  有機部品のせいか?
  たしかに有機メモリは機械であるリブロイドにとって唯一に等しい「曖昧さ」の存在する領域だ。ではそこに消せない記憶が残っているというのか。
  馬鹿な。
  消去は完璧だ。いや、そうでなくてはならない。
  現にバスカークと会話を続けるメアリの受け答えはぎこちない。
  つまり、覚えていると明言しておきながら欠落があることを示している。
「黒崎さん。君は確か記憶は存在しないはずだ、と仰っていたが」
「ええ。すべての記録は再フォーマットされています。ただし、戴いた情報や状況は過去の動作記録としてライブラリに加えてありますので、そういった意味で覚えているのかもしれません。」
  そういった意味、とはどういう意味なのか自分でも判らぬまま曖昧に回答する。
  エキスパートシステムからは完全に分離されたメアリはその構造上、以前のデータが保存されるような領域は存在しない。
  さらには再フォーマットされ、同じ会社のものとはいえ別種のリブロイド用の汎用OSを導入しているのだ。記憶領域に存在しないデータに加えて、まったく別種の個性を持つにいたったはずのメアリがなぜゆえにバスカークの存在を認識するのか。
  黒崎はかつて、『バスター』アレンが言ったことを思い出す。
 
「記憶のほとんどはメモリに存在しますが、私は電磁気的な物だけではなく、もっと別の物によって関係づけられているような気がするんですよ。最も強い要素が神経の電気パルスとニューロンのネットワークに因っているというだけでね。
  人間の場合ですと細胞記憶というのですか? 確かそんな呼び方をしていましたね。
  臓器移植を行ったりすると、その移植された臓器の持ち主の好みや正確が反映される、そんな事例が報告されています。
  同様にリブロイドにも、個々のパーツに記憶的な物が存在し、それら全ては相互に関連し合っている────まあ仮説というかオカルトに近い話ですが」
  果たしてそんなことがありうるのか。
  それはアレン自身が認めたように、もはやオカルト的なもので妄想に等しい。
  疑問はもうひとつある。
  ラボで調整した際に、パーソナルデータを入力し、オーナーとしてバスカークを登録した。この時点で、メアリがバスカークをかつての患者と認識しなかったのはなぜか?
  パーツに刻まれた記憶が喚起される、そんな馬鹿げた話があるのだとしたら、なぜそれはラボで顕現しなかったのか。
  わからない。
  彼女は覚えているのか?
  覚えている振りをしているのか?
  冷静に考えるなら後者だ。
  データが存在しなくても、環境値として入力された過去の行動データから類推して行動するぐらいの判断力をリブロイドは持っている。
  つまり『過去にあったことがある』『患者だった』『しかし個人の会話ライブラリは存在しない』。これらのデータから類推し、最適値となる回答を導き出す『演技』。
  だがそれは真実ではない
「君は素晴らしい技術者だ」
  バスカークは興奮しながら黒崎の手を握った。
「君の尽力に感謝する。困ったことがあった時はいつでも声を掛けてくれたまえ」
「ありがとうございます」
  困惑は隠せない。
  だが事実であり、現実。
「前にもお伝えしましたが、彼女自身のライブラリはほとんど全くといっていいほど空白のままです。どうかそのことはご承知おきください」
「わかった。奇跡に完璧を求めるのは無粋というものだ」
  奇跡。
  作られた奇跡。
  それでも、信じる者にとっては真偽など意味はない。信じたもの、それ自体が真実なのだ。
  真実とは常に観測する側の主観にある。信じること、それのみが真実を真実たらしめる。
  偽りの記憶を信じるバスカークは哀れだろうか。いいや、そうではない。それはこれから真実になっていくはずだ。
  黒崎はやるべき事をやった。もはやすべては黒崎の手を離れた場所に存在する。
  メアリは辺りを見回し、庭先の花に目を留めた。
「あの白いスミレは此処にも植わっているのですね」
「根付かないと思ったんだがね……これも覚えていてくれたんだね」
「はい。病院で摘んだ花ですから」
  これ以上の滞在は野暮というもの。
  受取証にサインを貰い、仕事は終わる。
  満足感と、わずかな謎を残して。
 
  帰り道、オープンカーを運転する雫に尋ねる。
「雫の見立てではどう? 」
「スペック上ではメアリに別の記憶の保存領域は無く、OSをクリーンインストールされたことも鑑みると別のシステムから復帰したという可能性は皆無だと思われます。ただ、組み込んだ基本システムと、擬似的に構築した動作記録から奉仕対象としてクライアントを認識したと仮定すれば、説明できない現象ではありません」
  模範解答だ。
「ラボでそういう振る舞いをしなかったのはなぜだと思う?」
「入力後、ラボでメアリを起動したのはごく短時間です。ゆえにその時点では最適化が済んでいなかったと考えるのが妥当であると考えられます」
「記憶を取り戻したのではなく、全く新規の奉仕対象として認識し直した、という捉え方ね」
「その通りです」
  無論それが一番合理的な考え方だろう。
  偶然の一致。
  確かに理にはかなっている。
  しかし不思議なものだ。
  私は記憶が蘇ったなどというのは奇跡のようなものであり、理論的にありえない、と考えながらも認識が偶然一致したという可能性のほうを否定しようとしている。
  それを実証することも検証することも出来ないが、クライアントは満足し、一定の成果を得られた。
  仕事のあり方としてはそこで納得するのが限界だ。
  研究者では無く技術者としての限界。
  と同時に技術者だからこそ立ち会える奇跡。
  結末としてはこれでいいのだろう。魔法の仕組みを解き明かすことが最良とは限らない。
  私はロマンチックな愚か者でかまわない。
  もしかしたら本当に奇跡は起きていたのかも知れないのだ。
  黒崎は花を渡したことをメアリに教え込んだ。
  そしてメアリはバスカークにそれを話した。
  庭で摘んだ白いスミレを手渡したことを。
  だが黒崎はその花が何であったのかを知らなかった。
  だからメアリのデータにもそれを登録してはいない。
  偶然か。推量か。覚えていたのか。
  最早それはどうでもいいことだった。
  白いスミレの花言葉は「恋のはじまり」。
  立ち入るのはそれこそ無粋というものだ。
「ハッピーエンド、かしらね」
「そう思われます」
「珍しく意見が一致したわね」
「クライアントの満足度が高ければ、それを幸福な結果と考えるのは妥当です」
  この硬い言い回しさえなければ少しはマシなのだが。


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