「おてんば姫」の章・前編



  今では貴重な物となった天然樹木の並木道を、オープンカーが走り抜けていく。
  助手席の黒崎 響は木漏れ日を浴びながら、土の匂いを楽しむかのように大きく息を吸い込んだ。前日の人工雨のためか、空気には僅かに湿り気があり、吸い込むと肺に染み渡っていくようだ。
  空気に匂いがある、などという経験はここを除けばダウンタウンでしか味わえない。もっとも、ダウンタウンの土から発せられるのは汚染された腐敗の臭いだけだ。静謐、清浄とは程遠い。
「やっぱり天然物の空気というのは気持ちいいわね、雫」
「ドームの空気は完全浄化されていますから」
  雫と呼ばれた運転席の女が答えた。視線は微動だにせずただ一点を見つめ、運転に集中している。聞く者を魅了するほど美しい声音でありながら、口調は素っ気ない。
  雫は黒崎が仕事のサポートとしていつも連れ歩いているリブロイドである。もともとは要人警護用として設計されたものだったが、開発終了と同時に廃棄されるところを黒崎が引き取った。
対人コミュニケーション能力は重視されていないためひどくシニカルな物言いに聞こえるのだが、黒崎はそれを修正しようとは思わなかった。雫には雫の「人格」というものがある。ライブラリを増設して流暢な喋りにするのは味気ない。
  黒崎は肩をすくめて再び道路脇の緑に目をやった。
  かつて、大破壊と呼ばれた不可解な巨大災害によって地上の全ては薙ぎ払われた。その自然の物ではない災害はまさに破壊と呼ぶ他はなく、今を持ってしてもその原因はわからない。確かなのは、地上は死の世界であり、再び人類が地上に進出するのに50年の歳月が必要だったと言うことだ。
  ジオフロントから上へ上へと拡張して生まれた都市国家は、企業とごく一部の権力層によって保たれている。その構造は不条理だが、皮肉にも互いの経済戦争によって平和と秩序が保たれている。
そうした都市の多くを擁する都市管理企業「エクスィード」。ここはその管轄の都市でも、とりわけ所得の高い人間が住む高級住宅街だ。従来の半開放型のドームという点は同じだが、環境維持のためのシステムは低所得層の物と比べても段違いに高性能な物が用いられている。
  大破壊の汚染によって樹木が満足に育たない場所も多いというのに、此処では写真でしか見られないような自然が溢れている。
  天井に張られた薄膜のスクリーンは、人工太陽の光と雲一つ無い青空を映し出していた。厚さ0.2ミリという極薄のスクリーンの描き出す風景は大破壊によって失われた過去の世界を忠実に投影する。所々で空に走る機械的なパネルラインさえなければ、それはまさに楽園の光景だった。
  ここでは、偽りの空を除けば全てが自然の物なのだ。
  並木道を形作っている木々は、僅かに残る天然樹木から採取された種子をプラントで成長させたもの。それを支える土壌も、気の遠くなるような金額を掛けて浄化された本物だ。ポプラの葉が重なり合う木陰は、実質黄金の作る産物ともいえる。
  もちろん、エクスィードを初めとする数々の企業が生み出したテクノロジーは大破壊の汚染すら克服し、自然など無くても人間を生存させている。環境浄化のためのナノマシン、食料生産プラント、それを稼働させるための発電システム。人類はかつて自然が補っていた物を技術で代用することに成功しつつある。
  だからこそ、自然を再現すると言うことは最も高価なステータスなのだ。
  人工物では補えない物も有るという事を人は本能で知っている。
  かつて当たり前のようにあったものが、今では高い金を払わなければ手に入らないというのは何とも皮肉な話ではあるが。
  黒崎の顧客は、そうした場所に住む裕福な市民であることが多かった。
  彼女の仕事は、プログラム的に何らかのトラブルを起こしたリブロイドの調整を行うことである。
  リブロイド。人の手によって生まれし人の形をした人ならざる者。チタンの内骨格と高度な処理能力を持つ有機メモリを持ち、人語を解する人工物。
  先進のテクノロジーによって生まれたこの新しい市民は、様々な分野に渡って人を助け、人の代わりを果たしてきたが、その反面でまだ技術的に完成されていない部分も多く、専門の技術者による継続的なサポートが必要だった。
  もともとリブロイドの設計を行っていた黒崎は顧客からの信頼も厚く、特に人格プログラムの修正で高い名声を得ている。
  そうなってくると顧客が顧客を呼ぶ、というのはどんな職業でも同じである。今日の依頼人ウォレル氏と直接の面識はないが、昔の客から黒崎のことを聞いたらしい。
  オープンカーが止まった。
「やっぱりお金持ちというのは無駄が好きなのねぇ」
  呟いて、黒崎は歩き出す。
  指定された駐車場から玄関まで、かなり距離がある。
  ウォレル氏は他都市との貿易事業を営んでいる、と聞いたが随分と儲かっているらしい。この敷地だけでも相当な金がかかっているはずだ。
  わざと道を外れて芝生を踏んでみたりする。
  「アナトリア」の中央区では味わえない感触。感傷と言うよりはむしろ、好奇心で芝生を歩く。後ろを歩く雫はきちんと道を歩いていた。
  天然樹木に硬化コーティングを施した扉には金のノッカーがつけられている。もちろん、中身は電子化された物であろう。
  なんで金持ちはアンティークを模したりするのが好きなのかしら。
  高級街に済む人間の半分はアンティーク趣味に走る。統計を取ったら色々面白いことが判りそうだ。
  玄関のノッカーを鳴らすと、ややあって初老の男が顔を覗かせた。
  歳は50くらいだろうか。あるいは皮膚再生処置を受けて何度か「若返り」しているのかもしれない。何処か神経質そうな雰囲気を漂わせている。
  苦手なタイプだが、黒崎は笑みを作って挨拶した。
「初めまして、黒崎と申しますが」
「待っていたよ。まあ中へ入ってくれ」
  玄関を開き黒崎を招き入れる。
  他に人の気配は感じない。どうやら独りで住んでいるようだ。
  一人暮らしの人間がリブロイドをハウスキーパーとして購入するのは良くあることだ。彼女たちは持ち主を裏切らない。とくに、ウォレル氏のような大富豪になると往々にして他人を信用しなくなる。
  偽りの人形を人に見立てて愛玩するというのは愚の極み、対人コミュニケーションの不全だという人間もいれば、高い犯罪発生率の中でリブロイドとのコミュニケーションによる癒しの効果が犯罪抑制に繋がっているという意見もある。
  黒崎はどれも穿ちすぎた意見だと思っていた。
  もはやこの社会はリブロイド無しでは成立しない。彼らリブロイドが大破壊からの復興にどれだけ貢献したか。そして今もリブロイドのおかげでどれだけ助かっていることか。
  彼らは社会の一員だ。
  それは厳然たる事実なのだ。
  癒しの効果だとか、愛玩物だとか、そういうものではない。彼らは、彼女たちは、「物」ではない。「者」だ。
  確かに彼らは機械で、彼らは道具として生まれた。けれども彼らは人間によって作られた非造物だが、人間に劣る物でもなければ人間を超える者でもないのだ。
  黒崎と雫は客間へと通された。
  ウォレル氏は二人分のティーセットが出したが、雫はリブロイドなのだ、と黒崎が告げると少し驚き、それから目をそらした。
  じろじろと見てはいけないと思ったのか、それてもリブロイドに対して何か警戒心があるのか。
  別にお茶に呼ばれたわけではない。
  黒崎は一口だけ紅茶を飲むと、ウォレル氏に質問した。
「人格プログラムの異常、という事ですが」
「そうなんだ。OSを再インストールしても、私の言うことを聞かない。メーカーに修理に出しても異常はない、という事なんだが………」
  ウォレル氏はそこで言葉を切ったが、言わんとすることは判っていた。

挿絵1

「具体的にはどのような異常なんでしょうか」
「勝手に電気を消したり、給仕を拒否したり、あとはいきなり水を掛けてくることもある」
「それは大変ですね」
「こんな行動を取るのに異常がないわけがない。メーカーはもうあてにならないから君を呼んだわけだが」
  状況認識機能が狂っているのか、それとも論理判断が出来なくなっているのか。ソフトウェアの問題か、ハードウェアの問題か、どちらとも考えられる問題だ。
  しかしリブロイドのトラブルの大半が、模擬人格プログラムに関する物だった。
  実際にこのように訴えてくる客は多い。
  というのは、メーカーのサポートはあくまで技術的な面だけであって、その人格育成に関する事柄は対象外になることが多いからだ。メーカーがサポート外だとしたならば、おそらく行動基準がおかしな方に固定されてしまっているのだ。
  不謹慎かもしれないが、俄然興味が出てきた。
  黒崎は立ち上がった。
「わかりました。じゃあ早速その「おてんば姫様」にお会いしましょう」

 黒崎は案内されたのは、地下にあるリブロイド用のメンテナンス室だった。充電器を兼ねたメンテナンスベッドには一体の女性型リブロイドが横たえられている。
  ヤーン・イマジネーション・ドールズ社の高級量産型リブロイド「エリザベス」の最新機種。たしか、現在のバージョンは18だったか。
  額の刻印と顔から、黒崎はそう読みとる。
  ハウスキーパー用としては絶大な人気を誇る機種だ。
「どうだね」
「ヤーンの『エリザベス』と見ましたが」
「メーカーのことは詳しくは知らない。一番性能の良い物を、と頼んだのだが」
「間違いないと思いますわ。シノノメ製を除けば、ヤーンの『エリザベス』ほど高性能な物はまず無いと思います」
「性能はともかく、ハウスキーパーとしては十分機能しなくて困っている」
「記録の方を拝見させていただいてもよろしいですか?」
「ああ、かまわない。私には専門外だからな。好きにしてくれていい」
  ウォレル氏は腕時計に目をやった。
「済まないが、仕事が残っているので失礼させて貰う」
「はい、それでは少し触らせて貰います」
  ウォレル氏が地下室から出て行った後、黒崎はベッドで眠る『おてんば姫』を改めて見つめる。
  北欧系をベースにした端正な容姿に、ローカルエリアネットワークを経由して複数の家電を同時制御可能なシステムと接客のための高度な状況判断能力を併せ持ち、さらには1万に及ぶ料理レシピを標準で装備しているという凄腕の家政婦。
  身体パーツの殆どにオプションが用意されており、本来の身長は165センチだが最大で180センチ最小で155センチまで調節可能、バストサイズはA〜Fまで自由自在、25種類のフェイスパーツと多数の言語形態、方言、果てはスラングまで網羅している。
  さらには対人格闘プログラムなど護身用装備を導入すればプライベートからビジネス、身体警護まで幅広く対応出来るという、嗜好品としてのリブロイドでは究極とも言える仕様だ。
  勿論、その価格は標準のリブロイド数体分にも及ぶ高価な物だが、売り上げが落ちたという話は聞かない。
  ウォレル氏のリブロイドもかなり手を入れられているようだ。
  身につけたドレスは、カタログでも見たことがないことから特注品だろうと推測する。薄い紫の生地にシルクのレースカフスをあつらえ、細身のシルエットにボリュ
ームを持たせるために大きく張りだした肩のパフスリーブはご丁寧に純金のリングで整えられている。
  瞳の色は標準のブルーに対してグリーンに変更され、通常はカールさせている髪をストレートにしてあるため、一見すると「エリザベス」には見えない。
  表皮はシリコンではなくナノスキンを使っているらしく、その艶と張りはまるで人間のようだ。しかも、顔は「塗装」ではなく手を掛けてきちんと「化粧」している。

挿絵2


  金のかけ方が半端ではない。
  エリザベスは入れ込むユーザーが特に多いと言うことで有名だが、こうして見ていると納得できる。動く美術品という趣さえある。
  ただ、ウォレル氏にはそのような「趣味」があるとは思えない。たぶんセールスマンが巧く口説いて色々とオプションをつけさせた結果だろう。もちろん、受け取った金にふさわしいだけの仕事はされているに違いない。
  でもこのスタイリングなら髪はブロンドよりブルネットの方が好みだわ。
  そこだけが不満ね。
  と身勝手に思いながらメンテナンスベッドに端末を繋ぎ、動作記録や行動記録を調べる。
  だが模擬人格プログラムも正常に起動しているようだし、見たところ動作に問題があるようにも見えない。
  もともとヤーンは人格プログラムの完成度で高い評価を得ているメーカーだ。持ち主に危害を与えるような致命的なバグが有るという話は聞いたことがない。メーカーの修理を一度は通していると言うことは、ハードウェアの問題でもなさそうだ。
  何が問題というのか。
「雫、通訳をお願い」
「判りました」
  傍らにいた雫が黒崎の一歩前へ出る。
  両腰の部分を展開させ、中から引っ張り出したケーブルを待機状態にあった「おてんば姫」へ接続する。
  有機メモリ中の行動記録をつぶさに拾っていく、などという芸当は人間では到底無理な話で、例えネットワーク用の端末を介して記録に潜り込んだとしてもそのデータ量を理解するのは非効率だ。脳がパンクしてしまう。
  雫の設計者であるバスター・アレン博士などは6体分のリブロイドのデータを自分の脳で処理しつつ、ネットワークを介して『ショーギ』を嗜んだことがあるという逸話があるが、彼は普通の人間ではないのだから比較の対象とするのは間違いだ。
  雫の内蔵ハードポイントに増設された機器は、それらの行動記録を整理、抽出、組織化することで行動記録の閲覧を容易なものにする。
  もちろん、通常のリブロイドにはそんなことは出来ない。要人護衛用として多数の内蔵火器のハードポイントを持つ雫は、その全てに小型化された補助処理システムが増設されている。処理能力に於いては並のリブロイドの数倍はあるだろう。だからこそ、他のリブロイドの情報を組織化して整理するなどという芸当が出来るのだ。
  響は雫の肩部を展開させてそこからケーブルを引き出し、自分の首筋にあるジャックへと繋いだ。モニターにディスプレイするより、この方がずっと速いからだ。
  視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の5感以外に情報を理解する全く別の感覚。アナログの脳が、デジタルを理解する。
  流れ込んでくる情報を、脳は驚くほど柔軟に、違和感なく取り込んでいく。勿論最初はかなり戸惑ったが、今ではそれを難なく受け入れていた。
  人間の脳には可能性がある、などという言葉は随分昔から使い古されたキャッチコピーだが、なるほどと感じることがある。
  『おてんば姫』の行動記録は興味深い物だった。
  ウォレル氏に関するあらゆる行動が『最優先事項』として設定されている。反面、接客などの対外コミュニケーションの優先度は低い。
  勿論、健康管理などの項目の優先度が高いのは当然だ。
  しかし、おかしい。
  早朝のチェックだけではない。チェック時間がバラバラで、任意でそれを行っている節がある。
「雫、ログ8158930の再生をお願い」
  返事はない。
  変わりに、視界に別の光景が割り込んできた。
  ウォレル氏が食後の煙草を吹かしている。
  灰皿には数本の葉巻が押しつけられている。葉巻煙草というものがそう簡単に燃え尽きる物ではないところを見ると、かなりの時間そうしてくつろいでいるのだろう。
  食後のお茶、といった趣。
  少し離れた位置で『おてんば姫』はそれを見ている。
  違和感は突然生じた。
  緊急生命維持プログラムが起動している。
  優先度B。可及的速やかな対応を要する人命保護。
  『おてんば姫』が水差しを手に取った。
  その後のことは見るまでもなかった。

「ふぅ」思わずため息が出た。
  これがウォレル氏のいう、『過激な行動』か。
  なるほどなるほど。
  遡って別の記録も見ていく。
  内容はどれも同じ。暴走する緊急生命維持プログラム。突然の抑止行動。
  さらに、興味深い点がもう一つ。屋敷内において、常に屋敷内のカメラがウォレル氏を監視している。起床就寝問わず、入浴中であってもだ。
  そう、それはまさしく監視だ。
  注意している、見ている、というものではない。これほどまでに執拗に彼を追いかける必要性はどこにもない。
  簡易エキスパートシステムの記録を見ても、ウォレル氏には持病など無く、健康そのものだ。そこまで徹底した健康管理の必要は感じられない。
  これはすぐに片づきそうな問題ではなかった。
「もういいわ、雫。引き上げましょう」
「わかりました」

「出来ることなら一度お預かりして調べてみたいのですが」
  再び応接間に現れたウォレル氏に対して、黒崎はそう提案した。
  通い詰めて修正しても良いが、時間が掛かりすぎるし機材を運び込むだけでも大変だ。
  むしろエリザベスを自分の工房に運んでしまった方が作業は早い。
「直せるのかね」
「わかりません。ただ、問題の原因を突き止めるためには手持ちの機材では不十分です。一度電脳の記録を全部整理した上で、エキスパートシステムや他の設定との齟齬がないかを詳しく調べる必要があると思います」
「ふむ」
  ウォレル氏は少し考え込んだ。
「判った。任せよう」
「ありがとうございます」
「役に立たない物を手元に置いておいても仕方がない。そのかわり、徹底的に調べてくれ」
  黒崎はその口調に引っかかる物を感じたが、笑顔で頷いた。

 

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